第3話
魔王の執事、シエルとの噛み合いそうで噛み合わないやり取りを行った後。
あれよあれよという間に、魔王が鎮座する玉座の間の手前まで案内されてしまった。
城に至るまでの数々の魔族の奇襲。こちらを食らい尽くさんと、牙を研ぎながら待ち望んでいるだろう獰猛な罠。勇者が攻めてきたことで、殺意渦巻く怨念が吹き荒れるだろう城下。
その難関を全て駆け抜け、にっくき魔王の元に辿り着くというシミュレーションを、アリスは何度も何度も、それこそ枕を食いちぎりたくなるほどに頭の中で行っていた。
なのに。
「……何で、もう着いてんだよ……」
多大なる影を背負って、アリスは顔を片手で覆う。この国に着いてから、予想をことごとく空の彼方にまでかっ飛ばされ、のしかかる疲労が尋常ではない。
あまりの影の背負いっぷりに、シエルが「流石は勇者様。影の背負い方もお見事です」などと、訳の分からない称賛をしてくるほどだ。いっそ背後から刺して来い。
そう。あの、疲労の幕開けであるシエルとのやり取りに折れた後。
彼に案内されるままについていけば、何故か豪華な馬車に乗せられた。
まさか、閉じこめて爆破する気かと疑って中を覗き込めば。
「お待ちしておりました、勇者様」
馬車の中では使用人がずらりと列を為して、一斉に
このくそ狭い中にどんだけ無駄な人数乗せてんだ、と怒鳴り散らしたくなったが、彼らはそんな自分達を完全にスルーし。
「お飲み物は何に致しましょうか」
「お食事はお済みでしょうか。よろしければ、当馬車自慢のフルコースなどをご用意しておりますが」
「道中不便もあったでしょう。靴磨きをさせて頂きます」
「湯浴みなども可能ですが、お脱ぎになりますか?」
「まずはともあれ、お座りください」
「さあ」
「――さあ!」
畳み掛ける様にサービス精神を売り込まれ、異様な迫力を前に、アリスと騎士二人は言われるがままに座ってしまった。
座る場所に罠でも仕込んでいるのではないかと思ったが、見る限りはごく普通の――否、最先端の技術を駆使した座り心地抜群のソファだと見抜いてしまい、アリスはわなわなと身体を振るわせるしかなかった。ふわん、と身体を優しく受け止める心地に一瞬感激してしまった自分を殴りたい。
飲み物と食べ物と湯浴みは、努めて淡々と全力で断った。その際、使用人が一斉に悲しげな顔を晒してきたので、罪悪感が過ぎ――らなかった。断じて。
ただ、あまりにも視線が鬱陶しいので、取り敢えず靴磨きだけ頼みながら、アリスは魔族が住まう魔都の様子を垣間見た。笑顔で涙を流しながら靴磨きをする魔族は、当然視界に入れない様にする。
馬車の小さな窓から覗き見た風景。
それは、禍々しい魔王のイメージとはかけ離れたものだった。
広場にある噴水は濁り切って、目にするのも嘔吐を催す――類のものではなく。見ている者を落ち着かせる、綺麗で透明な水を空高くに噴き上げていた。
街中はというと瑞々しい緑が広々と咲き乱れており、吹き抜ける高き青空によく映えていた。
その広場の中では、子供達が活発に駆け回っていた。微笑ましそうに見守っているのは、彼らの両親だろうか。
隣に視線を移せば、恋人達が楽しそうに散歩をしていて、餌をつつく鳩を指差して微笑み合っていた。
賑やかに店舗が並び立つ商店街では、様々な人々が元気に交渉し、笑い合っていた。
そこには。従来人間達が描いてきた、歴史の中で着実に刻まれてきた魔族への見識を、見事に打ち砕く光景が広がっていた。
――ありえない。
アリスは強く、深く、念じる。
あれは、自分達の油断を誘うための集団芝居だ。そうでなければ、いけない。ありえない。
それに。
城の中におびき寄せ、有利な状況で一網打尽にする策を練っているとも限らない。
魔王は優秀だ。
若干十七歳にして国の治安を維持し、『魔族にとって』善政を敷いている。自分より二つ下にも関わらず、その手腕は広く伝わっていたし、実際その通りだとアリスは知っている。
だから。
「ロッジ。アデル。いつでも動ける様に準備をしておけよ」
つい先ほどまでの回想から現実に戻り、アリスは先を行くシエルに聞こえぬ様に低く囁く。
名を呼ばれて、騎士二人も無言で首肯した。緊張で心持ち体は硬くなっているが、怯んではいないらしい。
辿り着いた玉座の間を睨み付け、アリスは心を奮い立たせる。
勇者と魔王の対決の歴史は、並大抵のものではない。単純ではあるが、長らく永遠の天敵として隔たってきたのだ。刃を交える両者を目にした者は、壮絶という一言が陳腐に聞こえると揃って記録していた。
