「四月、咲き乱れる桜と嘘。」(終)
エイプリルフール騒動は終結したかのように思えたが、おばあさんと、「暇な時はいつでも遊びに来てくださいね。一人じゃ寂しいもので」と約束して別れてから一時間。まだ一日の半分が残っていて永井も家に帰って来た以上、騒動が終わりを迎えるはずがなかった。
「おい、永井」
「…………」
「昼飯は何がいいか聞いてるんだが?」
「……なんでもいいです」
昼の情報番組でグルメ特集をやっていたのをきっかけに、コンビニに昼食でも買いに行こうとしたのだが、永井は部屋の隅でうずくまり、ずっとこの調子だった。なんでもいい、などと言って俺の独断で買ったら買ったで文句を言うのだ。ただ、俺に全く非がないわけでもない。
「まだ俺が嘘をついたことを根に持ってるのか? たかが彼女がいるって嘘くらいで何をそんなに……」
「わからないんですか?」
俺の嘆きに永井は食い気味に——そして怒り気味に問いを投げかけた。何をわかれと言うのだろう。わかることと言えば永井が怒っていることくらいだが。
「——染井さんがいなくなっちゃうんじゃないかって思ったんです」
「俺がいなくなる? なんで俺がいなくなるってことに……」
「だって、彼女がいるんだったら私の入る余地なんてないじゃないですか。今は物珍しさで養ってくれるかもしれませんけど、いずれ追い出されるかもしれないとか、染井さんが突然いなくなっちゃうかもしれないとか、色々考えちゃったんです。そしたら居ても立っても居られなくなって」
永井はそこまで一息に言って、俺の目の前で目を潤ませながら話を続ける。
「私だって染井さんと他人だってことはわかってます。でも、初めて私のことを見つけてくれて、すごい嬉しかったんです。人と話せるんだって。正直泣きたいくらいでした。だから舞い上がっちゃって変なことをたくさん言ったりして……。今だって、染井さんが私のことを認識してくれるだけで、まだ生きてるって思ってもいいのかなって、そう思うんです」
「…………」
俺は何も言えなかった。永井の心情を意識はしていた。俺が初めて永井を見ることができたのだから、少しのわがままくらいは聞いてやろうと思っていた。だが、見当違いだったのだ。
永井が俺にとっての生きる意味だとしたなら、俺は永井にとって生きることそのものだったのだ。
「迷惑かもしれないと思う時はあります。今だって、染井さんの彼女でもないのにこんなこと言うなんて、どうかしてると思ってます。でも、言わずにはいられないんです。ごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だ」
永井は深々と頭を下げるが、そんな謝意を受け取る資格は俺にはない。むしろ、謝るべきは俺の方なのだから。
「すまん。永井のことなんて少しも考えてなかった」
俺は永井よりも深く頭を下げる。
永井と出会ってから一週間。この一週間で俺は何をしていた。永井を養うと約束したあの日。俺は友人の言葉に感化され、永井を生きる意味として扱った。助けてあげたいだとか、見捨てられないだとか、そんな良心だけの行動ではなかった。
養うと言ってからの一週間。俺は忙しさにかまけて、永井を放置した。書き置きをして仕事が忙しいと伝えることもできたのに。
そして今日。永井の気持ちも考えずに、嘘の復讐として下らない嘘をついてしまった。挙げ句の果てには一時間も放置した。
言い訳のしようがない、クズ人間だ。
「彼女なんていない。断言できる。そして永井のことを追い出したり、突然いなくなったりなんてしない」
「本当ですか?」
「本当だ。俺は永井を生きる意味にしようと思って養うと言った。だが、今は違う。あの時、永井に出会ったあの時、俺は確かに嬉しかった。家に誰かがいない寂しさが紛れたから。だから、今頃、永井がいなくなることは考えられない」
今頃こんなことを言っても言い訳にしかならないかもしれない。それでも、永井がいなくなった時に感じた寂しさは本物だった。今の俺の言葉は本心だ。
「……告白ですか?」
「残念ながら違うな。俺に女子高生と付き合うような趣味はない。ただ、生きる意味とかそんな難しいことを抜きにして考えたら——永井と一緒にいたいと純粋に思っただけだ」
「やっぱり告白じゃないですか。——まあ私は染井さんのこと好きですけど?」
「もう騙されるか。エイプリルフールだって言うんだろ?」
「もぉ、つれないですね」
永井は俺の肩を叩いて、そのまま台所へ向かう。どうやら昼飯を作ってくれるらしい。と言っても、卵焼きだろうが。
「でも——」
と、永井は俺を振り返って、うっすらと笑みを浮かべる。
「やっぱりこの家は居心地がいいです」
「まぁ近くに銭湯もあるからな」
「そういうことじゃありませんけどね」
四月になり、もう新年度。色々な物事の変わり目の季節だ。かくいう俺も永井との本格的な同棲生活が始まり、新しい日常を送ることになりそうだ。
そんな風に新しい一歩を踏み出したことを実感して、永井に目を向ける。
どことなく頬が赤いような気がした。
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