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がっしりと両肩を怖ろしいほどの力で押さえつけられ、世之介は身動きできなくなってしまった。気がつくと、背後からイッパチが世之介を羽交い絞めにしている。イッパチは、奇妙な無表情で、世之介に話し掛けた。
「若旦那! 堪忍しておくんなせえ。あっしには、大旦那様に助けて頂いた恩儀が御座います。大旦那様の命令は、絶対なんで」
イッパチが何で従いてくるのかと不思議だったが、これで得心した! 世之介を押さえつけ、拘束するためだったのだ。見かけによらず、杏萄絽偉童は人間を凌駕する馬鹿力の持ち主である。
すっと立ち上がった省吾は、世之介に一礼して背後に回った。省吾さえ裏切った! いや、初めから父親に命じられていたのだろう。
「世之介坊っちゃん。大旦那様のご命令です。失礼で御座いますが、下穿きを取らして頂きます」
「おい! よしとくれ! そんな無体な……!」
抗議の声を上げたが、無駄であった。背後から省吾は無言で世之介の袴を引き抜き、尻を捲り上げる。世之介の越中褌を剥がし、裸の尻を剥き出しにした。
ゆっくりと父親は立ち上がると、廊下に回り、上から厳しい顔つきで世之介の尻を睨みつけた。
世之介は泣き声を上げる。
「お父っつあん! 何で、こんな真似をなさるんで? まさか、お父っつあんにそんな趣味があったとは……?」
じっと睨みつけていた父親は、ふっと視線を逸らすと再び元の席へ戻っていく。はあーっ、と溜息を漏らし、首をゆっくりと、左右に振った。
「もういい」と父親が手を振ると、さっと押さえつけていたイッパチの手が緩んだ。そそくさと世之介は身支度を整え、息を荒げた。
「お父っつあん! 説明して貰いましょう。なんで、こんな無体な真似を?」
父親は腕組みをして目を閉じている。薄目が開き、世之介を流し目で見る。
「お前、初代の世之介様のことは、知っているかえ?」
「へえ、江戸時代の戯作者、井原西鶴ってお人が『好色一代男』ってえ本にお書きになったそうですね」
「わたくしたち但馬屋のご先祖だ。初代様は題名の通り、大変な好色で、なんと九つの頃に初体験を済まされたと、あの本には書かれている。それで、代々の世之介もまた、女好きで続いている」
上目遣いになって世之介は父親に尋ねた。
「お父っつあんも、そうなんで?」
父親は、ふっと苦い笑いを浮かべた。
「わたしは、そんな好色ではないよ。なにしろ、こんなご時世だ。初代様の真似をすれば、たちまち世の非難を浴びる。しかし、お前は記念すべき七十七代目だ。少しは違うと思ったが、やはり、世の習いらしいな。お前、まだ初体験は済ませていないんだろう?」
まともに尋ねられ、世之介の頬がかっと熱くなる。
「それが何です? あっしの初体験が、そんなに大事なことなんですか! 第一、どうして、そのことが判るんです」
「判る」
父親は短く答え、じろりと世之介を睨む。
「さっき、お前の尻を見せろと言ったのは、そのためだ。我が但馬家の男子には代々、ある特異体質が受け継がれている。普通、赤ん坊の尻は青い。蒙古斑というやつだな。成長するに従い、自然に消えていくが、どういうものか、但馬家の男子の蒙古斑は成長しても絶対に消えない。消すには、女性と〝そのこと〟をしなければならない。だから判るんだ。お前、童貞だろう」
ポカンと、世之介は目を丸くして、がっくりと顎を下げ、情けない息を吐き出す。袴の上から自分の尻を押さえる。自分の尻など、見たことあるものか!
「そ、そ、そ、それが、な、な、何だってんです! 童貞で悪うござんすか!」
父親は眉間に皺を寄せた。
「わたしは、お前が世之介の名前に相応しい男かどうか、学問所に通うお前を密かに調べていたのだ。学問所の師範、級友などに、お前の評判を調べさせた。そうしたところ、皆、異口同音に言うことには、真面目そのもの。女遊びなんか、これっぽっちも考えられないと、口を揃えて答えたそうだ」
世之介は激昂して抗議した。
「真面目でよござんしょう?
父親は頷いて、言葉を続けた。
「世間では、そうだ。だが、この但馬家では違う。お前は世之介の名前の面汚しだ!」
ぐっと指を突きつける父親に、世之介はゆるゆると首を振った。
どうすればいいのだ!
「初代様、それに、代々のご先祖に、これでは申し訳がたたない。世之介の名前を汚さぬよう、お前、十八になるまで、何が何でも初体験を済ませるんだ。とにかく、お前の尻の青さを消しておしまい! それでなければ、但馬家の長男ではない!」
世之介は驚きに仰け反った。
「そんな、無茶な!」
「無茶でも何でも、童貞を捨てるんだ。そうでなければ、お前は廃嫡、勘当だ!」
「はっ、廃嫡! か、か、か、勘当っ!」
世之介は叫んでいた。
膝をにじらせ、省吾が世之介と父親の中間に位置を変え、口を開いた。
「大旦那様……。世之介坊っちゃんも、初めて聞くお話で、大層な混乱をなさっておいでです。ここは一つ、この木村省吾めにお預けになすっては、如何で御座いましょう」
父親は意外そうに省吾を見た。
「お前が? 何か腹案があるのかえ?」
「はい」と省吾は自信ありげに頷いた。父親は顎を引き、何か考え込む視線で、大番頭を眺めた。
やがて重々しく「よかろう」と頷く。
「お前に任せよう」
省吾は深々と頭を下げ「有難う御座います」と礼を言った。
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