第68話 前田弁当との決別

 支店の工場長は、営業部長も兼任している森田だった。歳は六十くらいだろうか。僕は、森田にかなり気に入られていた。


 支店の製造は六百食程度だ。


 僕は、二百八十食配達していた。次に多いのが、百五十食で後は百食前後のドライブコースだ。


 森田から「まだ運べるか?」と聞かれ「配達の終わりが昼の十分前なのでまだ行けます」と答えた。


 前田弁当の配送員は、全くやる気が無く僕は唖然としていた。みんなその場しのぎで仕事をしている。


 僕は、森田が営業して獲得したお客さんを喜んで配達した。そんな僕をかってくれた。


 前田弁当の従業員から「龍神は頑張り過ぎだ。もっと手を抜いてくれないとこっちが持たないぜ」と僕は、陰口を叩かれ煙たがられた。


 給料は、手取り十七万円で日の出屋の倍だ。弁当の完成度も高くて美味しいと思う。前田弁当の本店は、僕の住んでいる日の出屋の近くだ。兄に前田弁当の事を話して、どうすれば一端の弁当屋になれるか話をした。


 前田弁当のメンバーは、とても優しく仕事はやり易かった。ただ仕事に夢中になって、取り組む姿勢がある人は一人もいなかった。


 前田弁当に勤めて一年になろうとした頃森田は、話があると喫茶店に僕を誘った。


 蒲田に、弁当屋を売りたいという物件があると言う。森田も、前田弁当にかなり不満があるらしい。一緒にやらないかと言う。


 だが森田に資金は無く、僕に資金を調達して欲しいと言う。


 僕も、前田弁当に不満があった。従業員のミーティングの時、僕は社長に「もっと業務に当たる人の意見を取り上げ働きがいのある職場にして、給料もたくさん貰える様にしましょう」と進言した。


 「生意気言うな!経営はボランティアじゃ無いんだぞ!」


 社長は不機嫌になり、ミーティングを終わらせた。この話を聞き、この社長にはついていけないなと思った。


しかし僕は経営の素人だ。森田の「俺が営業して、バンバン利益が上がる様にしてやるから心配するな」というこの言葉に乗せられてしまった。


 親父に相談すると、すぐにお金を準備してくれた。


 森田と打ち合わせをして、前田弁当に同時に退職届を出した。驚いたのは前田社長だ。顧客を荒らされる。森田は営業部のリーダーで、前田弁当の全ての顧客を把握している。


 嫌な奴を相手にしたと、前田社長は思っただろう。


 最後の給料を取りに行った時「よくぬけぬけと給料を取りにこられたな。夜の道を、歩けない様にしてやるからな」そう凄んで見せたが、そんな脅しは僕には通用しなかった。


 まだ寒い二月の事だった。

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