第5話 惑う陽蜜と異界の菓子①
ニオイバラの野原に行ってはならない。
子供だけでは絶対に。
ニオイバラが好きな妖精の女王が悪さをする子供に怒っておそろしい魔法をかけるから。
夏になると村の大人たちがそうやって子供たちに毎年毎年言い含めていたものだ。
けどまあなんだって、そんな文句をなんでこのタイミングで思い出しちまったんだか。こんな南の国のちっさい島で。
熱い紅茶と一緒に出された茶請けの菓子をかじっただけだっつうのに。
「あれあれ、お口にあいませんでしたか?」
自分の背丈くらいありそうなティーポットを持ち上げながら、ユールトムテさんがあたしらにお代わりの茶を注いでくれる。
「……いやまずいってわけじゃねえんだけど、なんか化粧品みたいな味がする菓子だよな」
あたしはテーブルの下で隣の白狼の足を蹴った。馬鹿正直に本当のことを言うヤツがあるか。
けどユールトムテさんはにこにこしていた。
「いいですいいです。ここらでは結構人気のあるお菓子なんですが、食べ慣れない方も少なくないみたいで……。別のお菓子を用意しましょう」
「ああそんな、お気遣いなく。あたしは嫌いじゃないから」
ユールさんはサンタなんとかって親方の下で働いている小人の一人だ。魔法の力があるようで、異界人同士の言葉の壁を失くす魔法のかかったもおるの外でも、あたしらと普通に言葉を交わすことができるのです助かる。
ユールさんは働き者でよく気の付く
そんなひとに茶菓子がマズイ程度のことで、居間から台所まで一往復させるようなことをさせちゃあなるまい。
実際、その菓子の味はあたしは結構嫌いじゃなかった。クセは強いけど、熱くて苦めの茶とはよく合っている。
赤や黄色や緑で色が付けられて白い粉がまぶされた四角いそれは、ちょっと見るとオモチャの宝石みたいで見た目は奇麗だ。口に入れた時に広がる花みたいな匂いと、歯で押しつぶすとぐんにゃり纏いつくような歯ざわりには最初ゾワゾワしたけれど、紅茶で流し込むと不思議ともう一つ欲しくなる。変な菓子だった。
「……なんていうんだっけ、この菓子」
「ターキッシュディライトです。ロクムとも呼ばれますね」
「ふーん。なんか覚えられそうもないね」
もう一つそれを口に入れ、口から鼻にかけて花みたいな匂いが拡がるのに任せてみた。この匂いがなぜか、あたしの村とニオイバラの野原にまつわる大人たちの戒めを思い出させるのだ。なんでだ。
……ニオイバラの野原には、白狼の隣で思い出してはならない思い出もある。あたしはぐっと紅茶を飲んで流し込んだ。
スポットをくぐった先は確かに暑かった。
もおるを抜けた外の世界は、暑いわまぶしいわで、あたしのこの格好でちょうどいいという白狼の言葉通りだった。あたしらの村にももちろん夏はあるけれど、こんなにお天道様がギラギラしてはない。
あたしらの村と違いすぎて一瞬クラクラしたけれど、あたしの手を握った白狼がこっちの目ぬき通りやら海のそばやらを案内してくれたら気分も一瞬で持ち直した。
海! やっぱり海! 透明な翡翠みたいな色の海! 白い砂浜に打ち寄せる明るい波うち際。去年の白狼がくれた絵葉書そっくりな景色にあたしの気持ちは上がりまくる。
「白狼、あれほんとうに海っ? ハッカの飴みたいな色だけど本当に舐めたら塩の味するのっ?」
「おう。いくら奇麗でも塩水だからな、飲むんじゃねえぞ」
白狼はあたしの手を引いて船がいっぱい停まってるところへ連れてゆく。一旦まりーなっつう所へ行き、サンタなんとかって親方が用意していてくれた船にのって小さい島へ行く。
橇引きの仕事はこっちの世界の人間に見られちゃなんねえそうで、あたしらは親方が管理しているどこかの島で当日まで準備をすることになっている。
今日はこっちの日付で12月21日。冬至の一日前だそうだ。
「普段はリゾート客に貸し出してるんじゃが、白狼くんにはお世話になったからのう。働き者のわかものにわしからのプレゼントじゃ」
島であたしらを出迎えてくれた白狼のボスのサンタなんとかっておっさんは、ひげをねじりながらホーッホウと陽気に笑った。この人も魔法がつかえるのか言葉が通じる。助かる。
親方は白髪で白いひげを生やした恰幅のいいおっさんだった。でも事前に教えられていた赤い服は着ていなくて、派手なガラのシャツと半ズボンを穿いている。
