第10話 西新宿の魔女(後編)

Chapter B-03


どうしたの!?

ごほっ……わ、わからない……突然……

一体なんなの!? 私はなんとも無いから毒霧じゃないし……ジャスミン、辺りを探索して!

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「今回の死人は凄い力を持っていたなぁ。余程の想いがあったかもしれないけれど、なんか腑に落ちないんだよね」


パトカーが数台、けたたましいサイレンを鳴らしながら新宿駅の方へと走っていった。

ジャスミンの入ったトランクをガラガラと引きながら、都庁方面へと歩いて行く。


「あの泥人形とお姉さんの縁で、何か気になる事が? ネットを通じてだから?」

「うん、今までのケースでもネットに関する縁とか、それにまつわる死人の話はそこそこあったんだ」


ライトに照らされた茉莉さんは、口元に手を当て難しい顔をして考え込んでいる。


「でも、今回は死人が力をつけるに値する恨みとするなら憤死をしても……いえ、そうじゃない」

「?」

「あそこまで強い「物理的な力」を、しかも短時間のうちにというのが珍しいの」

「どういう事?」

「前にも説明したじゃない、死人は取り憑いて人を殺すだけの力を持っているというのは珍しいって、例えあっても怨霊ぐらいだって」

「うん」


都庁の影に入った茉莉さんの表情は読めない。


「でも今日は人が殺せるぐらいの力を持っていた」

「じゃぁ、OLさんは怨霊に取り憑かれた、とか?」

「あれは彼女に個人的な恨みを言っていたから、どんなに古くても十数年でしょ? 怨霊まで力をつけるには数十年単位の時間が必要なの」

「数十年……」


OLさんはここ最近、ネットストーカーにあっていたと言う……であるなら最近になって死人になったと思う。


「それに、はっきりしなかった姿も気にくわないの」

「あの泥人形みたいな姿ですか?」

「私も晶ちゃん程ではないけれど霊視を持ってるんだ……でも曖昧な姿でしか見えないのは初めて」

「茉莉ちゃんにはどう見えていたの?」

「私には黒い塊で、とてもじゃないけど人型には見えなかったよ」


都庁の前の広場を横切り、奇妙なオブジェを横目で見ながら真ん中辺りで突然、背筋がゾクっとした。

あちこち照明がついている割に、なんだか暗い気がする。


「晶ちゃん、どうかした?」


背後に何かがいるような気がして立ち止まって振り向こうとした時、首の動きが重くなり視界が急に色あせていく。


-え?


一瞬、何が起きたのか判らなかった。灰色の世界で茉莉さんが振り向いたポーズのまま止まって、自分の身体が重い……時間停止だ。

時間が止まったという事は、私の身に死が迫っていることになる……けれども辺りを見回しても何もない。


-ど、どういう事!?


ポケットの懐中時計が今どれだけ進んでいるのかも判らないし、とにかく今この場から離れなければならない。

重い身体を動かして数歩分移動する。


-そろそろ時間が……


そう思った瞬間、一瞬だけ景色に色が戻ったと同時に、もう一度時間が止まった。


-!?


今、移動している場所も命の危険が迫っているという事になる……けれども一体何がどう危険なのかが判らない。

ふっとセレクトさんが言った言葉を思い出す


-晶さんが能力を使った時、秒針が回るでしょ? それね、一度に五回が限度だから


しまった……さっきの泥人形で三回使った時からネジを回していない。今五回目が止まったから、時間停止が解けると死んでしまう!!

とにかくこの場所から離れないといけない。


-あと何秒残っている?


重い身体は思うように動かない。

数秒で危険から離れなければ死んでしまうのに、その原因と残り時間が判らないので余計に焦る。

ポケット越しに「こつっ、こつっ」と死へのカウントダウンが刻一刻と進んでいく。

ここ数日「何があっても私の能力があれば大丈夫」という過信があった。


-ん?


ふと視界の隅、足元の影に隠れて黒い水のようなものが噴き出しているような気がする。

渾身の力を振り絞り、身体の体重を軸足に掛けて思い切り蹴り上げると同時に時間が動き始めた。


-ざくっ!


