第6話 

「はああっ? 取り分が減ったああ?」


 船の片隅で老ノ坂が集合をかけ状況を説明するやいなや、頓狂な声をあげたのは大堰だった。

 同じように甲板に引っ張り上げられてきたらしい小向と天若も、老ノ坂の説明をきくなり一律渋い顔になる。


「どうすんねんな、鯨はうちらの貴重な収入源やで?」

「うちらの勇名を再度天地に轟かすのに必要な資金源でもある」

「老ノ坂、交渉下手すぎ」


 三人に責められて、もはや頭から生えた角を隠そうとしない老ノ坂はしょんぼりしてみせる。


「そんなん言うたかて、元々約束破ったんはうちらやし……」


 すると、恨みがましい三人の視線が田村くんに集中した。

 お前さえあそこにいなければ……と六つのジト目が雄弁に語るが、さすがにそんな目で見られるのは田村くんにとっても心外だった。


「ちょっと言ってもいいかな? お兄さんは説明されないままこんな空の上に連れてこられて鯨だなんだわけのわからない話に巻き込まれてる被害者だと思うんだけどっ? そんな目で見られる筋合いないと思うんだけどっ?」


 ジト目の三人は田村くんの言い分を一応耳には入れたが、もう一回車座になるとひそひそとやり取りを始める。


「……どうする? やっぱりモリオサが言うたみたいにこの人今から船に落とす? 今なら間に合うで?」

「奇妙な都市伝説に尾ひれが一つ追加されるだけで済むしな」

「そもそもうちらにはこのお兄さん連れてくる義理もない……。アリやな」

「聞こえてるよ? そういう話はできるだけ本人の耳に入れないようにやってほしいなっ」


 自身の命の危機に直面して田村くんの声もやや大きくなった。

 

 

 たまたまこの奇妙な四人娘が普段生活している町で生まれ育った友達がいるという一点のみで気まぐれに命を保護されているだけの存在であり、彼女らにとって自分の命など基本的にどうでもいいものであることを田村くんが思い知らされてから、数分経過していた。


 

 モリオサへの挨拶をすませた後、老ノ坂は三人を甲板の片隅に集める。それを見て田村くんは目を疑った。

 

 老ノ坂の頭の両脇には三日月のような角が生えているが、同じように大堰には額から尖ったものが一本、小向には両方のこめかみのあたりから小ぶりの角が一本ずつ生えていた。角つきヘルメットの天若は口から八重歯と呼ぶには大きすぎる牙をはみ出させている。


 鬼だった。

 どう見ても彼女らは鬼だった。とりあえず確実に人間ではない。

 


「……湊のバス停におったら鬼に連れていかれるとかなんとか、まさかうちらのことがでそんな風に噂になってるなんてなあ……」

 正体を現した老ノ坂が、ふう……とため息をついていた。


「ほんまに一旦噂になったものを無かったことにするのは難しいこっちゃなあ。千年かけてもこうやって漏れてしまう」

 ため息をこぼしながら、胸元から取り出した金属のボトルでこく、こくと酒を煽る。


 アンニュイにつぶやく老ノ坂だが、田村くんはその時反射的に四人のそばから逃げ出そうとしてすぐさま取り押さえられていたのだった。


「す……すんません、面白半分で都市伝説を確かめてついでに注目を浴びようとか浅はかなことを考えてすみませんっ! だから食べないで!」

「食べへん、食べへん。うちら人を食べんようになって千年経ってる」


 田村くんの命乞いを、老ノ坂はあっさりと受け流した。


「それに大体、お兄さんそんな美味しそうちゃうし」

「せやな、骨と筋が目立つわりについてる肉にしまりがないし」

「全体的に添加物臭い。食生活が乱れてる証拠や」

「食うならぽっちゃりした女子の肉がいい」


 とりあえず食糧にされる危機は回避されたらしいが、こうまでけちょんけちょんにダメだしされるとなんだか無性に悔しいのは何故だろう。そういえば地上でもあの牙を生やした凶暴そうな少年にもやっぱり不味そうという査定をくらったのだった。

