える子故郷に帰る。
ピクルズジンジャー
第1話 銀鹿、帰郷すとの一報①。
冬至の祭にあわせてあの子が帰ってくる。
そう聞いたのであたしは
「はあ? あっちで年越ししろだあ? 急にムチャ言ってんじゃねえぞ」
「いいじゃん、その分十分に青い海で遊べるし。あたし自分で潜って熱帯魚ってやつをみてみたい」
「バカ、向こうの滞在費バカになんねえんだぞ? ソリ引きの稼ぎがそれだけでパァになっちまわあ。大体親方が二人分の滞在費出してくれるだけでも大サービスだっつうのによ」
「あたしの貯金も出すから〜! お願いっ」
「……そんな無理もしなくてもよお、せっかく
ごついブーツを履いた脚であたしは白狼のケツを蹴り飛ばす。白狼はうちの部族の男衆の中ではかなり男前の方だけど、どうしようもない鈍さとガサツさは他の男衆どもと同レベルだ。
新しい嫁を連れて帰ってくる義姉妹にどんな顔をして迎えたらいいのかわからない娘心なんて、繊細なものがわかりゃしないのだ。
「白狼のバカ! ニブチン! ヘラジシの下痢便踏んで滑って転けろ! バーカッ!」
「てめっ、なんつうこと言いやがる!」
怒る白狼と、よぉもう夫婦喧嘩か? ヘラジシの世話をしながら白狼をからかう男衆の声を背中で聴きながらあたしはどかどか凍った雪を踏み割りながらうちの家族が住むテントへ向かった。その途中であたしが今言っちまった暴言を聞いていたかもしれない精霊に「今のはナシです、嘘です、取り消します」と断るまじないをとなえておくのは忘れない。
「ただいま」
「お帰り。あんたまた婿殿のことをボロカスに言ったんじゃないだろうね」
「げ、聞こえてた?」
「……言ったのかい?勘弁しとくれよ全く」
うちの家――つっても獣の皮を梁で支えた天幕なんだけど。見た目に反して広いいし囲炉裏で煮炊きもできるから温い――に戻ると、母ちゃんと妹が婚礼用の晴れ着の仕上げに取り掛かっていた。父ちゃんは冬至祭の話し合いに参加してるんだろう。
外に出て冷えた体を囲炉裏で温めると、母ちゃんがせっせと手を動かしながら言った。
「娘や、あんたの妹に言ってくれないか。月小屋に行けって」
みると妹はふて腐れた顔で黙々と針を動かしていた。その様子でぴんときた。妹も12かそこらだ。そういう年頃だ。
「ああ、おめっとさん。あんたもそろそろ誰かにいい名前をつけてもらえる年になったのか」
「……なりたくてなったわけじゃない。名前だって今まで通りチビとか赤ん坊とか子ウサギとかでいい。月小屋には死んでも行かない」
ぶっすりふくれて妹は答える。時々ぎゅっときつく顔をしかめるのは腹がいたかったり股から血の塊が下り落ちるのが気持ち悪いせいだろう。
「チビ、腹が痛いんなら無理すんな。月小屋にいって休んでろ。姉さんたちのだれかが腹が痛いん時どうすりゃいいのか教えてくれっからさ」
「嫌だ、あんなとこいくくらいなら腹が痛え方がマシだっ」
痛いのと悔しいのと恥ずかしいのからか、妹はポロポロ涙をこぼし始めた。あたしは諦めて母ちゃんに言う。
「今日はそっとしておきなよ」
「はーったく、何が恥ずかしいもんかねえ。あんたも結構ゴネたけどチビ子ほどじゃあなかったよ?」
「まー、時代の流れってやつでしょ。しょうがねえよ。てめえの体の状態を大っぴらにするんだよ? 恥ずかしがるのがフツーだよ、母ちゃんもわかってやんなよ」
「そういうもんかねえ。はーっ、若もん文化っつーのは理解できねえわ。昔はそんなことでいちいち親につっかかったりしなかったもんだけどねえ」
「うるさい! 母ちゃんも姉ちゃんも、みんな嫌いだ!」
妹は耐えられなくなったらしい。不機嫌なツラをさらしたまま家の外へ出た。どうせ義姉妹に泣きつきにいくんだろう。妹の義姉妹がうまいこと月小屋へ誘導してくれりゃいいんだが。
「それはそうとさ、冬至祭にあわせて弓男さんとこの娘が帰ってくるんだろ? どうせならあんたの婚礼まで残っておいでって話つけておきなよ。祝は賑やかな方がいいし、あの子は舞の名手だからね。いい景気付けになるよ」
「……」
さっきの妹との会話を聞いて、母ちゃんも繊細な娘心を理解できない姥衆の一人だと警戒しとかなかったのはあたしの落ち度だ。
「言えるわけないだろ。あたしは銀鹿には会わないことに決めたんだから!」
「会わない⁉ あんたが弓男さんちの娘っ子に? なんでまた、あんたたちゃずーっとべったり一緒にいたじゃないか⁉ それなのに婚礼にも招待しなきゃ会いもしない、話もしないってのかい⁉ はーっ若いもんの流儀ってやつはババアの理解の範疇をこえちまってるねえ」
かあちゃんが青い目を見開いで驚く。
父ちゃんから若い時に
「うるさいっ、母ちゃんなんか嫌いだっ!」
妹のマネをしてあたしもテントの外に出てやったが、残念ながらあたしには泣きつく義姉妹はもういない。夫になる予定の白狼はさっきケツを蹴り飛ばしたばかりだし会えるわけがない。
仕方がないので、樅の木立で覆われたあたしたちの村の周囲を無意味に歩く。
村の中心地は冬至祭の準備の真っ最中だから立ち寄らない方が無難だろう。母ちゃんより鈍い父ちゃんと、鈍さにおいてはならぶもののない最強の年寄衆がいるからだ。
酒くさいオヤジ連中に、弓男のとこの娘が嫁をつれて帰ってくるぞだのなんだの話しかけられたら、そいつら全員のケツを蹴るか金玉踏みつぶしてしまいそうだ。
どうにもこうにも誰にも分かち合えない気持ちをかかえたまま、あたしは村のはずれの樅の木にもたれる。
ここは昔、銀鹿とよく一緒に座った場所だ。
一緒に座って、なんだかつまらない話を飽きもせずぺちゃくちゃ交わしていた場所だ。
木の幹にはあたし達が昔ナイフで掘りつけた、名前と永遠の愛を誓う紋様がまだ残っている。
銀鹿があたしに着けた名前は
あたしがあの子につけた名前は銀鹿。神話に出てくる氷の女神の化身の大鹿みたいに奇麗だからだ。
ただ、あの子のことを銀鹿としつこく呼んでいるのはあたしだけだ。あの子は今では‶エルコ″って呼ばれている。あたしの知らない異世界の女が勝手につけた名前だ。
……なんだよ、エルコって。どっから来た名前だ。
こんな変な名前つけやがる女、絶対ロクなもんじゃねえ。
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