第12話 帰郷③(12/21~23)

 冬至祭はおごそかに行われた。


 頭に白い衣を着た神々しいばかりの美少女が、火の着いた松明をもってテントを一軒一軒周り、囲炉裏に火を移してゆく。なんだか結婚式のキャンドルサービスめいていたけれど、春の女神に扮した女の子の美しさの前ではそういうことは全てどうでもよくなる。


 広場に設置されている、果物やお菓子、人形などで飾り付けられたクリスマスツリーのような針葉樹の前で春の女神は私には意味の分からない言葉で何かを宣言し、司祭のような人々が厳かに何かを伝える。耳の尖った村人たちが敬虔にそれに耳を済ませる。


 ……それが冬至祭の本旨だったようだ。寒い北の国で生命息吹く春を待ちわびる人々の気持ちが伝わるような、峻厳で神聖なお祭りのように見え、針葉樹の前でめらめらと燃え上がる聖なる炎に手を合わせてみたりする。自分なりに敬虔な気持ちになったのだ。



 しかし神聖なのはそこまでだった。

 

 あとはもう、酒を飲んだおじさんとおばさんたちがガハガハ笑いあいながらどんちゃん派手に飲み食いする場と化していた。

 お盆やお正月に、お父さんの方のおじいちゃんおばあちゃんの田舎に帰ると大体こんな雰囲気だったな。こういう雰囲気を都会の下町育ちの母さんは苦手にしていたな、私はおじいちゃんおばあちゃんの家が好きだったからそんなに嫌でもなかったけど、今ならお母さんの気持ちもちょっとわからないでもないな……となりながら、アルコールで頭がクラクラする頭でぼんやりそんなことを考える。


 

「……美里、生きてる?」

「……なんとか」

 スパイスを入れて温めた果実酒の入ったカップを持って、あたしはそう答えるのが精いっぱいだった。昨日からこのお酒を飲まされ続けている。

 える子の方も、村につくなりそうそうあちこちに引っ張りまわされたせいで相当よどんだ表情になっていた。


 広場に設置された丸太のベンチに座りながら、ここではだれにもわからない日本語でやり取りをする。

 おばさん達がおさらにもった燻製や乳製品、ドライフルーツやナッツなどでできたごちそうをもっと食べろもっと食べろというふうに配って回るのを、える子は断る。


 

 思いかえせば昨日の夜、半日かけた橇の移動から着いた早々こんな具合だった。


 える子の村は雪をかぶった深い森の奥にある。日が暮れるのが早い冬至の時期だけに、時計では夕方を指していたけれど到着したころは真っ暗だった。

 軍曹さんにお礼を言いながら橇から降りて、荷物をかつぎ、除雪された道を歩く。話に聞いていた通り、える子の村は十数戸のテントテントが建てられてできた村だった。テントといっても、白い皮でで作られて梁も通されたそれは広くて結構丈夫そうだった。大きく開いた戸口から明るく温かそうな家の様子を見えている。そこにいる民族衣装を着た子供たちが、異世界から来た私を珍しそうに見つめていた。


 村人のほとんどは話に聞く前夜祭の方に出かけていて人気は少ない。それでも留守番をしている村人たちに見つかったえる子は村の小道で話しかけられる。


「※※※※!」

「※※※※、※※※※」


 おや久しぶりだねえ、大きくなったじゃないか。

 お久しぶりです、お元気そうで何よりです。


 ……おそらくそんな内容のやりとりをえる子は現地語でやりとりする。える子は結構慕われていたらしく、高年のおじさんおばさんたちにつかまると泣かれたり抱きしめられたりしていた。


「※※※※※、※※※※」

 はなしかけられる度、える子は私を紹介する。私は就活中に培った好印象を与える笑顔で礼をする。


 そんなこんなでえる子の家らしいテントの前までたどり着くのに十分ほどかかった。なにもなければ雪の道でも三分ほどしかかからなかっただろう距離だ。


 