 たった小一時間に二回、食材としてダメだしをされる……レアすぎる体験をしたけれど嬉しくない。かといって食肉として美味そう判定をもらって喜ぶのも何か違う……。

 どう反応していいのかわからない田村くんは、釈然としないまま車座に加わっていたのだった。

 

 とりあえず、基本的に彼女らにとってはまさに「行きずりの人間」、ただそれだけであると肝に銘じる。


 

 この場で老ノ坂が三人に、田村くんへの報酬を彼女らへ支払われる取り分から分けてやるなら田村くんを船に乗せてもかまわないという許可が下りたことを説明する。それに対する反応が上にあげたものだった。

 わけのわからないイレギュラーのせいで、自分たちの取り分が減るのは納得しかねる。理不尽である。……そんな態度だ。

 

 そのせいですっかり田村くんは捨て鉢になる。

「その、何? 鯨の肉だっけ? 無事に帰れるなら俺いらないから」


 本心から告げる。もともと田村くんはそんなものが欲しくてこんな山の中まで来たわけではない。大体なんなんだ、不老不死になれる鯨の肉だなんて。まるで漫画かアニメじゃないか。


 田村くんの捨て鉢さに、三人衆がなぜかいきり立った。


「はあっ? 要らんやて鯨の肉が! なんちゅう勿体ないこと言うねんな⁉」

「こっちの闇価格でナンボすると思ってんねん。それを要らんてか⁉」

「これやからものの価値を知らん若造は……」


「え、何? 俺はそんなもん要らないし君らで分ければいいよって言ってるんだけど? それなのになんで責められてんの? じゃあ貰っていいの?」

「いや、あかん」

 三人は声を合わせた。


 結局、田村くんが鯨の肉など要らないというならありがたくその話を受け入れるということらしい。ジト目が消えてピカピカの笑顔になっている。現金な……。


 ともあれ、人外だとわかっても基本的に彼女らは調子のいい女子であり、普通にしゃべっているだけではあまり怖くないのは田村くんにはありがたかった。このタイミングで聞かなければいけないことが山ほどあるからだ。


「で、君らは何者で、なんで雲海の上に船が浮かんでいるのか、その辺のことだけは教えてほしいんだけど? それくらいはいいよね?」


 お前が答えろ、というように三人の目が老ノ坂に集中する。それを受けて、金属のボトルから口を離した老ノ坂は自分の角を指さした。


「うちらは鬼です」

「うん、それは見たら分かる」

「ほんで、大体千と百年とちょっとくらい生きてるかなあ?」

「〝なあ?″って訊かれても困るんだけど……」


 老ノ坂は田村くんのゆるいツッコみを無視して、かかとをつけて膝を抱えた姿勢でゆらゆら前後に体を揺らす。太ももとふくらはぎの間にスカートのすそを挟んでパンツが見られないように防御していた。鬼であってもその辺の恥じらいはあるらしい。


