第13話 聖夜の空の陽蜜と燐火①

「おおーっ」


 街の光で照らされているとこ以外飛び立った島のまわりは黒く、かなたにある陸地にはこうこうと明るい街がある。幻燈がいっぱいあるみたいで夢みたいだ。

 大変なこともあったけどこっちに来てから綺麗なものをたくさん見ているからやっぱ来た甲斐があった。あたしは橇から身を乗り出す。


「ちょっ、こら、橇から体出すな。落ちるぞ!」

 

 手綱を握ったまま、白狼があたしの服の裾を掴む。今のあたしはサンタなんとかの正装とかいう赤い羊毛の服を着ている。ついでに白い付けヒゲもつけている。そうしなきゃいけないらしい。趣味は最悪だが見た目ほど暑くはないのが救いだ。隣の白狼も同じ格好だ。

 今日は12月24日。プレゼント配り本番だ。クランプスとかいう暇な輩の脅しに屈せず、プレゼントを配ることになったのだ。地上にいるたくさんいるよいこのために。



 後ろにはプレゼントのつまった白い復路とユールさんたちがいる。ユールさんの一人はマメに地上と連絡を取り合っている。

 ベテランのトナカイさんは昨日あんなことがあっても危なげない足取りで、しゃんしゃんと鈴の音も軽やかに空を駆けていた。




 昨日のことがあって、あたしは我を通したのだ。怪我をしたユールさんの代わりに白狼の警護をすると申し出た。長筒の扱いには自信がある。


「いけませんいけません、奥様。空は危ないのです。ご覧になったでしょう? それは許されません」

「かまやしないって。あたし16の時二年軍隊に入って国境警備やってたんだから、少々おっかないのは慣れてるよ」


 戦争もやってないし呑気なもんだろと舐めてかかってた兵役だけど、いやーあれはおっそろしかった。

 ウチの山でチョロチョロしてるヤクザものなんてガキもガキだなって思わせる大ヤクザが法に触れる商品を向うの国とこっちの国をまたいでやり取りしていて時々派手な戦争になっていた。新聞に出てないだけで世の中には色々あるんだなと学んだ二年間だった……けど、まあ今はいい。

 あたしはユールさんが残した立派な長筒の望遠を覗いたり、構えて使い心地を確かめる。



「止めなくていいのかね、白狼くん?」

 

 親方はあたしを見てさすがに慌てていた。

 足の震えがとまり、一晩ぶっ倒れるように眠って目を覚ましてからの白狼はあたしの方をまた軽く避ける態度を取り続けている。でも海に向けて長筒の試し打ちをしているあたしを見て頭を下げてくれたらしい。


「すみません。おれもアイツが隣にいてくれた方が安心できます」

 

 白狼自身がそう言ったのだと、保険だ簡易雇用契約だのの書類を書いてる時に親方がそっと教えてくれた。隣にいると安心できる、そういっていたらしいのに、だ。


「……」


 身を乗り出したあたしを橇に引っ張り戻して以降、白狼は黙ったまんまだった。黙ってトナカイさん達の尻を見ている。

 明るい街に向けて海の上を走るルートは比較的安全らしい。クランプスとやらもやってこない。


 しゃんしゃんしゃんしゃん……、とトナカイさん達の首についた鈴の音だけが響く。

 

 橇に乗ってわかってみたことだが、いくら空の上だといっても野放図に飛び回ってはいけないらしい。ルドルフさんの赤い鼻は空にある魔法の道をいくつも浮かび上がらせている。橇はその上に沿って走らないといけないみたいだ。



「空の上にこんな道があるなんて知らなかった」

「親方やトナカイさんたちが何百年何十年時間かけて作った道だ」

「この道から外れたらどうなるの?」

「下の連中に見つかる。未確認ナントカってやつにされて下手したら連中の飛行機に撃ち落とされる」

「ふーん、それは厄介だね」

「……」


 静かなのに耐えられないあたしが振った問いかけに白狼はぼそぼそと答えたら、それきりだんまりになってしまった。手綱をにぎったまま真正面を見ている。

 間抜けな帽子と付け髭からのぞく水色の目はまるで怒っているみたいだ。


「何怒ってんのさ」

「怒ってねえよ」

「嘘つけ、あんたは機嫌が悪くなるとだんまりになるじゃないか。昔っから。普段はぎゃんぎゃんうるさいくせに」

「そりゃガキの頃だろ」

「そうでもないよ、そうやって何かあるとムッスーとして人の気を引いたりする。あんたガキの時分からそれやるよ?」


『おうおめえさんたち、夫婦喧嘩かい? お熱いこった』

 

