第2話


「……遂に、来たな」


 のんびりと雲がたゆたう、気持ち洗われる平和な青空の下。

 日の光を照り返す穏やかな金の髪の青年は、射る様に空を見上げながら感嘆を漏らした。その声は微かに緊張しており、隣に並ぶ騎士二人も無言で同意する。


 凛々しく、強烈な存在感を纏う青年だった。


 夜空を思わせる紺瑠璃の瞳は静かに、しかし強い光の輝きを奥に備えていた。彼がその場に佇むだけで空気が一変し、かしずく様に引き締まる。

 そんな青年が睨み上げている先には、天すら我が手中とばかりにそびえ立つ荘厳の城が鎮座していた。白を基調とし、清楚でありながらも威厳を備えた城は溜息が出るほど壮麗だ。

 しかし、青年にとってはそんな壮麗な雰囲気などまやかしに過ぎない。


「魔王……この日を、俺がどれだけ待ちわびたか」


 城を見上げる瞳を一層鋭くし、ひたすらに魔族の王たる人物が居座る城を見上げる。



 代々、天賦の才ともども世襲制で引き継がれる人間の『勇者』が治める勇国、ミシェリア。

 殺戮と破壊衝動が本性とされる魔族の長、『魔王』が君臨する魔国、リュシファース。



 太古、遥か彼方からこの二国は――勇者と魔王は、幾度となくぶつかり合ってきた。

 長年の歴史の中で、討ちつ討たれつの積み重ね。

 勇者に軍配が上がる比率は高かったが、物語の様に完全無欠であったわけではない。歴史は、英雄譚とは訳が違う。

 そして、今、また。

 その積み重ねに、一つの歴史が積み上げられようとしていた。


「第96代勇者の名にかけ、俺は必ずや魔王を討ち取ってみせる。――覚悟は良いか?」

「はっ! もちろんです、勇者様」

「我が命に代えても、アリス様だけはお守り致します!」


 びしっと敬礼をしてくる幼馴染の双子の騎士に、青年――アリスは一瞬だけ眉を開いた。

 しかし、それもすぐに決意に変え、気を引き締める。羽織った翡翠のコートをもう一度だけ正し、城を睨み据えた。

 本名、アリスティード・ミシェリアは、胸を焦がし、焼き尽くしてしまいそうなほどにこの日を待ち望んでいた。

 あの日から、どれほど渇望し、夢にまで思い描いたか。

 夢は夢でも、悪夢とするに相応しい壮絶な願いではあったが、それも今日まで。やっと終わりを告げる。

 そう。


 第82代魔王、クレスティア・リュシファースは、本日、亡き者となる。


 勇者と魔王は、最後には剣を交える運命なのだ。

 それは、古来より脈々と受け継がれてきた、決して避けられぬ命運。


 ――勇魔不戦条約。



 あんなあやふやな両者の『約束』は、屑ほどの役にも立たなかった。



〝……どうか、……〟



 不意に、声が脳裏をかすめる。

 その瞬間、爆発的にアリスの気迫が鋭くなった。

 が、それもつかの間。すぐにふっと吐息を落とし、散らした。


「……、行くぞ!」


 気合いを入れ直し、アリスは咆哮と共に城下に侵入するための一歩を踏み出す。騎士二人も、頼もしくその後に続いた。

 城下を抜け、城までの距離は如何ほどのものか。計算しながら、先を読む。

 既に魔王は、アリスの存在を認めているだろう。人間が不得手とする魔法に長けた魔王は、非常に優秀だと伝え聞く。

 城下へ続く門は、不用心にも衛兵を立てていない。例え、何百の手勢が来ようと、『勇者』は遥かに人間離れした身体能力の持ち主だ。まとめて排除出来る力も自信もあるが、それらしき部下も見当たらない。誘われているのは一目瞭然だ。


 ――ならば、お望み通りに首をねてやる。


 意気込んで、アリスが最初の関門を突破しようとした。

 その時。



「――勇者アリスティード様と、そのご一行ですね?」

「―――――ッ!?」



 唐突に――本当に唐突に、ぬっと五センチ先に出現した人影に、アリスは思わず急ブレーキをかけて立ち止まった。

 騎士二人も同じ様につんのめり、彼らはそのまま地面に激突する。「おい、馬鹿ロッジ! 何地面にめり込んでんだよ!」「黙れアデル、お前も同罪だ」などど騎士二人が罵り合っている声は、根性で無視をした。ここで舐められたら、終わりだ。


「貴様! 魔王の手先か!」


 剣を引き抜いて、アリスは目の前の人物を睨み据えた。狩人の様に目つきを鋭く引き絞り、相手を油断なく観察する。

 その者は、漆黒の燕尾服を丁寧に着込んだ青年だった。優雅な立ち居振る舞いは、美と几帳面さをほどよく表しており、彼の存在をひっそりと、しかし何よりも強く際立たせている。

