第3話「霜鳥晶の一番長い一日(中編)」

Chapter A-2


依頼のあった、この写真の猫を女の子と一緒に探してきてください。

はぇ?

がんばってくださいね。

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目覚めは最悪だった。


「ふわぁぁ……ねむぃ」


浅い眠りで悪夢にうなされ、その度に大声を上げて目が覚める。

そして今自分が部屋にいると安心すると、疲労という重しが身体を布団に押さえつけ、再び泥に沈んでいくような眠りに落ちていく。

これを数回繰り返した為、兎に角眠い。

どれぐらい眠いかというと、電車ではつり革につかまったまま寝落ちし、駅のエスカレーターの手すりにつかまったまま寝落ちし、前のめりに歩きながら寝落ちし、途中で合流した友人に手を引かれて歩きながら寝落ちし、昇降口のロッカーに寄りかかったまま寝落ちし、教室に到着して着席をした直後に寝落ちをした。

このまま始業ベルまで寝かせて貰いたかった筈なのに、ある一言で寝ていられない状況になる。


「おはようございます、霜鳥晶さん」


名前を呼ばれた気がしたのでうっすらと目を開けると、正面には花鶏小姫さんがいてクラス中の視線は私に突き刺さっていた。


「お、おはようございます、花鶏さん」


ぺこりと頭を下げると、花鶏さんは自分の席に座って、いつものように授業の準備を始めた。

残された私は周囲からの視線とヒソヒソ声、花鶏さんに一目を置いているお嬢様方に絶対境界線を張られてしまった為に遠巻きで見ているクラスメイトの無言のプレッシャーを受けている。

花鶏小姫という人物が何気なく交わした挨拶は、クラスどころか隣接する教室にまで大きな波紋を投げかけた。


-花鶏小姫。


うちの学院は有名私立だけあって「お嬢様」という人種はそれほど珍しいものではない。

通学で黒塗りの送迎車を使う人なんていっぱいいるし、色々な財界のパーティーやら芸能人に会ったという武勇伝は毎日のように交わされる。

休みともなればどこかに行ったという話はしないものの、飛んでくるSNSの写真はどうみても日本でなかったり、旅客機ではない飛行機の中だったり、周囲に何も無い海の上だったりするの。

そんな「お嬢様」の中でも彼女は別格で、その名前を知らぬ者はテレビもネットも無い孤島で引きこもりをしていない限りはいないと思う程。


-お値段以上、アトリ。


衣食住から物流、通信などの生活の身近なもの、女子高生ではお世話になるのは滅多にないけれど見聞きはする車や飛行機などを手がける複合企業アトリホールディングスの名前を冠する女の子。

実際の所、花鶏さんがそのグループの社長令嬢なのか、それとも親戚だったり、たまたま名前が同じなのか、誰も知らないし聞いた事が無い。

けれども、クラスメイトの某有名旅行代理店社長令嬢曰く。


「花鶏さんの持ち物は……ヤバイ」


との事。

知識と教養と財力がない私から見れば、花鶏さんの持ち物は普通の時計に普通の筆記用具、私達と同じ制服にしか見えない。

けれども、財力ヒエラルキーで圧倒的な優位でなければ自らのコロニーに取り込まないお嬢様方が全く近寄らないという事は、私のような平民には理解できない財力の力場が働いているのだろう。

そんな花鶏さんは友人を作らない。

挨拶をすれば微笑みで返してくれるけれど、そこまで止まり。会話が続かない。

休み時間も昼休みもどこかに行ってしまうので、誰も話しかけられない。

無謀にも私と同じ平民のクラスメイトがお昼に誘った所、消し炭のような状態で帰って来た。


「食事中、まったく、ぜんぜん、これっぽっちも会話が続かなかった……」


というように、必要以上の事は全然喋らない花鶏さんは、自らが発する素性・正体不明という謎のオーラと人を拒む鉄壁の無言で梅雨入り前には、完全なぼっちを獲得した。

それ以降、周囲から避けられ、彼女との会話は相応の覚悟で挑まなければならない程の超難関となった……


「はぁぁぁぁ……」


溜息が漏れる。

そんな花鶏さんが、わざわざ私の机の前に来て名指しで挨拶をしたのだ。

その出来事は瞬く間に隣接するクラスから学年へ、一部上級生のクラスへ伝播して、最後には教職員の耳にすら入って、授業中はなんとなく教師が私に気を遣っている様が感じ取れる。

