第11話
それはとある街で興行を終えた夜の事だった。
いつものようにつつがなく好評のうちに演奏を終えた俺たちは、荷物を片付けて宿に帰る所だった。
今日の宿は街の中心からそれなりに離れた所だ。中心に近い宿は全て満室で部屋を取れなかったのだ。
なんでも長い間子宝に恵まれなかった領主に男の赤ちゃんが産まれたらしい。街ではささやかながら祭が開かれていて、周辺の小さな村や集落からもお祝いに駆け付けた民で宿は一杯だった。
良い宿が取れなかったのは確かに不運だったが、人が集まっている分今日の実りは大きかったので一座のメンバーは皆満更でもないようだった。皆浮かれているせいか、客の反応もすごく良かったしな。
それにしても跡継ぎが産まれただけでこんなお祭り騒ぎになるのはすごいな。それだけこの地の領主は慕われているという事か。確かにこの辺りは色々整備されていて治安も良さそうだ。荒事が苦手な俺にとってはありがたい話である。
――なんて思っていた時期が、僕にもありました。
「動くとコイツの命はねえぞ!!」
「セージっ……!」
前言撤回。こんな危ない奴を放置して浮かれてる領主も衛兵にも言ってやりたい。ちゃんと仕事しろよ。こういう時こそ気を引き締めなきゃいけないでしょうが。
そんな事を思いながら、俺は首筋に当てられたナイフをぼんやりと見ていた。あーあ、めっちゃ刃こぼれしてるな。これ一気に切れないからめっちゃ痛いんだろうな……。
そんな事を考えながら、現実に理解が追い付いていなせいか妙に冷静な自分がいるのが分かった。
俺は今、盗賊団の男に羽交い締めにされて首筋に刃物を当てられている。視線を外して前を見ると、アンジュが俺を助けようと三人の盗賊と対峙しているのが見えた。
彼女の後ろでは盗賊がのびている。二人までは何とか倒せたが、そこから先は中々隙が見いだせず攻めあぐねているようだった。
「あなたたち、街中でこんな事をしてただで済むと思ってるの!?」
「うるせえ!この軟弱男もお前もさっさと殺っちまえば問題ねえんだよ」
「くっ……」
……完全に立場がおかしい。
これが物語だとすると、どう見てもアンジュが主人公で俺が囚われのヒロインだ。自分が弱いのは分かっているので情けないとはあまり思わないが、何となく複雑な気持ちだ。
なぜこんな事になってしまったのか。
話は三十分ほど前に遡る。
興行を終えた俺たちは馬車をゆっくりと歩かせ宿に向かっていた。そして街の中心から離れ人通りがめっきりと減った頃、突然馬がけたたましい悲鳴を上げて馬車が止まった。
「なんだテメェら!」
御者台に座るローディの怒号に飛び上がった時には、座長達は既に馬車から降りる所だった。何が起こったか分からぬまま、俺も慌てて後に続く。
その瞬間、どこからともなく現れた男によって俺は勢いよく突き飛ばされた。なすすべもなく背中を打ち付けられ痛みを感じる暇もなく、首がしなって更に勢いよく後頭部を床に打ち付けた。
「おい、どうしたザンギ!早くしろ!」
「うるせえ!まだ中に一人残ってたンだよ!」
「なんだと?ったく……仕方ねえ、そいつも一緒に連れてけ!いざという時盾に出来るかもしんねェ」
ザンギというのはあだ名だろうか。北国の唐揚げみたいな名前だ。
薄れゆく意識の中、馬車に乗り込んできた男達がそんな会話をしながら一座の大切な楽器を奪っていくのが見えた。
止めなければ、反射的に手を伸ばそうとしたが、そこで俺の意識は途切れた。
それから割とすぐに目が覚めた。
ザンギと呼ばれていた男が俺を肩に担いで走っていたからだ。今まで色んな乗り物を経験してきたが、ダントツで最悪の乗り心地だ。そりゃあすぐに目覚めもする。
