2

 世之介の身体は微小機械に呑み込まれ、どっぷりと真っ黒な流動体に沈んだ。その一方で、世之介の意識は、新たな地平に開かれている。

 ああ、あそこに助三郎と格乃進がいる。二人とも光右衛門、イッパチ、茜、省吾らを抱え、【リーゼント山】から脱出しようと、必死になっている……。

 ふと視線を動かすと──、いや、この言い方は正確ではない。世之介の意識の先が動くと――に言い直したほうが良い。

 水槽のあった部屋に世之介の意識が向かうと、風祭が全身を微小機械に呑まれ、声なき絶叫を上げている。今、風祭は微小機械によって、徹底的に改造を施されている真っ最中であった。

 しかし、予想もしなかった苦痛に、風祭の精神は全力で咆哮をした。純粋な苦痛、神経を直撃する強烈な衝撃が、風祭の全身を苦痛の業火で炙っていた。

 風祭の仮面で覆われた顔が、天井を見上げる。二つの目玉が、憎悪を孕んで、青白く輝いていた。

 風祭の両腕が差しのべられた。

「俺を、ここから、出してくれ!」

 言葉ではなく、思考そのもので、風祭は叫んでいる。

 風祭の差し伸べられた両腕から、真っ黒な微小機械の噴流が天井を直撃した。無数の微小機械が天井の固い岩盤を抉り取り、一直線に【リーゼント山】を貫く。

 忽ち風祭の頭上に、大穴が穿たれていた! 風祭の全身を微小機械が包み、大穴へと持ち上げていく。

 世之介の意識が【リーゼント山】の外部に設けられた撮像機を通して、山頂から吹き上げる微小機械の真っ黒な光沢を捉えていた。

 風祭が、微小機械の中から、ゆっくりと全身を現した。

 今、風祭は巨大化をしていた。風祭の身体に取り付いた微小機械が層を成し、本来の体躯を何倍も増幅させていたのである。

 世之介の拡大した視界に、【リーゼント山】に近づいていく人影を認めていた。世之介の好奇心が、人影に注意を振り向ける。


 あれは……。


 人影は、二人だった。一人は男で、もう一人は女である。女のほうは、怖ろしいほど太っていて、獰猛な顔付きをぶら下げている。狂送団マッドマックスの元首領と、母親の「ビッグ・バッド・ママ」の二人連れであった。


 あんなところで何をしているのか?


 世之介の意識に、二人の会話が聞こえてきた。

「ねえ、ママ。まだ歩くのかい? 少し、休もうよ……」

 甘ったれた、首領の声が聞こえてくる。母親は唸り声で答える。

「何、おちゃらけたことを言ってるんだい! 急ぐんだよ! なんとしても、【ウラバン】に会う必要があるんだ!」

 首領は不満げな声を上げる。

「どうしてさ……?」

 ぐいっ、と母親が怖ろしい顔で首領に顔を振り向ける。母親の勢いに、首領は「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。

「お前、あいつのガクランを見なかったのかえ?〝伝説のガクラン〟を!」

 不得要領に、首領は曖昧に頷く。

「〝伝説のガクラン〟は【ウラバン】にしか作製できないものなんだ! しかも、あれを身に着けると、怖ろしいほどの強さを手に入れることができる! お前、そんなガクランを、欲しくはないのかえ?」

「そりゃまあ……ね」

 首領の唇が不満そうに突き出た。母親はさらに苛々と、足を踏みしめた。

「判んない子だね! いいかえ、あのガクランを身に着けた世之介って奴に、お前は恥を掻かされたんだよ! 狂送団の首領を追い払われ、しかも、女の子もお前から取り上げられたんだ! 悔しくはないのかえ?」

「女たち……俺の……」

 たちまち首領の顔が醜く歪んだ。怒りに、首領の顔がどす黒く鬱血する。

「悔しいよ! ああ、悔しいとも! 畜生、世之介の奴!」

 母親の顔が綻び、とっておきの甘い声を出す。

「そうだろう? だから【ウラバン】にお願いして、もう一着の〝伝説のガクラン〟を作って貰うんだよ。お前がガクランを着たら、あの世之介なんてヒョロヒョロ優男なんか、敵じゃなくなる……。沢山の女の子も、お前に戻ってくるよ! 狂送団の首領にだって、返り咲くことができるんだ!」

