第2話 銀鹿、帰郷すとの一報②。

 初めて月の物が来た時、母ちゃんに手を引かれながら痛む腹を抱えて月小屋にいくと、そこに銀鹿ギンジカがいた。


 ぶすっとふくれて糸車を回し、羊毛を紡いでいた。


 その時、銀鹿はただ単に弓男のとこの娘と呼ばれていて、あたしは単にあんたと呼んでいた。あたしも銀鹿からはあんたとだけ呼ばれていた。


「ああ、あんたも始まってたんだ」

「昨日から……痛たた……」

「痛えよな、あたしはおとといからだよ。ったくなんでこんなしょうもない目に遭わなきゃいけねえって話だよ。子供なんか拵えやしねえっつうのにさ」


 銀鹿はあたしがあのことを知ってるようにポロッと口を滑らせたけれど、あたしはその時までどうすりゃヒトが、ていうか生き物の大半がどうやって子供を作るか知らなかった。それと腹が痛くなって股から血が出るおっかない事柄が結びついてるのか全然知らなかった。

 だから当然、「どういう意味?」って聞くわな。


 すると銀鹿はぼっと顔を真っ赤にして顔を背けた。


「知らねえ、姉さんたちに聞いてくれ!」


 あたしらのやり取りを微笑ましそうに眺めていた姉さんたちも、刺繍やツノ細工の手をとめてプーっと笑った。きっと昔の自分たちを見るような気がしたのだろう。今ならプーっとなる気持ちもよくわかる。ちっこい娘たちが恥ずかしがってむくれる様子が可愛いんだから仕方がない。


 その後に姉さんから、あれやこれや大事な話を聞いて、あたしはギャーギャー泣いて騒いだ。

 嫌だ嫌だ、そんなことするならあたしは一生子供なんていらねえ。母ちゃんになんて死んでもならねえ。そんな目に合うくらいなら舌噛んで死ぬ! と宣言した。


 初めて月小屋に来てあたしみたいになる娘は別に珍しくなかったので、姉さんたちはそのまま一日放っといてくれた。

 一日泣いてふて寝してるとあきちまうので、次の日には銀鹿と一緒に羊毛を紡ぐようになっていた。


 一日中糸車を回してるとつまらない話でケラケラ笑うようになった。小娘の気持ちなんてそんなもんだ。


 そっからあたしと銀鹿はなにかっつうと一緒に遊ぶようになった。

 まあ、同じ村でダンゴみたいに一塊になって遊んでいたガキの群れから銀鹿っていうたった一人を見つけたのは、この月小屋での一件がきっかけになる。



 月小屋って風俗について一応説明しておこう。


 あたしの村では月の物がくると女たちは月小屋っていう村の離れの天幕で寝泊まりしてすごすことになる。天幕なのに小屋呼ばわりも変な気がするがその辺のことは先祖に文句つけてもらいたい。体が元に戻ったら父ちゃんと母ちゃんのいる家に戻る。

 町育ちで丸耳の娘っ子たちはこの習慣を聞くと一斉に「いやだ!」「ありえない!」と悲鳴をあげやがる。

 村でもここ数年じゃあたしの妹のように月小屋にいくことを死ぬほど嫌がる娘っ子が増えてきた。だからきっとそのうち廃れちまうんだろうけども、別に悪いことばかりじゃないのだ。


 あたしら尖り耳の連中は、ヘラジシの遊牧と森の中に住む獣の狩を生業としてきた。狩には女も参加する。

 考えても見て欲しい、明日大物のクマを仕留めるって時に弓の名手の女が「月の物が来たから休む」ってなったらみんな困るだろ? エッ急に?。ってなるだろ?


