第10話

 次の日から、ある意味日本にいた時よりハードな生活が始まった。


 まず剣の稽古。

 最初は座長とローディが交代で面倒を見てくれていたのだが、途中からローディが進んで引き受けるようになった。彼の凶悪な顔を見ていると、とても前向きな気持ちでやってるようには見えない。実際、俺の心を折に来てるんじゃないかって程厳しい。

 周囲の目があるので体に直接打ち込まれる事はほとんどないが、それもいつまで続くか……。とにかく、一日の中でこの時間が一番辛い時間だった。


 次に馬を操る訓練。

 と言っても、こちらはよく訓練された馬だったのでそれほど苦労はしていない。動物は昔から好きだったし割と好かれる方でもあったので、特に問題は無いと……言いたい所だったけど。

 いざという時の為に乗馬の練習もしようとなった時、アンジュに後ろから手綱を握ってもらう事になった。そうすると当然色んな所が密着する訳で……後は想像通りだろう。

 怒った彼女はその日ずっと口を聞いてくれなかったけど、次の日にはもう許してくれた。どんだけお人好しなんだ。


 次、読み書きの練習。

 文法などはまださっぱりだが、簡単な単語は少しずつ読み書き出来るようになってきた。これは夕食の後少し時間を取って、シルさんとクリスが交代で見てくれているのだが、二人の教え方は見事に対照的で結構面白い。

 シルさんはエロ漫画でよく見る美人の年上家庭教師って感じで、問題を出してきては「解けたらご褒美あげる」なんて事を普通に言ってくる。期待に胸を膨らませて正答するとオトナの知識……ではなく、頭を撫でられたりする。明らかに子ども扱いされているけど、そんな事でモチベーションを上げているのも事実で、まさに転がされているという感じだ。

 対してクリスは、同級生に勉強を教えてもらうような、そんな心地よい距離感で接してくれる。そんな経験は無いので想像だけど。

 とにかく爽やかでエロい感じは一切なく、時折見せる笑顔にキュンキュンしてしまうのだが、その実シルさんよりも遙かにスパルタ指導だ。時々その笑顔が怖いと感じる事すらあった。


 それと並行して、マクレインに今いるこの国(アルトリア王国というらしい)の地理や歴史、文化なんかも少しずつ教えてもらっている。そういった知識がないと無用なトラブルになる事もあるだろうとの事だ。

 とても有り難いし、何より彼の教え方はユーモアがあって頭にすっと入ってくる。これまで習ったどの教師よりも優秀に思えた。


 そしてアンジュとの特訓。

 宿を取った時は宿の談話室のような所で座学。野宿の時は馬車から少し離れた所で実技。一応皆に隠れてやっているが、多分バレているだろう。二人でいる姿はしょっちゅう見られているし、終わった後シルさんやクリスはお疲れさまなんて言葉をかけてくるくらいだ。

 けれどアンジュはギリギリバレていないと思っているらしい。しっかりした子だと思っていたが、変な所で抜けている。なんてベタな萌えポイントなんだと思うが、ベタだからこそ破壊力は抜群だ。

 ちなみに特訓の成果はぼちぼち……と言った所だろうか。まぁ、アンジュの表情からするとそんなに悪くはないはずだ。


 最後に雑用全般。毎回屋根のある場所に泊まる訳ではないのでやる事が思った以上に多い。物資の調達や火の熾し方から炊事洗濯に至るまで、ありとあらゆる雑用を仕込まれている。……ローディに。

 邂逅から薄々感じていた事だったけど、この不良、家事スキルがめちゃくちゃ高い。聞くところによると、一座のこうした雑事は基本的にローディが仕切っているらしい。それにこだわりを持っているのか、この時だけは不器用な俺を怒鳴る事なく、懇切丁寧に教えてくれる。

