第3話 銀鹿、帰郷すとの一報③。

 これも11か12の時のこったろう。


 どうも森の奥からはぐれヤミオオカミがきて村が飼ってるヘラジシを狙ってるのでよくねえっつうんで、脅しをかけることになった。ヤミオオカミの頭を誘い込んで罠にかけ、晒しあげるって寸法だ。


 その時ヤミオオカミを罠まで誘い込む囮役が大事なんだけども、まだあたしも「あんた」とだけ呼んでいた銀鹿が手を挙げたのだ。


「その役、あたしがやる!」


 村の大人たちも、その頃には銀鹿に一目二目おくようになっていた。弓が上手い、頭の回転が早い、それになにより肝っ玉が太くて勇気がある。

 この役は本来ガキにまかせる仕事じゃないんだけど、その時狩を取り仕切っていたオヤジは銀鹿に任せた。技量と肝っ玉を計る意味もあったのだろう。


 銀鹿はニッと笑ってその場に四つん這いになる。そして喉をのけぞらせて背中をぶるっと震わせた。


 それを見ていたあたしのみぞおちあたりが一瞬ぞくっとなる。


 人の体から鹿の体に変わるときの銀鹿の表情が、普段と全然ちがってなんだか切なそうに見えたからだ。でもそれは一瞬で、銀色髪の娘っ子は一頭のぴんぴんした若い雌鹿に姿を変えていた。あたしがヤミオオカミだったら矢も楯もなくその喉笛に牙をたてたくてたまらなくなる、イキのいい雌鹿だった。


 おおっとオヤジ連中も声をあげる。銀鹿はほこらしそうに白い綿毛みたいな尻尾をぴくぴく動かしてから、木立の中を駆け跳んでヤミオオカミの縄張りまで挑発しにゆく。

 その後ろ姿を追いながら、オヤジの一人が呟いた。


「ありゃ大した娘だな」


 あたしはオヤジの後に続きながら、さっきの銀鹿の様子で頭の中がいっぱいになる。

  

 月の女神さまは鹿に姿を変えて地上に遊びに来なさるという昔話があたしらの部族には伝わるが、銀色の鹿になった「あのこ」はまるでその女神さまみたいだった。


 銀色の鹿。銀鹿だ。


「あたしの名前はあんたがつけてよ」


 二人の木の下でそう頼まれた時、あたしは迷わずそう名付けた。




「……ええと、申し訳ございません。これはなんとお読みすればいいんでしょう?」


 あっちの世界への通路・スポットがある、できたばっかのしょっぴんぐもおるにて。


 あっちで必要になる服の一式を準備して会計を済まそうと思ったら、白狼の書いたサインを見て服屋の店員の女が困ったような愛想笑いを浮かべた。

 耳が丸くて、ぱっと町にいる連中とそう変わらないけれど、店に入った時にあたしらを見た時のびくっと驚いた、それでいてなんだか珍しいものをじろじろみるような態度をを隠そうともしなかったところからするとあっちがわからきたヤツだったんだろう。あっちの世界にあたしらみたいに耳の尖った人間はいないらしいから。


「あん? 姉ちゃん字ぃ読めねえのかよ? これは『北の森に住みクマとシカの神を祖先に持つ一族の果敢な父親と気高い乙女を母に持つ祖先の守護を受けた勇壮なる狩人の末裔たる丈夫』って書いてあるんだけどよ、おめえさんが俺に本名かけっつうから書いたんだぜ?」


 白狼のざっかけな言葉遣いに、女の店員は明らかにびびっていた。別に怖がらせたかったわけじゃない。こういうしゃべり方があたしらの村の中では普通なんだわ。

 でもってあたしらは普段森の中で狩りするかヘラジシ育てるかで街に滅多に出て行かねえし、主につきあうのも他の尖耳部族だったりする。だから、常から意識してねえと中々お上品な言葉遣いっつうもんが身につかないんだわ。軍隊生活でもしない限り。

 

 すかさず店のどこかからこの店員の上役らしい女が素早くすっ飛んできて、頭を下げた。


「申し訳ありません。何かございましたでしょうか?」

「いや、そこの姉ちゃんがなんか得するポイントカード作ってくれるっつうから言われた通りに本名書いたんだけんどよ、そしたら今度はなんて読むんだなんて聞きやがるからよぉ……」

「それは大変失礼しました。もちろん通り名でもおつくり致します」


 上役の店員はこっちの世界の事情にちょっとは通じているみたいだった。

 白狼とあたしの様子をさっと見るなり、深々と頭を下げて白狼にペンを差し出す。白狼もほっとしたように、差し出された紙きれにこっちの公用文字で‶ハクロウ″と記した。


 あたしら尖り耳部族の本名はとにかくバカみてえに長い。理由は知らない。悪い呪いをかけられるのを防ぐために、口にするの気も失せるような長ったらしい名前を付けるようになったっているのが学者先生の定説らしい。本名は大体役所に登録するときか大事な祭の時しか使われない。