 先頭をゆくルドルフさんからからかいの声が飛んできた。トナカイさんは耳がいいらしい。後ろのユールさんたちも周囲を警戒したりプレゼントの準備を始めながらこっちの様子を気にしているけどこの際無視をしておこう。

 

 話せることは話せるうちに話しておきたいのだ。



「……悪かったな。俺はどうせガキを引きずってるよ。でもお前だってそうだろ? いつまでも銀鹿ひっぱりやがって。こんなとこまで銀鹿の思い出連れて来やがって」

 

 こっちを見ないまま、手綱を操る白狼はそうつぶやく。

 

「なんで銀鹿と会わねえんだよ? 会ったら俺から気持ちが離れるかもしれねえからだろ? そうだろうが? わかるんだよ、俺はお前のことならなんでも」


 呟いているうちに怒りに火がついてきたらしい、言葉に熱が籠ってゆく。


「……はーあ、白狼さんはあたしの気持ちをお見通しってわけか。そりゃすげえな。まるで千里眼だ」

「千里眼は遠くをみるもんだろ?」

「うっさいね、どっちでもいいじゃないかそんなのは」

 

 売り言葉に買い言葉、あたしの声も可愛げのないものになる。



「あたしが今あんたとここにいる意味を考えてくれないんだ、白狼さんは?」

 

 白狼は小さくゴニャゴニャ呟く。小さかったから鈴の音や荷台で作業するユールさんたちの立てる物音にかき消されてよく聞こえない。


「はあ⁉ 何、言いたいことがあるならはっきり言いな!」

「お情けで一緒にいられたくないって言ったんだ、俺は! 不甲斐なくてほっとけなガキだから面倒見てやろうとか、そういうので一緒になられるならお断りだっつってんだよ、とっとと銀鹿のとこに戻っちまえ!」


 白狼は初めてこっちを見て、付け髭をむしり取って吠える。


「――――っ」

 

 何を言ってやがる、コイツは。

 とっさに言葉が出てこないくらいの怒りってやつを久しぶりに味わう。


「ぎょ、業務中に衣装を乱すのは規定違反ですです……」

 ユールさんの一人がおそるおそる声をかけてきたのは、たぶんこの空気をどうにかしたかったんだろう。ご苦労さんだ。

 もちろんそれは不発に終わる。白狼は聞いちゃおらず、自分のテンポで話をすすめる。


「お前の胸に空いているでっかい穴をふさぐのは俺じゃねえ、銀鹿だ。俺で埋め合わせようとすんな」


 片方の手は手綱をつかんだまま、白狼はあたしの胸をドンと突く。

「……っっ‼」


 落ち着け落ち着け、ここは空の上だ。白狼は橇を運転中だ。ここであたしが腹立つのに任せて頭突きでもかませばあたしらは空から真っ逆さまだ。子供らにプレゼントを配るどころじゃない……。自分に言い聞かせて、破裂寸前の怒りを抑える。

 

 すーはー、すーはー、深呼吸を繰り返してあたしは気を静めた。地上に着いたら思う存分ケツ蹴りまくってやると心にきめてつつ、ゆっくり息を吐く。兵隊にいた時、クソみたいな上官にこき使われた経験がこんなところで役に立つとは。



「……白狼」

「あんだよ?」

「……あんたにその名前つけたの、誰?」

「…………、お前」

「13の時の冬至祭、前夜祭の橇曳レースの時だよ? あんた若手部門のレースに出たよね、結果は?」

「……五着」

「隣のコース走ってた走者が手綱の繰り間違って橇から投げ出されて、あんたが馬鹿正直にそいつを助けたりしてなきゃあ、十分一着か二着になれてたよね?」

「……そいつはわかんねえよ。あの時橇曳いてた連中は今でも手練れだ」

「なってたよ! 絶対なってた! あたしは確信してたんだ、すごいすごいって! あの元チビがこんなに立派な橇の曳き手になったんだって!」


 

