エピローグ

最終話 奈落の星

 それは蒼の世界、翠の世界、緑黄溢れる生命の世界――――

 暗黒と虚無が占める宇宙の中で、それは奇跡以外の何物でもない――――

 でも、でも――――


 火と氷と嵐の世界――――


 今、その世界は悪魔どもに蹂躙されている。万物の霊長などと謳いながら、非道を極める暴力をまき散らし、死をもたらさんと跳梁跋扈せし悪魔。世界が業火に包まれく――――

 人間ヒトよ、人類ヒトよ……汝は真にその名を冠するに値するなりや?

 その名……知恵ある人ホモ・サピエンスを――――






 UNDR(国連防災機関)・〈国際機動救助隊〉・低軌道ステーション基地――――


 玖劾クガイは無重量の環境下、ただ1人で宙を漂いながら、窓の外を見ていた。その先に視界いっぱいに拡がる地球が見えている。今、ステーションは昼の半球に位置しているのだろう、蒼い光が溢れ、彼のいるラウンジに注がれている。室内全体もその彩りに染め上げられていた。


「やあ、ここにいたんだね」


 背後から声が聞こえて来た。だが玖劾は反応せず、窓の外の地球を見続ける。


「君はここが好きなんだね。暇があれば必ずここに来ている」


 声はかたわらから聞こえて来た。声の主が直ぐそばにまで来ているのだろう。玖劾はやはり目を向けないが、返事はした。


「フェルミ司令、それはあなたも同じではないか?」


 金髪碧眼の男の姿がそこにある。〈国際機動救助隊〉・司令のゲオルグ・フェルミだ。


「そうだね、よく会うからね」


 そこで会話は終わったのか、2人は何も言わず、一緒に地球を見つめ続ける。


「――君はあの世界を美しいと感じるのかな?」


 暫く経ってフェルミが口を開いた。玖劾は何応えない。


「ここから見ると本当に綺麗だね。産業革命以降、環境汚染が進んで随分とくすんだなんて言われているけど、それでも目をみはる美しさがあるよ」


 フェルミは視線を右の方に向けた。その先に地球のへりが見えている。宇宙の暗黒と隔てる薄いベールのような蒼い線が見えている。


「何とも頼りのない膜みたいなものに見えるね。でもあれが絶対死の領域から生命の世界を守る大気という存在があるあかしなんだ。ここから見ると本当に薄くて、心細くさえ思えるね」


 でもね――――フェルミは言葉を続ける。


「そんな心細いものが地球の命を守り続けたんだ。心細いなんて感想は、人間の思い上がりなのかもしれないね」


 実はあれは力強いものなんだ。強大な太陽放射線や更に上をいく銀河放射線から命を守るシールドなんだ。40億年以上もの間、地上を覆い、生命進化を見守り続けたんだよ――――


 言い終えたフェルミの目は限りなく遠い。眼下の地球を見ながらも更に先の何かに向けられているかのようだった。


「今日は随分と感傷的だな。何かあったのか?」


 おもむろに繰り出された玖劾の声は掠れていた。どこか気だるげでもあった。フェルミは目を閉じる。


「なあ玖劾くん、デビュー戦はどうだった?」


 デビュー戦とは、沖縄南部に根城を張っていた人身売買組織・〈大度ダイドエコロジー〉に対する強襲制圧作戦のことだ。


「物足りなかったかな? 君ら百戦錬磨の元強化装甲兵アーマーズにとってあんな場末のゴロツキ集団の相手なんか、物足りなかっただろうね」


 玖劾は全く表情を変えずに応える。


「課された任務をこなす。そこに何の変りもない。相手が国家の正規軍だろうと犯罪組織だろうと、何の関係もない」


 フェルミは軽く笑いを洩らした。


「モランくんなんかは不満を漏らしていたけどね。それでも納得はしていたみたいだし、君らはそういうものなんだろうね。ただ、レイラ―くんには少し悪いことをしたかな」


 レイラ―・ノスラティー……彼女はベルジェンニコフ大佐と共に高級娼婦に偽装して組織に潜入した。そこで目の当たりにしたものに対し、彼女は過剰を極める反応を示していた。


「あれは彼女の過去・・が関わっていてね。それが感情を刺激したんだ。彼女は――」


 玖劾が口を挟む。


「それは言わなくてもいい。他人のプライバシーを無暗に口にするものではないと思うがな」


 フェルミは頭を掻いた。


「そうだったな、その通りだ」


 少し間を置いて彼は言葉を続けた。


「ただ我々には今後もああいう任務が続くことになる。慣れてもらうしかないが……」


 ああいう任務・・・・・・――〈国際機動救助隊〉が担う救助・・のことだ。救助隊は社会の裏側・暗部に潜む様々な陰謀・犯罪等を暴き出し、これを殲滅・消去する工作員的任務を担う。フェルミはそれが救助隊の“救助”なのだと言う。

 社会の暗部に潜む様々な悪意は世界に悲惨の数々を生み出し、拡散させる。火と氷と嵐の時代が生んだ力の論理がその後押しになってしまっている。博愛の精神など微塵も失われたこの時代に於いて、悪意を抑制するものは何も無く、それらは縦横無尽に暴虐を振るい続ける。力なき人々を底辺へと追いやり、痛めつけ、虐げるだけだ。

 根源となる悪意そのものに対し挑戦し、根絶を目指して活動する――これが“救助”なのだとフェルミは主張した。


「正義のため――などと言うと、君は笑うのかな?」


 玖劾は何も応えない。


「私は結構本気なんだよ?」


 彼は玖劾に目を向ける。その先にある少年はただ力なく宙を漂うのみで、何の反応も示していない。フェルミは視線を窓に戻し、地球を見つめた。それは夕刻の領域に差し掛かっているのか、鮮やかな朱のグラデーションが現れていた。