弾かれたようにジャンプをした先、突然地面から伸びた黒い泥の塊は私の靴のつま先をえぐり、灼けるような痛みが足元を襲う。


「きゃぁぁぁあっ!」


突然脚から血を流してジャンプをした私を見た茉莉さんが一瞬で何が起きたのか理解すると、腰から武器を引き抜いて駆け寄る。


「晶ちゃん!!」


つま先を削られた反動で空中を回転しながら、黒い塊が噴水のように数メート伸びていたのが見えた。

地面に叩きつけられると身構えた瞬間、茉莉さんにキャッチされお姫様抱っこのまま噴き出す黒い柱を躱していく。


「こいつ何!?」

「多分あの泥人形っ!!」

「仕留め損ねたの!? でも相当弱っている筈なのにどうしてこんな!?」


突然、周囲が黒と紫の混じった霧に包まれ都庁の広場に置いてあるオブジェすら見えなくなった。

脚を見ると靴のつま先がごっそり消え、親指の先端がすっぱり切れて出血していた。あと数センチずれていたらかなりまずかったと思う。


「晶ちゃん酷い怪我……はやく治療をしないと」

「いつっ……だ、大丈夫……でもこの状況はどういうの?」

「判らない……私もこんな状況は初めて」


茉莉さんと背中合わせで周囲を伺う。


「この霧が結界のようにも見えるけど、あの死人がこんなに広域の結果が張れるとは考えづらい……けど、現実を直視しないと」

「そうだね」


ポケットから懐中時計を取りだし、ネジを巻く。


「え?」


上のネジをカリっと巻いた途端、世界が灰色になって時間が停止した。

つまり、今の状態が「私の死」に直結をしている状態という事になる。足元、頭上、前後左右を見回すけれど状況に変わりが無い。

そうこうしているうちに秒針は刻一刻と回り続け、あっという間に時間切れになった。


「晶ちゃん、もしかして……今しがた時間が止まった?」

「う、うん」


さっきのような奇襲に備える……けれど状況に変わりが無い。もう一度ネジをカリっと回すとやはり時間が停止した。

つまり、さっきのような直接的な攻撃ではなくても、いつでも私が即死に近い状況にあるとい事なんだと思う。

考えられるのは一つ、この霧の中にいるという事がまずい……でも効果が切れた時に状況は変わらなかった、どういう事なんだろう。

止まった時間で考えているうちに、時が動き出す。


「やっぱり止まった」

「つまり、いつ晶ちゃんが即死をしてもおかしくないという事なのかな」

「多分……ぐっ……」


突然吐き気がもよおしてお腹を押さえると、赤黒い塊が口からぼたぼたと落ちて地面にばしゃりと広がる。

口いっぱいに鉄のような味がして、更に数回吐血する。


「どうしたの!?」

「ごほっ……わ、わからない……突然……」


あまりの苦しさに意識が遠くなって倒れてしまう。


「一体なんなの!? 私はなんとも無いから毒霧じゃないし……ジャスミン、辺りを探索して!」


薄れていく意識を保つように目を開くと、ジャスミンが蒼い光を振りかざして武器を闇雲に振り回している。


「茉莉ちゃん……きを……つけ……」


-ざんっ


途切れ途切れになっている意識の視界の中、突然、なんの前触れもなく茉莉さんの腕が肩から切り落とされてぼとりと落ちた。


「え……」


茉莉さんが血の噴き出す切り口を押さえながら絶叫し、辺りには血なまぐさい匂いが立ちこめる。

地面をのたうち回り、切断面から噴水のように飛び上がった血がぱたり、ぱたりと降りかかってきた。ジャスミンも電池が切れたように膝を折って前のめりに倒れる。

私はまるで全身を毒に犯されたような痛みが次第に強くなり、視界がどんどん狭くなって音も聞こえなくなっていく。


「くっ……絶対に……何か……これはおかしい……」


相手はジャスミンの攻撃を受けて弱っている筈。

そこまで強い力を持っているのは希だと。それなのにこんな力を持っているのは絶対におかしい。


「はぁ、はぁっ、ぐはぁ……はぁっ、はぁっ……息が……」


身体を起こすと、胃の中が逆流するような不快感が出て、口から泥のようなモノが吐き出されて息苦しくなる。

血だけではなく内臓が腐って口からあふれ出たような感じで、肉片のようなものが混じっていた。

薄れる意識を無理矢理引き起こしながら、辺りを見回すと霧の中に何かが見えた。


「くっ……きっとあいつが……かはぁっ……」


強烈な不快感がきて前屈みで血と肉片の混じった吐瀉をすると、ポケットから万年筆が差し込まれたままの手帳が落ちた。


「ぐっ……セレクト……さん……」


擦れていく視界の中、開かれた手帳の文字がぼんやりと映る。


-の弱点はチューニングの遅さだから、眼鏡はその為の……見破る……できる……


落ちかかる意識の中で「見破る」という言葉が強烈に目に焼き付く。

一瞬でいい、苦しさから解放されて考える時間が欲しい……あの霧の中にある何かの正体を掴まなければ私も茉莉ちゃんも出血多量で死んでしまう。

私の能力は死ぬ直前に発動。死にかけで発動するのかなんて知らない。握った懐中時計のネジを震える手で掴み、力一杯回す。


「と、とまれぇぇぇぇっ」


がつんっ!! という音が聞こえそうな速さで時間が停止して、全ての景色が色を失い灰色の世界になった。


-動ける……


吐血もしていないし苦しさもない、切断された指先も痛くない。

隣を見ると肩を押さえ、涙を流し目を大きく見開いて地面に転がる茉莉さんがいる。


-あれ?


今、私が見ている景色で、何かがおかしい事にふっと気づいた。


-なに? 何がおかしい……何かがあって、何かがない……あれ?


