第46話 姉と弟

 唐突に現れた“声”にモランとハサンは戸惑った。だがそれ以上にベルジェンニコフの言葉に戸惑った。“ボリス”――とは?


『三佐、いったいこれは……』


 ハサンの問いにベルジェンニコフは応えなかった。だが無視しているわけではない。明らかに歪んでいる表情に、彼女の心中にある様々な感情を伺い知らせる。応える余裕がないのだろう。


〈僕は彼女の弟だよ。血を分けた姉弟きょうだいになる〉


 “声”がハサンの問いに応えた。彼らは金庫扉のような開閉扉に目を向けた。声の主はそこにいる……だが、“姉弟”とは?


「フッ……今頃“顔”を出すのか、ボリスくん? ここまで知らん顔を貫いていたのに、やっぱ姉さんの危機は無視できんといったところか?」


 モナドが口を開いた、いつの間にか装甲服アーマーの前面を再び開放していた。皮肉めかした言い方をしているが、反して顔は極めて真剣なものになっている。


〈それはまぁ……そうなんだけど、危機はあなた方に対しても当てはまると思うけどね〉


 モナドは些か自嘲的な笑みを浮かべた。


「なぁ、アンタ。結局どういうつもりなんだ? 俺たちに協力してくれてるんじゃなかったのか?」


 “協力”――その言葉の意味を分隊の皆はだいたい理解した。


「〈北〉と米帝部隊による強襲作戦の手引きをしたのが、この“ボリス”という人物なのか? そして対空防衛を担ったのもその者になるのだな」


 代表するように玖劾クガイが問う。そうだ――と、直ぐにモナドが応えた。皆が彼を睨みつける。装甲服アーマー越しで眼は直接確認できないが、鋭い視線が注がれていることを、モナドは理解していた。


「フム、それで難なく占拠は成功。何故海外勢力に協力しようと思ったのか、そのボリスという人物なりの理由は色々あるだろうが、今全て訊き出すのは時間がかかるな。それはともかくとして、あのフレーム兵の集団は何だったのだと思うな。よくもあれだけ大量に連れて来られたものだ。これもボリスなる者の協力があったからか」


 兵員や装備の移動などかなり入念な兵站が維持されていたと思われる。その辺りにも“ボリス”の協力はあったのではないか――玖劾は思っていた。千の単位に及んでいた大量のフレーム兵の受け入れはいい加減にはできないからだ。


「フレーム兵……ゾンビどもだな!」


 モランが反応した。外部拡声器を通した声は怒号となっている。対してモナドの応答は冷静そのものだった。


「そうイキるなよ。全ては作戦の一環、軍事行動であり、俺たちは軍の命令に従ったまでさ」


 モランが動き出した。実験機器の間からいきなり身を乗り出したのだ。ハサンが制止するが全く間に合わなかった。


「てめぇっ、ざけんな! 作戦っつーが、ありゃ何なんだ? 人間をあんな使い捨ての道具扱いしやがって、非人道的にも程があるぞ!」


 モナドは首を振る。


「仕方ないだろ。あれは陸軍の上層部(今回の強襲作戦は〈北〉の部隊と米帝陸軍、及び情報軍の共同作戦だった)が送ってきた難民の成れの果てなんだ。俺の下に連れて来られた時には全員“処置”済み、〈ゾンビメイカー〉で自我意識が壊されちまって生きたロボット状態だったんだよ。今回の作戦は陸軍が主体で〈北〉と情報軍おれたちはあくまでも支援役バックアップ、最終決定権はなかったんだ。何が何でも使えっつーたし、逆らえなかったんだよ」

「だから何だ? 命令は絶対だから仕方ないってか? ロボットだから使い捨てにしちまっていいって言いたいのか?」

「へっ、優しく扱ってやれとでも? ああなる・・・・と回復は無理なんだぜ? 速やかに死なせてやる方が人道的ってもんだ!」


 やはりモナドは真剣な顔をしている。モランに対する応え方などには苛立ちすら見せていた。どうも怒っているように見える。


「ざけんな、開き直ろうってのかぁっ!」


 モランは重機関砲を前面に突き出し、今にも発砲しそうになった。


「やめろっ、大佐に手を出すな! いつでも爆破できるのだぞ!」


 またしても少女のような声が聞こえてきた。実験機器の間に隠れているもう1人の兵士のものだ。投影されている立体映像ホログラムの中の爆弾が嫌でも皆の目に飛び込む。


『モランくん、やめてくれ! 皆は当然だが、何よりも君自身のためにもならない、もう立っているだけでも限界のはずだろう?』


 モナドに向かうモランの足取りは確かに乱れていた。間もなく足を踏み出すことだけでもまともにできなくなるのは明白。いや、おそらく現時点でも無理がありそうだ。支援サポートAIの補助によって何とか装甲服アーマーの歩行機能を維持しているのだろう。