 銀色の髪を優雅になびかせた彼は、恐らく執事だろう。そして、魔王の手先だ。

 淡々とした瞳を機械的に注いでくる執事に、アリスは一層警戒心を強める。


「……、なるほど」


 アリスの反応を吟味するかの様に、執事は顎に手をかける。

 そのポーズは人を小馬鹿にするかの様だ。触発されたのか、騎士二人もようやく立ち上がり、腰の剣に手を伸ばす。

 どうせ、この手の輩は「主の手を煩わせるまでもない」と常套の文句を並べ立て、散々冥土の土産とやらをご丁寧にご高説頂いた後、攻撃を仕掛けてくるはずだ。気は抜けない。

 まさに、一触即発。

 アリスが、先制と仲間の二人を庇う意図で一歩踏み出すと。


「間違いないようで安心しました。ならば」


 執事は一寸だけ考える素振りを見せてから、ふむ、と一回軽く頷き。



「ようこそ、魔国、リュシファースへ」



 優美に一礼をして半歩下がり、執事は体ごと道を開けた。


「お待ちしておりました。我々は貴方達を歓迎致します。是非とも貴方達を城に招く様にと、主人から仰せつかっております故、どうぞお入り下さいませ」

「上等だ! 受けて立……、…………………って、は?」


 一瞬理解が追いつかなかった。ぽかん、とアリスの目と口が点になる。

 先頭を切っていたため、騎士二人の顔は窺い知れなかったが、恐らく同様の表情を惜しげもなく晒しているだろう。背後で揺れる気配だけで悟れた。

 驚愕の極みを合唱するアリス達の心を、しかし執事は全く読み取れなかったらしい。ふむ、と首を傾げて、もう一度律儀に繰り返す。


「すみません。私の滑舌が悪かったようで。……ようこそ、魔国、リュシファースへ。お待ちしておりました。我々は貴方達を歓迎致します。是非とも貴方達を城に招く様に……」

「ちっげーよ! いちいち繰り返してんな! そうじゃなくて、言ってる意味がよくわからん!」

「……ああ、なるほど。貴方の頭に問題があっただけですか」

「ちっが!? お前、すっげえ失礼な奴だな!?」

「お褒めに預かり光栄でございます。無礼千万では引けを取らない勇者様に認めてもらえるなど、恐悦至極の至り」

「褒めてねえし! しかも馬鹿にしてるだろお前!」

「いえ、素直に感動したのですが」

「素直!? 感動!? い、いや、そうじゃなくてだな! なんっで、勇者である俺達を招くんだよってことだ!」


 拳を握り締めてがなり立てるアリスに、執事はしばし黙考し。

 ――全く意味が分からない、と豪語する様に顔をしかめた。


「他国から、しかも勇者様直々にこちらへご足労頂いたのです。それが例えアポ無しで突然の訪問だったとしても、我らとしては歓迎すべきこと。違いますか?」

「知らん! 同意を求めるな! むしろお前の頭がおかしい!」

「そうでしょうか。これでも今日は一応、髪は念入りにかしたのですが」

「そういう問題じゃねえし! 頭って、髪のことじゃないだろこの場合!」


 拳をこれ以上ないほど握り締め、アリスは肩を怒らせて怒鳴りまくった。それはもう、空をのんびり飛翔していた鳥が仰天してバランスを崩し、地面に落下するほどの大声である。

 だが、泣く子も驚愕のあまり黙り込むだろう怒号は、目の前の執事には全く効果が無かったらしい。

 またも、執事は口元に軽く手を添えて思案に沈む。

 そのまま一分ほど、アリスの言葉の反芻作業をこなしたらしい後。


「……まあ、取りえず私の髪は置いておきまして」

「……何で俺の訂正を聞き入れないんだ、お前」

「このままでは、主人が不安と期待と興奮のあまり、待ちくたびれて転げて怪我をしてしまいます。ご案内しますので、こちらへどうぞ」


 さらりと意味不明な理由と共に左手を城門へと向け、執事は丁寧な足運びで城へと続く道を行く。

 あまりに自然な流れ作業に、アリス達は躊躇いなく後に続こうとして――我に返った。


「いやいやいやいや、まてまてまてまて」


 がしいっと、思わず執事の肩をつかみ、アリスは猛烈に抗議した。

 魔王の配下に気安く触るなんて、という理性や常識は当然吹っ飛んでいる。とにかく、この予想斜め上をぶち抜けた現状を否定したかった。


「何か?」

「いや、おかしいだろ! お前、一体何考え」

「ああ、申し遅れました。私はシエル・メイスフィールドと申します。以後、お見知りおきを」


 どこまでも几帳面な仕草で、馬鹿丁寧に自己紹介をされる。

 しかもその後、彼はあっさりと背を向けて再び歩き出した。その姿や、まるで背後からざっくりと刺されても本望だと言わんばかりの潔さである。

 そんな、何処までも意味不明な執事をアリスは見送り。


 ――何で、戦ってもいないのに疲労してんだ、俺。


 何だか、全てがどうでも良くなってきた。

 哀愁と疲弊をたっぷりと背負い込み、仕方なしにアリスは、シエルと名乗った執事の道案内に従うのだった。


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