第104話 闘病生活

 真冬の病院は辛かった。


 談話室には、むき出しの水道管の様なものから、熱気が出る暖房装置が壁伝いに張り巡らされてあった。


 部屋には、暖房設備が無く寒くて仕方なかった。同部屋の患者の会話も、酷いものだった。


 「俺はこの病院に、二十七年も入院している。住民票もこの病院になっている。死ぬまでこの病院で過ごすのだ。薬を飲まないと、ヨダレがダラダラ出て来る。たまに買いに行く、焼き鳥を食べるのが唯一の楽しみだ。セックスしたいけどアレが立たないし無理かな。命が惜しいので、長生きしたい。俺は死ぬのが怖い」


 毎日、同じ話を繰り返すので、僕は暗唱出来る様になっていた。ゆっくり療養どころでは無い。ただ幼い頃から我慢する事を、親父から叩き込まれていた。昼間のガヤガヤした会話も、夜中のイビキも慣れる様に頑張った。


 真夏も暑くて厳しかった。談話室は、冷房完備が無い。もちろん部屋にも冷房が無くサウナ状態だ。敷地外でなければ外に出られたので、昼間は病院内の木陰に腰かけ涼んだ。


 おこずかいが毎週、月曜日に支払われた。患者により金額が違うが、僕は千円もらった。おこずかいをほとんど使わなくて、ロッカーの中は千円札で溢れていた。


 食事は、患者達にとって唯一の楽しみだ。最前列の二人は、二時間前から並んでいた。 


 僕は、時間が過ぎてから最後尾に並んだ。一列に並びプラスチックの食器を取り、それにおかずを入れてもらうやり方だ。


 食事は温かく美味しかった。おかずもご飯も残っているとおかわり自由だった。散々半分腐りかけた弁当を食べて来た僕だ。病院の食事はご馳走だった。


 食べ終わると、自分で食器を種類別に分けかたづけた。


 毎週親父から手紙が届いたが、余りの達筆さでほとんど読めなかった。親父は書道の師範の免状を持っていた。幼い頃、左利きの僕に書道は右手でないと、跳ねと点が出来ないと言われ、右手で書かされた。日の出食堂の時も支店を含め、メニューは全て親父の手書きだった。


 夜寝ていると、いきなり患者が入口のガラス張りになっている窓を、素手で叩き割った。 


 僕はその窓の、真ん前に寝ていた。ガラスの破片が、バラバラと僕に降りそそいだ。叩き割った患者の拳が、血まみれになった。職員が駆けつけ、僕に「危ないから動かないで」と言い、かたづけを始めた。


 幸い僕は無傷で済んだ。窓を割った患者は、イライラしてやったと言った。


 就寝時間過ぎに喧嘩したのもこの患者だ。僕が暗唱出来るまでになった、あのお喋りの患者が、いつものように話しているといきなり「こんちくしょう」と殴り始めた。部屋は騒然となり、職員が来て事なきを得た。


 僕はそういう環境の中、入院生活を送っていた。

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