状況から察するにこいつらは盗賊団か何かで、一座の荷物――主に楽器を狙ったのだと思う。ここは現代日本じゃないし、音楽教育を受けられるのなんて裕福な環境の人間だけなのだろう。必然、楽器自体もこの世界の一般人からしたら大変に高価なはずだ。もしかしたら広場で演奏している時から俺たちに目を付けていたのかもしれない。
で、先に馬を驚かせて気を引いているうちに隠れていたヤツらが荷台に入り込んできたといった具合か。単純な手だが見事に引っかかってしまったみたいだ。
それにしてもこの男、めちゃくちゃでかいな……。二メートルに迫ろうかという身長。腕の太さなんて俺の二倍はあるんじゃないだろうか。
うつ伏せの状態で肩に担がれているので周囲の様子は分からないが、他にも複数の仲間がいるらしい事は分かった。どうやっても敵わないので、ここは気を失った振りを続けよう。ていうか怖くて声が出せない。
などとごちゃごちゃ考えていると、急に吐き気が襲ってきた。
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
あまりに雑に担がれてるもんだから、昼に食べたものが口から出そうだ。
直後、段差でもあったのかザンギが軽くジャンプした。一瞬の浮遊感の後、俺の腹部が圧力を受ける。
「おええええええっ」
神はいなかった……。
着地の衝撃で俺は口から酸っぱい液体を吐き出してしまった。
大量のゲロがザンギの下半身にビチャビチャとかかる。
「うぎゃあああ!」
「うわっ……」
突然の事にパニックになったのか、ザンギはコミカルな叫び声をあげて俺を放り投げた後、自分もバランスを崩して盛大に転んだ。
それなりのスピードで走っていたので、放り出された俺もかなりの勢いで地面を転がってしまった。痛え!
「おい、何やってンだザンギ!足引っ張ってんじゃねえ!」
「ち、違うんだエドモンド!こいつゲロ吐きやがった!」
「はあ……?って臭え!ギャハハ、まじかよコイツ!」
慌てて俺のゲロを払うザンギを見て仲間たちが嗤っている。
ていうかザンギにエドモンドって。ロシアのレスラーとジャパンのレスラーかよ。レスラー盗賊団と呼ぶことにしよう。
そんなアホな事を考えていると、ザンギが鬼の形相でこちらに歩いてきた。やべえ、めっちゃ怒ってる。
そしてそのまま、俺は思いっきりグーで殴られた。
「ぶへっ」
殴られた勢いで肩から壁にぶつかる。
口の中が切れて血が出ている。落っことされた衝撃で全身が痛む。
見上げるとザンギはまた拳を振り上げている。次にくるであろう痛みに備えて、俺はぎゅっと目をつぶって身を固くした。
「そこまでよ!」
その瞬間、アンジュの凛とした声が通りに響き渡った。
ああ、助かった……。
息を切らしながら追い付いてきた彼女は、俺が訓練に使っていた木剣を構えて立っていた。
その必死な表情を見て、こんな時だというのに俺は少し嬉しくなってしまった。
「くそっ、もう追い付いてきやがったか……ザンギ!てめえがちんたらしてっから!」
真打の登場に、盗賊達は即座に臨戦態勢に入った。ザンギは再び俺を睨みつけた後、前線へと出ていく。入れ替わるように別の男が俺を無理やり立たせ、首筋にナイフを突きつけた。
そして今に至るという訳だ。
しかし、このままではマズいかもしれない。
アンジュはあっという間に二人倒してしまったが、それでもザンギを含めまだ数名残っている。彼女の剣捌きは見事なものだったが、囲まれてしまえば分が悪いだろう。そもそも俺が人質になっているため迂闊には動けないのだ。
どうする、俺。ここで何も出来ないのは男としてどうなんだ。
けれど下手に動いても状況を悪くするだけだ。いっそのこともう一回ゲロ吐くか……?口の中に胃酸が残っている今なら頑張れば出来るかもしれない。
ってアホか。そんな事して今度こそ斬られたらどうする。
考えろ、考えるんだ。
――その時だった。