 何年かぶりの実家の前で、える子はすーっと深呼吸する。中には腰を痛めたお父さんが寝ている筈なのだ。


「……あー、今さら父ちゃんと何話していいのかわかんない」

 玄関に相当する出入口に下ろされた幕の前で、える子はぼそっと呟いた。踏ん切りがつかないらしい。


「ここまで来て……。える子、ここ数年は親御さんと会ってたじゃない。何も緊張しなくたって……」

 私の方が心臓が口から出そうなくらい緊張してるというのに。


「だって、今まではモールで会ってしゃべるだけだったし。母ちゃんもいたし……。二人っきりで会うのって家出てから初めてなんだよ。しかもあんたを紹介するんだよ。父ちゃんに泣かれたりしたらどうしよう、やだ~、耐えらんない」

「そんな、える子がしっかりしてくれなきゃ困るよ。あたしとお父さん言葉が通じないんだから」


「※※※※※※※※! ※※※※※!」


 入口でもたついているとテントの中からがなり声が飛んで来た。ニュアンスからすると、聞こえてるからお前らとっとと入れ! というような内容だったらしい。負けじとえる子が同じ調子で言い返し、ばさりと幕をめくった。


 カンテラがつるされた天幕の中は明るくて、そして広い。中央に設置された囲炉裏の周辺だけが土間になり、その周囲が一段高い床になっている。床の上には毛皮の敷物が敷き詰めら、ちょっとした収納家具や雑貨も並んでいた。


 える子のお父さんは、天幕の奥あたりに設置された寝台でゆっくり体を起こしていた。私がお会いした時のお父さんは私たちの世界の服を身に着けていたが、今日は民族衣装だ。フェルトのような素材でできた寝間着だろうか、よくお似合いだ。そしてやっぱり渋いおじさま俳優のような方だった。


「あの、お久しぶりです」

 言葉は通じないのはわかっていても、える子と同じ金色の目で見つめれれて一礼する。

 つまらないものですが……と、セオリー通りにお土産を手渡そうとするのをえる子は制した。私たちの世界の服を着たえる子が靴をぬいて床の上に上がると、毛皮の敷物の上に座る。

 まっすぐお父さんの目を見つめたまま、現地の言葉で何かを伝える。身振り手振りを交えてあたしのことを指し示す。


 うんうん、と頷きながらそれを聞いていたお父さんだが、不意にえる子に何かを命じる。える子はそれに口答えするが、ちょっと怖い声を出したお父さんの指示にしぶしぶといった表情で立ち上がると、棚から木でできた盃を三つ取り出した。土間に移動すると囲炉裏の傍にある甕からひしゃくで液体を注いだ。匂いからしてお酒らしい。


「える子、お父さん何て?」

「酒を用意しろってさ。ったく、自分が動けないからって帰ってきたばっかの娘を使う? 普通……」


 文句を言いながら盃にお酒を注ぎ終わり、お父さんに、そして私に、最後に自分に盃を回す。


 える子に手渡された盃を見つめたお父さんは、しばらくしてその眼から滝のように涙を流しだした。ぶわあっと。節くれだった大きな手で、顔を覆う。初めて見る男泣きってやつだった。


「※※※※……っ、※※※※※……っ、※※※※……」


 ぐずっと合間合間に鼻をすすりながら、お父さんは泣きつつお酒を煽る。その表情から、少なくとも悲しんで泣いているわけではないとはわかる。口元が幸せそうにほころんでいたからだ。


 お父さんの言葉が分かるえる子は時々むすっとした表情で通訳してくれる。


「俺は幸せだとか、こんな美味い酒は飲んだことねえってこのことだな、とかなんか言ってる」

「※※、※※っ」

「飲め、飲めって。だから飲みな」

 

 照れているのを隠すように、える子は自分の盃の中身をくいっとあおった。


 お父さんの身振りに促されて、慌てて私も盃に口をつけた。果実酒らしく、甘酸っぱい匂いととろっとした舌ざわりが悪くないお酒だった。けれど思いのほかアルコールがキツイ。一口飲み込んだとたん視界がくらくらする。私はお酒の類が嫌いではないけれど、それほど強い方ではないのだ。

