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 正門を通り抜け、学問所付属の駐機場に踏み込むと、ずらりと重力制御装置を利用した個人浮揚機フライヤーが並んでいる。但馬屋の家紋が浮き彫りされている浮揚機の前に近づくと、ぱくんと外翼扉ガル・ウイングが開いて、中から小柄な杏萄絽偉童アンドロイドが、零れんばかりの笑顔で飛び出してきた。

「若旦那! お勤めご苦労様で御座います」

 杏萄絽偉童は大きな碁盤のような顔に、太い八の字眉、垂れ下がった目尻に、にたにた笑いを浮かべた大きな口をしている。見ているだけで、笑いが浮かんでくる奇妙な表情をしている。

 省吾は顔を顰めた。

「イッパチ! お勤めご苦労様とは何という言い草だね。まるで世之介坊っちゃんが、寄せ場帰りのように聞こえるじゃないか」

 イッパチと呼ばれた杏萄絽偉童は、手元の扇子を額にぱちんと音を立てて当て、ひょっと首を竦めた。

「へへっ! 申し訳ねえこって! イッパチ、一生の不覚……」

「いいから、浮揚機に乗せておくれ。今頃は大旦那様が、お店にお帰りになっておられるころだ。大旦那様はお坊ちゃまとお会いになられるため、商談を急いで終わらせるおつもりだから」

 省吾の言葉に世之介は驚いた。

「親爺が帰ってくるってのかい? 珍しいこともあるもんだ」

 省吾は真面目な顔で頷いた。

「はい。大旦那様は、お坊ちゃまのご卒業後について、何かお心積もりがあると推察されます。大事なお話があると思いますので、お坊ちゃまもその御つもりで」

 ちょっと世之介は身構えた。省吾の言葉には、何か引っ掛かるものを感じたのである。

 世之介の父親は大旦那と呼ばれている。幕府のお役人との打ち合わせで、家にはほとんど席を暖める暇もなく、実際に顔を合わせるのも年に数度くらいだ。それが、わざわざ世之介の卒業式に合わせて帰ってくるというのは、何か魂胆がある。

 省吾と肩を並べ、世之介は浮揚機に乗り組んだ。イッパチは操縦席に座ると、手早く操舵装置を操作して、浮揚機を浮かび上がらせる。

 もともとイッパチは寄席で働く幇間たいこ杏萄絽偉童であったが、何か寄席で失敗をやらかしていられなくなり、そこを世之介の父親に拾われたとか聞いている。杏萄絽偉童らしく、器用で、浮揚機の操縦でも何でもやってしまう。

 微かな音を立て、浮揚機が斥力装置を働かせると、上向きの重力場がまわりの細かな埃を吹き上げる。すっと機体が上昇し、見る見る学問所の建物が小さくなった。替わりに窓外に、首都・大江戸の雄大な景観が広がる。

 東京が江戸と変わって、範囲は急速に拡大した。かつての東京湾、今は江戸湾を埋め立て、人工島を作って、そこを征夷大将軍府としている。中央には将軍府の建物が聳え、江戸町民には「お城」とのみ呼ばれていた。

 まさにお城と呼ぶに相応しい建物で、どっしりとした外観の、百層に及ぶ大屋根が連なる巨城である。お城の周囲には、但馬屋のような出入の商人たちの本店が密集するように立ち並んでいる。総て地上百丈以上はありそうな、巨大な店構えをしている。しかし但馬屋以上の建物は、ほとんど見当たらない。

 イッパチの操縦する浮揚機が但馬屋本店の大屋根に近づくと、浮揚機から送信された無線信号に応じ、屋根の一部が静々と開き、離着陸場が現れた。床に発光信号が表示され、着地場所を示している。浮揚機が着陸態勢になると、奥から但馬屋の手代、小間使いの娘、小僧たちが大慌てで飛び出し、出迎える。

 浮揚機が着陸し、世之介が顔を出すと、使用人たちは一斉に頭を下げ、声を揃えた。

「ご卒業、おめでとう御座います!」

「ああ、有難う」

 鷹揚に答える世之介だったが、ちょっと照れ臭く、顔が火照るのを感じる。うずうずと照れ笑いが浮かぶのを、必死に我慢する。ここは若旦那として毅然としていなければ!

 省吾は手早く先に立ち、離着陸場の専用映話装置で何か打ち合わせをしていた。打ち合わせが済むと、急ぎ足で戻ってきて、顔を寄せて囁いた。

「坊っちゃん。大旦那様がお待ちになっておられます。すぐ、お出でになられるよう、大旦那様がお命じになられております」

 世之介は無言で頷いた。省吾の態度は普通ではない。緊張感が、表情に表れている。

 離着陸場から鋭励部威咤エレベーターに乗り込み、父親の部屋がある階へと下っていく。部屋は十階ほど下の階にある。

 鋭励部威咤の扉が開くと、目の前に玄関があり、上がり框で一同は履物を脱いで廊下に上がった。

 しんと静まり返った廊下を、三人は歩いていく。内庭を眺めながら、長い廊下を歩く。

 内庭の天井には、空を模した立体映像が投射され、様々な樹木が植えられ、一見すると、ここが巨大な但馬屋本店の内部であることなど忘れさせる。

 父親の部屋の障子前に省吾が膝をつき、声を掛けた。

「大旦那様。世之介坊っちゃんがお出でになられました」

「ああ」と障子の向こうから父親の太い声が聞こえてきた。ついで

「入っておいで!」と返事がある。

 省吾は頷き、両手を伸ばして、するすると障子を開く。世之介とイッパチは、桟の手前で膝を揃え、正座した。

 十畳ほどの座敷に、父親である七十六代目の世之介が座っている。息子に似ず、河馬のように太っていて、色黒である。膝元には煙草盆が置かれ、父親は難しい顔つきで煙管を咥え、むっつりと煙を口から漂わせていた。

 かん、と雁首を煙草盆に叩き付け、灰を落とすと、父親はぐいと首を捻じ向け、じっくりと世之介の顔を眺めた。

「世之介、お前、今年で幾つになったえ?」

「へい、数えで十七で御座います」

「ふむ」

 怖ろしく機嫌が悪い。自分が何か、仕出かしたのだろうかと、世之介は怪しんだ。

 次に口を開いた父親の言葉に、世之介は仰天した。

 父親は「お前の尻を見せなさい!」と命令したのである。

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