手の中の懐中時計はこつっ、こつっと時を刻み、このままでは15秒程で私は世界は動き出し、私は死を迎える。

止まった世界では首を動かす事すら時間が掛かるので、視界の隅でその「違和感」を見据える。


-そうか……そういう事か……


茉莉さんは「肩」を抑えている。そして足元の靴の「つま先」もあった。

ふっとセレクトさんとの会話が頭を巡る。


-そういう事じゃなくて、あの時、普通の人は視界に入っても気に掛からないようにしてあったの


私の能力は霊視……普段見れないものを見る事ができる力……


-晶さんはそれを見破ったのさ

-もしスケアゥロウとか天使、やばそうな連中を見かけたらこれを掛けて身を護る


もしセレクトさんが私の能力を正しく理解していたのなら、無駄なものを渡す訳がない。

アレはポケットに入れてある。

霧の向こう側にいる「何か」を見据え、止まった世界で手を伸ばし、ギリギリ間に合って「ソレ」を掴む。

そして世界が動き出したと同時に素早くセレクトさんからもらった「眼鏡」を掛けた。


「見……えたっ!!」


霧の向こう側にいる「黒い人影」に視界のピントが合い「それ」を睨み付けた瞬間、黒い霧が何事もなかったように晴れていく。

私が吐いた泥のような血溜まりも、切断された筈のつま先も、切り飛ばされた茉莉さんの腕も、噴き出した血も、全てが煙のように消えた。


「あぅ……あ……あれ?」


痛みで絶叫していた茉莉さんが突然消えた霧と「元に戻った腕」を見て正気を取り戻す。


「茉莉ちゃん立てる!? あれが本体ですっ!!」

「え? あっ……りょ、了解っ!!」


茉莉さんが立ち上がると、一緒にジャスミンが立ち上がり、武器を掴むと黒い人影にダッシュして斬りかかる。


「もぉっ、なんだこいつっ!? やっぱり私の攻撃が当たっている手応えがないっ!!」


ジャスミンが後ろ向きにステップしながら一旦引いて身構える。


「茉莉ちゃん、さっきの黒い霧は幻覚?」

「よく判らないけれどそうだと思う、それも痛みを感じさせるぐらい強烈な奴……一体奴はなんなの」


あの苦痛は本物のようだった。もしあの状態が続いていたら本当に死んでいたかもしれない。


「幻覚も強力になれば、あんな事もできるという事だと思うけれど……それがなくなったのは晶ちゃんの能力?」

「たぶん、この眼鏡はそれを見破る力があるみたいです」

「なるほど……晶ちゃんはあいつの正体はわかる!? 私には黒い人影にしか見えないの」


眼鏡を通して見ても、私にも黒い人影の「塊」にしか見えない。


「塊……もしかして……」


突然、背後に甲高い音と強力な光が照らされて振り向くと、緑色をした何かが私と茉莉さんの間を凄い速度ですり抜ける。

それは大きなブレーキ音を立てると、黒い人影近くで斜め横向きに停車した。


「美柑さん、お願いします!!」

「はいっ! 猫さん、陣を敷いてください!」


見慣れないバイクの後ろに乗っていた美柑ちゃんのリュックから子猫が四匹飛び出し、黒い人影を囲うと蒼い円筒形の光が立ち上る。


「そこの方! めいいっぱいの力で浄化を打ち込んでください!」

「え? は、はいっ!」


ジャスミンが武器に蒼い光を宿すと、子猫が作った円筒形に向かって両手を打ち込む。

同時に茉莉さんが札を数枚指に挟んで唱える。


「我、加護の四神に願い奉り、伊多波刀の契約にて御身の力を拝借候、青竜の顎、朱雀の炎、白虎の牙、玄武の水、邪気を祓い賜え……浄化!」


茉莉さんの札が宙を舞い、黒い人影を囲む子猫の上で弾けると一瞬だけ獣のようなシルエットが浮かび、大きな光を放つ。

地面から浮かび上がる蒼い粒子が黒い人影から皮を剥がしていく。一枚一枚、黒く細い影が離れては消えてゆく。


「影が消えていく……あれは一人の死人じゃなくて、多数の死人が寄り集まったものだったんだ」


茉莉さんが呆然と呟く。


-チクショウ……ユルサナイ……ユルサナイ……ウラミを……ハラスまで……


