第28話 「Joker」から見る社会問題ー(3)-
(3)エリートとは何か
「エリート」そのイメージは日本人にとっては悪いものではないだろう。むしろ目指している人も多いのではないだろうか。親であれば子がエリートになっていくことを望むだろう。それはその方が将来の安定が見込まれるからで生活そして人生を問題なく過ごせることを日本人は求めているだろう。しかし、このエリート像はあまりにも曖昧で何を持ってエリートになれるのかは不明だ。では何を持ってエリートとなるのか。海外であれば大学を出れば官職や外資などの優良企業に就職するだろう。すなわち大学を出ればエリートとなる。では日本ではどうだろう。日本人のほとんどは高校を卒業していて大学の進学率も悪いわけではない。すなわち日本人はほぼエリートになれるのだ。しかし、大学を出ていてもエリートと言う自覚を持ってない人は世間にはたくさんいる。これは進学率の高さが原因だ。では大学を出る人間が少なければいいかといえばそういうものでもない。教育水準が高いのは国家においてまったく悪いことではない。日本人の多くはエリートなのだ。だがその自覚がない日本人。それは大学が偏差値なる奇怪な評価基準によってランク付けされそのレッテルの中で人が自らを評価しているからだ。偏差値は塾が作ったランクで大学の中身は別に関係ない。当然、国立や私立などで中身に違いはある。しかし、大学が求めている人材が入学できるのは何ら疑問のないことでその基準をクリアする勉強をすればいい。もっと言えば最終的に大学が希望した人材として卒業すればそれで大学は意味をなすのだ。例えば東京大学。あそこは官僚候補を養成するのが目的でできた学校だ。旧帝大はみなそうだ。優秀な官僚や技士を養成し国家に尽くしてもらう。そのための学校だ。決してテレビでちやほやしてもらうための学校ではない。今や東大卒というだけで立派なブランドだ。決して地頭はよくなくても東大出というだけで期待され持ち上げられる。これはおかしな話だ。彼らは果たして大学が求めうる人材として卒業し社会生活を送っているのだろうか。私はその全容はわからないが人づてに聞いている話やテレビを見ているとそうは思えない。東大生の官僚離れというのも問題だと聞いた。東大はタレント育成大学ではないのだ。タレントになるなら東大になった方がいいとまで思う。それほどまでに贔屓されている東大。私はこの現状を快く思っていない。この学校的社会の中にある東大信仰は教育業界が競争社会でないから発生しているものだ。東大信仰が崩れた時、彼らは東大に行く理由を失うのだ。この偏差値によるランク付け、ここから発生する高学歴信仰こそエリートの自覚を大卒の日本人の多くが持てない理由なのだ。学歴社会などというのは日本の教育業界では実現されてない。日本人は受験をしていく中で極力高学歴な学校を目指し学校のブランドで社会を生き抜いていこうとしている。しかし、人生100年時代と言われる中その人生が最初の20年程で決まってしまうなんてあんまり話ではないか。誰にでもチャンスは与えられるべきだ。いくら高校や大学の授業料を無償化しようとこの教育の根っこの問題に踏み込まないことにはどうにもならない。東大生は作れるのだ。所詮資格試験の勉強同様に単なる反復と記憶力を発達させるだけで多くの人がなれる。そこに特別性はないどれだけ教科書や問題集に向き合ったかそれだけだ。人生において教科書に書いてあることだけで人生は渡り切れるのか。私はそうは思わない。もっと多く生きるためには教科書に書いてないことも必要だ。人類は知恵によって進化を遂げてきた。その人類が思考することをやめただ覚えるということを幼少期から続けていたら人類が進化してきた根本たる能力・資質が退化してしまう。そんなことは望むことではない。机に向かい答えのある問題を解くことだけが勉強ではない。答えのない問題・誰も想像しえなかったもの、それらを生み出せる創造力を身に着けることも必要だ。別に高学歴だからといってエリートというわけではない。エリートの定義などあってないようなものだ。気にすることではない。高学歴だからといっても所詮は大学生だ。高学歴だから犯罪が許されるわけではない。高学歴の学生の起こした犯罪で不起訴釈放という処分に被告がなった時、一部の日本人はエリートだから許されたと思うかもしれない。私はそんなことはないと信じたいがもしそれがあるとすればそれは高学歴の学生だからではない。親がエリートだからでもない。親が日本の民主制の形を借りた寡頭制の中の一部に組み込んでいるからだと考えるのが妥当だろう。であれば日本人は立ち上がらなければならない。現在の政治はこれを制御する立場にあった人たちが政府によって軽視されている傾向にある。となれば国民が立ち上がらなければ仕方がないのだ。下からの圧力は必ず上部へ影響する。地盤をひっくり返されることを彼らは絶対に望まないからだ。さてそれを踏まえてエリートとは何か。私にとってそれは高学歴であることは必要ではないと考える。必要なのは向上心と主体性、そして何かへ挑戦する力を有している人ではないかと思うのだ。
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