 ああ、せっかく気持ちを鎮めたのに。

 今度はあたしの声が大きくなる番だった。


 

 13の時の冬至祭、その前夜祭。あたしと銀鹿は約束どおり市の立つ河原に出ていた。お菓子を買ったり、小物を買ったりぷらぷら遊んだ。

 そのうち橇のレースが始まる時間になり、客たちが凍った川の近くへ集まりだす。


「燐火、どうする? チビがレースに出るのみてやる? 一応同じ村のやつだしさ」

「……うーん」


 あたしは迷っていた。村の代表がレースで活躍するのを見るのは単純に嬉しいはずだった。それがいくら元チビでもだ。

 でもあたしはなんだかそれが怖かった。それを見てしまえば、自分が自分でなくなるような気がしていたのだ。

 

 人の波ががやがやと川っぺりへ流れてゆく。あたしらはその流れの邪魔をしている。

 動いたのは銀鹿だった。あたしの手を握って流れに乗る。


「一着になればそれはそれでめでたいし、ビリケツになれば大人になってから酒の肴になる。見といても損はねえさ」

 からからと銀鹿は笑った。からからと明るい笑い声だった。多分銀鹿も無理をしていたのだ。


 川を見下ろせる土手の斜面からあたしたちはコースを眺める。食い物に負いが立ち込めて、酒の入ったおっちゃんたちのだみ声でうるさい。


 若手の出番は第一レースだ。他の村の代表たちの橇と曳き手が並んでいる。みんなあたしらと同じ年頃の男が多かった。出走者は六人、元チビは土手川から二つ向こうにいる。大回りしなきゃいけないから不利なコースなんじゃないだろうか、あたしにはわからないけどそのかわり、出走前の様子はよく見えた。


「あのバカ、緊張してんじゃないか?」

 銀鹿が心配そうに呟く。純粋に同じ村人として心配した口ぶりだった。

 あたしは元チビが、ほかの出走者と同じぐらいの背丈だったというつまらないことに今更驚いていた。本当にチビじゃなくなってたんだ。


 橇は立って乗る一人乗り用。慣れない空気で気が立っているらしいヘラジシの首筋を撫でたりしてなだめている元チビの様子を眺める。緊張しているより落ちついているようには見えた。


 しばらくして、みんな橇に乗る。手綱をつかみ準備に入る。大入りの客たちも息をのむ。あたしは白狼ばかり見ている。その時の顔がそれまで見た中で一番男前だった。あたしのことが全く頭の中にない顔だったからか。


 櫓に上ったおっちゃんが旗を振る。出走の合図だ。手綱で叩かれたヘラジシたちが一斉に走り出し橇が滑り出す。雪煙が舞い、客たちがわあっと歓声をあげた。


 

 ゴールはしばらくいった先、川がカーブしてしばらく先に行ったところにある。そこめがけて橇はいっせいに滑り出す。

 白狼は序盤からは飛ばさなかった。やみくもに先頭をとるようなバカな走りじゃなかった。前はあんなにバカだったくせに。橇が無駄に滑りすぎないようにうまく御しながら、相手の出方を伺い、じわじわと追い上げてゆく。

 序盤に飛ばしすぎた橇がスピードを落とすのを見計らうようにぐいぐい追い上げる。観客の声が塊になって盛り上がる。隣の銀鹿すら、行け、行けっ! ぬいちまえ! と怒鳴っている。銀鹿はもともとこういう勝負事が好きなやつだ。


 元チビのそりはあたし達のいた場所から下流へ向けて疾走してゆく。あたしはそれを見送る。白い雪煙を蹴立てて、ぐんぐんぐんぐん、早く早く走ってゆく。


 なぜかその時きいんと耳が痛くなった。一瞬だけ、周りのやかましさから切り離されて世界に一人だけ放り出されたような気持ちになった。足元がおぼつかなくなった時になんで頭の中に古い昔話が思い出されたのだろう。


 空の上を走って、お天道様の火を咥えて白い狼の昔話。この世界を作った神様に飼われていて、冷え切った地面を温める為にお天道様の火をかじり取りに行った狼の話。


「白狼」

 