サンタなんとかっていう12月24日の真夜中にプレゼントを配る仕事をするおっさんは世界中に何人もいて、この親方は長年ミナミハンキュウって呼ばれるここいら辺の地区を担当しているらしい。もういい年齢なので空飛ぶ橇に乗って子供らにプレゼントを配るのは体にこたえ、白狼みたいな若い衆に橇引きの仕事を代わってもらってるんだそうだ。
今年もお世話になりますっ、と、白狼はいさんで親方と握手を交わしている。ついであたしにも手を差し出した。
「おお、これはこれは噂にたがわない美しいお嬢さんじゃ」
大げさに誉めてくくれる親方の前で、あたしは白狼の嫁としてきちんとふるまう。正式の作法にのっとり膝を曲げてなるたけ優雅に見えるよう頭を下げた。
「陽蜜と申します。昨年からわが夫白狼を代わらずお引き立ての上此度のご配慮、ありがたく存じます」
船から荷物を下ろしている白狼があたしの完璧な嫁としてのふるまいをみてブハっと噴き出した。
「やめろやめろ、慣れねえことすんじゃねえ。天気が荒れる!」
嫁の心配りをむげにする夫のケツを蹴ったあとに、親方の配下のユールトムテさんがあたしらにお茶を出してくれたって流れになる。ユールトムテさんは本来寒い国の妖精だが、親方がこちらの地区の担当になってからは一緒にこっちにやってきてマメマメしく働いているそうだ。
親方と白狼が仕事についての段取りを話し合うのを、あたしは隣でふんふんと聞いていた。
本番は24日深夜。それにあわせて23日夜はリハーサルとして飛行ルートの確認。白狼はこの地区を担当して二年目で慣れてるけども、空の様子は毎日違うから念には念を押すことが肝要。橇を弾く魔法のトナカイたちとの顔合わせも大事。こどもらに届けるプレゼントの準備もある。
話にはきいていたよりも橇引きの仕事はやることが多そうだ。本番まではのんびり遊んでる暇は無さそうだけど、まあいい。プレゼントの準備くらいならあたしも手伝えるだろう。一人でやる仕事を二人でさっさと片付けりゃあ、海にもぐったりなんなり遊ぶ時間もできるだろう。
打ち合わせが終わるころには、お天道様が真っ赤に燃えながら西の海に沈んでゆくところだった。すさまじいような夕焼けだった。
「それじゃあわしらは家に帰るとするかのう……」
ホッホッホッ……と意味ありげに笑い、親方とユールさんは船に乗って島から去っていった。
そうなると、あたしらは二人っきりになってしまったことを意識しないわけにはいかなくなる。
「……」
「……」
ざざん、と波の音が聞こえてきた。
空にはちらちらと星が瞬いている。
「……えーと」
「……うん」
気まずい。
あたしらはいつもやかましい村の連中と一緒にいたし、そういううるせえオヤジとおばちゃん連中の目を盗んであいびきすることには慣れいていたが、堂々と二人っきりになることはよくよく考えてみたら初めてだった。
心臓が口から飛び出してくるんじゃないかっていうくらいの緊張に襲われる。こんな気持ちになるのはいつぶりだろう。
去り際にユールさんが紅茶の茶碗を片付けてくれていたが、あのなんとかっていう菓子の入った陶器の容器をそのままテーブルに置いていた。
手持無沙汰になったらしい白狼が、その蓋を開けて赤いそれを一つつまみ、無造作にかじる。
「……やっぱ変な味の菓子だよな」
「文句言いながらなんで食べるんだよ?」
「変な味なんだけど……なんか懐かしいんだよ。これ、ニオイバラの匂いがするだろ? だからかな……」
ニオイバラ、と白狼が言うのを聞いてあたしの頭にある思い出を閉じ込める壺の蓋があやうく開きかけた。
白狼と一緒にいる時、それは絶対開けてはいけない思い出だ。
とっさに白狼から顔を背けて、台所に向かう。
「腹減ったね。ユールさんが晩飯用意してるって言ってくれたし。それいただこうよ」
「陽蜜」
台所に向かおうとしていたあたしの体を白狼が背中から抱きしめる。
「飯はあとでいい」
首の後ろに唇をつけて白狼が低く囁く。そうすると背骨を通じて全身がぞくぞく震える。たまらなくて身をよじると、白狼の体に身をすりつけることになる。そうなるのを生意気に読んでいやがったのか、右の腕であたしの上半身をぎっちり固める。左腕をあたしの両膝の裏に通して持ち上げる。
ニオイバラの匂いのする菓子のせいでどうにかなった白狼にいいように運ばれるのは癪に障ったが、あたしはされるがままになる。そうしないと思い出の壺から思い出してはいけないものがあふれてきたから。
やたらふかふかする寝台に運ばれて、あたしは息を荒げる白狼を受け入れる。
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