第3話 双六【すごろく】
あっ、来た。
「お待ちのお客様、どうぞ」
僕がそう声をかけると
いつも小走りで僕のレジまでやって来る。
オフィスビルの1階に入っている
このコンビニは、昼時になると
夕立前の空がめかし込んだような服装の
サラリーマンであふれ返り、
会計業務に追われる僕はさながら
雨が降る前に洗濯物を取り込もうと
急いで家に向かう主婦のような気分だった。
しかし、彼女はいつもそんな雨雲が去った、
しっとりとした時間にやってくる。
雨上がりの天使みたい。
「カフェラテでいいですか?」
カフェラテかブラックコーヒーが選べる
カップを差し出す天使な彼女に
僕はさらっと尋ねる。
「えっ、あっ......」
天使は戸惑い、息を飲んだ。
(あれっ、ミスったか?!)
数秒が永遠に感じる。
「はい! お願いします!」
八重歯を覗かせながら答える天使。
その微笑みは破壊的に可愛らしく、
僕は胸を撫で下ろす暇もなく
胸が高鳴るのを感じていた。
「お会計、288円です」
雨上がりの天使はいつも
カフェラテと一緒にチョコレートを買う。
マカダミアナッツのチョコレート。
「私がいつもカフェラテなの、
覚えていてくれたんですね」
天使が目尻を下げて、僕に言う。
僕は急に恥ずかしくなって、
軽く頭を二度下げた。
「300円、お預かりしまーす」
僕はいつも通り、淡々と業務をこなす。
こなしては、いるのだが、
僕は既に身体中が心臓に支配されていた。
皮膚一枚下で赤く波打つは、僕の想い。
「12円のお返しでーす」
天使がお釣りを受け取ることに
集中している隙に
チラッと彼女の表情を覗きみる。
キュッと上がった口角と目尻が
今にも結ばれそう。
「ありがとうございます!」
お釣りをもらって、お礼を言うなんて
礼儀正しい天使。
あぁ、ヤバい。
僕は彼女がブラックコーヒーよりも
カフェラテが好きなことも、
マカダミアナッツの
チョコレートが好きなことも
知ってはいるけれど、
でも、僕は、それだけしか知らないんだ。
知りたい。もっと、
彼女のことをたくさん。
彼女ともっと、言葉を交わしてみたいよ。
ボイジャータロットが
教えてくれたヒント
『Seven of Cups / Fear(恐れ)』
怖いんでしょ?
声をかけたときの彼女の反応が
怖くて声がかけられないんだ。
そうでしょ! 違う?
恐怖心が現実にないものを創りだし、
妄想のなかでどんどん大きくなって
君を飲み込んでいく。
恐怖の先に進む勇気がないのね。
それでいいの?
そのまま自分の想いに背を向けて
ずっと妄想の中で生きていくの?
チャンスだよ!
君の勇気を試すときが来たんだよ。
恐れと相対すれば、その正体が見えてくる。
そして、その正体を暴き、恐れを手放すの。
そうすれば、きっと、恐れの正体は
君の想像が生み出した妄想だと気づくはず。
さぁ、どうする?
勝利は前進した者のみ
手にすることができるのよ。
大丈夫。自信をもって!
........................。
あぁ、マジかっ......。
そんなにビビってんのかな。
まぁ、ビビるよな。
だって、彼女はこのビルに入っている
どこかしらの会社で働いているんだ。
コンビニ店員の僕なんて......。
でも、本当、
試されているのかな。
僕は、このままだと、この先も
妄想の中で憧れているだけ。
それで、いいのかな。
ふと、子供の頃によくやった
双六を思い出した。
順番が来たら、サイコロ転がして
コマを進めていく。
時々、一マス戻ったり、
最悪、振り出しに戻ったりもするけれど、
毎回ちゃんと、サイコロをふってたんだ。
順番が回ってきても、
「いや、僕、次のマスに何が書いてあるか
怖いからサイコロをふるのやめるよ」
なんて言ってたら、一向に進めない。
そんなの、
双六をやる意味がないじゃないか。
次はどんなマスに止まるのか、
ドキドキしながらもサイコロをふって、
喜んだり、ガッカリしたり、悔しがったり、
それが、双六の醍醐味だ。
それでは、人生の醍醐味とは......。
僕は、このままサイコロもふらず、
スタート地点に居続けるのだろうか......。
その瞬間、僕は僕の意思を通さず
勝手に口を開いていた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「えっ?」
「お釣り、渡したときに、ありがとうって
言ってくれる方、少ないんで......」
彼女はキョトンとしていた。
僕はハッとして、我にかえり、
とりあえず、慌ててその場を繕う。
「あっ、すみません、僕、何を言って......」
繕う、はずだったのだけれど、
何をどうしたらいいのかわからない。
ダメだ......こんなことならもう一度、
サイコロをふって、
振り出しに戻ってしまいたい。
「......ふふふっ」
?!
天使が笑った。
それは、雨上がりに遠くから聞こえる
小鳥の囀りに似ていた。
「わたしも」
「えっ?」
「ありがとうって言って、ありがとうって
言われること、少ないかも」
「あっ......」
「てか、初めて!」
僕も、僕も初めて、天使と話している。
お決まりの定型文ではなく、
自らの意思で、自らの言葉で。
思わず目を細める。
彼女も目を細めていた。
ふたりの間に透き通る
七色の虹を見た気がした。
Chiika🌺
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