スーパームーン
吉田
第1話
サグラダファミリアという教会の存在を知ったのは、中学二年の頃だった。それは、ずっと昔から建て続けられているらしく、まだ未完成のようだ。しかし、最近は3Dプリントなどの最新技術によって建築にかかる時間が遥かに短縮され、あと数年後には完成するらしい。私が知っているのはこのくらい。あとは、スペインのバルセロナにあるということだけだ。
その時は感動して、サグラダファミリアについて詳しくインターネットで調べたり、母や学校の先生に聞いたりして、その未完成の教会の魅力をもっと知りたいと思ったし、あわよくば、いつか完成した暁にはこの目で見に行きたいと強く憧れた。
しかしそれはただの一時的な憧れであって、気付かぬうちに忘れてしまっていた。人気アイドルに夢中になり、様々なグッズを集めたりしてみたものの、いつの間にかその熱は冷め、集めたグッズもゴミ袋の中だったという良くあるパターンに例えたらわかり易いだろうか。
結局、私はいつもこんな人だった。何事も長くは続かなかったり、複数のものに同時に興味が湧いてあれもこれもと手をつけてみてもどれも深くは追求せずに終わったりした。恋もそうである。一人の人を長く好きでいることが、愛することが出来なかった。
以前、ほんのり想いを寄せていた異性がいた。常に笑顔を絶やさず、背が高くおしゃべりな人だ。もちろん、周りにはいつも人だかりが出来ていた。人気者の彼に恋をしても叶うはずなどない。そんな当然のことは十分理解していた。毎日遠くから見つめるだけであった。
しかし、そんな彼から誕生日プレゼントを貰った。可愛らしすぎて、私には不釣合いなのではないかと不安になるようなブレスレット。突然すぎて驚きでいっぱいになり、うまくお礼を言う事が出来なかった。彼とろくに話したこともないはずなのに、彼は私の誕生日を知っていて、しかもプレゼントまでくれた。夢にも思っていなかった。私だって、彼の誕生日など知るはずもなかったのだから。
これは、私の中での大きな事件だった。
それから、彼とかなり良い雰囲気へ進展していった。一緒に外食へ行ったり、甘い言葉を交わしあったりした。
もうそろそろだろうという時期になった時には、私の長く続かない性質が発揮されてしまっていて、既に他に気になる男性が心の中にいた。その彼は物静かで、目鼻立ちが整っていて、常に本を読んでいるような人だ。友達は多くなさそうだった。キャンパス内の図書館の歴史系物語コーナーで初めて見かけた時、落ち着いて大人びた雰囲気をもつ彼に何故だか惹かれてしまった。一目惚れに近い感情だった。気がついた時には、彼に自分から積極的に話しかけたり、休みの日に会う約束をしていた。少しずつ親密な関係を築いていた。
彼は知識が広く、どんな話をしても詳しく返してくれるで、彼と話すことがとても楽しかった。人気者の彼とのおしゃべりとは全く違う楽しさがあった。
それに、何より真剣に私の話を聞いてくれる真っ直ぐな瞳に私は吸い込まれていった。
私がそろそろだと予期していた通り、人気者の彼から告白された。彼らしい、人気者らしい遠回りしない言い方で。好きなんだ、付き合って欲しい、と。
彼に緊張した表情は見えなかった。むしろ、自信に満ち溢れているように感じられた。普通なら当たり前だろう、あれほど良い雰囲気になった異性に想いを伝えて断られると思う人の方が少ないはずだ。それどころか、男性からすれば、相手はそれを待ち望んでいるだろうと思うかもしれない。だが、私の答えはノーと決まっていた。物静かな彼がどうしても心に引っかかったのだ。決まっていたのだけれども、こんなに張り切った表情の彼に見つめられると、はっきりノーと言えなかった。だからこの時は、考えさせて欲しいとだけ伝えてその場を後にした。
ノーときっぱり決めていたはずなのに、何故か私は彼の告白を受け入れてしまった。物静かな彼のことも引っかかったままではあったのだが、やっぱり長く同じ時間を過ごしてきたし、こんなにも率直に想いを伝えられると、首を縦にふることしか出来なかった。
最初は、本当にこんな中途半端な気持ちで良いのかと自分でも何をやっているのだかさっぱり分からなかったが、お付き合いしてみると、彼と居る時間が愛おしくてたまらないものとなっていた。やはり人気者なだけあり、人との関わりに慣れているということが、彼と過ごす時間が増えたことで、改めて実感させられた。だから、彼は私のことをとても大切にしてくれているのがわかった。記念日や誕生日には必ずプレゼントを贈ってくれたり、私が落ち込んでいるにはすぐ察しては声を掛けてくれた。