 勝手に口が動き、今うまれたばかりの名前が零れ落ちる。


「……燐火?」

 隣の銀鹿がこっちを見た時、あたしの五感が元通りになった。


 レースは一番見どころの、カーブした川を曲がるところに差し掛かる。白狼は二着だった。後ろから見ても相当巧みに手綱を捌いているのが見て取れた。


 このままいくと白狼は一着か二着になるのは確実だった。三番手のやつがカーブをうまく曲がり切れずこけて川の表面に投げ出されるまで。




「あのレースのあと、あんたに名前をやっただろ! 忘れたのかよ!」

「忘れるワケあるかよ、お前の方が忘れたかと思ってたわ!」


 結局、空の上であたしらは怒鳴りあうことになっていた。


「あたしには銀鹿がいて、燐火って名前ももらっていて、それでもあんたに白狼って名前をつけた。それがどういう意味か分からないのか、このバカったれ」

「分かるかよ! お前の考えることはよくわかんねえんだよ、すぐあっちこっちふらふらしやがって……!」

「はぁああっ、お前さっきあたしの気持ちならなんでもわかるつったばっかでなんだその言い草、結局どっちなんだよ⁉ ワケわかんねえ奴だな、この元チビが! 名前返せ! お前にはもったいねえわ」

「うるせえ、誰が返すか!」


 白狼が怒鳴り返した。顔がさあっと赤らんでいる。口ぶりは怒っていたが、ぎゅっと結んだ口元を隠すようにずり下げた付け髭の位置を直した。目の前のバカがああ言い返して来たらこう言い返してやろうと身構えていたあたしの気持ちはつんのめる。

 

 付け髭の位置を直した白狼は、きまり悪そうに視線を戻した。


「……お前がもし、銀鹿がよくて燐火っつう名前に戻ってもな。俺は一生、白狼なんだよ」


「…………っ」


 つんのめったままの気持ちを立て直すのに、時間がかかった。ああ、本当にコイツは。橇を曳くのと、こういうことだけは上手くなった。



「銀鹿、アイツすげえやつじゃねえか。一人で村飛び出て係累もなんもいねえ異世界行って稼いでくるなんて、並みのやつじゃそんなこと出来ねえ。オヤジ連中だって異世界にはタチの悪い人買いばっかいるってビビッてたときにさ、あいつよくやるよ。本当に」


 しゃべりながらも白狼は、ぴしぴし、と要所要所で手綱を動かす。さっき怒鳴ったばっかの勢いが消えていた。


「ガキのころだってアイツが一番大人連中から目ェかけられてたじゃねえか。そりゃ、お前もあいつのこと好きになるよな、あいつにだけはかなわねえし、しゃあねえよなって……。しゃあねえけど、でも」


 やっぱりむすっとした、それでもちょっと張り詰めたような声は、チビだった時の白狼そのものだ。山の岩場から湖を見下ろしたあの時の。


 あたしはうっかり息をのんでしまう。またびりびりするのに飲まれそうになる。こんな時だというのに。


 橇はそろそろ陸地に差し掛かるころだった。きらきらまばゆい人工の光が足元に広がりだす。

 後ろのユールさんが動きだした。袋からプレゼントの箱を取り出して橇から一つずつ手放していく。プレゼントは瞬きの間だけひゅんっと落ちてから、途中でぱっと消えてしまう。あたしが張るのを手伝った紙切れにかけられた魔法が働いて、子供たちの枕もとへ直接届けられると聞いていた。


 

 しゃあねえけど、でも……の続きを聞きに行く体勢を取った時だった。


『お~い、若いお二人さんよぉ。犬も食わねえやつも結構だがよお』

 あたしの頭に響いたのはねばっこいルドルフさんの声だった。


『警戒がおるすになるのは困るぜえ? 俺らまだトナカイステーキになりたくないんでな』

「ああ、すんません。みっともないところをお見せして!」

『いんや、それは構わねえんだ。いちゃつく二人の見物はいい退屈しのぎにならあ。ただ……』


 白狼が慌てて居住まいをただすと、ちょうどその時機材を覗いていた後ろにいるユールさんの一人が大声をだす。


「お取込み中申し訳ありません。クランプスの反応を感知したですです」

『そういうこった』


 タタタタタン!


 国境警備中によく聞いたのと似た、長筒の音が響いたのはその時だった。



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