『くっ、最悪意識だけ残りゃいい。AIで大半の行動制御はできるんだから、奴を撃つだけなら十分だ』


 モランの怒りが限界点を越えているのが分かり、ベルジェンニコフはいよいよ焦る。


『落ち着けっ、実験機器や冷却水プールを爆破されたらお陀仏なんだぞ! 既に致死量近い放射線を浴びている君が更に浴びたとしたら……少量でも一気に死に至る可能性だってある!』


 何とか落ち着かせようとするが、どうにもならない。モランは聞く耳がなくなっている。完全に怒りに呑まれて仲間の危険に対する配慮も消えている。


『うるせぇっ! 奴さえ始末できりゃ後はもういいっ! あんな、あんな――ゴホッ』


 咳の音が通信機を通して聞こえてきた。重い吐瀉物の音も混じっている。吐血しているのでは、とベルジェンニコフは思った。事実、伝達される彼の生体情報バイタルサインは最悪だった。


『あ……差別主義者め……許すものか……』


 モランは銃を上げた、照準を固定しようとているのは傍から見ても容易に分かる。


「やめろっ、そこの男! 本当に爆破するぞ!」


 “少女”がまた叫んできた。その声には悲痛さすら滲んでいる。彼女も必死なのだろう。


『やめ――』

〈そこまでにしてくれ〉


 ベルジェンニコフの叫びに重なるように届いたボリスという名の“少年”の声、同時にモランの重機関砲が突然白熱した。


「ぐあっ?」


 白熱と同時に一気に融解、ドロドロの溶岩みたいな状態になって彼の足元に落ちていった。


「なっ……何……?」


 いきなり起きたことにモランは呆然自失した。


〈自由電子レーザー線を照射した。全員確認してほしい、照射器を装備した自動機械オートマトンを展開させてある。これは元々は自律して施設内部を警備する装備だったが、今は僕の意識とリンクさせ即応できる状態にある。迂闊な動きは何ら利益にならないと理解してほしい〉


 その言いようは今までとは一線を画した断固たるものとなっていた。


〈モナド大佐、そして石動イスルギ少尉、これは君たちにも当てはまる。どうか自重してほしい〉


 石動イスルギ、というのは“少女”のような声の主なのだろう。モナドは見たところ何の反応も示していない。姿を見せていない石動少尉なる人物の詳細は不明。


「て……てめぇ……」


 悪態をつこうとしたモランだが、声ひとつあげるのも苦しそうで、結局何も言えなくなった。そんな彼の下にベルジェンニコフが駆け寄る。ハサンの姿はない、彼は今も実験機器の陰に身を隠したままだ。

 ベルジェンニコフはモランの肩に手をかけ、静かに話しかけた。


『無理をするな、もうやめてくれ……』


 モランは彼女の方に頭部を向ける。だが何も言わなかった。もう声を出すだけでも苦しいのだろう。装甲服アーマー越しで見えないし、通信回線にも映像を載せていないので不明だが、恐らく悔しさに満ちた顔をしているだろう、とベルジェンニコフは思っていた。装甲服アーマーの上からでは意味はないが、彼女は背中を擦った。

