第4話「霜鳥晶の一番長い一日(後編)」

Chapter A-3


……私、魔女になります

そう

ようこそ、新しい道玄坂の魔女さん

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夕暮れが近づく渋谷の道を花鶏さんと歩く。

指示されたお店は道玄坂から少し離れていた。


「今更ですけれど……花鶏さんの魔女の力って、刀が出せる事ですか?」


お昼休み、喉元に鈍色の日本刀を突きつけられた事を思いだして身震いする。


「違います……私の能力は物の分解と再構築、あと凍結ですわ」

「ぶんかいとさいこうちく?」


花鶏さんが鞄の中から巾着袋を取り出すと開いてみせる。


「砂?」

「主に砂鉄ですわ……これをこうすると……」


袋の中にあった砂鉄がぞぞぞぞっと一塊になり、一瞬で小さなナイフのようなものに変わった。


「おぉぉぉぉ!? 凄い……へぇぇぇ、なんでもできるんですか?」

「多分なんでもできると思うのですが、あらかじめ分解の儀式をしないといけないので、すぐには無理ですわ」

「へぇぇぇ……」


花鶏さんがナイフを指で弾くと、さぁぁぁぁっと細かな砂鉄になって巾着袋の中に落ちていく。


「あとは……あら、到着ですわ」


興味深い話を聞いていたら、もう目的地に到着してしまった。


「じゃぁ、また今度聞かせてください」


また後で聞けばいいと思いつつ、ややクラシックな店内に入る。

お客さんがいないと思いつつ店内を見渡すと、隅っこのボックス席から小さな手がふりふりと振られた。

セレクトさん曰く、渋谷で最も活躍をしている魔女さんらしい。


「あの、セレクトさんからご紹介を頂きました……霜鳥晶といいま……す?」


ボックス席にちょこんと座っているのは、どう見ても小学生にしか見えない女の子。


「はじめまして霜鳥さん、種田美柑たねだみかんといいます。美柑と呼んでください」

「お久しぶりですね、美柑さん」

「久しぶりです~小姫さん」

「ご活躍はいつもセレクトさんから拝聴しておりますわ。彼女は道玄坂の魔女の中でも古参の方で、私の先輩にあたります」

「花鶏さんの先輩っ!? えっ……この子がっ!?」


目の前には食べ終わったチョコレートパフェと、椅子にはピンク色のランドセルが置いてある。


「今年で小学6年生になりました」


美柑ちゃんがにっこり笑う。


「セレクトさんから簡単にお話は伺っています。日も暮れかかっていますし、さっそく行きましょう」

「あ、はぃ、お願いしますっ!」


ランドセルを背負うと、美柑ちゃんは普通の小学生にしか見えない。


「マスター、ごちそうさまでした」


カウンターでグラスを磨いていたマスターらしいお爺さんに会釈すると、美柑ちゃんがそのまま出て行く。


「え? お会計は……」

「あのお店は私の仲介人。マスターは依頼人から報酬をもらって、美柑はお店のメニュー食べ放題、という契約なのです」

「はぁ……なるほど……?」

「えーと、この辺りでいいかな」


美柑ちゃんはポケットから小さな箱を出し、中に入っているチョークを使って地面に何かを書き始める。


「花鶏さん……美柑ちゃん、何をしているのですか?」

「彼女の能力です……なかなか凄いですよ」


地面に二重丸と三角を組み合わせた図と外枠に細かな文字をびっしり書き込んで、真ん中にセレクトさんが持っていた同じ猫の写真を置く。

立ち上がって聞き慣れない言葉を呟くと、数秒もしないうちに猫が一匹やってきて円の上を通ってそのまま走り去っていった。


「あれ? 行っちゃいましたよ……うわぁっ」


一匹が通り過ぎたあと、すぐに私達の回りにどこからともなく猫が現れ、ぶつかりもせず、次々と円の上を通って去って行く。まるでスクランブル交差点を歩く人のようだった。

3分ぐらいの間に4~50匹の猫が通り、その後は何事もなかったかのように皆、姿を消した。


「なっ、なんですか、さっきの」

「そうですね、猫の掲示板を作って聞きたい事を見てもらったっていう感じです」

「美柑さんの能力は動物との意思疎通なのです。しかし個別に状況を説明するのは大変なので、地面に描いた掲示板という形にして、猫達に見てもらったのです」