 意識がはっきり保てているうちに……と、お土産をようやく手渡すと、お父さんはまたボロボロと涙をこぼす。


「立派な嫁から立派なもんいただいてありがてえ。こんないい日は今までになかった。おれはこのまま死んでもいい……とか、大げさなこと言ってる」

 約十年ぶりの帰還からくる恥ずかしさと、何度と無く対立してきた父親が嬉しくて泣く様子をみてきまり悪いのか、くいくいと酒をあおりながらえる子は通訳してくれた。える子は結構な酒豪だからまったく乱れた様子もない。


「ったく、腰痛で死ぬかよ。大げさなんだから」

 


 そんな感じで、える子の帰還と親子対面は終わった。よく覚えていないのは、酒が早く回ってこてんと横になってしまったからに他ならない。

 私だって緊張していたのだ。その上長旅で疲れていたのだから、酒の効きが早くても責めないでほしい。



 結果、目を覚ますとすでに太陽は高いところにあった。とはいえここいらではこの時期そんなに高くまで上らないらしいけど。


「おはよう、美里。具合は?」

 える子が差し出した水を素直に受け取ってくいくい飲み干す。冷たくておいしい。

「頭が痛い……二日酔い久しぶりすぎる……」


 私が寝ていたのは箱状の寝台の上で、周囲は薄いカーテンで覆われている。プライバシーはこうやって確保されるらしい。

 昨日の着衣の格好のままで寝ていたらしい。自分の周囲がずいぶん酒臭いけどしばらく我慢しなきゃならないだろう。


「私、お父さんの前で何か変なことしてない……? 吐いたとか、暴れたとか」

「してないしてない、つうか父ちゃんが悪いんだよ。美里にあんな飲ませてさあ。ちゃんと叱っておいたからね」

 

 える子は起き上がれないあたしの頭を撫でる。そうされると、自分が子供になったみたいでちょっと嬉しかった。

 私が微笑むとえる子も微笑む。けれどすぐにその後、ごめん、という様子で手を合わせる。


「冬至祭の前に母ちゃんが村のみんなに美里を紹介したいって言ってんの。美里は酒飲まされてぶっ倒れてそれどころじゃないって言ったんだけど、聞かなくってさあ……」

「……うーん。それ何時ごろから?」

「女神の寸劇が夕方くらいだから、あと六時間はある」

「わかった。じゃあそれまでに人前に出られる状態にまで体調を持っていく。できればお水と身だしなみを整えるものが欲しい」


 私はえる子のパートナーとしてこの村にきたのだ。きちんとした身なりで故郷の皆さんにあいさつするのも大事な仕事だ。ドラマのヒロインと同一視されては迷惑だけど、いい印象は持ってもらいたい。異世界までいってつまんない女と一緒になったとは思われたくない。私にも一応それくらいのプライドはあった。



 というわけで、その後全力で眠り、体から酒を抜き、える子が用意してくれたお湯を浸した布で顔や体をふき、酒臭くない服に着替えて化粧をし、なんとか人前に出られる状態へ自分を磨き上げた。


 祭の日であるというので晴れ着をきたお母さんに昨晩の醜態を詫びた上で挨拶をし、何を話しかけられてもとりあえず笑顔で応じ、さりげなくお手伝いをする。 

 張り切ったお母さんが村中の人に私とえる子を連れまわして紹介するのを、笑顔で応じて頭を下げる。用意してきた手土産を配りつつ、請われると日本語で挨拶をする。


 昨日とは打って変わって村人であふれかえる村の中を歩き回りながら、私は達成感に満たされた。困難なミッションを完遂させたようなそんな気持ちだった。


 一通り村の人たちへの自己紹介が終わった頃に春の女神の寸劇が始まり、厳かな儀式も執り行われ、そして今はグダグダの宴会の真っ最中という訳だ……。


 

