第9話 昔話の秘密、それからクランプス①

 村には波華ナミハナさんという人がいた。


 その名前で呼ぶのは一年の大半を軍隊ですごしている姉さんと、その姉さんになついていた銀鹿くらいなもんでで、村の連中は大抵「軍隊の」「狙撃の」「軍曹んとこの」「海辺んとこから来たあの」と呼んでいた。なんとなく近寄りがたかったのだろう。

 

 うんと年下の子供はその点楽だ。年上の女の人は「姉さん」「おばさん」「ばあちゃん」で片づけられる。波華さんはあのころ20にもなっていなさそうだったから完全に「姉さん」だ。


 なんて呼んでいいのかわからなった大人連中の気持ちは、正直言うと分かる。

 

 波華さんはあたしらと同じ尖り耳だが、ずっとずっとずーっと遠い森のかなたにある海辺の村で育った人だという。髪が黒くて目が深い緑だ。村に来たばっかりの時はあたしらの村の言葉なんて全くしゃべれなかったから。

 近隣の尖り耳の村での結婚は普通だったけど、そんな遠くから嫁がやってきたのなんて、歴史だけは無駄にあるあたしらの村でも初めてのことだったらしい。その上に、その人を連れてきたのは軍曹って呼ばれてる姉さんだったから。


 ある時の休暇に下をむいて縮こまる波華さんを連れてきて、仰天する年寄衆を前に軍曹姉さんは言ったのだった。


「この人はあたしの嫁になる人だから、村に連れてきた」


 軍服を着て、長筒なんて下げて娘っ子だてらに魔法のかかった銃弾がバンバン飛び交うところで鬼みたいな上官にしごかれながら兵役二年務めた姉さんにとって、村のオヤジ連中なんて怖くもなんともなかったのだろう。

 

 そもそも姉さんんは先代の長だった人の孫娘だった。

 この先代長っていうのがとんでもなくおっかなくて厳しいジジイで、村をまとめ上げる長たるものは自ら率先して矢面に立てと家族にしいてきた人だった。そのジジイの方針で、軍曹姉さんは十六だかなんだかって齢に兵隊に行くことになった。誰もが嫌がる兵役こそ、長たるものの家族が務めるべきとかなんとか、そういうことだったらしい。ジジイの言うことをよく聞く賢い娘だった姉さんは、根性なしの若衆みたいにごねたり逃げたりすることもなく、黙って兵役についた。


 で、年季があけたら嫁を連れて帰ってきた。



「名前は波華。あたしが付けた。働き者だし気立てもいい、長筒の名手だ。あたしが今後十年兵隊をやる間、仲良くしてやってほしい」


 仰天するオヤジ連中を黙らせるような眼力でもってまっすぐ見据え、姉さんはそう宣言した。透き通った氷を思わせる瞳で、その時の長に宣言した。


 軍曹姉さん(その時は単なるペーペーの一兵卒だった筈だが、あたしらの村で兵隊になるやつはだれでもかれでも軍曹って呼ぶ習慣があったのでそう呼ばれた)はこうして、嫁の波華さんを連れてきて休暇をすごし、波華さんをのこしてまたはるか遠くの駐屯所へ戻っていった。


 波華さんはこうしてその時の長の家で暮らすことになった。


 黒くて長い髪をきっちり一つに編み、ここいらの尖耳のとはちょっと違う刺繍の施された服を着た波華さんは、誰も係累もおらず嫁の軍曹さんもいない村で静かにまめまめしく働いて過ごしていた。

 世話好きの女衆が話しかけるのを微笑み頷きながら耳を傾け、ときどき小さい失敗をしながらもここらの流儀を身に着けてゆく。そんな波華さんは迷い込んできた家畜の子どもみたいでたよりなくかわいらしかった。ごんたくれの兄ちゃんに守られている妹みたいな風情だった。とても軍隊で過ごしていた人とは思えない。


 でも長筒の腕が見事なのは軍曹姉さんの言ってた通りだった。

 獣の毛皮が欲しくて森に来た町のヤクザ連中を、見晴らしのいい崖の上から長筒をズドンとやって脅したところをあたしは銀鹿と一緒に何度も見せてもらった。


 

 これはまだあたしが燐火になる前のころ。12かそこらの冬だったか。町のヤクザどもが真っ白になった毛皮目的で森に入り込む時期だからか。


 脅されて雪のなかをこけつまろびつ逃げていくヤクザ連中のマヌケな姿を見て、ころころに着ぶくれたあたしと銀鹿はくすくす笑う。姉さんは村とは別人みたいなきりっとした顔つきで長筒に弾を込めている。


「子供が見る。良くない」


 チビが最低限学校で習うレベルの公用語で、波華さんはあたしらを一応たしなめた。そのころの波華さんはあたしらの言葉がつかえなかったのだ。

 たしなめるが、波華さんが格好良く長筒を使う様子を面白がって見に来るあたしらを追っ払いはしなかった。軍隊で支給されたものらしい鉄の瓶に入った飲み物も飲ませてくれた(時間が経っても中に入ってる飲み物が冷たくならないのが不思議だった)。