露骨に当てられる順序を避けられると、余計に気になるのでやめて欲しいです……眠いから嬉しいけど。

多分、私と花鶏さん以外のクラスのSNSでは妙な憶測や噂が飛び交っているんだろうなぁと……授業中にあちこちから鳴り止まない小さな着信震動が物語っている。

皆の気持ちはわかると思いつつ、できるだけ平常心を保ちつつ、休み時間も席から一歩も離れられず、睡魔と格闘しながら4限目が終了した。


「はぁ、ようやく昼休み……とりあえずトイレ」

「霜鳥さん」


顔を上げると、花鶏さんが目の前に立っていた。


「お昼、ご一緒いたしましょう」

「へ?」


-ざわっ……


確かに教室内から、そういう擬音とも取れるざわめきが聞こえた。


「え、ええと……今日はお弁当もってきてなくて学食のパン……なんですけれど……?」

「結構、私も学食のパンに致しますわ。では購買へ参りましょう」

「えぇぇぇ……」


この時間だけは「お嬢様学院」という二つ名に似つかわしくない、浅ましくも卑しい「パンの早買い競争」という戦場。

しかし花鶏さんは近寄っただけでモーゼの如く人だかりを割ると、悠々と会計を済ませ、その後は屋上の電子ロックを生徒手帳のカードキーでなんなく解錠、現在に至る。

普段は立ち入る事ができない筈の屋上で、目の前には滅多にお目に掛かれない人気のパンが並んでいた。


「さぁ頂きましょう……先日のお詫びとお礼という事でしたら、受け取って頂けますか?」

「ひゃぃっ、は、はぁ……ええと、頂きます」


一番高くて、一番人気で、一度も食べた事がないローストビーフサンドと、スモークサーモンサンドが「はい」と渡される。

こういう庶民的なパンとか花鶏さんは食べた事が無さそうだから「不味いですわ」とか「庶民的なパンとはこういう味ですのね」とか感想をいいそう……な雰囲気ではない。

食べている間の会話はなく、折角の高級サンドウィッチだけれど、全然食べた気がしなかった。


「ふぅ……ご馳走様でした」

「ご馳走様でした」

「霜鳥さん、昨夜……というべきかしら、あの時の事をお聞きしていいかしら?」

「ふぁっ?! はい……私に判る事でしたら」


本当なら、私の方が聞きたい事が多いのだけれど。


「昨夜の瞬間移動……とも取れる行動ですが、あれは霜鳥さんが任意で行ったものですか?」


きた……ある程度予想していた質問内容だった。


「ええと、正直に申しますとあんな現象は初めてで……あんな事ができるなんて知りませんでしたし、危ないと思ったら勝手にできたという感じです」

「成る程、それではあの行動……見た目通りの瞬間移動というものでしょうか」

「いいえ、急に周囲の動きが遅くなって最後には私以外の全てが止まってしまったんです」

「時間停止?」

「多分……それで止まっている間、私はゆっくりとだけれど動く事ができて」

「……成る程、だから瞬間移動に見えたのですね」

「あ、そういえばこれ」


セレクトさんからもらった懐中時計を目の前にぶら下げてみる。


「秒針が止まっているんですけれど、時間が止まった時だけ動くんです……たぶん、一分だけ」

「ちょっと拝見してよろしいかしら」

「どうぞ」

花鶏さんに懐中時計を渡すと、つついたりひっくり返したり、ネジを巻いてみたりした後、私に返してくれる。


「私には普通の懐中時計に見えますけれど、セレクトさんの持ち物ですから、何かあるのかもしれません」

「はぁ」

「昨夜は身の危険を感じた時、時間が止まったのでしょうか?」

「そうです。あの銀の針みたいなのに刺されると思ったら止まりました」

「そうですか、ちょっと失礼」


ひゅっと一瞬風が巻いたと思ったら、喉元に青白く光る刀みたいなものが押しつけられていた。


「え?」

「霜鳥さん……時間、止まりましたでしょうか?」

「……ひっ」

「止まらなかったようですね」


一瞬、何が起こったのか判らなかったけれど、眼下にある冷たい刀とそれを構える花鶏さんの鋭い視線を見た時、背筋が凍って突き抜けるような恐怖が脊髄を伝っていく。

同時に緊張の糸が切れて、下腹部の防波堤が決壊した。


「あ、花鶏さん……ふぇっ……」

「ん?」


もう、なんというか……内股に暖かい感触が広がったあと、すぐに冷たくなって……色々な理由で涙が出てきた。

私が何をしたのか察した花鶏さんが、日本刀らしいものを持ったままオロオロしている。


「あっ……あああっ、ああっ、ごっ、御免なさいっ、ごめんなさい霜鳥さんっ、あああっ、なんてことを、ええと……あああっ!? どうしましょう、ああっ!?」


世にも珍しい「とんでもなくテンパって狼狽した花鶏さん」を見る事ができたのだけれど、初めての経験に恥ずかしさですぐにでもどこかに消えたかった。


-もう殺して……


そのあと、5時限目以降を「花鶏さんの不注意による事故」という訳のわからない理由で欠席にならない早退とされた。

それからすぐ、どこからかやってきた黒スーツの女性に付き添われ、どこから来たのかトラックみたいなキャンピングカーに連れて行かれ、シャワーを浴び、新品の制服と下着を渡された。