最後に残った死人……あれだけはっきり見えていた筈なのに、今はほっそりとして消えかかっている。

一体、あの死人はどれだけの恨みをもっていたのだろう。


「俺たちがもうちょっと早く動いていればこんな事にゃならなかったのか」


背後で声がしたので振り向くと中年の男性が立っていた。

どこかで見た事があると考えていると、その人は消えかかった死人の前に立つ。


「すまない、俺たちが遅かったばかりに……アイツはさっき逮捕したよ。でもこの国には法ってものがあって、どんな悪人でも法で裁かれる。だから成仏してくれ……すまねえ」


死人の影は一瞬嗤ったように揺らめくと、すぅっと跡形もなく消えていった。


「堀部さん、どうしてここに?」


茉莉さんは男性を知っているらしい。私は事情もわからず、おろおろするばかりだった。


「いや、道玄坂の魔女から聞いてね。容疑者確保を知らせれば何事もなく成仏してくれると思ったんだけれど、一足遅かった」

「え? どういう事? こちらの人はどちら様ですか?」

「晶ちゃん、こちらは西新宿署の刑事さん」


茉莉さんの紹介のあと、刑事さんが手を差し伸べる。


「こんばんは。以前、道玄坂の扉の前ですれ違ったのを覚えているかな」

「あ!」

「西新宿署の堀部だ。以後お見知りおきを……若い魔女さん」


花鶏さんとセレクトさんの部屋に向かった時、ドアの前ですれ違ったスーツの男性二人組の一人。


「あの、どういう事ですか?」

「すまねえな、今は説明はできねぇ……多分テレビやネットで報道される筈なんでそれを見てくれ」

「堀部さん、お疲れ様でした」

「おう、美柑お嬢ちゃんもお疲れ」


刑事さんは美柑ちゃんに挨拶をすると、手を振って新宿駅の方へと歩いて行った。


「晶さんっ!!」


緑色のバイクに乗っていた人が駆け寄り、私を力一杯抱きしめた。


「もしかして、小姫さん?」

「はいっ、遅くなって御免なさいっ……セレクトさんから言われて駆けつけましたの」


ヘルメットを脱ぐと、小姫さんが目に一杯涙を浮かべていた。安心感で思わず私も目頭が熱くなる。


「晶ちゃん、大丈夫ですか!?」

「美柑ちゃん……ありがとう……こんなに遅くまで、大丈夫!?」

「大丈夫です。猫ちゃん達にもお礼を言ってあげてください」


ちりりと鈴を鳴らして、足元に四匹の子猫が頭をすり寄せてくる。しゃがんで頭を撫でてあげると、嬉しそうに喉を鳴らしてくれた。


「あの、説明をお願いしていいかな」

「取りあえず美柑さんをお送りしなければいけませんので、お二人ともご一緒に渋谷に行きましょう」

「あのっ……ちょっとまって……」

「?」


茉莉さんが内股気味になりながらミニスカートの裾を下げ、顔を真っ赤にして恐る恐る手を挙げる。


「ごめん、その、私一度着替えに帰って……いいかな」


どうやら腕を切断されたという幻覚を見せられた時、ショックで防波堤が決壊したらしい。

あの気まずさは私も判る、よーく判ります。


「晶さん、こちらの方を一度ご自宅に送って参りますので少々お待ちになってください」


花鶏さんがヘルメットをかぶせ、狭い後ろのシートに茉莉さんを座らせると凄い勢いで走り去って行った。


「行ってらっしゃい」

「茉莉さん、いってらっしゃーい」


美柑ちゃんと茉莉さんは顔見知りらしい。


「びっくりしたよ~セレクトさんから電話があって、切ったと同時に小姫さんが飛び込んでくるんだもん」

「あははは……」

「それで、リュックに入る子猫ちゃんを呼んで、オートバイで来たらこんな事になってるんだもん」

「美柑ちゃん本当に助かったよぉ、ありがとう。それにしても、この子猫は凄いね」

「はい、まだ一歳にもなっていませんけれど、お母さん譲りの強い力をもっているんです」


指をちょいちょいやると無邪気に追いかけてくる……もふもふしていて可愛い。


「猫は悪い気を浄化させたり、人には見えないものを探る力があるんですよ」

「そっか、だから渋谷には猫が多いんだ」


猫と遊んでいるうちに花鶏さん達が戻ってきた。