 そういう時の波華さんは、優しくて親切で奇麗な姉さんだった。


 冬の森でヤクザな密猟者から動物の番をするのは大事な仕事だけど、誰もやりたがらないキツイ仕事でもある。そんな仕事に波華さんが率先して行っているのは、単に長筒の腕を認められてるからではない。軍曹姉さんが自分から進んで十年兵役につくと宣言したのと同じだと、村の連中はみんなわかっていた。

 村のためにしんどい仕事をするから、自分たちをこの村に置いてほしい。そういう意味だ。



「変だよ」

 軍曹姉さんと波華さんのこととなると銀鹿は怒っていた。


「変だよ、すごく変だ。十年も兵隊やったり寒いところで獣の番をしたりしなきゃ村にいられないなんておかしい。こないだよその村から嫁さんもらった兄さんは兵隊に行きもしないし獣の見張り番もやってない。姉さんは軍曹姉さんに名前をもらった嫁さんなんだから堂々としてりゃあいい。それに軍曹姉さんだって兵隊に行かなくたっていいんだ。もう兵役は終わったんだから、別の兄さんに行かせないとおかしい」


 何を言ってるの? という顔つきで首をかしげる波華さんに銀鹿は公用語でたどたどしく身振り手振りを交えて同じようなことを言う。

 それを聞いた波華さんは、優しく笑う。


「感謝する」

 と公用語で簡単に言う。


 

 軍曹姉さんと波華さんが自分たちが率先してキツイ仕事をすることに、ぷりぷり怒っていたのはおそらく銀鹿くらいなものだった。

 村の連中はなんとなく、「それが当たり前」だと思っていた節がある。

 軍曹姉さんは頼り甲斐のある村の長の候補として、村の中か外からでもこれぞというような男と所帯を構えなきゃいけない立場だったのに無断で勝手に嫁を連れてきた。夫じゃなくて「嫁」だ。

 

 やらなきゃいけないことを今後一切やるつもりはないと言うんだから、みんながやりがたらない仕事をすすんでやるのは当たり前だ……そんな空気。


 正直に言うと、あたしも銀鹿がなぜそんなに怒るのか分かっていなかった。変なことで銀鹿が怒ることに「やっぱあたしの銀鹿は並みのやつではないな」とは~っとしていたけれど。



 あたし達は波華ねえさんに付きまといながら、話を聞く。

 姉さんの小さい時に海から熱く溶けた岩の塊が噴き出して、姉さんの住んでいた村が焼けつくされたことなんかを聞く。

 命からがら生き残った朋輩と政府の運営する孤児院に放り込まれ、そこで何年か過ごした後に、行くところもないから軍隊に入ったとのこと。尖り耳は魔法武器と相性がいいので子供でも女でもわりと居場所はあるのだ。


 怖い上官にしごかれて長筒を撃てるようになった時、よその部隊からやってきたぺーぺーの軍曹姉さんと知り合って仲良くなった……という話を、たどたどしい公用語まじりしゃべる波華さんの口からきいた。



 その話に夢中になっていたのは銀鹿の方で、あたしはどっちかというと波華さんの持っている長筒が気になっていた。格好良かったからだ。引鉄を引けば弾がはじき出され、遠くに離れたヤクザの頭をすれすれをかすめてカッとんでいく。弓より速いし遠くまで飛んで行く。火薬のにおいもいい。

 魔法の紋様が彫り込まれた長筒に触れようとするが、その時になると波華さんはちょっと怖い顔をする。


「危ない、ダメ」

 怒られるとあたしは肩をすくめた。





「……」

 

 コテージの裏で白狼ががりがりと橇に魔法の紋様を彫り込んでいる。一年経過してすり減った所があるのだ。手直しできるところはしておかないと、空を飛んだり姿をくらましたりする魔法の効きが悪くなる。命にかかわる作業だからその顔つきも真剣だ。


 あたしはその様子を隣で見ている。自分の仕事に真剣な男衆の顔を見るのが好きだ。あたしの好きな顔をしている白狼を目に焼き付けておかなきゃいけないのだ。


「……なんだよ。そんなに俺が男前か?」

 小刀を持つ手を止めて白狼が振り返ってふざけてそんなことを言ったのでそのまま頷く。

 あたしの出方が予想と違ったせいか、白狼はちょっと調子を崩したらしい。えへんと咳ばらいをしてごまかす。


 白狼の作業を傍で見ながら、昨日気になった橇の傷跡を指さした。丸い何かが撃ち込まれた後。その後を触ると指先がピリピリした。魔法の流れていた証拠だ。


「……空の上に魔法武器ぶっぱなすヤツがいるとは聞いていなかった」

「言うと心配するだろ。クランプスって妙な連中がいるんだわ。なんかわけわかんねえ理屈こねて親方の仕事を邪魔してきやがる」

「なんだいそれ、盗賊?」

「さあ? なんかしんねえけど甘やかされた子供にくだらないものやるなとかなんか喚いて脅してきやがる。今のところ脅すぐらいだけどよ」


 あたしはちょっと憤慨する。暇な連中もいるもんだ。

 もう一度橇の傷に指を這わせた。


「この橇に去年も乗ってたんだろ?」

「まあな。でも怪我もしてねえし、護衛のユールさんもついてきてくれるし。なんも怖いことはねえ。秋のヒグマの方がよっぽど怖えくらいだから心配すんなって」


 カリカリと白狼は、その傷跡を削った。こいつが紋様のパターンを乱している元なのだ。

 作業の手を止めずに、白狼はあたしに訊く。

 

