「四月、咲き乱れる桜と嘘。」(中)
ジリリリリと、けたたましい金属音で俺は目を覚ました。ただ、まだ拭いきれない眠気が俺を再び夢の世界に引きずり込もうとする。しかし、いわゆる二度寝は唐突な騒がしさに中断させられた。
「あー! 染井さんが起きちゃう!」
鼓膜を突き破りそうなほどの大声は一週間ぶりに聞く、永井の声だった。
「早くしないと……」
「もう起きてるよ。むしろお前の声の方がうるさい」
「あ、染井さん! 起きてたんですか……って、私の方がうるさいとはひどい言いようですね。せっかく目覚ましを止めようとしたのに」
驚いて、落ち込んで、拗ねて。永井の感情の移り変わりに俺は置いてけぼりにされて——とりあえず役目を果たしてもらうことにした。
「それなら早く目覚ましを止めてくれ。うるさくてかなわない」
「あ、そうだった」
永井はこれまたドタバタと音を立てながら寝室にある目覚まし時計を止めて戻ってきた。
「ふぅ。これで一件落着ですね、と。染井さん、ご飯食べますか?」
「ん、お願いす——」
と俺は言いかけて、昨日の最後の記憶を思い出す。先輩に永井のことを話して、募る罪悪感に任せて居酒屋を飛び出た時。それ以降の記憶は曖昧で、なぜか幸福感に満たされながら寝た記憶はある。
ただ、最後に感じた気持ちは忘れていない。永井への罪悪感。彼女の気持ちを考えなかった自分の浅はかさへの後悔。
永井がご飯を作ってくれるのは、もしかすると必死だからなのかもしれない。そう考えると、彼女に作らせてはいけないと思えた。
「いや、俺が作るよ。一昨日だかに買っておいた夜飯の材料の残りがあるはずだから」
「……染井さん」
「ん?」
俺の提案に、どうしてか永井は不満げな顔をしていた。そして、彼女はカレンダーに目を向けて——。
「実は私、幽霊でもなんでもないんですよ。ただ、寂しがり屋な可愛い女子高生なんです」
「……は?」
何を言っているのだろう。俺には永井の言葉が理解できなかった——いや、納得できなかった。それはまさしく幽霊だと告げられた時と同じ状況だった。
「いや、お前、幽霊だって言って……」
「はい、嘘です。だって、そうでも言わなかったら、染井さん、泊めてくれそうになかったじゃないですか」
「でも、大家さんには見えてなかったし……」
「それは先にお願いしておいたんですよ。妹だって言ったら二つ返事で引き受けてくれましたよ」
「なら窓ガラスに映んなかったのは……いや、幽霊じゃないんだったら学校とかはどうして……嘘だろ?」
「はい、嘘です」
「へ?」
なんでもないように嘘だと言い切った永井に、俺は素っ頓狂な声を上げた。嘘が嘘。いや、それとも嘘を嘘と肯定したのか。そもそもどこまでが嘘でどこまでが本当なんだ。幽霊のことは嘘? それとも——。
「全部、嘘です。私は正真正銘の幽霊ですし、今さっき言ったことは思いつきです」
「だよ、な……いや、でも、なんで嘘なんかついて……」
「気づかないんですか?」
「何が——あ」
俺は今日が休日であり、四月の最初の日だということを思い出した。つまり、エイプリルフールである。
「だから、嘘ついてもいいんですよ。許してくださいね」
永井はわざとらしくウィンクをして、料理の準備に取り掛かった。しかし、嘘だからと一蹴できるような話でもない。人の死に関わることなのだ。
「おいおい、そんな簡単に片付けられることじゃ……」
「——私にとってはですね。幽霊かどうかなんて簡単に片付けられることなんです。だから気にしないでください。私はここに住まわせてもらってるだけで助かってますから」
永井はさも当たり前のように片手間に話すが、そんなものなのだろうか。もしくはまた気を遣わせているだけではないかと、そこまで考えて、彼女の言い方に疑問を感じる。問いたださなくてはいけない疑問を。
「なぁ、俺、昨日帰ってきた後、なんか言ってたか? 正直、うろ覚えというか、覚えてないんだが……」
「いいえ、何も言ってないですよ? ただ——」
「ただ?」
「……やっぱりなんでもないです。帰ってきてすぐにソファで寝ちゃってたみたいですよ」
信用できない。現に、永井も漫画のごとくそっぽを向いて口笛を吹いている。嘘をついていると白状しているようなものだ。——ならば、許すべきなのか。エイプリルフールなのだから。
「そうか。今はそう思っておいてやるよ」
「なんですか、信用してないんですか。正真正銘、何もありませんでしたよ」
まだ嘘をつき続ける永井に俺はため息をついて、ふと香ばしい香りが漂うのを感じた。どうやら、永井の料理の腕は上達していないらしい。
「はいはい。それより、卵焼き焦げてるぞ」
「あー! 染井さんが話しかけるからぁ!」
「俺のせいじゃないだろ。ほら、被害を食い止めろ」
あたふたする永井を放っておいて、ソファに座る。せっかく彼女の厚意で朝飯を作ってくれるのだ。待っていても文句はないだろう。
と、先輩にお礼のメールを送るのを忘れていたことに気がついた。結局、まるまる奢ってもらって、さらに新しい一歩を踏み出す手助けまでしてもらったのだ。
俺はテーブルの上のスマホを取って、先輩へのメールの文面を構想する。と言っても、そこまで気を遣うほど他人行儀な仲ではない。先輩はみんなと等しくフレンドリーなのだ。そんな風に文字を打っていると、
「——彼女ですか?」
焦げの蔓延を食い止めたらしい永井が俯いたまま聞いてきた。いつかも似たようなやり取りがあった。あれも確かメール絡みだったか。と、デジャブにも似た感覚を得て、俺の中の悪戯心が働いた。
「そうだよ。もう四年になるかな」
もちろん嘘である。四年前に初めて付き合った彼女は大学卒業とともに別れた。今は独り身だ。——ただ、そんな嘘もエイプリルフールだからこそ許される。そう思っていた。
「え……本当に?」
「あぁ。料理もしてくれるし、家事もしてくれる自慢の彼女だよ」
「え……」
永井は俺の顔を見たままフリーズした。時が止まったという錯覚すら得るほどだ。そして、突如として時は動き出す。
「染井さんの嘘つき!」
永井は持っていたフライパンを床に放って、そのまま外に飛び出していった。
「おいっ!」
俺は急いでコンロの火を止め、フライパンを拾い上げる。慌てて玄関を振り返るが、もう扉が閉まりきった後だった。
「何をそんなに取り乱してるんだよ」
たかが俺に彼女がいただけのこと。それも見え透いた嘘だった。料理や家事ができる彼女がいる男の部屋ではないことは明白だ。それなのに永井はどうしてあそこまで。
「帰ってくるだろ……たぶん」
永井の異常なまでの行動の意味は俺には分からなかった。なぜ、と心の中で嘆いて、床に視線を落とす。
湯気を放っている焦げた卵焼きが転がっていた。
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