第3話

 目を覚ますと、見慣れない天井が最初に目に入った。どうやら二段ベッドの下に寝かされていたようだ。起きてすぐ、顔のあちこち(特におでこ)がズキリと痛んだ。めちゃくちゃ痛え…。俺は先ほどまでの事を思い出しながら体を起こした。


「お、目が覚めたみてーだな」


 その声に視線を向けると、強面の男が俺の顔を覗き込んでいた。歳はそう離れてはいなさそうだが、何人か殺してそうな凄みを感じる。ぶっちゃけ悪人面だ。こういう時起こしてくれるのは美少女と相場が決まっているのに…。


「おい…何か失礼な事考えただろ」

「まままさか、そんな滅相もないっ!」

「ったく、人がせっかく手当までしてやったってのによ…」


 その言葉に痛む個所に手をやると、特に傷が酷そうな箇所にはガーゼが貼られており、皮が剥けた足には包帯が巻いてあった。どうやら本当にこの強面のヤンキーみたいな男が、ここまで俺を運んで治療までしてくれたようだ。


「あっ…あの…ありが…」

「おい、起きたんならちょっと付いてこいや。ちょっとばかり話を聞かせてもらうぞ」


 どもりながら礼を言おうとしたが、被せてそんな事を言われてしまった。ヤンキー男は俺の声など聴こえていなかったかのように、立ち上がって部屋から出て行ってしまう。

 ぽかんとしていると、さっさとしろ!という怒鳴り声に尻を叩かれ、慌ててベッドから抜け出した。ちなみにベッドの傍には少し大きめの履物がキッチリ揃えて置いてあった。少し迷ったが、何となく俺のために用意してくれたのだろうかと思い、ありがたく履かせてもらう事にする。



 案内されたのは、宿酒場の食堂スペースのような場所だった。それ程広くはないが、店内は宿泊客らしき人々で賑わっている。何やらびっしり書き込まれた紙と睨めっこしながら熱心に商談をする者や、生活の愚痴を肴に酒を飲む者など様々だ。

 俺はその中で隅の方のテーブルに連れてこられた。六人掛けの長方形のそのテーブルでは、男女四人が食事を取りながら談笑している。俺たちが近づくと、その一団はすぐに気が付いたようでこちらに視線を向けてきた。


「げっ…」


 その中に見覚えのある人物の顔を見つけ、俺は思わずそう漏らした。今の俺の顔見知りと言えば当然、一人しかいない。そんな俺の反応に、その人物――ナイフ女は当然ながら不機嫌そうな表情になる。隣に座るナイスミドルな初老の男が、そんな俺たちの様子を見てクスリと笑った。


「呼び出してすまんな。それに、どうやらウチの者が迷惑をかけてしまったみたいだ」

「い、いえ…」


 開口一番、二回り以上年上の人間に頭を下げられ、俺はどうして良いか分からずただそう返した。相変わらずナイフ女は頬を膨らませてそっぽを向いているが、そんな姿も可愛い。

 連れてこられた時は、俺がやらかした事を追及されるのかと怯えていたのだが、どうやらそういう雰囲気ではないらしく、そんな俗っぽい事を考えられる程度には落ち着きを取り戻した。


 するとナイスミドルは、柔らかく微笑みながら自身の正面の席を指した。どうやら座れという事らしい。俺は下手くそな会釈をして言われた席に腰掛け、続いてヤンキー男が俺の右隣に座った。

 ちなみに左隣は見た感じ高校生くらいの、栗色の髪を肩口で切りそろえた活発そうな少女。俺の正面に座るナイスミドルの両脇にはナイフ女と、もう一人別の、これまた栗色のロングヘアーの歳上美人が座っている。


 机の上にはパンとパスタのような麺料理、魚介系のスープにサラダなどが所狭しと並べられている。何だか見慣れないものもあるし彩りもそれほど良いとは思えないが、立ち上る湯気と香りには抗えず、俺の腹の虫が大きく鳴いた。とっさにゲフンゲフンと咳き込んでみたが、余計に恥ずかしくなるだけだった。