「うちらは昔はそれなりに悪さをしとったんやけど、ある時、都のお侍に退治されてもおて……。ほんでその時にそのお侍の手下になるいう約束をさせられたんです」

「ごめん、その話長くなりそう?」

「この話せんと、なんでうちらがミナトの人らの手伝いしとるか分かり辛いんで……」


 老ノ坂は立ち上がると、田村くんをちょいちょいと手招きした。言われるままに田村くんは立ち上がって甲板の縁に立つ。


 周りは一面、白い雲海だ。

 少し向こうには雲海に浮かぶ島が見える。

 島のように見えるが、自分たちがさっきまでいた山の山頂付近であることは田村くんにも分かる。


 わけのわからない状況であるが、月と星に照らされる雲海の光景を前にして「……おお~」という芸の無い感嘆の声を押えるのは不可能だった。

 この夢のような光景をぜひとも記録しておきたいと田村くんはポケットからスマホを取り出す。それぐらいの元はとりたい。


 パシャ、パシャととシャッターを押しまくる田村くんに構わず、老ノ坂は雲海に浮かぶ島に見える最寄りの山を指さした。


「あれ見て、あそこがミナトの町」

「へ?」


 雲海の縁と山の斜面が交わるあたりを、老ノ坂は指さしている。田村くんは目をしばたたかせた。そこには点々と灯りがともっているのだ。

 まるでそこに町や集落があるかのように。


 バス停にたどり着くまでに、この山にも集落があり人が住んでいることを田村くんは把握していた。が、それにしては灯りの規模が大きいことを認めないわけにはいかない。目をこらせば古そうな木造家屋が立ち並んでいる様子まで見える。そして船着き場に並んでいる船まで。


 田村くんの常識では、通常船は雲海の上には浮かばないし、そんな船が係留されるような町も存在するわけがない。

 どういうこと? という視線を老ノ坂へ向ける。老ノ坂は皆まで言うなとばかりに頷いた。


「地べたが霧に覆われて雲海に沈むときだけ時期だけ、ミナトの町のある世界とうちらの世界が交わる。ミナトの人らは千年も前からこの雲海に棲んでる雲鯨を捕まえてはるねん」


 ……なんだか理解の範疇を越える話になってきた。


「さっきから言うてるけど、うちらを退治した都のお侍がなあ……。時の天子さまの命令で不老不死の妙薬らしい雲鯨の肉を捕ってまいれって命令されて、ほんでうちらをパシらせたんやな。秋の時期だけたどり着けるミナトっていう里におる鯨捕りの手伝いをしてこい、ほんで鯨の肉をもうてこいって――。それが縁になってこうやって毎年毎年手伝いさせてもろうてんのやわ。……分かった、お兄さん?」

「……ごめん、もう一回説明してもらっていい?」

「もお~。せやから言うたやん。ちゃんと話せんな分かりにくいいうて……」


 老ノ坂はほっぺたを膨らませるが、田村くんは基本的に伝奇やファンタジーは苦手だった。鬼の女の子に連れていかれた先は、雲海に浮かぶ空の上でした……で田村くんのファンタジー許容量を越えているのに、さらにその上雲の中にいる鯨がどうとかこうとか、頭がパンクしそうだ。


 現実離れした現実からにげるために、田村くんはテクノロジーに頼った。さっき撮ったばかりの幻想的な光景だけでもSNSに投稿できないものかと足掻いていみる。


 悪い夢みたいな事態に巻き込まれているが、この風景だけは申し分なく美しい。

 田村くんはミナトと呼ばれた集落の灯りへスマホを向けた、その瞬間、


 ぶわっ、と雲海の表面がふくれあがって黒い何かが飛び出してくる。巨大な弾丸状のそれは、田村くんの腕をねらって大きく口を開ける。


「っ⁉」


 キルルルルルゥ! と鳴き声をあげてその生き物は雲の中に沈んだ。

 流線形の白黒模様の生物に見えたそれは、田村くんがあと数秒腕をひっこめるのがおそければ間違いなく腕を食いちぎっていただろう。


「……ふーん」

 口から飛び出してきそうなほどやかましく騒ぐ胸を押えた田村くんの手から、ひょいとスマホを奪い取るものがいた。あっと声をあげる間もない、素早さだった。


「今、地べたじゃあこんな機械があるんだね。へえ……」


 興味深そうにスマホのホームボタンをかちかち押すのは、老ノ坂含む四人の鬼娘のではない。黒い半纏を肩にかけた、モリオサと名乗った女だった。

 モリオサは面白そうにスマホをいじくっている時に、雲海の表面が割れてさっきの白黒の生き物が飛び上がり、甲板の上にどったと着地する。


 白と黒の流線形。一見イルカにも似たそれは田村くんも遊びにいったことのある水族館でおなじみだった。

 鯱だ。記憶にあるものよりずいぶん小柄で二メートルほどの大きさだったけれど、鯱は鯱だ。


 雲海から飛び出した鯱は甲板の上で身をくねらせていると、ものの数秒で形を変えて人の姿になる。人の姿になった鯱は立ち上がるなり、田村くんを殴りつけた。


「てめこの痩せ肉、ふざけたマネすっと本気でこっから叩き落すぞ、あぁっ?」


 鯱が姿を変えたのがあのバス停に現れた凶悪そうな牙もち少年だった驚きの余韻に浸る間もあたえず、少年は田村くんの襟首をつかんで締め上げる。脳天がしびれるほど殴られた痛みが酷かったので、うわごとのように田村くんはごめんなさい繰り返す。基本的に田村くんには痛みに対する耐性がない。