そう。
この八年。何度も何度も自問自答し、肯定し、否定し、その上で決断したのだ。
〝……どうか、……の、意志を〟
――意志を継ぐために。自分は、ここへ来た。
「クレス様。勇者様ご一行をお連れ致しました」
厳かな音と共に、眼前の扉がゆったりと開かれていく。
淡泊でありながらも、どこか隙のないシエルの呼びかけに、アリスは意識を改めて目の前に向ける。
通された間は、非常に荘厳な空気を放っていた。
玉座へ続く道は真っ赤な絨毯が規則正しく敷かれており、その両脇には整然と兵士達が立ち並ぶ。直立不動で一糸乱れず佇む光景は不気味でさえあった。
天井には絢爛なシャンデリアが大輪の如く吊り下がっており、内装は魔王のイメージとは真逆とも思える真っ白な大理石が敷き詰められていた。壁を彩る文様も華やかで、品の良い風格がこの室内の威厳を高めている。
どこを見ても、気圧されるほどの偉観を誇っている。急激に増した圧迫感に、アリスは跳ね除ける様に顎を引いた。
まさしく、一国を統べる主が住まうに相応しい場。
ここで、全ての決着がつく。
現勇者と現魔王の結末が、ここより後世に語られるのだ。
「……お招きいただき、ありがたき幸せ。『魔王殿』」
先導していたシエルを押しのけ、アリスは玉座の主を挑発する。
すらりと剣を抜き放ち、真っ直ぐに玉座を指し示した。風が流れる様に洗練された動作は、まるで流星が描く軌跡を思わせる。
玉座には、魔王らしき並外れた魔気を纏う人影が、悠然と腰を掛けていた。
腰まで流す緩く巻かれた長い黒髪や、振る舞いの艶やかさは、魔王が女性であるということを伝えてくる。
剣を抜いたことで、殺気立ってもおかしくないだろう部下達を一言も発することなく身じろぎさせぬ手腕は、見事としか言いようがない。魔王への絶大なる信頼と献身が無ければ、為しえぬ対応であろう。
気が、抜けない。
ぴりっと、背中に戦慄が焼き付く。
しかし、アリスは剣先を髪の毛先ほども揺るがせぬままに顎をしゃくった。
「俺は、アリスティード・ミシェリア。第96代勇者として、ここに参上した。――その意味、分かるよな?」
――ガタンッ!
言い終わるか否かで上がった物音に、アリスは緊張を爆発させた。ここに来て初めて見られた魔王の反応に、次なる展開と対処法を脳裏で弾き出す。
魔王は、玉座を蹴り倒す勢いで立ち上がっていた。凛と背筋を伸ばした姿は、まるで荒野に在っても気丈に咲き誇る一輪の花を思わせ、知らずアリスの目が釘付けになる。
かつん、と漆黒のドレスの下で高く響き渡る音は、まるで彼女の高潔さをそのまま映し出したかの様だ。目が離せない。
一歩、また一歩と近寄る足音に、アリスは剣を真っ直ぐに差し向けたまま待ち望む。
そう。アリスはこの時を待っていた。
互いに剣を交える時を。
言葉を乗せる機会を。
魔王と視線を交わす、瞬間を。
数秒と経たぬ、互いの交錯。
それこそが、この時代の勇者と魔王の決着の時。
――かつん。
あと数歩という地点で、魔王の足が綺麗に止まる。まるで、二人の間に定められた境界線を踏み越えるのを躊躇うかの様に、両足はその一線を越えてはこない。
アリスは、真っ直ぐに魔王を見据えた。魔王の顔を、息遣いを見定める。
瞬間。
「―――――――」
時が、止まる。
視線が、必然と言わんばかりにかち合った。互いに、互いの瞳を、奥を見定める。
水晶の様に冴え渡る紫が、やけに印象的だった。玲瓏な鈴の音でも聞こえてきそうな空気を醸し出し、見る者をすべからく縫い止める。
顔立ちは妖艶というよりは、可憐と称した方が相応しい。
年相応の出で立ちでありながら子供っぽさを残し、子供の様に見せながら大人の顔を重ねる少女。
複雑な二面性を押し出す魔王に、アリスは神経を極限にまで尖らせ、剣を握る手に力を込めた。
一瞬で、決まる。
一目だけで推し量れた。魔王から放たれる波動が、びりっと肌を焼き付け、突き刺さる。
相手の隙、視線、心の機微、癖、あらゆる要素を見抜くためにミクロ単位まで粗探しをする。
刃を交える前こそが、死闘の本当の勝負だ。仕掛けた時にはもう戦いは終息し、勝者が確定している。
空気がどこまでも張り詰めていく。何か――本当に些細な何かが動いたなら、たちまちに全てが崩れ去るだろう最高潮の中。
さらりと、魔王の黒髪が、絹糸の様に揺れる。
それが、合図。
ほぼ同時に両者が床を蹴り。
「―――――――」
アリスの剣が、抵抗なく魔王の身体に吸い込まれていく――。
直前。
「……勇者様――――っ!!」
どごおっ!
