第9話 西新宿の魔女(中編)

Chapter B-02


晶ちゃん、もしかしてアイツの姿が見えてる?

え? うん、あの泥人形みたいな奴だよね、赤い口の

ちょ、ちょっと待って、晶ちゃん、本当に「アイツの本体」が見えているの!?

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20代OL風のお姉さんは茉莉さんを見るなり、駆け寄って縋るように抱きしめる。


「よかった……また会えて良かった……」

「何かあったのですね」


OLさんは涙混じりに頷いて事情の説明をはじめた。


「最初はあなたに変な事を言われたから気のせいだって、錯覚だって思ってたの」

「そうしたら妙な視線を強く感じるようになって。それでも気のせいだって……しばらくすると視界の隅に黒い人影が見えるような気がして」

「でも、辺りをみても見えなくて……それが毎日、段々近寄ってくるように感じて」


OLさんは目を大きく開いて震えはじめた。


「それが今日、駅の階段にアイツが……」

「見たのですね」


OLさんは涙をぽろぽろ流しながら頷く。


「先輩と飲みに行こうって誘われて、新宿駅の階段を降りている時、目の前に黒い人影が現れて……許さないって」

「そいつ私にしか見えていなくって、黒い人影が先輩に近づいて……突き飛ばしたように見えたの」

「それで、先輩さんは?」

「幸い、階段を昇っていた人が受け止めてくれたんだけれど……先輩はいきなり崖のような場所の景色が見えて、足を踏み外したって」

「そのあと、そいつが私の目の前で真っ黒の顔に赤い口で嗤いながら言うの……コロシテヤルって」


OLさんは茉莉さんにしがみついて声を上げて泣いた。


「私に近づく奴は全員殺すって……絶対に殺すって……」

「とにかく無事で何よりです。ちょっと移動します」


茉莉さんはOLさんを公園に連れて行くと、地面にOLさんを中心にしてカリカリと図を描いていく。

漢字のような文字を放射状に描いて線で結んで囲っていった。


「これでよし……この陣の中にいれは、奴はあなたが見えません。だから絶対に出ないでくださいね」

「は、はい……」


OLさんは震えながら座って身を固くする。


「晶ちゃん、手伝って」


公園の四隅を二人で歩き、それぞれの角の地面に複雑な図形を描いていく。


「これは人払いの式」

「何度か見た事があるけれど、便利だねよね」

「あはは……それでね、さっきのお姉さんの言葉なんだけれど黒い人影が突き飛ばしたように見えたとか、崖が見えたとか」

「言ってたね」


彼女が神妙な顔をした。


「さっき話をしたけれど、触れるのも幻覚を見せるのも、相当の力を持ってる死人でないとできないの」

「というと怨霊?」

「怨霊ならもっとやり方が直接的だし、それこそ歌舞伎町の魔女達から警報なり通達がある筈なんだよね。それに彼女に恨みを持ってるって事は、つい最近死人になったらしいし」

「なるほど」

「ちょっと大物かもしれないから、晶ちゃんは用心してね、あとこれ頭に貼り付けてくれれば奴の姿が見えるから」


茉莉さんから小さなお札を渡された。札の表には墨で書いた猫のような図が描かれていて言われたとおりにおでこに貼る。


「へぇ……そんなのもあるんだ」

「来たよ」


茉莉さんが指さす方向に目を凝らす。

ぼやっとした黒い煤の塊のようなものが見えたので目を大きく開いたり眉間に皺を寄せてみたりしていると……暗闇からまるで泥の中から出てきたような人影が近づいてくる姿が見えた。