 でも月小屋だと村の女の月の物のがいつくるかみんな予測できるし、大型の獣を狩る予定も組みやすいんだ。

 それにうちの鈍感な男衆や年寄り衆の名誉のためにいっておくけれど、月の物がきた女にしょうもないからかいの声をかけるようなゲスだけは一人もいねえ。そういうことをすんのは町にいる丸耳の男だけだ。


 あとまあ、ぬくぬく暖かい月小屋でゆっくりできるし姉さんたちのする面白い話も聞けるし、ちょっと恥ずかしいのを我慢すりゃそう悪いもんでもないのだ。



 さて11の冬に月の物を迎え、ヒトが子供をどうやってこさえるかを知り「そんなことをするくらいなら舌噛んで死ぬ!」と宣言したあたしだが、婚礼を半月後に迎えた今でものうのうと生きていて、夫になる男の口を吸いあってはベロをからみ合わせていたりする。もちろん噛み切ったりはしない。


 銀鹿との思い出の樅の木のそばにいたら、白狼ハクロウが迎えに来たのだ。


 白狼はあたしや銀鹿と団子のように育った子供の一人だ。

 昔は冬毛に覆われた子供のイタチみたいな、白っぽい色の髪に目のくりくりしたちっこくてすばっしこい子供だったけれど、今じゃあたしより背も高いし毎日ヘラジシの世話もしてソリも引いて体を使う仕事をしてるから力も強い。

 だからあたしが迷っているとこうして強引な態度にでることもある。


「……俺に白狼って名前をつけたのはお前だ。俺は一生、その名前を変えねえって誓う」


 唇をぬぐって白狼はあたしのほっぺたを手袋を当てた手で撫でた。ガキにするようにあたしの顔をはさむ。


「だからお前ももう燐火じゃねえ。陽蜜ヒノミツだ。これから一生ずっとその名前だ」


 結い上げた所からほつれた髪を白狼は一房つまむ。あたしの髪は金色で蜂蜜みたいだとまだイタチみたいだった時の白狼が言ったことがある。


 そのことを思い出してあたしは笑った。


「あんたよっぽどあたしの髪が好きなんだね」

「……おうよ。蜂蜜か春のお日様の光みてえだって思ってたわ」


 その髪は今は結い上げて毛皮できた被り物の中に押し込められてる。みせてやれなくて残念だ。



「明日の夕方には向こうへ向けて発つぞ。準備しとけよ」


 白狼はいっぱしの橇引きになってからずっと、冬至の時期には出稼ぎに出ている。


 異世界にいるサンタなんとかって親方の所で、そこの世界中の子供にオモチャだお菓子だを配達する手伝いをしているのだ。

 向こうの12月24日から25日の夜の間だけ、たった一晩だけの仕事だけど夜の寒い中空の上をソリで飛び回る仕事だから結構キツイらしい。でもキツイけれどその分報酬は悪くないし、向こうの世界の珍しいもんを見たりうまいもんをくったり物見遊山も楽しめるからここいらの男衆の冬の楽しみになっている。


 今年の白狼の受け持つ地区が、冬至の時期だっつうのに季節は真夏でクソあっちいていう変な地区だと決まった時、白狼は小躍りしてウチのテントにまってきた。


「陽蜜、今年はおめえも出稼ぎに来い!南の海をみせてやれっぞ。婚前旅行だ!」


 炉端の作業中だった父ちゃんも母ちゃんもそれを聞いてブフォっ!と噴いたけど、白狼は構わずあたしを抱き上げてくるくる回った。

 あたしも、宝石を溶かしたみたいでウチの森のずっと北の果てにある海とは全然様子が違うっていう南の海の話を聞いて以来ずっと憧れていたから一緒にキャアキャア声をあげて喜んだのだ。


 それからずっと楽しみにしてたのだ。

 グレートなんとかっていう海の珊瑚礁、ペカペカした熱帯魚、あっちの世界の珍しいもの。話でしか聞いたことがないような街を白狼といっしょに歩くこと。



 本当に本当に楽しみで、準備をしながら指折り数えてその日を待っていたんだ。


 今だって楽しみだ。白狼の去年の土産だった青い海の絵葉書を頭に思い浮かべると心が自然に沸き立つくらい。



 あたしはとにかく南の海のことで頭にいっぱいにする。銀鹿の入る余地がないほど。

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