第2話

「悪いこと言わんしやめとけ。あそこは夜明かしするようなとこちゃうぞ」


 その日の数日前、田村くんの計画を聞いた友人は顔をしかめて反対した。

 

 その眉の顰め方、訛り全開なのはいつものことだが普段より抑揚過多な口ぶりから心から本気でやめた方がいと忠告しているのだと、お調子者の田村くんだってイヤでもわかった。


「お前、はっきり言ってあそこらへんの山ン中舐めとるぞ? 俺はあんなとこで一晩過ごすん死んでも嫌やや。どれだけ金出す言われても絶対やらん」



 友人は二人の通う大学のある市内をぐるっと囲む山の連なりの外で家族と一緒に暮らしている通学生だ。授業のある時は市内とは打って変わって田園広がるのどかな町から電車とバスを乗りついで大学に通っている。飲み会などで家に帰るのが面倒になった時、彼に寝床を提供するのは田村くんの役目だ。



 友人のすむ町の方角は、市内からみて「湊」というバス停のある集落と概ね合致している。


 まず頭の中に大きな丸いお盆を用意していただきたい。これが二人の通う大学や田村くんの生活するワンルームマンションのある盆地である。歴史が古くて観光資源に事欠かない結構な政令指定都市だ。地元の人間が「市内」と呼ぶときに指すのはおおむねこの盆地の大部分をカバーするこの県庁所在地のことをいう。

 そのお盆の左上、縁からほんの少し間を置いたあたりにやや小さくて形の歪んだお盆を設置していただこう。これが田村くんの友人が生まれてからずーっとくらしている町のある盆地である。


 二つのお盆の境目あたりには、古来より火伏の神様が祭られている由緒正しい信仰の山があった。くだんの「湊」というバス停は、この山の麓にある。


「俺の地元の人間が渋滞避けてこの山道利用したりすっけど、道幅狭いしグネグネしとっし、昼間かって薄暗いし……ほんまにやめた方がええぞ? 夜に行くようなとこちゃうし」

 

 地元の民なので、友人は田村くんのチャレンジがいかに無謀であるかがよくわかっていた。なので心から中止を促した。

 

 が、田村君はこの忠告を軽視していた。


 地図でみれば、田村くんのマンションから「湊」と呼ばれるまではまるでなんてことのない距離しかないように見える。山の中にあるといったって所詮は同じ市内だ。


 それに友人はこの山の中を昼でも暗いだの怖いだのと散々おどすけれど、標高だってまるで大したことが無い。バス停があるくらいなんだから近くに人里もある。何も恐れる必要なんてない。むしろ友人おまえがビビりすぎ!


 からかいまじりにそう返すと、当然は友人は機嫌をそこねてむくれた。


「ほんだら好きにせえや、俺は知らんしな!」


 しかしお人よしな友人は田村くんが無謀なチャレンジをする直前には一緒にファミレスでハンバーグ定食を食べ、それから車で現場に送ってくれたのだった。


 彼の狙いはなんとか田村君の気を変えさせようと説得することにあったようだけど、結局うまくいかなかった。

「もしお前がそこで一晩すごせたら一万出したるわ。」

 と、金をもち出したのが敗因だった。



 そして田村君はバス停で寒さと恐怖にガタガタ震えることになったというわけである。


 車の中で友人は、このあたりはこの季節になると朝晩に濃い霧がでることをくどいほど説明していた。彼のすんでいる小さくいびつな盆地は、晩秋から初冬の早朝に乳白色の霧が立ち込めるのだという。


「この霧のせいで朝の十時近くまで全然ぃがささへんねん。電車乗って市内まで出るやろ? ほんだらパーッと空がきれいに晴れててびっくりすることがよおあるし」

 

 おそらくその霧があたりを包みだしている。バス停の外にでてみればそこは乳を宙に垂らしたように視界が白一色に染まっていた。自分の周囲数メートル先も見渡せない。

 うねうねの細い山道から山の斜面に転落する恐れも出てきて、田村くんはいそいでバス停に戻る。

 