 そんな2人を黙って見ていたモナドだが、やがて口を開いた。


「まぁ気持ちは分かるがね。それでもこれは戦争なんだ。俺たちのやることなんざ、全部非人道の極みなんだぜ。戦争行為――殺し合いなんだからな」


 追い打ちをかけるような言い方になっているが、やはり彼の顔は真剣そのものだった。何かしらの思いが込められているように見える。彼は扉の方に目を向けた。


「なぁ、それでな、ボリスくん。やはり俺たちと一緒に行く気はないのか? アンタも同行しくれるんなら、姉さんもついてきてくれると思うんだがね?」


 ベルジェンニコフがモナドに目を向ける。


「そういう取引だったのか?」


 問いはモナドに向けたものだったが、応えたのはボリスの方だった。


〈違うよ、姉さん。僕は彼らの強襲降下作戦の手引きをしただけで、別に僕自身が米帝に亡命しようとか考えていたわけじゃないよ〉


 モナドは、信じられない――という顔をした。


「おいおい、何言ってんだ? これだけ派手に自衛軍に反旗を翻したんだぜ? 今さら皇国に留まるなんて有り得ないだろ? そりゃこの工場の防衛能力は生半可じゃない、アンタほどの能力者による制御があれば文字通り鉄壁になることも証明されている。それにここはタカマノハラにも匹敵する独立閉鎖環境を維持できる。数年は――つーか、お前さんだけなら数十年単位か?――立てこもることもできると思ってるかもしれんがな……でもな――」


 今次作戦時に見せた自衛軍の大規模ミサイル攻撃、高高度降下作戦、そして中性子ビーム弾……成程鉄壁だったが、とても全てを護り切れるものではないことも証明されている。


「何日かしたら自衛軍の〈重装機械化化学防護部隊〉が突入してくるだろう(残留放射線量が下がるはずだから)。あれも強化装甲兵アーマーズ部隊の1つだったな、高濃度放射線環境下でも活動できる専門特殊技能部隊だ。そん時、アンタは確実に逮捕、情報収集のために色々とされる・・・はずだ。それこそ裁判とかナシに非人道的な扱いを受けるだろうよ。その後は殺処分――てオチだろうな」


 だから――と、モナドは言葉を続けようとしたが、ボリスが口を挟んだ。


〈それは重々承知、その上でのことだよ〉


 モナドは首を振る。


「そうか? でもよ、このままだぞ姉さんたちも同じ運命だぜ? だからよ、俺たちと一緒に行く方がいいと思うがな」


 扉を見つめる彼の顔はどこか寂しげにも見えた。


〈まあね、でも――〉


 でも――その後、彼は言葉を続けることはなかった。その代わり――――


〈大佐、このまま立ち去ってほしい。ずいぶんと一方的な言い方だと思うが、協力関係はここまでだ〉


 別のことを言うつもりだったと思うが、それを口にすることはなかった。代わりに述べたのがこの最後通牒的な言葉だった。


「本当に一方的だな」

〈皇国の核兵器関連技術のデータは手に入ったし、十分に成果はあったとは思うけどね〉


 モナドは肩を竦めた。


「何言ってやがる。皇国随一の能力者――紛れもないSSRレベルのクスパ―を見過ごすなんてな……、お前さんが来てくれるのなら核兵器関連技術のデータなんざ無くてもいいと、陸軍上層部でさえも言い切ると思う――」


 ここで玖劾クガイが言葉を割り込ませた。


「何が何でも確保したい――のだな」


 彼は僅かに上体を屈めていた。戦闘態勢のレベルを上げているのが分かり、意味を悟ったモナドは即座に対応の姿勢を取る。装甲服アーマー前面を素早く閉鎖した。


〈玖劾くん、だったな? やめてくれ〉


 彼の足元に突如火花が走った。自由電子レーザー線が照射されたのだ。


「む?」


 照射とほぼ同時のタイミングだった、彼の眼の前に衝撃が奔り抜けた。何かが高速で接近したのだ。玖劾は滑るような動作で後退、衝撃をいなした。見るといつの間にかモナドの前に別のハインライン兵が現れていた。


「フム、もう1人の兵士――石動少尉と呼ばれていた者だな? このタイミングで現れるのはある意味道理か」


 その兵士はモナドと同様の短槍――プラズマランスを構えている。半身にして腰を落と姿勢は臨戦態勢にあることを知らせる。


 モナドがその兵士の肩に手を置いた、そのまま僅かな間何も動きが見られなかった。

 玖劾が身を起こし、脱力の姿勢を取った。それを見たモナドはその兵士――石動少尉なる人物に身を寄せた、何かを囁いていると思わせる動作だ。その結果なのか、彼女――以前聞いた声色から判断して確実に女だと思われる――は臨戦態勢を解いた。