もう、物静かな彼のことなど私の脳内には少しも存在していなかった。そのつもりだったが、一人になると時々思い出す事があった。その時は決まって
「あの時は元気な彼の、悪く捉えたら子どもっぽい部分に少し疲れていて、大人な男性の包容力に甘えてみたいというちょっとした遊び心だったのだ。でも、元気なところが彼のチャームポイントだから」
と自分に言い聞かせ、意識しないようにしていた。
それから何ヶ月か経ったある日、図書館へ行った時の事だった。偶然にも、初めて見かけた時と同じ場所で、物静かな彼を見つけた。彼は司馬遼太郎の本を読んでいた。
ぼーっと彼のことを見ていたら、不意に彼が視線を上げた途端、私の視線とばっちりぶつかってしまった。
「ご無沙汰ですね、茶子さん」
丁寧な言葉遣いと、落ち着いた笑顔で彼の方からこえをかけられた。
「ええ、透くん。お久し振りですね」
私も丁寧に返事を返した。
そこから約一時間、同じ机の向かいに座って、小声で彼とたわいもない会話を楽しんだ。最近はどんな事をしているのかだとか、あの教授の授業はわかり易いだとか、こんな本に夢中になっているだとか。サグラダファミリアの話題も出て、そこで初めて、あれは最初、建築するのに三百年はかかるといわれていたと知った。その予定が約百五十年縮まったということも教えてもらった。中学二年の頃の私でもそこまでは知らなかっただろう。
久々に会ってもなお、彼の知識の広さは変わっていなかった。変わっていなかったどころか、彼の物知りに更に磨きがかかっているように感じられた。
私より一つ年下なのに、私の知らない世界をたくさん知っている。そんな彼の瞳に、再び私は吸い込まれた。
「この間、休みの日に会おうと約束をしていたと思うのですが、今月で空いている日はあったりします?」
そうだった。すっかり約束を忘れてしまっていた。今月は確か次の日曜日であれば、バイトも休みだし、友達との約束もない。しかし、空いているとは言えなかった。
「約束をしておいて本当に申し訳ないのだけれど、今月は忙しくて…」
本当は空いていると即答しようとしていたのだが、何かが私の脳裏をよぎり、私の口にストップがかかった。人気者の彼の顔だった。その瞬間、私にはお付き合いをしている相手がいるのだという自覚が急に大きく膨らんだ。それでもやっぱり、物静かで知識の広い透くんともっと二人で話したいという気持ちが複雑に絡まってきて、どうすればこのけじめの無い心にケリをつけられるのか分からず、ただただ下を向いていた。
「そうですか、残念ではありますが仕方ないことですよね。だけど僕、もう少し茶子さんとお話したいんです。今晩、電話をかけてもいいですか」
透くんの瞳が、私の瞳を真っ直ぐ捉えた。
「ありがとう。かけてくださって大丈夫よ。いつでもお好きな時で」
「分かりました。では時間なのでもう出ますね、また今晩」
去って行く彼の背中をいつまでも見つめながら、お付き合いをしている相手がいるのにも関わらず、「今晩」と「電話」という言葉の響きに胸をときめかせていたことは誰にも話していない。
二十二時三分。スマホがテーブルの上で震えた。もちろん透くんだった。一度で電話をとってしまったら、ずっと待っていたかのように思われるかもしれないなどという変な意識をして、テーブルの上で大きな音を鳴らし続けるスマホをただひたすら眺めていたが、やっぱり透くんと話したいという気持ちはどう頑張っても抑えきれず、結局電話をとった。
「もしもし、透くんこんばんは」
「もしもし茶子さん。どうもこんばんは」
話し始めて四十分ほど経っただろうという時に、透くんが唐突に言った。
「茶子さん、今、外は見られますか」
「ええもちろん、でもどうして?」
慌ててベランダの方へ駆けつけた。
「空を見てくださいよ、空」
そこには今までに見たこともない大きさで、もしかしたら触ることができそうなほど近くに輝いているまんまるの月があった。
「あら、今日は満月なのかしら」
「そうみたいです。それに、今夜は数年に一度のスーパームーンのようで、地球と月が最接近する日なのだそうです」