 時間は23時になった。バッテリーが減るのでスマホのチェックはほどほどにしている。するとこんな山の中では時間のたつのもやたらと遅くなる。蛍光灯の下でコンビニで買った漫画雑誌を読んで時間を潰すも、めぼしい作品は全部読み終わってしまい気が付けば漫画賞の講評やタレントのインタビューまで丹念に読んでいた。


 寒い。

 なんで自分はこんな山の中でお笑いタレントのインタビューなんか読む羽目に……。

 自分の無謀なチャレンジに対する疑問が最高潮に高まったその時だった。


 ぱあッと、目の前の道路の向こうが霧の壁ごしに眩しく光った。車のライトだ。角度を変えながらライトはこっちへ向かってくる。ほどなくしてエンジン音も聞こえてくる。


 こんな時間でもこんな山道を利用する自動車があるとは。そんな些細なことで田村くんは感激に満たされた。


 細い山道をうねうねと登ってきたのは四角いバスだった。市内ではあまり見かけない、赤いラインの入ったバスだ。このあたりの人が使う路線バス会社のものなのだろう。


 見慣れない路線バスが停まり、ぷしゅーっと音を立てて扉が開いた。意外なことにどやどやとにぎやかに乗客がおりてくる。


「おっつー」

「ありがとー」


 口々に運転手を雑駁にねぎらいながらステップを踏んで降りてくるのは、十代の女の子達だった。それぞれ学校の制服や校章入りのジャージを着ている。部活帰りか、それとも市内で遊び倒した帰りなんだろうか。こんな山奥なのに。田村くんは驚く。

 田村くんが驚いたのはそれだけではなかった。その女の子達の格好がそれぞれとてつもなく妙だったからだ。


 まず一番目立つ子は膝のあたりまであるロングヘアーをツインテールにしている。しかもその色は紫色だ。アニメキャラか? 着ている者は体操服らしいジャージに制服のスカートを組み合わせている、ガサツな女子生徒そのものだけど。

 もう一人も上下ジャージだが頭には田舎の中学生が自転車通学の際に被るようなヘルメットをかぶっている。しかもそのヘルメットには水牛みたいな角が二本とりつけられている。荒くれものか? それともバイキングか? しかしこの少女は仲間内では一番小柄で小学生みたいだ。

 仲間内では一番背の高い女の子はきっちりブレザーとスカートの制服を着用しているもののなぜかその上に足軽のような甲冑を身に着けている。腰にはやたらながい日本刀まで。黒髪をポニーテールにしているけれどなんというか若侍の髷にもみえる。武者か? 

 最後の一人は一見一番まともそうに見えた。制服も普通に着こなしているだけで髪もただのストレートのロング。オプションで変なものもつけいるわけではない。でも頭の両脇からにゅっと出ているあれはなんだろう? アクセサリーにしては個性的過ぎるが……。


「もしもーし、お兄さん?」

 

 バスから降り立った奇妙な女の子を思わずじっと観察してしまった田村くんははっと我に帰る。

 この中では一番めだつ紫色のツインテール少女が、停車したままのバスを指さした。


「乗るの? 乗らへんの? おっちゃんずっとまってくれてんにゃけど」


 友人と似たイントネーションの訛り全開で尋ねてくる。田村くんは慌てて首をぶんぶん左右に振った。


「乗らんの⁉ このバス最終やで? 逃したら帰られへんで? ええの?」

 

 若干けたたましい口調で紫色ツインテール少女が重ねて訊いた。見るとバスの運転手も胡散臭そうにこっちを見ている。


「……ああーっと、大丈夫です。ハイ」

 運転手さんに愛想笑いをむけてへこへこと頭を下げた。


 運転手さんも女の子たちも、妙なものを見る目で田村くんを見る。そりゃそうだろう。こんな夜中にこんな霧深い山の中で大学生が何をやっているというのだ?