「色々話したい事もあるが、ひとまず食べながら話そうか」


 笑いをこらえながら発せられたナイスミドルの一声により、まずは食事をしながらの自己紹介が始まった。



 まずナイフ女の名前は「アンジュ」というらしい。ナイスミドルが「マクレイン」、ヤンキー男が「ローディ」。残る女性のうち俺の隣に座るショートカットの少女が「クリスティーネ」、向かい側に座るロングヘア―の美人が「シルヴェーヌ」というらしい。


 …そんな横文字の名前、一気に覚えられるか!!


 などとはとてもじゃないが口には出せず、俺は必死の作り笑いでその場を誤魔化した。自慢じゃないが、俺は元いた所でも人の名前を覚えるのが苦手だった。その人の人となりを知ってからでないと、どうにも名前と顔が結びつかないのだ。とにかく、今は重要そうな人物――ナイスミドル→マクレイン、ナイフ女→アンジュ。この二人だけ頑張って覚えよう。


 彼らは音楽を生業とする旅芸人の一座であるらしい。馬車に乗って国中を旅しながら、行く先々で興行を行い生計を立てているとの事だ。馬車移動ってところがいよいよもって元いた場所とはかけ離れた環境だな。

 ちなみにさっきの謝罪は、明らかに訳アリな俺を一時の感情で追い回して挙句に怪我をさせてしまった事に対するものだったらしい。元はと言えばこちらが悪いのだが、ファーストコンタクトでの出来事を、アンジュは恥ずかしさから仲間には話さなかったようだ。


 それに対して、俺は聞かれるがままにこれまでの経緯を、今後のアテもない事を含めて全て話した。しかしまぁ予想はしていたが、主に女性陣から不審人物を見るような目で見られる。住所と職業不定、読み書きもできない、周りから浮きまくった服装…当然と言えばそうなのだが流石に傷付く。俺にそういう趣味はない。

 だが、マクレインという男だけは興味深そうに俺の話を聞いていた。一通り話し終えると、マクレインはいつの間にかテーブルの下に置いてあった俺の楽器を手に取った。


「君は…セージと呼ばせてもらうよ?さっき広場でこれを弾いていたようだが…結果はあまり芳しくなかったようだな?」


 そう言われて、俺は思わず身を固くした。自信過剰、軽率な行為だったのは認めるが、それでも十分に辛い出来事だったからだ。俺が何も答えずにいると、マクレインは言葉を続けた。


「実は私たちも少しだけ、セージの演奏を聴かせてもらったんだ。見慣れない楽器…弦楽器のようだが、君の技術も合わせて決して悪くはないと思った」

「そうね。少し切なくて不思議な響きだったけど、曲も素敵だったわ」

「ありがとうございます…」


 ロングヘア―の女性――シルヴェーヌも同意するように言葉を重ねた。だが、これでも結構落ち込んでいるので、こんな美人に褒められているというのに嬉しさを感じられなかった。


「セージ、君はもしかして人前で演奏するのは始めてなのかな?」


 言い当てられた事に少なからず驚きながら、俺はマクレインの顔も見て頷いた。マクレインの両隣で二人の女性も得心がいったような顔をしている。二人には俺の演奏の何が悪いか分かっているのだろうか。その上からな態度に少しムッとしつつも、自分では原因が分からないので黙っている。マクレインはそんな俺の葛藤を見透かしたように笑い、ギターを俺に手渡してきた。


「ちょっと今ここで演奏してもらえないか?君の疑問にも答えられると思うぞ」

「はい!?今ここで…?」

「そうだ。ただし、そうだな…この娘…アンジュひとりだけに聴かせると思って演奏してもらおうか。さっきの曲でなくともいいからな」

「ち、ちょっと座長!急に何を…!」


 突然の提案に焦る俺とアンジュを尻目に、残る三人は面白そうに事態を静観している。俺はもうどうにでもなれという気持ちでマクレインから愛用の楽器を受け取り、アンジュの方を向いた。一瞬だけ目が合うが、恥ずかしくなってすぐに逸らしてしまう。