そいつは歩く度にごぼっ、ごぼっと汚い音を出し、身体からドブのような匂いを噴き出している。


「晶ちゃん、見えてる?」

「うん、見えてる」

「お姉さんの陣の前にいてね」

「了解」


ぞるっ、ぞるっと泥のような身体を引きずっていた泥人形は何かを呟いている。


-さない……ゆるさない……許さない……許さない……


背筋がぞくりと震える。

泥人形の頭、目のような穴からは何も見えない。口はぱっくりと開き、赤い舌が見えた。


「ちょっとここまで大きくなっているのは予想外、まずいかな……取りあえず浄化を開始します」

「茉莉ちゃん、気をつけて」

「うん、我加護の四神に願い奉り御身の力を拝借候、青竜の顎(あぎと)よ雷となりて彼の者の邪気を祓い賜え」


彼女が薄い札を二本指で挟んで祈るように手を叩くと、青い稲妻のような光が泥人形の脇腹を剔る。


「凄い……あっ!?」


大きな穴が開いて崩れかかった泥人形の脇腹がみるみる復元されて、傾いたままのポーズでゆらゆら上半身を揺らしながらぞろりぞろりと歩いてくる。


「戻っちゃった……」

「今のが私自身の一番威力がある奴だったんだけれど駄目だったみたい」

「えぇぇぇ……どうするの?」


茉莉ちゃんが持ってきたトランクを地面に置いて勢いよく開く。


「ジャスミン!」


中から布製のボールのようなものが飛び出してくるくると上空で回転すると、形を変えながら泥人形に向かってぶつかった。

跳ね飛ばされた泥人形は何度かバウンドをして転がり、ボールはぶつかった反動を利用してトランクの前に着地した。


「女の子……茉莉ちゃん?」


それは茉莉ちゃんが10歳ぐらいだったらこんな感じという、チャイナドレスを着た小さな女の子だった。

彼女は着地と同時にトランクから巨大なフォークのようなものをトランクから取りだし、青い光りを放ちながら風切り音を立てて回しはじめる。


「これは私の式人形でジャスミン(茉莉花)っていうの。この子は私と縁で結ばれているから思った通りに動くのよ」

「えぇぇ、これが人形!? どう見ても普通の女の子にしか見えないんだけれど」


本当に何も言われなければ茉莉さんの妹にしか見えないぐらい、普通の女の子だった。


「取りあえず説明はあとで……ジャスミンいって!」


ジャスミンはこくんと小さく頷くと、武器を構え、身を低くして地面を飛ぶように移動して泥人形に迫る。

まるで武器を持ったまま踊るように、泥人形に纏わり付きながら青く光る武器で連続攻撃をつづける。


「おかしい」


当たっている筈なのに泥人形の様子に変わった様子はない。


「あーもぉ、全然捕らえられない……こんなに固いしどうなってるのよ!」


ジャスミンの攻撃が時々何か固いモノにあたったような音を立てると、泥人形の動きが止まってよろめく。

けれども数秒後にはぞろりと歩き出して、次第に私達との距離が詰まってきた。

焦る茉莉ちゃんを横目に、泥人形はぞぞぞぞっと音を立てて大きな腕を振り上げた。


「危ないっ!!」

「!?」


私の声でジャスミンが後ろ向きにジャンプをして躱すと、泥人形が追い打ちを掛けて軽そうな彼女の身体が数メートル吹き飛ばされた。


「やっぱり直接触れている……晶ちゃん、こいつかなり強い力持ってる」

「茉莉さんっ、上!」


泥人形が腕をにゅっと伸ばし、再びジャスミンの頭上を襲う。咄嗟にバク転をして避けると同時に武器投げてを打ち込んだ。

地面をえぐった腕が切断され、まるで煙のように消えるけれど、切断面からすぐに腕が生える。

その後、何度もジャスミンの武器は泥人形の本体を切り刻んでいるのに、全く効いている感じがしない。


「晶ちゃん、ちょっと予想以上にまずいかも……武器は確実に本体に届いているのに、ダメージを受けている様子がないの」

「さっき、切り飛ばされた腕がすぐに生えたよね」


素人目に見ても、泥人形は現れた時となんら変わっていない。


「晶ちゃん、もしかしてアイツの姿が見えてる?」

「え? うん、あの泥人形みたいな奴だよね、赤い口の」

「ちょ、ちょっと待って、晶ちゃん、本当に「アイツの本体」が見えているの!?」


茉莉さんが凄い剣幕で捲し立てる。


「え? え? だって、茉莉ちゃんにもらったお札があるから見えてるんだよね?」

「私のお札はそこまでハッキリ見えないの!!」

「え?」