「……本当に乗らあらへんの?」

 一番大人っぽそうに見える制服の女の子が確認するように尋ねた。目元が涼やかで大人っぽい、たおやかな美貌の女子高生である。おもわず見惚れてしまった田村くんは彼女の頭の両脇からにゅっと生えていたように見えるものが消えていることに気づくのに数秒かかってしまう。

 

 行ってください、と彼女たちを代表して運転手に声をかける。長くてつややかな黒髪の美しい後ろ姿をみているがその頭にはなんのアクセサリーもない。ましてにゅっと生えたものなど。


 見間違いだな、と、バスが去ってゆくのを見送りながら田村くんは自分に言い聞かせた。見間違い、見間違い。



 バス停は再び薄暗くなったが、うってかわって姦しくなった。

 妙な女子高生たちが持参したコンビニの袋をガサガサさせながら、パンや弁当などを食べ始めたからだ。場が一気に高校の昼休みめいてくる。


「ああ~、これからの労働にそなえて食べれるうちに食べとかんなな、ほんま……」

「あまりたくさん食べるとまた酔うぞ。ほどほどにせえよ」

大堰おおい、去年はそのせいで吐いた」

「ああ、あれは最悪やったな。雲上からまき散らされるゲロとか地上の人間には災難の一言」

「ちょ……! 人の恥を思いださんとってくれる!」


 飯を食いながらゲロの話するなよ……と、とつぜんやってきた女子高生が占領したバス停の片隅でそしらぬふりをしていた田村くんだったが、きんきん声でかわされる会話のくだらなさに思わず耳を傾けてしまう。どうやら去年なにかに酔ってしまって吐くという醜態をさらしたのは紫色のツインテール少女らしかった。そんな彼女は焼きそばパンを食べている。


小向こむぎかて船から落ちそうになってたやろ! そんな重たいもん着けとるからやで。なんなん? 甲冑ってなんなん? どういうファッションなん?」

「ファッション違うし! これはうちの魂や!」

 かつ丼を食べている甲冑姿の少女がややムキになった体で言い返した。

 

 紫色のツインテールと甲冑姿の二人がくだらない言い争いを始める中、角の生えたヘルメットの小柄な少女はもくもくとボリューミーな特大唐揚げ弁当と食べている。涼しい顔でゲンコツみたいな唐揚げをみるみる平らげていく様子は圧巻だったが異様でもある。


天若あまわか、そんな食べてたらあんた気持ちわるなるよ?」

「大丈夫、うちあんたと違うし」

「! 失礼な! 人がせっかく心配したってんのに……!」


 

「……すみません」

 

 急に話しかけられて田村くんはハッと、姿勢を正した。


 田村くんの隣に座っていた、例の黒髪のたおやかな女子高生が苦笑いをしながら、つ、と頭をすこし垂れた。


「ごめんなさい。うるさあして。……ほら、あんたらもちょっと行儀おしなさい」


 黒髪の女子から声をかけられて、姦しい三人は口の中のものを飲み込んでから案外素直に「はい」と返事をした。


「あ、いや。いいよ。いいよ。こちらこそごめん。食事の最中だったのにじろじろ見てしまって……」


 うってかわって急に静かにもくもくと食事を再開する三人に田村くんは急に落ち着かなくなる。たしかにうるさかったけれど、たった一人で寒さと寂しさに震える数時間をすごしていた田村くんにはこのけたたましさはありがたかった。田村くんは一人でいるより大勢といる方が心休まる性質なのだ。


 黒髪の女子は安堵したように微笑むと、自分の手にあったコンビニ袋から何かを取り出して田村くんに手渡した。


「よろしかったら、どうぞ」

「ああ、どうもありがとう」


 それは缶コーヒーだった。ほんのりした温かさが嬉しい。遠慮なくプルタブに指をかけてから、田村くんははたと気が付いた。


「あの、これ君のコーヒーじゃ……」

「遠慮せんとってください。休憩中にみんなで飲もう思て何本かおたやつですし」

 