 モナドは石動の肩を軽く叩き、扉の方に目を向けた。


「分かったよ、アンタたちのことは諦める。でもさ、俺たちはこのまま無事に出ていけるのか?」


 途中から彼は玖劾に目を向けていた。この兵士が見逃してくれるのか――と言いたいのだ。


〈僕が保証する。警備用自動機械オートマトンは多数配置させてあり、隙は無い。君たちの脱出は邪魔させないよ〉


 玖劾が口を開いた。


「この者らを見過ごせというのか?」

〈玖劾くん、納得いかないだろうが、どうか吞み込んでほしい。僕としても一時とは言え協力関係にあった者たちなんだ。無事に帰してあげたいと思うのだよ〉

「それはお前たちの事情だ。俺の関知するところではないな」

〈そうだね、でもそこを何とか承知してほしいのだけど、ダメかな?〉


 視界のあちこちに自動機械オートマトンが集まってきているのが映った、10機はある。これら全てによる攻撃を回避しつつ敵の2人を始末するのは成程困難だと玖劾は理解していた。それでも――と、彼は思う。

 姿勢は完全な脱力状態のまま維持、瞬間移動的な動作は十分に可能であるが……、この状況下での撃破は果たして可能か? 玖劾の思考は続く。


 ――石動という兵士の能力が不明だ。所作を見るに確かにかなりの能力スキルの持ち主だとは分かる。問題はその限界。モナドの戦闘力はかなり落ちたはずだが、かと言って戦闘不能とは言えないだろうし……今の状況下でどこまでできる?

 

 玖劾は敵の観察をやめない、そして理解した。敵も彼による攻撃の可能性は十分に認識しているらしく、警戒を解いてはいないのが分かる。石動が再び構えるのが見えた。

 やるか、やめるか――判断を下そうとした時。


「玖劾くん、もうここまでにしてくれ! 我々が軍に切り捨てられたのは事実なんだ。理解できるだろう? もう自衛軍のために戦う必要なんかない!」


 玖劾は何も応えなかった。だが彼の姿勢に僅かな変化が見て取れた。完全脱力を収めたのだ。


「ふぅっ、理解してくれたようだな」


 モナドは口を開いた。彼は再び石動に身を寄せた、何かを話しかけたのではないかと思われる。彼らの通信回線を通したもので玖劾たちには内容は分からない。だが石動の臨戦態勢も解かれるのが見えたので、だいたいは想像がついた。


「まぁ、生きて逃がしてくれるだけでも感謝するとするか」


 苦笑するような声になっている。


〈利益が無かったわけじゃないだろう?〉


 そりゃそうだがね、でも――後の言葉は玖劾に向けてのものになっていた。


「爆弾の起爆装置は部下に解除させた。信用できんだろうが、まぁ信用してくれよ」


 玖劾は何も応えなかった。


「ちぇっ、本当にコミュ障だな、お前さんは。自分の都合でしか話そうとしないし」


 でも――と、言ってから息継ぎして一度言葉を切る。


「お前さん……、〈無影心流〉の遣い手なのか?」


 その言葉に玖劾は反応した。


「何だ、それは?」


 ふっ――モナドは笑うのみ。


「まぁいい、いずれまた遭うこともあるさ――」


 そういい終えた瞬間、2人のハインライン兵の姿は消えていた。まさに忽然――と言えるくらいの見事な消えようだった。


「今のは……」


 玖劾は静かに呟いた。


 ベルジェンニコフたちが彼の下に来た。モランと自動制御オートパイロット状態のレイラー機、そして隠れていたハサンも――だ。皆は例外なく彼に視線を送っている。玖劾は……何も言わず敵兵が消えた先を見ている。


〈さて――〉


 ボリスの言葉、同時に開閉扉が開き始めた。金庫扉のようなものの開閉は重厚感に溢れている。蒸気式なのか、各所から白い煙が噴出している。


「何……なんだ……やたらと……大仰な演出……だ……な」


 モランの言葉には力がなかった。ダメージがいよいよ深刻になっているようだ。

 扉は完全に開いた。中は照明が灯されていないのか、よく分からない。だがその奥にあるものに、皆は緊張を高める。


「ボリス……」


 ベルジェンニコフの目には涙が溢れていた。機械体メカニクス身体ボディは彼女の心理を忠実に反映したのだ。

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