 首領の両目が欲深そうにギラギラと煌いた。大きな頭を、ガクガクと何度も頷かせる。

「うん! 欲しいよ! 俺、何としても〝伝説のガクラン〟を手に入れたい!」

 その時、二人の目の前の岩壁から、どすん、どすんと何度も何か叩き付けるような物音が近づいてくる。二人はギクリと立ち止まった。

 ぼこり、と岩壁が内部から崩れ、がらがらと音を立てて瓦礫が飛び散った。

 瓦礫を掻き分け、姿を表したのは、助三郎と格乃進の二人だった。相当に苦労して岩を掘りぬいたためか、二人の着衣はぼろぼろに千切れ、賽博格サイボーグの身体が顕わになっていた。

 二人の賽博格は、目の前に立ち竦んでいる首領と、母親に気がつき、目を丸くした。

「お前たちは……狂送団の……」

 助三郎が声を上げる。母親は「はっ」と仁王立ちになって叫んだ。

「あんたらこそ、こないだの! 畜生、うちの拓郎ちゃんに、よくも酷いことをしたね! 許さないからねっ!」

 母親の怒りに、助三郎と格乃進は困惑していた。格乃進が、もの柔らかに尋ねる。

「お前たちこそ、このようなところで、何をしているのだ?」

 尋ね返され、母親は口篭った。首領はジロジロと二人の賽博格体を眺めていた。

「あんたら、賽博格なのか……?」

 首領の質問に、助三郎と格乃進は顔を見合わせた。助三郎が答える。

「まあ、そうだ」

 首領は母親の耳に囁きかけた。世之介の聴覚は怖ろしく拡大していて、そんな小声の囁きすら、はっきりと聞き取っていた。

「ねえ、ママ。ガクランなんかより、賽博格のほうが良いな。あっちのほうが、もっと強そうだ……」

 助三郎と格乃進は賽博格の聴覚を使って、今の会話を聞き取っていたらしく、苦笑していた。

「やめたほうが良い。賽博格など、なるものではないよ」

 助三郎の忠告に、首領は怒りの表情を浮かべて尋ね返す。

「なぜだ! 俺は強くなりたい!」

 格乃進が首を、ゆるゆると振った。

「賽博格になったら、人間としての喜びは総て失われる。これを見ろ!」

 格乃進は腰の辺りから、一本の透明な挿入函カートリッジを取り出した。首領は挿入函を眺め、首を傾げた。

「なんでえ、そりゃ?」

「我々の濃縮栄養パックだ。これ一つで、我らの脳細胞を半年は生かしてくれる。何しろ、我らの生体組織は、脳細胞しかないのでね。我々は人間の食事を摂ることができなくなっている」

 首領の目が見開かれた。

「て、ことは……」

 助三郎は頷いた。

「そうだ、それだけでないぞ。我々は、あらゆる人間の喜び、感覚を失ってしまった。もう、春の新緑も、夏の暑さも、更には冬の厳しい寒さも、我々には何の意味もないものとなっている。もはや、取り返しもつかない! そんな状況になっても、良いのかな?」

 首領は真っ青になり、ブンブンブンと何度も首を振った。

 会話が続く中、二人の賽博格がぶち空けた穴から、光右衛門、茜、イッパチ、木村省吾たちが姿を表した。

 皆、外の光に、眩しげに目を瞬かせる。

「いや、まいりましたな。助さん、格さんのお二人が通路を作ると胸を叩いたときは、どうなることかと思いましたが、何とか脱出路を確保できました」

 光右衛門の言葉に、茜が心配そうな声を上げた。

「でも、世之介さんの姿が見えない! どうしちゃったのかしら……」

 くくくくく……。

 世之介は、思わず、笑いを漏らしていた。

 ぎくっ、と茜が顔を上げた。

「今の、何? 誰か、笑った?」

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