花鶏さんが補足を入れてくれたので、状況がやっと理解できた。


「は、はぁ……それってすごくないですか?」

「これでも魔女を6年やっていますから」

「ろっ、ろくねん!?」

「美柑さんはこの辺りの魔女でも最古参で、セレクトさんが渋谷に来て初めて逢った方の一人だとか」

「へぇぇ」

「あ、来ましたよ」

「来たって……ひぃっ」


細い路地の屋根の上、室外機の上、積み上げられたビールケースやブロック塀の上、至る所に無数の猫いて、私達をじっと見つめている。

そして一匹の太ったキジ猫がぽてぽてと美柑ちゃんの前でちょこんと座って彼女を見上げる。

彼女は屈んでキジ猫の頭を撫でながらふんふんとうなずいて、何かを聞いているらしかった。

彼女が立ち上がると、キジ猫はすっとブロック塀の裏へと消え、同時に周囲にいた猫達は音もなく姿を消した。


「あの……美柑ちゃん、さっきの猫は……」

「この辺りの猫ちゃんのボスみたいな感じです」

「へ、へぇ……」

「ところで目的の猫ちゃんですが、この辺りでは3日前に目撃されたのが最後のようです。猫ちゃんの飼い主さんはここにお住まいですから……」


ポケットから可愛いスマートフォンを取りだして地図アプリを出す。

山手通り近くが最後の目撃で、NHKホールの近くに住む飼い主さんの家から結構な距離が離れていた。


「取りあえず、この辺りまで移動しようと思います」

「歩いてですか?」

「はい、他の猫ちゃんからもお話を聞きながら行こうと思いま~す」


あまり行く事が無い西口を経由して、ハチ公口の反対側にある桜丘方面へ歩いて行く。


「そういえば、霜鳥さんは魔女になろうとしているのですか?」

「晶でいいよ。ええと、もう魔女にはなっているんだけれど、なんというか、なるべきかならざるべきか……今日、二度襲われちゃって」


花鶏さんに襲われた件は言わない事にした。


「それは災難ですねぇ」

「美柑ちゃんは最初から魔女だったの? っていう聴き方は変か……」

「霜鳥さん、それは……」


花鶏さんがその話はちょっとと言いかけた時、美柑ちゃんが大丈夫という表情で首を振る。

どうやらまずい事を聞いてしまったらしい。


「私は最初、この力はお母さん喜んでくれるから、あまり深く考えていなかったのです」

「動物の気持ちがなんとなく判るなぁって……ただそれだけのつもりだったけれど、テレビとかの取材が来て、話題が広がっちゃって」


そういえば、数年前のバラエティ番組で猫をたくさん連れて歩く女の子の話題を見た気がする。

でも、それっきりだった記憶があるので、なんとなく美柑ちゃんに何があったのか判った気がした。


「美柑ちゃん、ごめんね、変な事を聞いて」

「大丈夫ですよ晶さん、人と違う力があるって結構厄介なコトが多いですから」


本当にこの娘は大人びているなぁと感心する。


「美柑ちゃんは、その、案山子に襲われたりとか……聞いちゃ駄目?」

「そうですね、年に1度ぐらいカカシの人に襲われたりします」

「大丈夫なの!?」


あの夜に見た花鶏さんとのやりとりを考えると、かなり危険な気がする。


「案山子の人が渋谷に来ると動物たちが教えてくれるのでうまく逢わないようにしていますし、いざって時の備えもありますから」

「種田さんの動物を通じて情報を知るという力は、私達の目が届かない場所に住む生き物の視点から渋谷を見る事ができるのです」

「ああ、なるほど……その、怖く……ない?」

「怖いですよ」


美柑ちゃんはあっさり肯定した。


「でも、魔女でいるっていうコトは『わたしにしかできない』があるから辞めたくないのです。それに仲間の人達は皆さんいい方ですし」

「へぇぇぇ……美柑ちゃん、本当に小学生? って思っちゃうよ」

「あはは……そうですね、お仕事を通じて大人の人に会いますから、友達からもお母さんみたいって言われます」


確かに、彼女を纏う雰囲気は大人びているというか、妙に達観している。


「じゃぁ、美柑ちゃんは猫探し専門にしているの?」

「猫に限らず、動物に関するコトが多いです。あとは動物たちから渋谷で何か起きていないかとか、聞いて回っています」