 こうした一面を見ると、どうにもこの不良が嫌いになれなかった。彼は俺の事を良く思っていないみたいだけど。


 とまあこんな感じで、ついこの間までデスクワーク中心の生活だった俺にはそれなりに大変な生活だ。だけど、そんな生活も毎日続くと少しは慣れてきた。最近は勉強の途中で船を漕ぐ事もなくなったし、一日中体を動かして食事量もかなり増えたお陰か、心なしか体がガッシリしてきた気がする。多分気のせいなんだろうけど。


 そうして旅をしているとあっという間に二週間ほどが過ぎた。

 途中、いくつかの街や村を通った。

 人がほとんど集まらないような村ではただ宿を取って休む事もあったし、逆に大きな街では場所を変えて何度か演奏する事もあった。


 その間、俺は最後の合奏への参加は見送っていた。

 アンジュに少しずつ教わっているとは言え、他人の意思をくみ取りながら一緒にリズムを取ったり音を合わせる事がうまく出来ない。

 だが、最初からそんなにうまくいくとは思っていない。しばらくは辛抱して頑張るしかない。


 そんな風に二週間程この世界で過ごして、色々と分かってきた事がある。


 まず、魔獣がいる事以外は生態系はそう変わらない事。

 俺たちの馬車を引っ張る馬もそうだし、途中の村で牛や豚、鶏なんかも見た。犬と猫も見たが、こちらは見た事のない種も結構いたように思う。

 従って、日々振る舞われる料理も普通に受け付けられる味だった。強いていうならもう少ししっかりした味付けが好みだけど。あとは基本的にパン食なので、米があれば完璧だな。いや、生魚も欲しいな…。


 それと、倫理観も基本的には日本とそう変わらない点も助かった。特に男女間の色々な事に関しては地雷が多い筈だ。そこの所の認識がずれていると知らないうちに事案になってしまう事もあり得る。……既に起きてしまった事に関してはもうどうしようもないけど。

 また、時計は無いが一日、一週間、一か月、一年の概念も通じるようだ。

 ここまで都合が良い世界観だとどうしてもドッキリの線を捨てきれないけど、今はそれは置いておこう。


 あとは……文字が読めないのは痛いが、一人で行動する事も特にないので何とかなっている。そうなると、やはり元いた場所と一番違うのは魔獣――ひいてはその原因となる魔力の存在だろうか。


 俺の持つ一般的な魔法とかのイメージとは少し違っていて、この世界で魔力とは人に宿っている事はなく、魔鉱石という魔力を秘めた不思議な鉱石があるらしい。

 その成り立ちなどは分かっていないが、先人たちはどうにかしてそれを抽出してエネルギーとして利用する事に成功したそうだ。

 そうした製品を魔石製品と呼び、こうした技術のお陰で人々の暮らしは劇的に向上したんだとか。

 要するに家電だな。流石に電話やテレビなど電波を利用したものは無いが、火を使わなくとも明かりは灯せるし好きな時に湯を沸かせる。何だかチグハグな世界観だな。有り難いけど。

 ちなみに、こうした魔力というのは地中深くにも眠っていると考えられていて、時たまそれが地上に噴出する事があるらしい。それがいわゆる”魔力瘴気”というやつで、これにやられると身体に異常を引き起こしたり、魔獣化したるするみたいだ。何回聞いてもおっかない。


 そして一番大事な情報。マクレインの”心当たり”の事だ。

 どうやら彼は俺と同じ境遇の人物を知っているらしい。

 ただ……その人物が暮らしている街まで、今のペースでいくと一年はかかるらしい。また、最後に会ったのも数年前らしく、今も同じ場所にいるという保証はないとか。先んじて手紙を出してくれたそうだが、それでも数か月はかかる。

 それを聞いた時、もし戻れたとしても会社はクビかもな……などという考えが少し浮かんだが、それを悲しいと思う事は特になかった。まぁ、家族とは仲良くやっていたので心配ではあるが。


 とにかく、現状では一座と共に旅するしか選択肢はない。

 剣も、読み書きも、演奏もその他雑用も、やれる範囲で何とか頑張っていかないとな。

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