何を言われたのか一瞬判らないと思った時、ジャスミンが吹き飛ばされ、地面を何度かバウンドしながら私達の所に転がってきた。


「晶ちゃん、あいつの姿はどんなの!?」

「え? ええと……人型で高さがこれぐらいで、この辺りに口があって……目がこの辺りにあって……」


なんとか説明しようとするけれど、うまく伝えられない、表現できない。


「口のある辺りが核……ええと弱点です! どの辺りにあるの!?」

「く、口……ええと、どこ、どこだ……頭だよね」


ジャスミンが大きく弧を描くように走ると武器を泥人形の肩あたりを斬りつけてすぐに離脱する。


「い、いまの所が肩のあたりです!」

「了解……なんとなく判ったと思う」


最初はゆっくりだった泥人形の動きが次第に速くなって、今はジグザグに移動しながら私達との距離を詰めている。

茉莉さんにはどういう風に見えているのか判らないと説明が難しい。それにどの辺りかという指示も具体的には説明しづらい。

ジャスミンがダッシュで距離を詰め、武器を振りかざすけれど泥人形の脇腹をかすめただけで変わった様子がない。


「まずい……そっちに気づいたかも!」

「陣のお姉さんは見えないんですよね」


お姉さんも奴の姿が見えているのか、ガタガタ震えている。


「ひっ……」

「見えないだけですで陣に触れられたら確実に見えてしまう……多分、奴は手探りしながら歩いているみたい」


泥人形はジャスミンの攻撃をものともせず、公園の中をゆっくりと探して回っている。


「死人って、取り憑いて殺すとか、できないんだよね?」

「アイツは例外! 取り憑いて殺すどころか普通の人があいつに殴られたら死んじゃうぐらいの力を持ってる! どうして短時間にここまで強い力を……」

「そんなっ!!」


どうする……私はアイツを見る事ができる、けれども茉莉さんにうまく伝える事ができないし、弱点とか判る訳じゃない。

時間停止は私が死ぬような危機でないと発動しない……止まった所で何かできる訳でもない……どうすればいい……考えろ、考えろ。


「いやぁぁぁぁあっ!!」


OLさんが大きな悲鳴を上げると、泥人形の動きがぴたりと止まる。赤い口が開いてにやりと嗤うと声のする方へと移動をはじめた。


「まずいっ、気づかれるから喋らないでっ!!」

「いや、いや……こないで……こないでぇぇぇっ!!」


OLさんは立ち上がると、陣を抜け出して走り出す。

泥人形が一瞬大きく縮んだかと思うと、逃げるOLさんに向かって大きく跳ねてジャンプした。


「あぶないっ!!」


茉莉さんが横っ飛びにOLさんを抱え、泥人形に押しつぶされる寸前で躱す。


「茉莉ちゃんっ!」

「私では抑えきれないの! このままでは晶さんも危ないからお姉さんを連れて逃げて!!」


ふっとある事を思いつく。


-馬鹿な考えだと思うけれど、それしかない!


それがどういう結果をもたらすのか考える前にポケットから懐中時計を掴んで泥人形に向かって走り出した。


「晶ちゃんっ!!」


泥人形は走る私に気づき、腕を伸ばして横へ薙ぎ払おうとする。

咄嗟に身を伏せて転がると、地面に落ちている獲物を掴んで立ち上がる。そして私に向かって大きな腕を振り下ろした。


「あぶないっ!!」

「っ!!」


振り下ろされた黒い塊が数センチまで迫った時、周囲の景色が灰色になって……時間が停止した。

ねっとりと絡みつく身体を動かして泥人形の目の前にくると、黒い穴のような目に掴んだジャスミンの武器を突き立てる。

そして……世界が動き出した。


「え!?」


泥人形は一瞬、腕を振り下ろした姿勢で固まると、まるで恐竜のような雄叫びを上げた。


-ぎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!


突然泥人形の目の前に私が武器を持って現れたのを見て、茉莉ちゃんが「え?」という顔をする。

闇雲に振り回した黒い腕が迫り、私わざと身体を向けると再び世界が止まる。目の中に刺さった武器を引き抜いてもう片方の目に突き刺す。


-これだけやれば……


慌てず、いつでも走り出せるように身構えながら懐中時計の秒針を見つめる。

以前のように時間切れ寸前まで動いていると反動で転んでしまうから、今度は時が動き出すと同時に走りだそうと決める。


-58……59……いまだっ!