「今日は海で泳がないのか?」

「うん。あんたを見ときたい」

「昨日の夜にさんざん見ただろうが」

「日の光の下で見ときたいから」

 

 仕事中の男衆を邪魔するのは好きじゃないが、一息つくために白狼が小刀を置いたタイミングで体にぴったりくっついた。


 大勢のユールさんたちはプレゼントを仕分けたり、到着したばっかのトナカイさんたちを手配したり、自分たちの仕事でとにかく忙しい。コテージの裏で作業中のあたしらをそっとしておいてくれている。



 橇を前に床に座り込んでいるので、ひざの上に乗っかっる。銀鹿のよりも白みがつよい銀色の髪の毛を撫でる。その指を下におろして頬から顎のあたりを添わせる。うっすらひげが伸びてきたので指先がざらざらする。


「夜まで我慢できねえのかよ?」

「あんた今日予行練習なんだろ? 帰ってくるの日付が変わっちまうし。それまで待ってられない」


 夜に一人でも大丈夫なように、頭の中を白狼でいっぱいにしないといけないのだ。でないとまた思い出の蓋が開く。それを閉じて欲しい。

 膝の上で体勢を変えて、自分の体をべったり白狼にくっつけて抱き着く。立膝をついていた白狼の腿に跨って押し付ける。今日はあのぴらぴらした服一枚で、上も下も下着は着けていない。邪魔だったから。


「ったく、聞き分けねえやつだな」

 あたしの体がどうなってるのか分かった白狼は、ぴらぴらした服の上からあたしの胸をゆする。胸の先がぴらぴらした布と擦れるせいで息が荒くなる。力が抜けて白狼の首っ玉に抱き着くように腕をまわす。仕事に響くからあまり体力を使わせたくはなかったけれど、あまりぞんざいなのも嫌だ。自分が白狼にどう映っているのかどんな風に見えるのかを意識して、普段より甘ったるい態度をとってみせる。

 自分のを取り出してあたしの体にねじ込んで蓋をするまで、自分の選んだ服を着たあたしを乱れさせる。自分ではわからないが、やっぱり体がさあっと赤くなったんではないか。

 

 日頃ケツを蹴ったり向こうがその気の時にそっけなかったりするせいか、たまに猫みたいに甘えて見せると白狼は大抵調子に乗る。ぐんぐん突き上げたり素面じゃ口にできないようなことを耳元で囁いたりする。あたしはそれにいちいち素直に反応しながら、いつか白狼が生意気なことを言ったらさっき言ったアホみたいなことをいちいちあげつらってやるために頭の中に書き留めておく。


 

 砂まみれになったのは具合が悪いが、ユールさんたちの目を盗んでいちゃつくのはわりと楽しい。ねじ込まれて揺さぶられたりもまれたりしたお陰でスッキリした。頭の中で昨日からモヤモヤしていたのがさっぱりした。

 あたしはしばらくふわふわといい気持でいる。


「……」

 だというのに、白狼の方が浮かない表情だった。何も言わずに服をきちんと直す。


「なあ、陽蜜」

「何?」

「お前昨日からちょっと変じゃないか?」


 ……白狼もスッキリしたせいなのか、余計なところでカンが冴えてしまったようだ。


 あたしは立ち上がり、ぴらぴらした服にかかった砂を払う。口もゆすぎたかった。

「あのなんとかってお菓子のせいだよ。あんたもあれのせいで一昨日変だったじゃん」


 あのお菓子のせいで昨日の夕方に昔のことを夢に見た仕舞ったせいか、頭と体が妙なことになってしまったのがこれでようやく収まったのだ。あたしは晴れ晴れとしていた。今朝ユールさんにあのお菓子は下げてもらったので、もうおかしな思い出がよみがえることもないだろう。


 そうさっぱりしていたというのに、白狼が台無しにする。


「だったらいいけどよ。……お前、銀鹿のことで何かあると大抵こうなるから」

「あん⁉」


 振り向いた先の白狼はヤバいという顔つきになっていたが、そのタイミングでユールさんのうち誰かが白狼を呼ぶ。


「白狼さーん。トナカイさんたちの準備整いました~」

「すんません、すぐ行きます~」


 立ち上がるとやっぱり服のあちこちから砂を払い落として、声のした方へ向かっていこうとする。

 

 あたしはそのケツを蹴り上げた。せっかく頭から追い払えたのに。

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