 あまりにも長すぎて、自分の本名は名付け親に聞かなきゃわからないってヤツもざらにいる。

 長すぎるから、普段は誰もまともにそんな名前で呼ばない。感じのいい大人なら「子ウサギ」「ヒナ」「ひよっこ」、事務的にには「おい」「そこの」「お前」、感じの悪い大人からは「クソガキ」「ガキども」などと呼ばれて育つ。

 ガキ同士なら大抵「あんた」「お前」だ。

 で、大体年頃になったら、お互いに好いた相手に名前を付けてもらうことになる。それが習慣になっている。


 あたしが名前をつけたのは銀鹿ギンジカ白狼ハクロウの二人。

 銀鹿はあたしに燐火という名前を付けた。

 白狼はあたしに燐火という名前の上から陽蜜という名前を被せた。

 

 銀鹿はあたしの知らない異世界の女からエルコって名前で呼ばれている。

 


 

「済まねえな。なんかビビらせちまったみたいで……」

 ことが丸く収まったので白狼はすっかりおびえた下っ端の女ににっこり微笑みかけた。

「また買い物にくっからよ。そん時はサービスしてくれよな」


 買ったばかりのあっちの世界の服を身に着けた白狼に笑いかけられると、涙ぐんでいた女もすっかりポーっとなって、派手に頭を下げた。

 もうすぐ嫁になるものとして、あたしはデニムっつう股引みたいな袴を身に着けた白狼のケツを蹴る。


 なんでだか知らないけど、あっち側の人間にはあたしらみたいな尖り耳の人間がとんでもない男前と別嬪に見えるらしい。

 白狼はあたしのひいき目抜きにしても村の中でもまあまあ男前だ。背も高い、がたいもいい。鼻すじもすっとしてるし、小さい時はまん丸のくりくりだった目が大人になったらいっちょ前にほどほどに垂れた形の良い目になっちまいやがった。この目で黙ってじいっと見つめられると、大抵の娘っ子の胸に消えない火が着く。

 尖り耳の女相手ですらそうなんだから、あっち側の人間にとってみりゃあ甘ったるくて悪い魔法みたいなもんだ。そんなものを大盤振る舞いしては困る。


「なんだよ、焼いてんのかよ?」

「うるせえ、調子乗んなバカ」

「そう怒るなよ。似合ってるぜその恰好」


 さっきの服屋で一式そろえたばっかのあたしの格好をみて白狼はニヤつく。


 あっちの世界はとんでもなく暑い、あたしらが着てきた服の格好であっちへ行くとすぐに茹るっつうんで白狼がみたてて買った服は、花柄のヒラヒラペラペラした布で出来たわんぴいすって服とと裸足で履くさんだるって履物だった。。

 今までこんな頼りない服なんて来たことが無い。まるで下着でウロウロしてるみたいで落ち着かない。このもおるに来ているこっちがわの連中が、あたしをじろじろ見ていくし。

 

「……あんたあたしを騙してんじゃないだろうね?」

「だますワケねえだろ、本当に向こうじゃその恰好でちょうどいいくらい暑いんだって。信じろよ」


 もおるの中は暖房が暑いくらいに効いていて、ほとんど裸みたいな恰好でいても寒くない。外の雪模様が嘘みたいだ。

 

 向こうの世界への通路でもあるスポットは、このもおるの三階にある。あたしは初めてえすかれえたあってやつに乗って興奮しながら、上へ上へ登っていった。


 あたしらの住んでる村がある森から最寄りの街に、もおるができて数か月。あっちの世界の会社が展開してるっつううこのバカでかい建物の中には、すみずみまでぎっちり、あっちの世界の品々を売る店が詰まっている。

 見たこともない服に食べ物、装飾品。どれもこれも夢みたいにきれいで珍しい。とんでもない値がついてるものばっかりだけど、見てるだけで楽しい。



 銀鹿のやつも、向こうの世界でこんなふうに楽しんでいたんだろうか。



「お? どうした?」

「……なんでもない」


 あたしの前に立つ白狼の背中に額をくっつけて、銀鹿のことを頭から追い払う。


 

 このもおるの中でもひときわやかましいスポットルームの周辺で、尖り耳の集団で出くわした。みんなあたしらと同じようにあっちの世界の格好に着替えている。みんなサンタなんとかって親方の下で働く橇曳きの若い衆だ。


 オウ、と白狼が顔なじみらしい若い衆にあいさつすると、そいつらも、オウ、と手をあげて答える。

 そして男衆同士の挨拶が始まった。あたしもその場で、白狼の嫁になる陽蜜ヒノミツとして紹介される。もちろんあたしも今までで一番の愛想をふりまく。


「おう、あんたが噂の嫁っこかあ。こいつにゃもったいねえ別嬪じゃねえか」

「おいそりゃどういう意味だ!」


 よその部族の尖り耳たちと白狼はさっさと雑談を始める。一年ぶりに出会う近況やなんか。あっちの世界でこれから始まる、橇曳きの仕事についての情報交換。白狼はあたしの紹介をすませるとそういう話に夢中になりだす。


 どれもこれもあたしには分からない話だ。

  

 荷物の詰まったトランクに腰をおろし、あたしは周りを見てすごすことにする。


 