ドスッと鈍い音がして、俺を抑えていた男の腕から力が抜けた。男はそのまま糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる。訳も分からぬまま巻き込まれて俺も一緒に地面に這いつくばった。
何とか首だけ動かして見上げると、俺を庇うように壮年の男が背を向けて立っていた。
「マクレイン座長……!」
「遅くなってすまない」
振り返らず、声だけで確認してくるマクレイン。
その後ろ姿からは強者のオーラが立ち昇っている。
「なっ……何だてめえ!」
「隙ありっ!」
突然の事に騒然とする盗賊達。
その隙をアンジュが見逃すはずもない。盗賊が狼狽えた直後に一人が彼女によって倒された。
そこから先は一方的だった。
アンジュも勿論強かったが、それよりもマクレインが圧倒的だった。
彼はありえない速度で懐に潜りこんでその剣で盗賊達の持つ武器を弾き飛ばし、剣の柄や拳、足を使った打撃で、屈強な男達をあっという間に昏倒させてしまった。
「セージさん、大丈夫ですか?」
その様子を唖然として見ていると、いつの間にか現れたクリスが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あぁ、なんとか。痛っ……!」
「酷いケガ……今手当しますから動かないでくださいね」
そう言って彼女は腰に提げていたポーチから救急道具を取り出して手当をしてくれた。
そうこうしているうちにレスラー盗賊団はあっさり全滅し、その後すぐに騒ぎを聞きつけた衛兵が集まってきた。今はマクレイン座長が事情を話している。
アンジュはというと、顔を歪ませてズンズンと俺の方に向かって歩いてくる。
そして目の前で立ち止まると、ぎゅっと俺の両手を握り顔を寄せてきた。
何か喋ろうとしたが突然の事に混乱して声が出ない。そのまま魚のように口をパクパクさせていると、急にアンジュがくしゃっと表情を歪ませた。目には涙が浮かんでいる。
「ごめんなさい……私たちのせいでこんな危険な目に遭わせて。こんなに怪我もさせちゃって、私がもっとしっかりしてればっ。ううっ……」
一息でそこまで言って、そのまま泣き出してしまった。
そういう彼女だって盗賊との戦闘で擦り傷を負っているのに、この娘は本当に他人の事ばかりだ。散々足を引っ張って、こんな可愛い女の子を泣かせてしまって。謝りたいのは俺の方だというのに……。
女子を泣かせた経験が無い俺にはそのまま頭を撫でたり抱きしめたり……なんて事は出来ない。彼女のその献身は決して俺だけに向けられるものではないと知りながら、不謹慎にも少しだけ嬉しく感じてしまう自分がいた。
しばらくして衛兵の事情聴取が終わると、レスラー盗賊団は衛兵にしょっ引かれていった。去り際にザンギが俺を睨みつけてきた。次会ったら俺、殺されそうだな……。
ちなみにローディとシルさんは盗賊団の残党がいる可能性も考慮して馬車を守ってくれているらしい。
「さて、私たちも戻ろうか。セージ、歩けるか?」
「あ、はい。大丈夫で……うおっ!」
「セージっ、大丈夫!?」
立ち上がろうとした瞬間、足に力が入らず盛大に転んでしまった。
また泣きそうな表情でアンジュが駆け寄ってくる。
「ごめん、大丈夫。安心したら腰が抜けちゃったみたいで……あはは」
あまりの情けなに俺は笑って誤魔化した。
アンジュとクリスはほっとしたような表情を見せ、マクレインは柔らかく笑った。
結局俺はしばらく足に力が入らず、マクレインにおんぶされて馬車へと戻るのだった。
まさかこの歳になっておんぶされるとは……。道行く人の視線を感じながら、俺は羞恥に俯くのだった。
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