 まあまあと老ノ坂たちが少年を引きはがすが、少年は怒りがおさまらないらしくじたばたと暴れる。それを制したのはモリオサだった。


シャチ

 いさむ少年の鼻っ柱に田村くんのスマホを突き付ける。

「あたしじゃ使い方が分からない。やばそうなものがあったら消しておいてくれるかい?」


「……」

 少年は大人しくそれを受け取ると、一切のためらいもなく船の外へぶん投げた。田村くんのスマホを、である。


 痛みで頭がしびれていたので田村くんはそれを目で見るしかない。ただ、どうやって友人と連絡を取ろうか……と、現実感のないことを考える。


「ああいうもんは元をぶっ壊したほうが早いんだよ。地べたの人間つうのは卑怯もんだから、どっかに何かを隠し持ってやがる」

「あはは、鯱は賢いねえ」


 モリオサはぐりぐりと少年の頭を撫でた。あいかわらず人相のわるい少年だったが若干まんざらでもなさそうな表情になる。


「悪いね、お兄さん。あたしらもあんまり大っぴらにされたくない事情があるもんでさ。わかってくれると助かるんだけど」

 

 わりと陽気にモリオサは笑ったが、その手には彼女の身長くらいある鋭利な金属の棒があった。先端が鋭く研ぎ澄まされたその形状から察して銛であろう。人間一人くらい貫けそうな太さがあった。

 そんなものを持った状態で目の前をウロウロされて、スマホがどうとかこうとか抗議する気も失せる田村くんだった。


 それよりなにより、さっき、雲海から現れた鯱が人間の少年に化けたんですけどそれはどうなんだとか、ああ、鯱だからシャっくんとかシャっさんとか呼ばれてたんだとか、田村くんの頭でグルグルし始める。



「あんたらもさあ、連れてきたなら連れてきたでちゃんと面倒見てくれなきゃ困るよ?」


 銛をかついだモリオサが老ノ坂たちに抗議した。無駄に波風を立てたくはないらしい四人は声をそろえて「気をつけま~す」という。

 しかしそのあと、やっぱりジト目で田村くんを睨んだ。田村くんはそこから目を背けた。



 田村くんと四人がひそひそと相談していた間にも、船の乗組員たちはせっせと働き今や持ち場についていた。

 汽船によくにた形状のこの船の甲板にモリオサが前に出る。

 

 黒い半纏姿の乗組員たち……田村くんたちをひきあげた禿げ頭の中年を含めて男ばかりが数名……が、モリオサの号令を待つように息をひそめた。

 それにあわせるように、四人の鬼娘たちも口をふさぐ。とまどっている田村くんを見かねたように老ノ坂が耳元でささやいた。


「これから先はしばらく静かにしとってください。鯨は耳がええので騒ぐと勘づかれます。そしてまた怒られます」


 怒られたくないので田村くんは黙った。


 

 針が落ちる程静まり返った甲板で、モリオサは「出すよ」と宣言しただけだった。


 それだけで十分だったらしく、船が音もなく全身する。ふわりと、滑るように。


 田村くんは思わず船の縁につかまる。並みの漁船程度の大きさがある船が動くのに物音一つないのは異様だったが、白い雲を蹴立てるように船が進むさまには魅入られずにいられない。

 


 この風景だけみればただの忘れがたい夢なのに……と田村くんは思った。


 鯱に殴られたせいで、彼のほっぺたはまだじんじん痺れてかなり痛かった。


 

 

 


 

 

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