着替えを済ませ、車の中と思えぬ広いリビングで待つ花鶏さんの元へ行く。


「おまたせ……しました……」

「あの……霜鳥さん……」


情けなさと恥ずかしさで涙が溢れてきた。

人前でおしっこを漏らすという最大の恥辱を披露してしまった……私の名誉の為に言うけれど、それほど怖かったのだから仕方が無い。


「御免なさい、ごめんなさい、霜鳥さん、本当に御免なさい……ああっ、本当になんとお詫びして良いのかしら」

「ううっ……大丈夫です……もう忘れてください……」


本当に、もう、どうなっているのだろうと世界と神を呪いたくなった。

天使(?)という金属バットの不良に追いかけ回され、妙な怪人黒コートに襲われ、クラスの注目の的になり、そして花鶏さんの前で失禁。


「は……ははは……もう、どうにでもなれという気分になってきました………」

「霜鳥さん、お気を確かに!」


その後、高級らしいお茶と高そうなお菓子でもてなされる。


「こほん……霜鳥さん、取りあえずあなたの不思議な能力をセレクトさんに相談をしてみたいと考えておりますが、如何でしょうか」

「はぁ……でも、セレクトさんはこれ以上踏み込まない方がいいって……花鶏さんも」

「ええ、ですがあのような能力を持っているのであれば、遅かれ早かれトラブルに巻き込まれる可能性が大きくなりますわ」

「そうですね……はい」

「それに、使える条件もよくわかっていませんし……であるならば、その能力で身を守る為にも、その正体を知っておく必要があると思います」


確かに、授業中に薄らぼんやりと「私に危険が迫った時、時間が止まる」というように考えていたけれど、花鶏さんの件で必ずしもそうではないという事が判った。

花鶏さん曰く「そのあと懐中時計を持って自分に対して脅威を発生させてみたけれど、時間は停止しなかった」という。

ならば、どういう条件であの時間停止が発動するのか、セレクトさんなら何か知っているかもしれない。


「わかりました」

「では、すぐ参りましょう」


そう言うと、いつも花鶏さんが通学に使っている馬鹿でかい車に乗せられ、あっという間に渋谷の道玄坂交差点に到着した。


「それでは行きましょう」

「あれ? 稲荷神社はこっちじゃないですか」

「霜鳥さんはご存じないのですか……折角ですからご自分の目で確かめてみましょう」

「?」


取りあえずうろ覚えだったけれど、セレクトさんの住むビルの近くにある稲荷神社に向かって歩く。

交差点からそんなに離れていない為、路地をあがっていくと稲荷神社が見えてきて、その数件手前のビルの脇にある地下への階段……の筈が。


「あれ? 階段がない!?」


階段があった筈の場所は、前籠にゴミが一杯詰め込まれている錆びたママチャリが2台放置されている。


「え? ええ?!」

「こういう事なのです」


来た道を戻り、道玄坂交差点から花鶏さんについていくつもの路地を曲がる。

それから程なくして稲荷神社の前に出てみると……ママチャリが消えてビルの横に地下への階段が口を開けていた。

しかも、あれだけ歩いた気がするのに、また時間は5分ぐらいしか掛かっていない。


「ええ? どういう手品!?」

「決められた手順でこちらに来ないと、この階段は現れないと思って頂ければ、ですわ」


薄暗い階段を降りて花鶏さんがドアを開けようとしたとき、スーツ姿のおじさん二人組が出てきてた。

私達を見ると伏し目がちに挨拶をして、階段を上がってく。

不思議な入口の筈なのに、ああいう人も出入りするのだと思いながら、部屋に入った。


「いらっしゃい、霜鳥さん。小姫さんに斬りつけられて失禁したそうだけれど大丈夫だった?」

「~~~~!!」