いつもの黒い鯨のような大きな車が都庁前に横付けされ、私と美柑ちゃん、茉莉さんが乗り込んで渋谷に向かう。

バイクで来ていた花鶏さんが先に渋谷に行くと言って走り去って行った。


「一体、これはどういう事なの……それに……これって車なの?」


超が10個ぐらいつきそうな高級車に恐れおののいているうちに、道玄坂交差点に到着した。


「それではまたね~」

「お疲れ様~」


美柑ちゃんを乗せた車が走り去った後、茉莉さんをセレクトさんの部屋の入口まで案内する。

扉を開けると、先に到着していた花鶏さんとセレクトさんがちゃぶ台を前に座り、お茶を飲んでいた。


「やあ西新宿の魔女、久しぶりだね」

「お久しぶりです、セレクトさん。直接会うのは一年ぶりぐらいですね」

「そうだね……まぁ、取りあえずこれを見てよ」


ブラウン管のテレビに電源を入れると、ノイズ混じりのニュース映像が流れはじめた。


-速報です、男性集団失踪事件の犯人が新宿駅近くの路上で逮捕されました。主犯格の女は容疑を否認しており、実行犯とされる男は女の指示でやったと……


「これは……」

「今回、西新宿署からの依頼で集団失踪事件について美柑さんの協力で調べていたんだけれど……それがまさか晶さん所の事件と繋がるとはね」

「それって……あのOLさんが集団失踪事件の犯人、という事ですか?」

「まぁ彼女はエサであって、実際の殺人犯は先輩らしいけどね」


セレクトさんがお茶を飲んで溜息を漏らす。


「あの女がネットを通じて男に色目を使い、言葉巧みに金を持たせて誘い出し、実行犯が殺す」

「もしかして、あの死人は……」


茉莉さんが絞り出すように擦れた声を出す。


「一人じゃなくて連中に殺された数十人の怨念の塊という事だろうね」

「だから縁があんなに歪に見えたんだ……」


「茉莉ちゃんが攻撃を当てても効いていなかったんじゃないんだね。」

「うん、確かにそれならあの強い力にも納得がいくよ。晶ちゃん、お疲れ様」


-がたっ


花鶏さんが目を丸くして、私と茉莉さんをじっと見つめる。どうかしたのだろうか。


「小姫さん、どうかしました?」

「い、いえ……」

「晶さんが報告してくれた時、もしやと思って堀部刑事と花鶏さんに連絡したのさ」


どっと疲れが出て畳の上で倒れ込みそうになる。


「眼鏡を掛けているという事は役に立っただろう?」

「この眼鏡の事、ちゃんと説明してくださいよぉ……」

「手帳に書いておいたでしょ? それに魔女は実践第一だからね、現場で覚えた方がいいのさ」


ちゃぶ台に頭を押しつけ、ごりごりと擦る。

そりゃぁ確かにセレクトさんが道具をくれたりするのは大変ありがたいし、親切に教えてくれることも多いけれど、どれもこれも説明が足りずに酷い目に遭っている気がする。


「晶さん、セレクトさんを庇護する訳ではありませんが、普通は道具をもらったり教えて貰う事はありませんわ」

「へ?」

「そうだね……私達魔女は自覚してからも、しばらく一人で試行錯誤して覚えていくのが普通なんだよ」

「小姫さんも、茉莉ちゃんもそうなんですか?」


二人が顔を見合わせて頷く。

私はセレクトさんに助けられた事で魔女の素質を見抜かれて懐中時計を貰ったり、道玄坂の魔女の一員になった。

けれど、突然力を自覚していても魔女の力という事も知らないし、セレクトさんや花鶏さんがここにいてグループを組んでいるなんて事を知らないままだったと思う。

そう考えると私は恵まれている方なのかもしれない。


「それはともかく、私達が助けた人が犯罪者だったなんて……」


茉莉さんがぽつりと漏らすと、私も気が重くなる。本当にあれで良かったのだろうかとも考えてしまう。


「気に病む必要はない……君達は「出来る事をやった」だけの事だよ」


セレクトさんがずずっとお茶を飲んで一息つく。


「彼女は犯罪者だ、だからこそ日本の法で裁いて貰わなければいけない……死人が彼女を殺した所で怨念ははれず、最悪……他の人に飛び火しかねない程大きくなっていたと思う」