「美柑さんの活躍で、数年前から渋谷では特異な事件は結構減ったと聞き及んでいます」

「凄いね……」


渋谷の町を小学六年生が見回りをしていると思うと、なんだか不思議な気分になる。

美柑ちゃんが猫から情報収集をしつつ、高速道路の高架を抜けて大使館がいくつもある辺りまでやってきた。



「この辺りで最後に目撃されたんですけれど……う~ん」


通りかかった三毛猫の頭を撫でて、うんうんと頷いている美柑ちゃんの表情は暗い。


「手がかりが途絶えましたか」

「ええ、猫ちゃんは自分のテリトリーにはいってくる他の猫の動きに敏感ですから、普通なら情報が入る筈なのですけれど~この辺りでぷっつり」


三毛猫にばいばいと手を振って、地面に今日、四度目の図形を描いていく。


「もしかしたら事故や事件に巻き込まれた、もしくは誰かに保護されたか……ですかね」

「その可能性もあります……けれども事故であれ事件であれ、ご飯やお水を飲んだりしていれば誰かが見ている筈なんですけれど……う~ん」


手持ち無沙汰もあって、写真を取りだし見つめる。

おばあさんの膝に座り、気持ちよさそうにひなたぼっこをしている大きな虎猫だった。


「美柑ちゃん、依頼主さんはこの方ですか?」

「いいえ、中高生ぐらいの女の子でした」

「霜鳥さん、どうかしました?」


ふっと思いついた事があった。


「美柑ちゃん、ちょっと依頼主の人に聞いて貰うことはできるかな」

「はい」


-30分後


「ここ……ですね」


旧西郷従道邸跡がある菅刈公園近くの住宅街の中にある平屋の一軒家。

人の気配もなく、郵便ポストにはダイレクトメールやチラシが無造作に突っ込まれ、雨風にさらされてボロボロになっていた。


「家の中には入れませんが、お庭なら許可は頂いていますので」


草が伸び放題の庭に入り、辺りを見回す。

雨戸は閉まっていて、硝子越しに見える室内はがらんとして何も無い。


「結構荒れ放題ですね……雨戸も閉まっていますし、いくら猫でも入れないのでは?」

「霜鳥さん、もしかして……」

「多分、なんですけれど」


屈んで、軒下を覗き込む。

花鶏さんは不思議そうな顔をしているけれど、美柑ちゃんは私の考えをなんとなく察したらしい。


「……いました」

「ええっ!?」


雨戸が開いていれば廊下になっている真下に、探している虎猫が横たわっていた。

写真にあったふくよかな身体はやせ細り、立ち上がる気力さえないというように、私達を一瞥したあと目を閉じる。


「タクシーを手配します、すぐに病院へ!」

「花鶏さん、まって! 美柑ちゃん、この猫の声を聞いてあげてください」

「でも、はやくしないと」

「いいからはやくっ!!」


自分でも驚くぐらい大声を出してしまったので、花鶏さんが目を丸くして口をつぐむ。


「……わかりました」


美柑ちゃんが不思議な言葉を唱えると、虎猫の身体から青白い光がふわりとあがり、写真と同じふくよかな頃の姿が隣に現れて、私達の前にちょこんと座る。

虎猫はじっと私を見つめると、声ではない、意識の言葉で語りかけてきた。


「そこのお嬢さん、私の気持ちを汲んでくれたんだね……ありがとう」

「どういう事ですか……」


美柑ちゃんは俯き、花鶏さんは困惑していた。


「猫は、死期が近づくと主人に見えない所でひっそり息を引き取るそうです……虎猫さんは死に場所に、前に住んでいたここを選んだみたいです」

「そんな……」

「虎猫さんは、おばあさんとここで暮らしていたのですけれど、半年前に亡くなって、お孫さんに引き取られたって言っていました」


「そこのお嬢ちゃん、きっと今の主人が心配して探してと願ったのだろう……伝えて欲しい、心配掛けてすまない、今までありがとう……短い間だったが楽しかった」

「私はおばあさんと過ごしたこの家で最後を迎えたい……私はこの軒下で生まれ、おばあさんに拾われた」

「兄弟は皆、先立って行ったけれど、おばあさんも私を残していってしまった」


あかね色と群青色のグラデーションの掛かった空を見上げ、虎猫さんが小さく鳴く。