熱いものが頭に昇り、冷たいものが背筋を伝って降りていく感覚がした。


「花鶏さんっ!!!」

「すみません、あの時はどうしていいものか取り乱しまして……それで電話を……セレクトさんっ!!」

「いやいや、どんな騒動でも取り乱す事がない小姫さんが涙声で私に泣きついてきたから、大事件かと思ったよ」

「もう……勘弁してください……花鶏さぁん」


じっとりとした視線で花鶏さんを睨む。


「小姫さんは霜鳥さんをかなり気に掛けているようだね……珍しい」

「ひぁぁぁぁぁぁぁっ!」


こちらも恥ずかしいけれど、顔を真っ赤にしながらしゃがんで縮こまっている花鶏さんは、いつもの近寄りがたいオーラを放つお嬢様ではなく、可愛い女の子に見えてきた。


「まぁまぁ、取りあえず霜鳥さんにはあとでゆっくり小姫さんの狼狽えっぷりを詳しく聞くとして……聞きたい事があるから来たのでしょ?」


セレクトさんが真面目なのか、笑っているのか、判らないような表情で切り出した。


「……はい、昨日の帰り道で怪人に襲われた時に、時間停止みたいな状態になりました」

「ふふっ怪人かぁ……これは傑作。聞きたい事はいくつかあると思うけれど時間停止からいこうか、で?」

「でっ……でって……ええと、セレクトさんがくれた懐中時計の不思議な力で時間が止まって助かったというか」


セレクトさんに貰った懐中時計をちゃぶ台に置く。


「ふぅん、助かったのなら良かったじゃない」

「ふぅんって、あの時間停止はなんなんですか? どうして時間が止まったんですか!?」

「小姫さん、お茶をいれてくれるかな」

「はい」


花鶏さんが台所に向い、お茶の支度をしながら背中で私達の会話を聞いている。


「あの時間停止はそれ……懐中時計の力じゃない」

「へ?」

「それは霜鳥さん、あなたの持っている能力だよ」

「私の……でも、今までこんな事はありませんでしたよ?」


花鶏さんが湯飲みにお茶を煎れてくれて、セレクトさんの横に座る。


「もし過去にあの能力が発動していたら、霜鳥さんはそこで死んでいる」

「死ぬっ!? それにセレクトさんに特別な力があるのかって聞いた時、一般人だって……」

「あれは私じゃなくて小姫さんが言ったこと」

「……そういえば、そうでした」

「金属バットに襲われた時、私の召還した【Book of Knight】……本の中から現れた騎士を一瞬だけれど見たでしょ?」


確かに灰色になった景色の中で、セレクトさんの掲げる本から白い騎士が現れ、金属バットを惨殺したのを見ていた。


「【Book of Knight】はね、普通の人には速すぎて見えないんだよ。でも霜鳥さんは時間停止の力が発動しかかった時、一瞬だけその姿を見たんだね」

「あの時は懐中時計、持っていませんでしたよ!?」

「だから、懐中時計は時間停止の能力とは関係ないって……それに金属バットの時は止まった時間の中では動けなかったでしょ?」


確かに、あの時は「見る事はできていた」けれど、動くことはできなかったと思う。

頭の中がぐるぐると回って、夜の事を繰り返し思い出す……金属バット、水銀の針、花鶏さんの刀……そしてあの懐中時計。


「もしかして時間停止の力は……私に生命の危機が迫った時に発動して、懐中時計は止まった時間の中で動けるようになる道具……ですか?」

「当たり」

「ちょ、ちょっとお待ちください、わたくしが霜鳥さんを斬りつけた時は発動しませんでしたよ!?」

「小姫さんは寸止めしたでしょ? 本当に霜鳥さんを殺そうと思ってないからだよ」


セレクトさんが懐中時計をすっと私に差し出し、受け取る。


「こんな風にね」


セレクトさんが突然手を目の前で振ったと思うと、景色が灰色になって時間が停止した。


-え?


