第6話 惑う陽蜜と異界の菓子②

 ニオイバラというのは、あたしらの住む村の森に咲く花だ。


 名前の通り、むせそうなくらい強い香りを放つバラの花だ。夏の一時、森を抜けた先にある野っぱらを埋め尽くす勢いでパーっと花を咲かせる。黄色い蕊と薄桃色の花が野っぱら一面咲きほこる様子はまるで夢みたいだが、さっきも言った通り子供らは絶対立ち寄るなと大人から言い含められもする。



「いいかい、ニオイバラの好きな妖精の女王様が怒って悪い魔法をかけられちまうからね! 絶対近寄るんじゃないよっ」



 ニオイバラのつぼみがふくらみかけた時、怖い顔をした母ちゃんにそうやってきつーく言い含められるのが、あたしらの村の夏の風物詩ってやつだった。


 大人どもがニオイバラの咲くのっぱらにガキどもが近寄るなと口を酸っぱくして言い含めるのか、自分も大人になれば「……ああ」って納得がいくんだけどもガキの時分はなんでななのか全く分からない。


 そもそもガキにはニオイバラの香りは単に強烈に臭いだけなのだ。

 見た目は奇麗だけど猛烈に臭い花が咲く(しかも茎にはトゲが生えてる)野っぱらなんかに好き好んで近寄るわけなんかないのに、ワケの分かんねえことを言う母ちゃんだな……とあきれながら「はい」と返事をしていたあの頃は、まだ月小屋に用もなく、あたしは単なる「あんた」とか「お前」であり当然燐火リンカとすらよばれていなかった。


 ところが白狼はその自分のあたしに、陽蜜ヒノミツという名をつけていたのだという。勿論あたしに断りもなく、心の中で、勝手に。



「ガキの時、木から落ちて立てなくなった俺をおぶって帰ってくれたことがあっただろ?」


 寝物語で白狼が明かしてくれた。


 

 まだ白狼が冬毛に覆われたイタチの子供みたいだったころ、小鳥の巣から卵を取ろうとして上った木の枝から落っこちた拍子に腰が抜けて立てなくなり、そこを運よく通りかかったあたしがおぶって村まで連れ帰ったことがあるのだ。


 痛いわ、森の中で一人っきりで心細いわでピイピイ泣いていた所、あたしが運よく通りかかったという訳だ。


「……こんなとこで何泣いてんのさ?」

「うるせえな、なんでもいいだろ。ほっとけよ」


 まだ、「あんた」と「お前」だった時分の白狼は、同じ年頃のガキの中でも群をぬいてチビだった。声なんてそれこそ小鳥みたいに甲高かった。今の姿を見ると、よくまああのイタチの赤ん坊みたいなガキがここまで育ったなと感心するほどだ。

 そんなチビっこい獣の子供みたいだったからか、人一倍無茶をして自分を大したヤツに見せたがっていた。そしてその都度失敗しては、その時のように痛い目によく合っていた。あたしはそれをよく知っていた。

 そんな時分の白狼を、あたしは心底アホなやつだと思っていた。


「鳥の巣から卵取るんじゃないっておっちゃん達が言ってたろ。いうこと聞かないからそういう目に遭うんだよ。バっカだね~」 

 目に涙をいっぱいためてくるくせに、あっちへ行けとか、おれに構うなとか、生意気を言い散らかすのに腹を立てて、そのまま置いておこうとした。村にかえってから大人でも呼べばいい。


 ……そういうつもりでいたというのに、だ。

 

「おろせよっ! 誰がおぶえって言ったよ⁉」

「腰抜かして立てなくなったくせに、生意気言うならここで振り落とすよ!」


 自業自得でケガしたバカタレをおぶって、あたしは村へむけて歩いていたのだった。

 それというのも、この時の白狼のくりくりした丸っこい目が涙で光っているのを見たせいだろう。いとけない獣の赤ん坊が母ちゃんを求めてぴゅーぴゅー鳴いているのをみるとどうしても構いたくなるのと同じ理屈だ。その時の白狼は獣の赤ん坊よりごんたくれで数倍タチが悪かったけれど。


 あたしはその時の白狼よりは頭半分大きかった。ちょっとおぶって歩くらいワケがないと甘く見ていたけれど、自分と同じ年頃の子供を背負って歩く作業は思っていたよりも難儀だった。


 あたしらがいた場所から村まで、ニオイバラの野っぱらの脇を通るのが近道だった。

 近くを通るだけだから問題は無いだろう、あたしはそう判断する。


「おい、そっち行っちゃダメだろ? おっちゃんおばちゃんに怒られるぞ」

 背中で白狼が不安そうな声を出した。

「そばを通るだけだよ。なんだよ、怖いのか? 妖精の女王様が」

「ばっ……怖くねえよそんなもん。見くびんな」


 アホな白狼は案の定、そうやって自分を大きく見せようとする。お陰で扱いに楽になった。アホも使いようだな……と一つ勉強した気持ちでいるといよいよ鼻の奥に香水を直接注ぎ込むような強烈な匂いが漂いだしてきた。町に住む上流のご婦人を思わせるような胸の悪くなるような匂いの塊だ。


「うえっ、くっせえ……」

 両手が使えれば鼻をつまむところだったが白狼をおぶっていたためそうはいかない。できるだけ口だけで息をするようにして脚を速めた。


 薄桃色の花の群れを極力見ないようにしてニオイバラの野っぱらの脇を過ぎ、もう大丈夫だろうというころであたしは思いっきり息を吸い込んでぶはっと吐き出す。椛や松や樅の気持ち良い匂いで全身生き返る思いがした。


「あ〜臭かった! あの匂いさえ無ければキレーな花なのにな。勿体ねえよな」

「……お、おう」

 最中の白狼が急に静かになった。


 ……なんだこいつ急に?