大きな黒い腕が私のいた場所を薙ぎ払うと同時、走り出して前転をするようにして攻撃を避ける。

出鱈目に振り回した腕が眼前に迫った時、三度目の時間停止が起きたので慌てて離れ、茉莉ちゃん元へ走る。


-おぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!


「何!? 何が起きたの!?」


泥人形は両目を押さえ、目に武器を突き立てたまま地面をのたうち回って藻掻き苦しんでいる。


「茉莉ちゃん、あの武器が刺さってる所が頭ですっ!!」

「え? あっ、そうかっ! ジャスミン!!」


ジャスミンの武器に強い蒼い光が溢れると、大きくジャンプして勢いをつけた鋭い先端が泥人形の頭を穿つ。

ひときわ大きな断末魔が響き、次第に枯れたように小さくなっていく。


「やった!?」


-ろしてやる……ジャマを……ころ……アア……チクショウ……


頭に大穴をあけた泥人形は地面に吸い込まれるように消えていった。


「はぁ……取りあえず助かった」


まだ続くようならと身構えていたけれど、その場でへたり込む。とっさの思いつきだったけれど、なんとかなったらしい。


「晶ちゃん、大丈夫!?」

「茉莉ちゃん、お陰様で……お姉さんは?」

「無事だよ。ありがとうっ、本当にありがとうっ!!」


OLさんは気絶をしているのか、横になってぐったりしているけれど怪我もなさそうだった。

茉莉さんが私を抱きしめる。


「本当に凄い……さっきのが晶ちゃんの時間停止?」

「ええ、とっさの事だったから夢中で」

「びっくりしたよ……押し潰されると思ったらいきなりあいつの目の前に現れて釵が頭に刺さってるし、そしたら次の瞬間には別の場所に現れるんだから」

「あはは……どうしても一回じゃ逃げられないから、わざと攻撃させるようにして時間を止めたの。逃げると時に失敗しちゃったから、三回も時間を止めたんだ」


茉莉さんが信じられないという表情をする。


「本当にもぉ、晶ちゃんてばすごいいいっ!!」


茉莉さんが更に強くぎゅぅぅぅっと抱きしめてきた。


「しかし時間停止だけじゃなく、霊視まで持ってるって……本当に晶ちゃんって何者だっての」

「霊視?」

「そうだよっ、霊視! もしかして気づいてなかったの!?」

「え、ええ……と言われても……あれ?」


そういえば、セレクトさんと話をしていた時の事を思い出す。


-そう、私が牛丼屋に向かう時、すぐに見つけたでしょ

-そういう事じゃなくて、あの時、普通の人は視界に入っても気に掛からないようにしてあったの


黒コートもこんな事を言っていた。


-そのちらのお連れ様、私の術式が見えているのですか……


あの時はどういう意味か判らなかったけれどそういう事なんだ。


「ええと、なんとなく見えるかな? って思っていたけれど、これも私の能力なんだ」

「なにそれ……あはは、晶ちゃんには驚かされてばっかり。本当に私もやばいとおもったけれど、晶さんのお陰で本当に助かったよぉ!」

「ううん、茉莉ちゃんもジャスミンもお疲れ様」


ジャスミンはこくりと小さく頷くと身体を丸めてトランクの中に入っていった。

そのあと何度も持ち上げたり感謝されたり、なんだかこそばゆい気持ちになったけれど、悪い気はしなかった。

OLさんは膝を擦りむいたぐらいでなんともなく、以前からネットストーカーの被害に遭っていた事を打ち明け、その人は自殺したらしいという話を聞いた。

調べてみれば色々判るかもしれない事かもしれないけれど、それは私達の仕事ではないと茉莉さんが言う。

OLさんから心ばかりの報酬を受け取り、私はセレクトさんに終了の報告を電話でした。


「それで晶さんはなんともなかった?」

「はい、私は転んで擦りむいて、茉莉さんはちょっと打撲をしたぐらいでして」

「そっか……花鶏さんが心配すると思うから現在位置を送っておいて」

「はーい、すぐ送ります」


スマホでメールを送信したあと、西新宿から近い事ともうちょっと茉莉さんとお話しがしたかったので歩いて帰る事にした。

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