目の前に3本の細い短剣が止まっていて、セレクトさんがちょいちょいと指で横をさしている……つまりよけろという事らしい。

ねっとりと空気が絡みつくような重い身体をずらして、動かない花鶏さんの隣に移動する。

セレクトさんは私の動きを目で追っている……彼女はどういう訳か止まった世界で動けるらしい。

カチリという小さな音がしたと同時に世界が動き出し、短剣は風斬り音をあげながら反対側の壁にドスドスドスと突き刺さった。


「セレクトさんっ!!! あれっ!? きゃぁっ!!」


突然隣に現れた私に驚いた花鶏さんが悲鳴を上げる。


「という感じ……その懐中時計の秒針が一回転する間、霜鳥さんは止まった世界で動けるのさ」

「なるほど……あの金属バットに襲われた時は」

「あなたは生命の危機を感じて力を発動させ、同時に私があいつらを排除したから生き残ったという訳」

「なるほど……」

「こらぁぁぁぁぁっ!!!」


狭いコンクリで囲まれた室内に、花鶏さんの大声が響く。


「例え霜鳥さんの能力があっても、いきなり短剣を投げるなんて非常識な事をしますか!?」

「あ、いや、あれはいざとなったら……」

「お黙りなさいっ!! それに霜鳥さんも霜鳥さんですっ、大怪我しそうになったというのにどうして平気な顔をしているのですか!!」

「えぇぇ……花鶏さんだって私を斬りつけたじゃないですか」

「あっ、あうっ……あうっ、あう……ああっ、もぉっ! もぉぉぉっ!! とにかくセレクトさんも霜鳥さんも、こういう事はもうしないでくださいっ!!」


冷静沈着な花鶏さんが地団駄を踏んでいる。


「えぇ……私は何も」

「んんんっ!?」


花鶏さんが般若のような形相で私を睨む。セレクトさんをチラ見すると、手をパタパタ振って、俯いてしまった。

どうやらこの状態の花鶏さんに何を言っても無駄らしい。


「はい、気をつけます……」

「セレクトさんっ!?」

「ひぇっ、はっ、はい、もうしません……ごめんなさい」

「よろしい」


昨日まで近寄りがたくて遠い存在だと思っていた花鶏さんが、なんだか私とあまり変わらない女の子のように思えて、ちょっとだけ嬉しかった。


「それはともかく……今後の事なんだけれど小姫さん、いっそ霜鳥さんもこちら側に来てもらうのはどうかな」

「それは……」

「花鶏さんも、判っているから連れてきたんでしょ?」

「こちら側?」


花鶏さんを見ると、ばつが悪そうに俯いてしまう。


「霜鳥さん……君は「魔女」になるつもりはないかな」

「……ま、じょ……って魔女、魔女ですかぁ!?」

「そう、その「魔女」だよ。正直に言うと、あなたは既に「魔女」であり、その能力を認識してしまっている」

「私が魔女?」

「時間停止と……それはもう立派な「魔女」の力だよ」


ちゃぶ台の上でセレクトさんが回したコインの上に手をかざすと、勢いは衰えずいつまでもくるくる回り続けている。


「それにクロウに顔と能力……連中は瞬間移動を思っているだろうけれど見られてしまったのが一番大きな問題だね……奴らは魔女を見逃さない」

「クロウって、ええと、交差点であった黒コートの怪人ですか?」

「そう、奴はスケアクロウ、世界の歪みを見張る案山子、私達の世界では「魔女狩り執行人」とも言うね」

「奴らって……あんなのが複数いるんですか?」


思わず大声を出してしまった。


「世界中にうじゃうじゃいるよ。世界の静謐を守るとかいう訳のわからない使命感に駈られた狂信者がね」

「それって、この間の天使みたいな」

「あれは全く別、それどころか比較対象にならないよ、もっと悪質。自分自身の事は棚に上げて世界の理を乱す歪みはコンマ一ミリたりとも許さないって連中だから」

「じゃぁあの時、花鶏さんが襲われたのも」

「あれは事故みたいなものさ、彼女も奴らからすれば「歪み」だからね、あんな事はしょっちゅう……ではないけれど、あるよ」


セレクトさんが二本指を私に向ける。


「霜鳥さん、あなたには二つの選択がある……一つはその力と記憶を封じて、昨日と今日をなかった事にする」

「なかったことに……」

「天使と違って奴らは力を失えば見逃してくれる」


面倒な事を全部忘れて、前と同じ平穏な日常に戻れることは素晴らしいと思う。確かに怖い思いはした、けれどもこの出会いを忘れてしまっていいのだろうか。