「――ぐっふうッ!?」
清々しい黄色い叫びごと突進してきた魔王に、アリスは見事、重々しい打撃音と一緒に遥か彼方に吹っ飛ばされた。背中から床にぶち当たり、そのまま二、三回バウンドし、おまけで頭をしたたかに打ち付ける。
その間、約二・五秒。
アリス付きの双子騎士が、同じ顔を揃って呆然とさせる以外、何ら反応を示せない早業と戦の終結だった。
「勇者様! 勇者様! 会いたかったです! 本当に会いたかったです! ようやく会えました! 会えたんですね!」
強く背中を打ち付けたせいで、呼吸もままならない。
だが、アリスが苦痛に唸る合間にも、魔王は彼の上で腰に巻き付いたままの態勢でなつく。
それはもう、喜色満面。声の隅々にまで歓喜を浸し、心を許した猫の様にじゃれてきた。
「私は、第82代魔王を務めております、クレスティア・リュシファースと申します。憧れの勇者様に、こうして自己紹介までしてもらえるなんて……! まるで夢のようです。これ、夢ではないのですよね? 現実ですよね? つねってみます!」
「は、あ? い、や、ちょ」
いきなり自分の頬をつねり、「痛い!」と悲鳴を上げる魔王。
なかなかに豪快なつねり方に見ている方も痛かったが、何よりも涙を流しながら喜ぶ彼女に、アリスは物凄い勢いで引いた。心の中だけで。
「やっぱり頬も痛いです! 完璧です! 感激です! 勇者様です!」
「い、や、おまっ、ちょ、降り……」
「ご立派です、クレス様。私は紹介が遅れて、勇者様に失礼無礼を存分に働いてしまいましたが、流石は魔王であらせられる。自ら自己紹介をされて、おまけに握手という儀礼を飛び越え、抱き付くという親密なスキンシップから始められるとは……。このシエル、もう何も言うことはございません。幼少期から貴方の執事であれたこと、誇りに思います」
「本当に? 私、大丈夫でした?」
「……んな、わけ、……てめえ……っ」
「もう、小さい頃からずっと憧れていた本物の勇者様を目の前にしたら、頭が真っ白になってしまって。……勇者様、本当にお会い出来て嬉しいです! あ、私のことは魔王ではなく、クレスとお呼び下さい!」
「……いや、い、から、……降りろ、お前っ」
犬の様に尻尾を振ってすり寄ってきたかと思えば、執事に感激されて、我に返りつつ恥じらいを見せたりと、忙しい魔王だ。雪の様に白い肌を、うっすらと桜色に染め上げた表情などは、まるで可愛らしい花が舞っている様な可憐さである。火照った頬を両手で包み込む姿など、恋する乙女を連想させた。
だが、そんな少女の様な可愛らしい振る舞いなど、今のアリスにとってはどうでも良い。
――死ぬ。俺、このままだと、死ぬ……!