 自分はこれから、異世界へ行くんだ。

 白狼との婚前旅行だ。

 ずっと行きたかった、南の海だ。


 楽しみだ、あたしはずーっとこれを楽しみにしていたんだ……と言い聞かせているのに、目線は勝手にスポットの向こうからこっちにやってくる客の顔から銀色の髪をした尖り耳の女がいないかどうか、探していたりするのだ。


 ああ、嫌になる。

 たとえ銀色の髪の尖り耳の女がいた所で、どうにもできないじゃないか。あたしは今から異世界へいくっていうのに。



 思わず頭を振った時、目の前にポトンと何かが落ちた。


 白くて軽い容器に入った、向こうの食い物だ。湯を注いで蓋をして数分待てば麺になるっているアレ。

 銀鹿の父親の弓男さんが、「うちの娘が送ってきたむこうの食いモンだけどよお、結構うめえんだわ」とか言いながら村中に配って回ったことが一回あった(あたしは食べなかったけど)。


 目の前の、ぱんぱんに膨らんだでかい鞄をさげた髪の黒い女の荷物から落としたものらしい。あたしはそれを拾って女を呼びかけた。



「ちょっとあんた、落としたよ!」


 行商に行くのかってくらい大量の荷物を抱えた黒髪の女は振り向いて、落とし物に気づいたらしい。あたしにぺこぺこ頭を下げた。


「ありがとうございます。すみません……!」


 まっすぐな黒い髪。こげ茶の瞳。全体的に平べったい顔つき。多分異世界の女だろう。背丈もちんまりしていてなんだか子供みたいだ。

 異世界の女はもこもこした上着を着こんでいる。暖房の効いたこのもおるでは暑そうだ。あたしの軽装をみてちょっと驚く。


「……今からあんたらの世界のぐれえとなっとかって所に行くんだよ。海がきれいできれいな魚がいっぱい泳いでるっていう」

「ああ、グレートバリアリーフ?」

「うん、なんかよく覚えてねえけど多分そこだと思う。いいとこかい?」

「私はまだ行ったことがありませんけど、素敵なところだとは聞いています。よいご旅行になればいいですね」


 落としたものを受け取りながら、女ははにかんで笑った。いいやつみたいだ。


「あんたも旅行?」

「ええ、まあそのようなものです」

「めずらしいね、こんな雪と氷ばっかのクソ寒い時期に観光なんてさ。もっと暖かい時に来なよ」


 女の笑顔があどけなかったせいで、あたしはつい長年のツレみたいな調子で話しかけてしまう。退屈していたのと頭の中をカラッポにしたかったのもあったのだろう。


「夏至のころとかならさあ、ここらも結構奇麗なんだよ。ぱーっと一面に花が咲くのっぱらなんかがあってさあ。うまいもんもあるし」

「へえ……。夏至ですとこちらも白夜ってあります?」

「日がいつまでも沈まないかってこと? ああそうそう、夏場はね」

「ということはこちらの世界も丸いんですね……なるほど」


 あっちの世界の女はなんだかよくわかんないことを一人で勝手に呟いて、一人で勝手に納得していた。


「おい、陽蜜~。そろそろ行くぞ」


 白狼が声をかけてきた。あっちの世界に通じたスポットをくぐる順番が回ってきたらしい。

 女は最後にまたニコッとわらって頭を下げた。あたしも笑顔で「じゃあね、楽しみなよ」と声をかけて別れる。



「あれ、あっちからの客だろ? 知り合いか?」

「そんなわけ無いだろ。落とし物を拾ったついでにちょっとしゃべっただけだよ」


 白狼と一緒に列に並び、あたしはいよいよ初めてスポットをくぐるってことに胸をドキドキさせる。緊張から白狼の肘をつかむ。


 ……よく考えたら、あたしはあたしらが住んでる森から出るのだって初めてだったのだ。そこからこのもおるのある街まで橇できて、宿で一泊するという手間かけてここに来てるのだ。

 なのに異世界へいくのはスポットをくぐればあっという間だっていう。現代魔法文明ってやつはつくづく納得いかねえ。ろくでもねえまやかしか何かじゃないんだろうか?


「……あたしらタチの悪い鬼に化かされてるってことはねえかい?」

「おいおい、年寄みたいなことを言うなって」


 不安にかられるあたしの肩を白狼がぎゅっと抱き寄せる。


 その時、あたしの目が、銀色の何かを捕らえた気がした。さらさらっと靡いた髪のようなもの。


 思わずそれを目で追って振り向く。

 

 銀色の髪の毛の女の後ろ姿が見えたような気がしたけれど、あたしの後ろ並んだ尖り耳の男が邪魔をしてよく見えない。


「ん? どうした?」


 首を伸ばして後ろをみようとするあたしの肩を抱く白狼は、怪訝そうな声を出した。

 あたしの動きに気を利かせたらしい後ろの男が、苦笑いをしながらすこし脇へどいてくれた。そのうしろに銀色の髪をした女の姿はない。

 

 ……勘違いだったか。それとも未練たらしいあたしが見た幻だったか。


「なんでもないよ」

 後ろの男に軽く礼をして、あたしは白狼の体に身を寄せた。

 

 

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