囚われの魔王

和泉ユウキ

第1話


『むかしむかし、あるところに――』


 それは、型通りの文句から幕を開ける、勇者と魔王の物語。


 連綿と紡がれる、覇者王道。

 人々に夢と希望を与える、憧れの存在。

 壮絶なる死闘の末、最後は勇者によって魔王が討ち取られる。

 それは、誰もが望む勧善懲悪。



 ――そんな、夢と希望と理想が凝縮された、明るい未来に導かれる物語に。



 少女は、好奇心いっぱいの輝きを瞳に煌かせて。


 少年は、利発そうな瞳に訝しげな色を過ぎらせて。


 飽きる事無く、聞き入っていた。




『むかしむかし、あるところに。世界を闇に陥れんとする魔王がおりました。


 魔王は世界の半分を支配し、万を超える魔族を従え、魔族の王として君臨していました。

 魔王である彼は、欲しいものを望めばいくらでも手に入りました。

 命令すれば、誰もが言うことを聞いてくれました。

 それこそ、みんなが憧れる不自由ない暮らしをしていたのです。


 けれど、それほどまでに恵まれていた魔王は、それだけでは飽き足りませんでした。

 何か、もっと面白いことはないか、と。

 そこで、魔王は考えました。

 自分たちとは異なる種族、人間をも支配しようと思い立ったのです。

 彼ら人間は、強大な魔法を振るい、圧倒的な力を持つ魔族とは違います。脆弱で、ろくに魔力も扱えぬ、愚かでちっぽけな存在でした。

 少なくとも、魔王はそう考えたのです。


「群れてしか行動できぬ、ひ弱で下等な動物よ。我らに恐怖し、ひれ伏すが良い」


 魔王は土足で人間を踏み荒らしました。

 欲しいものを片っ端から略奪し、物よりも酷い扱いを与え、人間を瞬く間に恐怖で潰してしまったのです。

 やりたい放題なのは当たり前。

 のさばり、人を人とも思わぬ所業。


 人間は、すぐに魔族――ひいては魔王への不信感を募らせました。


 けれど、逆らえばすぐに首が飛びます。

 不満があっても、耐えるしかなかったのです。

 最初はためらっていた魔王の配下も、次第に強奪と殺戮を繰り返す様になりました。

 人間の国や、近隣の地域に住んでいた魔族たちも横暴の限りを尽くし、人々は日に日に追い詰められていき、自ら命を絶つ者も出始めました。

 そんな、真っ暗で、太陽さえも怯えて上がらぬ状況の中。


「魔王よ、お前の悪事もここまでだ!」


 日々繰り広げられる悪行に耐えられなくなった、一人の勇敢な若者が立ち上がり、単身魔王の城に乗り込んだのです。

 その若者は天に愛され、剣聖の名を欲しいがままにした屈指の剣士でした。

 駆ける姿は、一陣の風の如く。

 剣を閃かせるは、まるで闇を切り裂く清らかなる舞。

 剣を振るえば、澱む空気は一掃され。

 声を発すれば、死に絶えた光の塵が息を吹き返す。


 まさに、人間の『希望』そのものでした。


 真っ直ぐで迷いのない一振りに、魔王は為す術も無く倒され。

 世界に、何年かぶりの日の光が雲間から差し込み、大地を明るく照らしました。


 それ以来、若者は『勇者』と称えられ、一国の王にまで抜擢されました。

 愛する人と結ばれ、幸せに末永い平和を築いていったそうです。』




「……すごーい! 勇者様は、そのあくぎゃくひどうな魔王を倒しちゃったんだね!」

「ああ、そうだ。勇者様は凄いんだ。お前もよく『悪逆非道』という言葉を知っていたな。この物語を自分で読めちゃうだけあるぞ」


 すごいすごいと父親に頭を撫でられて、まだ四つになるかならないかくらいの少女は、えへへーと屈託無く笑みを咲かせる。褒められたのが嬉しくて堪らないと全身で表現して、本を読み聞かせていた父親の膝の上に飛び乗った。


「あのね、あのね! 私、勇者様に会いたい!」

「ええ?」

「私、勇者様にぜったい会う! 会って、おはなしするの! すごいって! ファンになっちゃったって、言うー!」





「なんかさ。なっとくいかない」


 少年は面白くなさそうに――否、非常に冷めた眼差しで父親が手にする本を眺めた。

 きょとんと瞬きながら、父親はゆったりと首を傾げる。


「納得いかないって、何がかな?」

「だって、これ。かんじんなことが書かれてないじゃん。子供だましだよ」


 ぴっと指を差して、そのまま開かれた本のページを弾く。

 歳よりも少しだけ――父親としては少しだけと信じたい――大人びた息子に苦笑しつつ、父親は頭を撫でて頷いた。


「子供だまし、か。うん。確かにそうかもしれない。……でもね」


 ひょいっと、父親は脇から息子を抱き上げた。

 そして、木漏れ日みたいな優しい笑みで、息子を真正面から見据える。


「そうやって、お前が『子供だまし』と感じた、その心こそが大切なんだ」





「……お前は、そう思うのだね」


 父親は、膝に飛び乗って見上げてくる娘を軽やかに抱き締めた。

 そして、極上の笑みを乗せながら娘に告げる。


「ならば、どうか――」





「疑問を感じて、それを真剣に考えようとするお前を、私は誇りに思うよ」


 息子をあやす様に抱き締め、父親は幸せそうに、本当に幸せそうに告げる。


「それなら、どうか――」





「「その心を、今感じたことを、絶対に忘れないでおくれ」」







「……、ス、っ。……どうか、……の、意志を、継い、で……」


 ああ。もちろん。

 自分を抱き締める様に亡くなった、あの日のこと。自分は、絶対に忘れやしないよ。


〝絶対に忘れないでおくれ〟


 ――絶対、に。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る