 その微笑みは優しく、美しく、田村くんの胸もついポっと温かくなった。一緒にいる三人に比べて大人っぽく色気すら漂わせた少女なのに、きつく訛った口調が若干舌ったらずなのがなんとも可愛い。

 いいなあ方言、隣に座ってくれたのがこの子で良かったな……とついつい浮かれながら遠慮なくコーヒーに口を付ける。 

 

 しかしその目は、隣の女子がブレザーの内側から取り出したものを見て吸い寄せられた。

 銀色の金属製、手帳くらいの大きさをした四角いボトルだ。なんと呼ぶのかは分からないが山男が酒を携帯するのに使うボトルだと田村くんは気づく。


 え、酒? 制服姿で? いやいやいやいや……。


 半信半疑な田村くんの目の前で、黒髪の女子はボトルの蓋をきゅっと開けた。ふわっと漂うスモーキーな香りからお酒であり、しかも女子高生のイメージとなかなか結び付かないおっさんくさい渋くて高級な部類の酒であると気が付く。


 田村くんの視線に気づいてないような彼女は、ボトルに唇をつける。顎を少し上に向け、喉ののばし、こく、こく、と飲んでゆく。

 しばらくしてボトルから口を離し、息を漏らした彼女の白い肌にほんのすこし赤みがさしていた。田村くんが飲酒の様子をじっとみていたことにその時ようやく気付いたような表情を見せたあと、ニコッと微笑み手を添えてボトルを差し出す。


「……飲まはる?」


 とぷん、とボトルの中身が揺れた。その時やはり燻製のようなにおいが漂う。

 さっきまで彼女の唇が触れていたボトルの口を思わずじっと見つめてしまう。


「お兄さん、二十歳は越えたはるんやろ? ほんなら問題ないわ」


 未成年の象徴みたいな制服姿の女子はにっこり笑う。大人っぽさに反して愛くるしい笑顔で、却って田村くんは冷静になった。


「いやあの、お兄さんは確かに二十歳になったばっかりの二回生だけど、君は高校生なんじゃ……」

「高校生でもかまへんの。うちら千年以上生きとるから」


 くい、と、少女は田村くんの前からボトルをさげて自分で飲んだ。


「……」

 

 この奇妙な集団で一人だけまともそうな子だと思っていたけれど、やっぱり彼女も妙な女の子であったか……。

 田村君は弁当をもくもくと食べている三人衆に救いのまなざしを向けた。視線がぶつかったのは紫色のツインテールの子だった。

 やれやれ仕方がない、そんな風な表情を浮かべた紫色ツインテールはこくこくと酒を飲む黒髪の彼女へ呼びかける。


老ノ坂おいのさか~、あんた船に酔う前に酒に酔うてんで~」

「酔うてへんよ。あんたとちゃうんやさかい」

「なんでもええけど、お兄さんびっくりしたはるで? 説明した方がええんちゃうん?」

 

 そうだ、田村くんは確かに説明が欲しかった。

 なんでこんな夜中に、コスプレじみた格好の高校生がこんな山の中にやってきて腹ごしらえをしてるのか?

 賑やかになったことに安堵するあまり、根本的な疑問にようやくぶち当たることがようやくできた。なんなんだ彼女らは?


「……説明、といえば」


 黒髪の少女――老ノ坂と呼ばれた――は、ちろりと田村くんを見やる。その後弛緩した姿勢をばっと正してじっとこっちを見た。さっきまでどこかとろんとした瞳に光がともり、幾分か理知的な表情になる。


「お兄さん、普通の人間やろ? こんな時期のこんな山の中にたった一人で何しに来やはったん?」

「……えーと、それをお兄さんはいま君たちに訊こうと思ってたんだけど……」


 自分が尋ねようとしていたことを先に尋ねられた戸惑いで、田村君は老ノ坂が口にした「普通の人間やろ?」という言葉に注意をはらうのが遅れた。

 

 ん? と疑問に感じた時には会話は次の段階に入っている。


 時刻は23時30分を迎えようとしていた。

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