初めて聞くスーパームーンという単語の響きに、また少し透くんが私の世界を広げてくれたような気がした。それと、透くんと共通して知るものが増えたことに嬉しさがこみ上げ、鼓動が速まっていった。
「スーパームーンって、とても素敵な名前なのね。本当に、今夜は月が綺麗ね」
私がそう言うと、透くんは黙り込んでしまった。
そして、月が雲で隠れた。
「どうしたの?」
問いかけるも返事はない。電波が悪くなってしまったのだろうかと自分のスマホを疑いはじめた時、向こう側から、か細い声が聞こえた。
「すみません」
「え?」
「すみません、僕って本当に情けなくてかっこ悪い男ですね」
「急にどうして?」
私が質問してから数秒間、深く呼吸をとる音が聞こえた。
「自分で言う勇気が無くて、どうしたら茶子さんから言って貰えるのだろうかと考えて、僕、ちょっと仕組んだんです。でも、その言葉を聞けたからといって茶子さんの本当の気持ちがわかる訳でもなければ、僕の気持ちが伝わるわけでもない。だから、自分で言うことにします」
そう彼が言った時、隠れていた月が顔を出した。
「本当に、月が綺麗ですね」
私の頭ではその言葉の意味を理解するのに少々の時間を要した。これは確か、前に透くんから教えてもらった、有名な日本語訳だったことを思い出した。
「もう、お気づきですよね。僕の尊敬する文豪の言葉をお借りしたのですが、僕には似合わない言葉でしたね」
彼らしい、文学的かつ、遠回しな言い方だと思った。
落ち込んでいる透くんを慰めたかったが、なんと返せば良いのか分からなかったし、突然の告白に思考回路が狂ってしまいそうだった。
「もう、寝よっか」
一時間五十四分の通話にピリオドを打った。
次の日、臆病者の私にしては珍しく、こういったことは直接話さなければならないと思い、透くんをキャンパスの近くのカフェに呼び、ごめんなさいと丁寧に謝った。だけど、これからもたくさんのことを語り合いたいと伝えた。そして今までお付き合いをしている相手がいるということを黙っていたままだったので、正直に打ち明けた。透くんは私ご話している間はずっと下を向いていたが、私が話し終えると、
「ご心配なさらないでください。僕の考えも浅はかでした。茶子さんのような女性にお相手がいないはずが無いですよね。ご迷惑をおかけしてすみません」
と哀しそうに微笑んだ。何もかけてあげる言葉が見つからずにいる自分の情けなさが、私の目に泪を浮かべさせた。透くんのほうをちらりと見ると、彼の頬が少し濡れているのが見えた。
それから四年弱経って、私も、もう社会人三年目となった。約五年間お付き合いをした彼とは昨年の秋に別れた。彼から海外への就職が決まり、これから忙しくなると伝えられた時、じゃあ、それぞれの夢へ向かってここでお別れにしようと私から言った。彼は、
「うん、今までありがとうね」
とだけいった。わたしもそう言った。私のことを大切にしてくれた彼のことは好きだったが、特別別れを惜しむ気持ちもなく、すっきりとした気持ちで手を振って別れた。それに、自分の心にけじめをつけたかった。
ただ、透くんの事はいつまで経っても引っかかったままだった。あの後も、時々会ったり話したりはしたか、少し気まずい雰囲気は払拭できず、その回数も段々と減っていった。最後に透くんと会ってから2年も経ってしまった。
仕事が終わり、家に着くなりすぐにソファに腰を下ろした。そしてテレビのリモコンを取り、ニュースをつけた。よく分からない政治家のインタビューや芸能人の結婚報告などをぼーっと眺めていたが、次のアナウンサーのひとことで目が覚めた。
―――百年以上の年月をかけて建築されていた、スペインのサグラダファミリアが昨日完成した模様です―――
誰かに伝えたくて仕方が無くなったが、こんな事に興味を示して共感してくれる人など周りにはいなかった気がした。思いつく限り知り合いの顔を浮べていった。ふと、私の話を真剣にきいてくれる真っ直ぐな瞳が浮かんだ。その時にはもう、スマホを耳にあてていた。
「もしもし、急にごめんなさい。今、ニュースで報道されていたのだけど、サグラダファミリアが完成したんですって。どうしてもこの目で見てみたいのよ。だから、一緒にスペイン旅行なんてどうかしら」
スーパームーン 吉田 @Cherry42
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