 で、私の手にはまたお酒がある。

 おそらく昨日飲んだのと同じ種類のお酒に香辛料の類を入れて温めたものだと思う。なんにせよ、私の体はお酒を受け入れる状態ではなかった。今の状態にアルコールがプラスされると間違いなくとんでもないことになる。


「無理しなくていいよ。もう家で休みな。母ちゃんにはあたしから言っとくから」

「……ごめん」


 焚火で明るい広場を、私とえる子は後にした。宴会で騒ぐ人の影に、昨日お世話になった軍曹さんが晴れ着姿で楽しそうに誰かと語らっているのが見えた。その人の髪は黒くて長い。ここいらでは珍しいので一瞬だけ気になる。



 昨日とは違い、メイクをふき取るシートで化粧を落とし、ちゃんと寝間着に着替え、私は寝台に横になる。囲炉裏の火だけがチロチロと明るいテントの中、える子は私の頭をもう一度撫でた。誰も見ていないのを確認してから、軽くキスをする。


 える子は再び広場に戻っていった。帰郷して、喧嘩別れした父親との完全な和解ももすませて、故郷の懐かしい人たちと騒ぎたい気持ちが沸き上がってきたのだろう。私は見送りカーテンを閉める。


 テントの中は結構暖かい。どういう仕組みになってるんだろう。昔何かのテレビでモンゴルのゲルは羊のフンを断熱材にりようしてるとか聞いたけど、ここでもそんな風な工夫がされているのかな……。

 つまらないことを考えているうちに、するっと眠りに落ちていた。



 次の日は快く目が覚めた。体には一滴のお酒の気配もない。

 ようやく森と土の香りが漂うこの雰囲気を楽しめそうな余裕が生まれてきた。


 箱型の寝台に身を起こして伸びをした時、何気なく枕に目が向いた。

 木彫りの箱を芯にして、綿を当てた布を巻いた枕だった。綿は厚めに当ててはあったけれど、それは私には硬すぎて使わなかった。


 それでも明るい日の光で見ると、枕の芯にあたる木彫りの箱細工がなかなか素朴でかわいらしい。よく見ればお花のモチーフで女の子っぽい。

 

 つい手に取ってしげしげみていると、その箱が小さな引き出しになっていることにも気づく。小さなつまみを摘まんで引き出すと、するっと横にスライドされた。


 こういうちょっとした愛らしい細工にはやはり心が揺らいでしまう。思わず顔をほころばせて、引き出しをそのままするする横に引き出すと、ころん、と中で転がった気配があった。思わずテンションが上がる。


 何が入っているのだろう、宝物だろうか?


 ワクワクして引き出しを全部引き出す。中に入っていたのは、ギザギザした黄色い石だった。大きさは消しゴムくらい。


 水晶か、それとも宝石の原石か。手に取って陽の光にかざしてみる。

 

 もちろん自分のものにしたりするわけではないけれど、引き出し付きの可愛い枕とそこから出てきた黄色い透明な石は、遠い異世界へやってきて、緊張の中一仕事を終えた私に神様がくれたちょっとしたご褒美のように思えた。ふふっと笑顔がこぼれる。


「おはよう、美里~。よく眠れた?」

 カーテンの外からえる子が声をかける。きっとあれからもあのお酒を飲んでいたはずなのに、声は元気そのものだった。

 私はカーテンを開ける。


「おはよう、ねえ。枕からこんなきれいな石が出てきたよ? 可愛いね。何かの風習?」


 何の気なく、える子にあの黄色い石をかざしてみせる。



「……!」


 その瞬間、える子の表情は笑顔のまま固まった。漫画なら顔じゅうに立て線が引かれるような、今私はショックを受けていますと言わんばかりな表情だった。

 ごとん、とえる子の足元から何かが落ちた音がする。新しい水を汲んだペットボトルを落とした音だった。


「……?」


 硬直したえる子と、黄色い石を私は見比べる。交互に何度も。


 

 視線を何度か往復させて、この石がえる子を故郷に帰るのを渋らせた原因につながる手掛かりなんだなと、ようやく私は合点がいった。

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