 美しい――と彼は感じる。だが――とも思った。

 フェルミは目をつむり、顎を上げた。そして語り始める。


「戦争は必要な道具だ。戦争を否定する奴なんか信じられない……」


 口をついた言葉が刺激したのか、玖劾はフェルミに目を向けた。フェルミは続ける。


「昔ね、ある少年が言った言葉だよ……」


 目を開いた、それは虚ろな眼となっていた。自身の内面にでも意識を向けているのだろうか、その眼差しのまま彼は語りを続ける。


「戦争は文明を発達させる原動力となる。兵器開発は関連技術も含め、やがて民間に払い下げられ様々な技術革新イノベーションをもたらす。戦争が始まるとそれが加速するのだ。こういう主張は昔からあり、事実そうした側面はある。少年もそんな知識を得て、信じたのだよ」


 でも――――


「でも、それは“知識”でしかない。少年は自身で体験したわけではない。頭デッカチな思い上がりだったのだよ」


 フェルミは両腕で胸を覆い、こうべを垂れた。僅かだが震えているように見え、玖劾は注目した。


「彼はそれを信念として固く信じ、そして軍に志願した。自らも文明の発展に寄与するのだと信じて……ただ主張するだけではなく、行動で示してみせると――」


 その後のことは言わずもがな――フェルミは玖劾に目を向け、微笑んだ。それは力の無い、寂しい笑みだった。


「戦場の真実が何なのかは言うまでもないだろう? 君と同じような経験を彼はしたのだよ。まぁ詳細はかなり違うのだろうけどね」


 少年は各地の戦線を渡り歩いた、歩くことができた。戦死することなく、負傷すらも殆どしなかったから。


「戦友が死ぬ――次々と、雨後うごたけのこみたいにね。そんなものを嫌というほど見せられたのだよ」


 たけのこというものを知らなかった玖劾は素早く脳内極微電脳ナノブレインを通して救助隊のデータベースにアクセスして検索、それを理解。そしてフェルミの言葉がことわざであることも理解した。


「そして敵を殺す、次から次へと――繰り返したのだね」


 その果てに、いつの間にか自分が何も感じなくなっていたのを、彼は知ったのだ――――


 残響のようなものを伴い、フェルミは一度言葉を切った。

 何も感じなくなる――と言う状態を、玖劾はよく理解できた。様々な騒音が消えていって、静寂の中にいる自分を発見することなのだ――と。

 フェルミの語りは続いた。


「そして、その時・・・が来た。ある戦場で空爆に巻き込まれてね、致命傷を負ったのだ」


 意識が薄れていく中で彼は思ったのだよ――戦争が必要な道具だと? ふざけるな、こんな殺し合いに意義などあるものか!


「でも彼は死ななかった、機械人間として甦ったのだな?」


 玖劾はフェルミの後を継ぐように、そう言った。フェルミは何も答えなかったが、小さく頷いた。何も言わない、明言はしない。だが“少年”が誰なのかは明白だった。分かり切ったことだが敢えて言わないのは、彼らなりの何らかのルールだったのかもしれない。

 窓の外には夜の半球が拡がっていた。所どころにシティライトが見える。地上の都市の光、或いは鉱工業生産設備のもの、漁船のライトもあるのだろう。そして戦場の瞬きも――文明の活動は続いている。

 フェルミが再び語り始める。

 

「文明の発達はね、別に戦争なんか無くても十分に進んだものなんだよ。発達の一番の圧力は環境変動、気象や地殻変動さ。スーパーホットプルームや氷河期なんて最たるものだね。それに対応すべく人類は必死に働き新たな技術を生み出してきたんだ。それが社会に定着し、文明の発達となる。皇国のイワドコンプレックスなんてそれだね。これは兵器開発の転用なんかじゃなかったじゃないか」


 でもそのスーパーホットプルームの中で戦争が激化したのも事実だ。


「国際秩序が崩壊したからね。けどね、そんなもの、文明の発達には何も寄与しないさ」


 文明や……更に視点を拡げて言うと、生命進化総体を促す大きな力は地球環境そのものにある。様々な変動が生物たちに試練を与え、環境に適応できる資質を示した者のみが地球での生存を許され、進化・発展していくのだ。促すものは地球そのものだ。


「戦争が何ほどのものか。文明の発達には大して役に立ってないね。そりゃあ技術革新を色々と促しはしただろう。でも、失うものの方が多いのだ」


 こう言うフェルミの顔は歪み、明らかに怒りを表していた。だがそれは直ぐに消える。彼は一転して笑顔を見せた。


「すまないね、つまらない話を長々としてしまった」


 フェルミは手足を振って反転、ラウンジの出入口に向け漂い始めた。


「ただね、これだけは信じてほしいんだよ――」


 僅かに言葉を切って、それから続けた。


「世界を救いたい、救助したいんだ。これは本心なんだよ」


 それだけ言って彼はラウンジから出て行った。

 後に残された玖劾はフェルミを見送るでなし、目は地球に向けたままだった。

 飛ぶように過ぎ去る夜の領域が薄れ、右の端に光の線が現れて来た。夜明けだ、太陽の光が大気を輝かせている。玖劾はただ、その光景の変化を見るだけ、表情に変化はなく、心中は伺い知れない。


 夜は明け、蒼穹の色彩が拡がる。生命溢れる世界がそこにはあると分かる。だがその生命たちは今、火と氷と嵐の試練に晒されている。


「奈落の星だ」


 一言だけ言い、玖劾もラウンジから出て行った――――




 ――完――

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