「でも……」


茉莉さんが何かを言いかけると、セレクトさんが手を挙げて制する。


「あの死人が他の人に害を与えるまで成長して人を殺めてしまった場合、彼らの魂は浄化されるまでずっと罪と怨嗟の束縛に苦しむ事になる」


私も茉莉さんも俯いてしまう。セレクトさんの言葉は正論だけれど、それでよかったのだろうか。


「堀部刑事が電話で謝っていたよ。もっと早く犯人を特定できていれば、逮捕していれば……君達にも死人の彼らにも辛い思いをさせずに済んだのに、とね」


花鶏さんが私の手を取ると苦笑いする。


「わたくしも、美柑さんも、本当に良かったのだろうかと思う事は多々あります……けれども、そんな迷いや悩みを重ねて、私達はできる事をしていくのです」

「そう、魔女ってそういうものさ」


決して納得をした訳ではない。

私が魔女として活動をしたら、また同じように「本当に良かったのだろか」と悩む時が来るだろう。

けれどもセレクトさんも花鶏さんも、美柑ちゃんも、迷わない為、そして正しい判断ができるように前を見ているのだと思う。


「わかったかい? 晶さんも、西新宿の魔女も」

「はい……反省として生かしていきます」

「納得はできないけれど、私はこれを教訓にする……あと、他の人の力を借りずに済むように成長します」


なんだかんだ、セレクトさんに救われた気がする。


「じゃぁ、そろそろ私達は帰ります。晶ちゃん、本当に今日はありがとう……二度も救ってくれたお礼は必ずするね」


茉莉さんが私をぎゅっと抱きしめてくれる。

一瞬、背筋に冷たいものを感じたけれど、振り向くと花鶏さんがニコニコ笑っていた。


「そんな、またメールするから」

「うん、特に用事がなくてもご馳走するからうちの店に来てよ。もっと晶ちゃんとはお話したいから」


茉莉さんが私の手を取ってぶんぶん振る。

再びぞくりという気配はしたので振り向くと、やっぱり花鶏さんがニコニコ笑っている。

セレクトさんに視線を送ると、一瞬ギクりという表情をしたあと、ぶんぶんと手を振って「なんでもない」というジェスチャーをした。


「あと、今回の報酬です……本当に、本当にまた連絡するからね!」

「はい、私でよければいつでもお手伝いするからね!」

「じゃぁ、また」


茉莉さんは花鶏さんの家の車で西新宿へと送られ、セレクトさんと花鶏さん、私が残った。


「小姫……さん? どうかされましたか?」


彼女はニコニコと笑っている表情をしているけれど、なんというか心が笑っていない。むしろ怒っているようにすら感じた。

花鶏さんの斜め後ろにいるセレクトさんはできるだけ「私は無関係ですよ」という表情をしつつ、視線を泳がせながら既に空っぽになった湯飲みでお茶を飲んでいる。


「いいえ、晶さんが魔女として成長をされていると思うと、とても嬉しいと思います」

「そ、そうですか……」

「晶さんは、どなたでもすぐに仲良くなられて、わたくしはあのお方がとても羨ましいと思ってしまいました」

「ありがとう……ございます?」

「うふふ……わたくし、何かあったらすぐに駆けつけると言いましたのに……信用されていないのかしら」

「そんなことないです……よ?」


やばい。

多分、花鶏さんは怒っている……何に対して怒っているかと言われると、連絡をしなかった事だろうか? それぐらいしか原因が思いつかない。

あと……無茶をしたかと言われれば結果的にしたけれど、あれは不可抗力だと思う。