「ここは私と兄弟、おばあさんの思い出が詰まった場所でね……最後はここで迎えたい」

「魔女のお嬢ちゃん……あの娘に伝えて欲しい、私の我が儘を許して欲しいと」


べこりと頭を下げると、私達を見て笑った気がした。


「お嬢ちゃんのお陰で、私はあの娘に別れの挨拶を言付けできた……ありがとう」

「虎猫さんをみつけたのは、そこの晶さんです。私は何も……」


虎猫さんは私を見上げると、ひなたぼっこをしているような穏やかな表情を見せる。


「そうか……君はきっといい魔女になるだろう、ありがとう……そろそろ私は行くよ」

「霜鳥さん……美柑さん……」


花鶏さん震える指で示す先、いつの間にか軒先の雨戸が開いて、写真のおばあさんが微笑みながら座っている。

黒、ブチ、三毛猫、白の猫が縁側から降りてきて、虎猫さんに寄り添っていた。


「うそ……」


花鶏さんも美柑ちゃんも、信じられないものを見たという表情をしている。

虎猫さんは腰を上げると、おばあさんの膝の上に座って丸くなり、ごろごろと喉を鳴らし始めた。


「魔女さん……トラ吉が迷惑をかけたみたいで、ごめんなさいね」


おばあさんは虎猫さんを撫でながら、私達に語りかけた。


「昔、私達があなたたちと同じ年頃に魔女さんに逢った事があるの……綺麗な銀髪の小さな女の子でね」

「え……」

「ふふっ……焼け野原になった渋谷で迷子の妹を探してくれた、ただそれだけだったけれど彼女には本当に感謝したわ」

「また、魔女さんに助けられたのね……ありがとう」

「い、いえ……私達は何もしていないです」


本当に私は何もしていない。


「そんな事ないわ……トラ吉がこんなに喜んでいるもの、ありがとうって……三人が私達とトラ吉を巡り合わせてくれたって」


私は今まで「ありがとう」という言葉に挨拶みたいなものしか感じていなかった。

けれども、おばあさんの言葉に目頭が熱くなる。


「さぁトラ吉、みんなのところに行きますよ」


おばあさんは立ち上がって虎猫さんを抱き上げると4匹の猫を引き連れ、私達に会釈をしてゆっくりと光に包まれていく。

虎猫さんがうっすらと消えていく時、私に何かを言ったような気がした。


-ありがとう……の少女……


「……」「……」「……あれ」


気づくと、さっきまで開いていた雨戸は閉まっている。


「虎猫さん……」


軒下には虎猫さんが満足そうな表情で息を引き取っていた。


「花鶏さん、もし私が引き留めずに病院に行ってたら、虎猫さんは助かったでしょうか」

「たらればは無意味ですけれど、少なくとも私には霜鳥さんの判断は虎猫さんの望みを叶えたと思いますわ」

「でも、今の飼い主さんはお別れが言えなかったから……」

「霜鳥さん、あなたは、あなた自身の判断でできることをやったのです……それで虎猫さんが喜んでおられました」

「小姫さん、晶さん、お疲れ様でした」


美柑ちゃんは私達にぺこりと頭を下げると依頼主の女の子に電話を掛ける。小学生なのにしっかりしているんだと思いつつ、私と花鶏さんはほけっと夕日を見つめていた。


「花鶏さん、ああいう幻って魔女になると見えるものですか」


花鶏さんは上を向いて両手で目を押さえると、大きく息を吸った。


「わたくしも、あんな事は初めてですわ」

「そうですか……」


花鶏さんの夕日を見つめる瞳が潤んでいる。


「私は自分にできる事をする……そうすると様々な方から「ありがとう」って言われますの」

「自分にできること……」


-晶、あなたは人の為にできる事をしなさい……


花鶏さんの言葉と、お母さんから何度も言われた言葉が重なる。


「けれども今日の「ありがとう」は忘れられないでしょう……そんな瞬間に立ち会える事が嬉しい事が、わたくしが魔女をしている理由の一つなのですわ」

「そうですか」


-君はきっといい魔女になるだろう


「……私、魔女になります」

「そう」


花鶏さんがすっと手を差して、私を抱きしめる。


「ようこそ、新しい道玄坂の魔女さん」


こうして私の長い一日が終わりを迎え、道玄坂の魔女の一員となった。

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