向けられた剣先を物ともせず、突進する様に抱き付かれた上に押し倒された。色々言いたいことはあるが、まだそこまでは良い。
だが、背中と後頭部を打ち付けた挙句、腹の上で激しく百面相やジャンプをされているアリスにとって、現状はたまったものではない。顔色は白いを通り越して土気色に変色し、心なしか太陽の様に輝かしい金色の髪も、くすんできている。
しかし、瀕死の狭間でもがくアリスの訴えには露ほども気付かず、魔王――クレスは、更にヒートアップしていった。
「しかも、想像通り、とっっっっっても! カッコ良いです! もう、お顔を拝見しただけで最初、あまりの素敵な雰囲気に全く挨拶が出てきませんでした。あの、気を悪くされましたか?」
「だ、から。きさ、ま、人の話、を」
「あああ、すみません! いつまでもこんな格好で。はしたないですね!」
猫の様にしなやかに飛びのいた後、クレスはぐいーんとアリスの両手を引っ張って、半ば無理矢理起こさせた。その拍子に、がくん、とアリスの首が曲がり、こきっと小さく物騒な音が鳴ったりもしたのだが、もちろん興奮状態のクレスが気付くことは、無い。
「本当にすみません。勇者様、お気を悪くされましたか? ……あの」
ついさっきまでの
こきこきと鳴らし、頭を少しでも整理する傍らで、首の調子も整える。思い切り腹部に飛び乗られたせいで胃の中の物が逆流しそうだったが、当然根性でやり過ごす。
それよりも。
何なのだ、これは。
何なんだ、この事態は。
自分は、勇者で。
相手は、少女とは言えども魔王で。
互いに天敵とし、未来永劫殺し殺され合う関係だ。
だって、そうだっただろう。今までずっと。あの、『勇者と魔王』の物語の様に。
変わらないはずだった。変わることはないはずだった。百年前までは。
そう。
――百年前までは。
勇者と魔王の関係は、百年前あたりから少しだけ変化していっていた。
当時の勇者と魔王の間で、『勇魔不戦条約』という約束が締結されたからだ。
その内容は、「勇者と魔王はこの先、私利私欲のためには決して刃を交えない」というものだった。
互いに、歩み寄る決意をしたのだ。血塗られ、民の命を脅かし、戦のたびに疲弊していく大地を見て、両者は歴史を覆す決心をした。
とはいえ、劇的に関係図が変化したわけではない。昔に比べれば平和ではあるだろうが、それでも。
〝――アリスッ!!〟
――それで、も。
「……おいっ!」
「はいっ!」
怒鳴りつけるアリスに、しかしクレスは元気良く返事をする。
あまりに素直な返答にアリスは心の中だけで怯みながら、彼女の手を乱暴に振り払った。ごみを叩き落す様に手を叩き、視線に殺気を乗せて貫く。
「あのな! お前、今の状況分かってんのか!?」
「はいっ! もちろんです!」
「ぜってー分かってねえだろ!」
「わかってます! 勇者様ご来訪による、奇跡的瞬間です!」
「ちっげえだろ! 俺は! お前を!」
「あ、もちろん歓迎パーティの準備もバッチリです! おもてなしさせて頂きます!」
「って、うおいっ!?」
こちらのツッコミなど完全にスルーだ。
とんとん拍子に話は進められていき、「ね、シエル」と、クレスが控えていたシエルに屈託なく同意を求める。
それにすかさず、「もちろんでございます」と馬鹿丁寧にシエルが肯定したため、アリスはいっそ意識を手放したかった。プライドさえ邪魔しなければ、楽になれたかもしれない。
どうしてだ。訳が分からない。
自分は、剣まで彼女に突きつけた。それすら華麗にスルーされるというのは、どういった了見なのだろう。
それに。
――あの、瞬間。彼女が突進してきた、あの光景。
「……っ」
先ほどの違和感を振り払い、アリスは努めて冷静に分析をする。
アリスの
それとも、これはポーズなのか。とことんまで警戒心を緩めるための小芝居か。
――そうだ。
そうに違いない。それが、一番合理的な考えだ。相手は魔王なのだから。
無理矢理呪詛の様に繰り返し、アリスは自身を納得させようとした。
だが。
「今日は、私もシェフと一緒に料理をしました! 思いつく限りのご馳走を用意しましたので、是非是非、食べていって下さい!」
両手を合わせて楽しそうに計画を明かす彼女の表情は、塗り固められた嘘が見当たらない。
「あ! あと、こちらに滞在されますよね? 城の中に三人分部屋をご用意しております!」
これは、演技か。
それとも。
――真の、馬鹿なのか。
あまりにシリアスからかけ離れた展開に、アリスは心が折れそうになりながらも、力なくシエルの案内で食堂へと向かったのだった。
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