 周囲の客がなんだなんだと見世物を見るかのように視線を向けてくる。俺はなるべくそれを見ないようにして、かと言ってアンジュと視線を合わせるのも恥ずか死ぬので彼女の口のあたりをぼんやりと見るようにして演奏を始めた。


「へぇ…」

「ふふっ…」

「ふん、やるじゃねーか」


 テーブルでは静観していた彼らが口々に感想を漏らす中、俺はそれを気にしないようにしてアンジュだけに意識を集中してギターをかき鳴らした。


 明るい所だとまた違った輝きを放つ杏色の髪。見ていると吸い込まれそうな青い瞳。均整の取れた小ぶりな鼻と薄い口。肌は驚くほど白くきめ細やかだが、突然の事に戸惑っているのか、どんどん赤く染まっていく。

 日本ではまずお目にかかれない、幻想的でありながら可憐で愛くるしい少女に向けて、俺はとある作曲家がとある人物に向けた珠玉のバラードを奏でる。背景を知らない者達の前でなければ、恥ずかしくてとてもじゃないが披露できない一曲だ。


 そうして無我夢中で演奏を終えると、周囲の客から歓声と拍手が起こった。事態が飲み込めず見回すと、皆一様に感心したような表情を見せている。さっきとはまるで違う反応に、俺は嬉しさよりもまず戸惑ってしまった。

 そんな俺を見ながら、アンジュ以外の一座のメンバーはニヤニヤしながら俺を小突いたり、はたまたアンジュをからかうように見ている。


「ち、ちょっと…今の演奏、どういうつもりよっ!」

「どういうって…言われた通りに弾いただけなんだけど…」

「~~っ…!!」


 そう言うと、アンジュは増々その頬を赤く染めて、耐えきれないといった風に走り去ってしまった。

 …どうやらアンジュも含めて、俺が演奏した曲に込められた意味を、言われずともこの人たちは理解してしまったらしい。さすがプロの音楽家と言った所か…。俺は恥ずかしさのあまり自分の顔が真っ赤になるのが分かるほど熱くしてしまう。

 そして同時に、広場での俺の演奏には何が足りていなかったのか、何となく言われている事が分かる気がした。つまるところ、俺は自分によってオ〇ニープレイをしていたという事だ。いくら曲が良くて技術があっても、それだけでは相手の心には届かない。動画を撮る時には自然と出来ていた事が、いざ実際に人前で演奏するとなった時に出来なくなっていたのだろう。

 すると、一連のやり取りを見ていたマクレインは一人頷くと、改まって俺の方を向いた。


「セージ、聞く限り君は何かアテがある訳ではないんだろう?なら…もし良ければだが、しばらく私たちと旅してみないか?」


 その提案はさすがに一座のメンバー達も寝耳に水だったようで、驚いたようにマクレインを見ている。


「実は、君と似た境遇の人物を一人知っていてね。彼を訪ねれば何か分かるかもしれない」

「あの…ほんと、願ってもないお話なんですけど…本当にいいんですか?」

「もちろん、一緒に来る以上は例え一時的であっても一座の一員として扱うし、しっかりと働いてもらうよ。その方が余計な気遣いもなくていいだろう?」


 詳しくは追々話そう、そう言って柔らかく笑うと、マクレインは俺に手を差し伸べてきた。他のメンバーは呆れたり驚いたり様々な反応だが、不思議と拒絶されている感じはしない。俺が恐る恐るその手を握ると、マクレインは力強く握り返してきた。


 ――そうして、俺の異世界転移初日は、微妙な都合の良さと悪さを繰り返しながら、最後には収まる所に収まったのである。

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