 あたしは多少変に感じたけれど、でももう村が見えてきたからそっちに気がいってしまう。同じ年頃のガキを背負い続けるのももう限界だったのだ。



 かくしてあたしは腰を抜かした白狼を村まで届けて褒められ、白狼は自分の悪さを叱られ、それだけで終わった一件だったのだ。あたしにとっては。


 白狼にとってはそうではなくて、その時に勝手にあたしの名前を見つけていたのだという。


 こいつは陽蜜と。


「……なんか前からやたら首の後ろばっかり弄りたがるよなって思ってたらそういう……」


 最後まで言えない。そこを早速舌の先で舐め上げたから。たまらなくて声をだす。


「あん時ここと、お前の髪だけ見てたもんだから」

 さんざんあたしを鳴かせたあとに、指でつうっとなぞった。

「ニオイバラの匂いをかぐとどうしてもあの時の気持ちになる」


 そのあとまた後ろから体を寄せてきて、肩と首の付け根に口をつけてきた。そこを責められると力がぬけてグニャグニャになってしまうのだが、そういう体にされたのも白狼の仕業で、元を正せばニオイバラの野っぱらのそばをおぶって通ったあの日が原因ってことになる。


 あたしにはあの日ただ臭いだけだったニオイバラの魔力が、白狼はしっかり効いていたということになる。

 あたしより頭半分チビだった癖に、マセたやつ。


「跡つけんなよ」

 なすがままにされるのが悔しくて一応そう言っておいた。



 跡をつけるなと言ったのに、白狼のバカがちゃんと聞かなかったせいで項のあたりにしばらく消え無さそうな跡が着いた。風呂場の鏡にそれに気づき、仕方がないので髪をしばらく下ろすことにする。


「おはようございます。よく眠れました?」


 風呂場から出ると、昨日は一人だったユールトムテさんたちが今日は集団でやってきてなんやかんやバタバタと走り回っていた。コテージの外も騒がしい。親方のいる本部から、大量の荷物を運んできて搬送しているようだった。


 あたしに話しかけてくれたのは昨日のユールさんで、ありがたいことに朝飯まで用意してくれている。パンと卵と、燻製の肉を焼いたの。


「簡単なものですみませんが、どうぞお召し上がりください」

「悪いね、ありがとう。……あんたも手伝いしなくていいのかい?」

「私の仕事はこのコテージのお世話なんです」

 

 外を見るとあたしより早く起きたらしい白狼が、ユールさんたちと荷物の入っている鉄製のでかい箱の前で真剣な表情で話し合っている。仕事をしてる最中の男衆の顔ってのはいいもんだ。五割は男前に見える。


「あれってどうやって運んだの?」

「魔法ですね。北極圏近くにあるサンタクロース本部のセントラルセンターから全世界へ配送されます」

「っは~、現代魔法ってやつ?」

「ですねですね。1999年以降現代魔法が流入してプレゼント配送業も昔に比べてかなり便利になりました。お陰で本当に必要とする子どもたちにもプレゼントを配れるようになりましたから」


 ユールさんはちゃきちゃきしゃべりながら小さな体でお茶まで入れてくれた。あたしの好みを把握してか熱いお茶だ。あたしはキンキンに冷たい飲み物が飲みなれなくて、外が暑くても熱い飲み物の方がおいしく感じられるのだ。


 それに口をつけながら、あたしは言った。

「あたしは何したらいい? 飯食ったら手伝うよ」

「いえいえ! せっかくのハネムーンなんですから奥様はお休みください」

「いやでも、白狼の話し方からするとあたしを連れてくるのにだいぶ勉強してもらったみたいだしさ」

「いいんですいいんです。きっちりご逗留分の代金はいただいている以上、奥様はお客様です」


 そんなこと言われたって、せわしなく作業している島の中であたし一人のんびりするのも居心地が悪いんだけど。

 しかしお客様である奥様がしゃしゃり出るのもユールさんにとっては有難迷惑でもあるようだ。


 ……まあいいか。

 居心地は悪いけれど、とりあえずあの奇麗な海を泳いでみることにする。これをやんなきゃなんのためにこっちに来たのかわからない。


「この島、珊瑚とか熱帯魚とか見られるところある?」

 

 ございますございます! ユールさんはいさんで答えた。どうやらこのユールさんは同じことを二回繰り返す癖があるらしい。


 

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