「もう一つは、貴女自身が「魔女」になって、自分の身を自分で守る事……小姫さんと同じように、ね」

「花鶏さん……あなたも魔女、なんですよね」


うつむいたままの彼女が、少しだけ頭を下げる。


「あの、質問なのですが、セレクトさんと花鶏さんが「道玄坂の魔女」って言われているのは、なんなのですか?」


セレクトさんが花鶏さんをチラ見して、溜息をつく。


「道玄坂の魔女っていうのは、ここを拠点にしている魔女の事を、日本人がそう呼んでいるだけ」

「セレクトさんを頼って依頼をされる方もいますし、他の魔女も相談で来る事が多いので、自然と噂が渋谷に集中するのです」

「それで道玄坂には魔女がいる、なんて真実が都市伝説になった訳だ」


ふと思う。


「依頼をされる方って、そういう人がセレクトさん達、魔女の事を言いふらしたりしないのですか?」

「それは色々……仲介人からだったり、記憶を消したり、ね」


私の能力を封じて記憶を消す、とセレクトさんは提案していたけれど、あれは本当の事らしい。


「それに、セレクトさんが真夜中にこの辺りをウロウロするのも、要員の一つですわ」

「目立ちそうですよね、セレクトさん」


初めて出会った時の印象は今でも鮮烈に覚えている。

銀髪の美少女がクラシックなガーリー系のコーデで夜中に一人で渋谷を歩いていれば、絶対に目立つ。


「行動は夜だけだし、出かける時は認識阻害は掛けているんだけれどね、時々見える人がいるんだよ」

「そういう人って魔女ですか?」

「まぁね、大なり小なり自覚していない魔女って結構いるのさ……霜鳥さんもその一人だったけどね」


セレクトさんが私に人差し指を向ける。


「私ですか?」

「そう、私が牛丼屋に向かう時、すぐに見つけたでしょ」

「はぁ、あの時は別れてすぐでしたし、道も知っていましたから」

「そういう事じゃなくて、あの時、普通の人は視界に入っても気に掛からないようにしてあったの。晶さんはそれを見破ったのさ」


そういえば天使の説明をしてもらった時、花鶏さんが似たような事を言っていた気がする。

セレクトさんが頬杖をついて溜息をつく。


「それはともかく、花鶏さんも道玄坂の魔女……なんですね」

「そうですわ」

「それじゃぁ、魔女ってなんですか? その案山子と戦うとか……そういう事なんでしょうか」

「説明するのは難しい……質問を質問で返すのが申し訳ないけれど、霜鳥さん……貴女はどういう存在?」

「えっ、どういうって」

「その言葉の通り、自己紹介みたいなもの」


急な質問に頭が混乱しかける。


「えっと、高校二年生で、渋谷でバイトしてて……両親がいなくて」

「じゃぁ、特技は?」

「特技……とくぎ……イタリアンの料理が、できること……かな」

「将来は料理人?」

「ええっ? そんな事、考えもしなかったです……時々、友達に頼まれて作るぐらいだし」

「それと同じよ」

「何がですか?」

「魔女という存在が、よ」


セレクトさんが立ち上がって手を差し出すと、何もない掌からぽっと炎が上がる。


「魔女はね、一部を除いて他とは違う「ちょっと異質」な特技を持っている人なのさ」

「それをどう扱うかは本人次第ですわ」

「昔はもっと魔女って身近な存在だったけれどね、現代では存在自体が懐疑的だし」


確かに、セレクトさんや花鶏さんの事情を知るまで、魔女なんて漫画かアニメか物語の世界のものだと思っていた。


「そうだね……もし霜鳥さんが英会話に堪能で、目の前に困っている外国人がいたらどうする?」

「え?」

「ほっとけないから助ける? 関わり合いたくないから知らないフリをする? 報酬を要求してガイドをしてあげる?」

「自分のできることをする、魔女ってそういう存在だよ」

「うーん」

「花鶏さんを見ているからピンとこないか……じゃぁ、ちょっと魔女の世界を覗いてみる?」


セレクトさんが、ちゃぶ台の横にあるレターケースをごそごそ漁った後に、私に一枚の写真を渡す。


「依頼のあった、この写真の猫を女の子と一緒に探してきてください」

「はぇ?」

「がんばってくださいね」

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