「小姫さん……ええと、すぐに連絡しなくて御免なさい、心配かけて御免なさい」

「いいえ、晶さんが無事でしたから、全然怒っていませんわ」

「嘘でしょ……」


ぼそりとセレクトさんが小さく呟くと、小姫さんが首をぐるんと回した。

私の角度からは彼女がどんな表情をしたのかよく見えなかったけれど、セレクトさんが一瞬「恐ろしいものを見た」という表情をした。

この状況、お母さんがお父さんを怒らせた時に非情によく似ている……私はその時、お母さんはどんな行動を取ったのか思い出す。


「小姫さん、あの、心配を掛けたお詫びといってはなんですけれど、明日の予定があいてしまったので、よかったら……一緒にお買い物行きませんか?」

「……」


後にセレクトさんはこう言った。


-個人的にあまりいい印象はないのだけれど「天使が舞い降りた様を見た信者の顔」というのは、ああいう表情をするのだろう、と。


「ふっ……ふひっ……お、お買い物……ですか?」

「え、ええ、そろそろ夏物の服が欲しいと思っているし、よかったら小姫さんとプールとか海にも行きたいから、水着とか見れたら……なんて」

「みずっ……ぎっ……」


-ばーんっ!!


突然、小姫さんがちゃぶ台を両手で叩き、私の顔をマジマジと見つめた。


「えっと……小姫さんがお忙しいようでしたら、またこん……」

「いいえ、用事はありませんわ……全くぜんぜん、これっぽっちも用事はありませんわ、24時間オールタイム暇です、本当に予定は空いていますから信じてください!」

「そう……ですか」


セレクトさんが頬杖をつきながら、ぼそりと呟く。


「小姫さん、依頼したお仕事途中でしょ……来週に延期しようか?」

「ええっ、それじゃぁやっぱり今度に」


小姫さんがすっと立ち上がり、ちょっと待ってというジェスチャーをした後、何処かに電話を掛ける。


「ご安心ください、今から出向いて即座に解決いたしますわ。晶さんっ!」

「はひっ」


そっと小姫さんが私の手を取って、ぎゅっと握る。その瞳は爛々と輝き、やる気と熱意に燃えていた。


「明日、ハチ公前に10時で如何かしら」

「はい、大丈夫……です」


すっと彼女は立ち上がり、ヘルメットを掴んで出て行った。

慌てて私とセレクトさんが階段を駆け上がると、緑のオートバイの後ろと横に縦長の筒が括り付けられ、小姫さんがその中にどう見ても「日本刀」にしか見えないものを収めていく。


「晶さん、たかが下級の魑魅魍魎如き……すぐに塵芥と変えて参ります。ではご機嫌よう」


私とエレクトさんが呆然とする中、小姫さんはヘルメットのバイザを下ろし、大きなエンジン音を上げて走り去って行った。


「やれやれ、小姫さんの事だから朝まで本当に終わらせるんだろうなぁ……晶さん、戻ろう」

「え、はい……」


-翌日


9時45分にハチ公前に到着すると、小姫さんが先に到着して待っていた。

セレクトさん曰く「二日間掛かる依頼だから、多分どんなに頑張っても朝まで掛かると思うよ」と説明があったけれど疲れている表情さえ見せず、いつもの笑顔を見せた。

「おはようございます、小姫さんっ!」

「晶さん、わたくし、丁度今来たばかりですのよ」


-今日はできるだけ歩かず、休憩をいっぱい挟んで楽しもう。


そう心に誓い、小姫さんと初めて「友達」としてショッピングデートに出かけた。

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