第45話 時を越える知覚

 流水と流水が交差し合う……ベルジェンニコフにはそんな風に見えた。2人の強化装甲兵アーマーズの戦いは流れるようで、一時ひとときも留まることなく、絶え間なく続いていた。それは激流と清流が併存し、目まぐるしく有り様を変えて繰り出される攻防の光景だった。そしてそれは、目の前に映る空間だけではなく、時を越えて繰り広げられているという事実を、彼女は理解していた。


 ――これが〈クスパ―〉……より能動的アクティブなセンシティブ、紛れもない〈量子感応能力者〉同士の戦いなのか……


 2人の兵士のステージが新次元の領域にあることを、彼女は理解した。


 ――氷火の時代エイジ・オブ・アイスフレイム人間ヒトをここまで押し上げたのか……


 人間には“能力”がある。超感覚的知覚能力エクストラセンサリーパーセプションと呼ばれたそれは科学研究の対象外だった。だが21世紀の末、スーパーホットプルームと氷河期による地球環境の激変とそれによって引き起こされた世界的地域紛争の連鎖は人類にかつてない負荷を与えた。その結果として“能力”を顕在化させた者たちが多く確認され、必然的に科学研究の対象となっていった。やがて量子力学と結びつけられ、理論的説明が少しずつ成されるようになった。歴史上初めて超能力現象が科学的に認められたのだ。

 人間の意識・知覚は極微領域の揺らぎを反映し、超時空的認識を実現する可能性が語られ始めた。量子化転移を繰り返す能力者の意識は時空を超えた知覚を行い得る。即ち、遠隔視、過去視、そして未来視だ。彼らの認識の前には過去現在未来の別は無くなり、その意識に等しく映し出される。全てが同時に現れるのだ。特に未来視は大きな意味を持つ。これから何が起きるのか、それをあらかじめ知ることができる――それは大きな力なのだ。

 それが能力――〈量子感覚的知覚能力クァンタムセンサリーパーセプション〉――略して量子感応と名付けられた超常の感覚だ。それは時空を越えて知覚を行う能力だ。 

 未来を視、聞き、感じ取り、そして選ぶ……そのさまが、彼女の眼前で繰り広げられていた。


 ――ああ、“父さん”……あなたの“理論”が今、証明されています……


 ベルジェンニコフの瞳は潤んでいた。感極まったかのようで、そこにはどこか至福の色が垣間見えていた。だが彼女の眼前で繰り広げられている光景は戦闘――殺し合いなのだ。




 幾重にも重なる敵の姿、集合離散を繰り返し、まるで陽炎のように実体を定かとさせない。いかに意識を凝らし、収束させようとしても存在が固定されることはない……

 モナドは焦っていた。敵の手がどうしても読めず、知覚の外に飛んでしまうからだった。よって予想外の位置より攻撃が飛んでくる。肌に焼け付く感覚が走り、ギリギリの際で回避するのが精一杯だった。


 ――くそったれ、五感だけじゃなく第六感――量子感応まで欺くとは……ベルジェンニコフもそうだったが、こいつのはそれ以上だ……


 消えようとする敵の姿を何とか捉えようと彼は意識を凝らす。その眼は、意識は極微の揺らぎより超時空構造へとリンクし、未来の到来するだろう結果を追求する。

 彼の“眼”は視る――薄れゆく敵より幾つもの光の筋が現れ、分かれていくさまを。その中の1つ、己にとって最良と言える経路ルートに意識を集中する。


 ――これだ、これを掴め! この未来・・・・に勝利がある!


 筋の1つが強く輝く。それはモナドにとっての勝利を約束する未来、その一点に向け彼は致命の一撃を放つ。

 だが――――


 一撃は何の手応えを生むことも叶わず、蒼白の槍はくうを突くのみだった。そしてまたしても走る焼け付く感覚。彼はかさず回避に入る。体勢を極端に低く沈め、倒れ込むようにして移動、敵の背後へと回り込もうとした。そのまま再び攻撃に入ろうとしたが、それは果たせなかった。


『くぅっ』


 モナドの装甲服アーマーは左脇に大きく抉られたような跡が刻まれていた。回り込む瞬間に、敵がブレードを振るったのだ。よって攻撃の間合いに入ることすらできなかった。だが――僅かだったが――敵の方は間合いには入ったらしく、脇に斬撃が掠めたのだった。

 秒間万のレベルにある超振動がもたらす破壊効果は大きく、一瞬掠めただけで大きな傷跡を残すものだった。


『ふぅ……』


 モナドは息を整える。焦れば焦るほどに能力は精度を落とし、敵を捉えることを困難にする。それを自覚し、気を落ち着かせようとするのだが、容易ならざる事実も理解していた。彼は目の前の敵を凝視する。

 無造作に突っ立つだけに見える姿、だがそれは完全に脱力した姿勢。次なる動作が極めて瞬間的なものとなるもので、捉えるのが困難なことを知らせる。

 それでも――――


 ――それでも量子感応ならば捉えられるはず。未来を的確に視れば、自ずと結果は得られるはずだ……


 だがそれは叶わない。幾度も外され、予想――いや、予知の範囲外から敵は攻撃してくる。まるで時間外に存在しているかのようなもの。そんなものがあるのか、有り得るのか――モナドの困惑は収まらなかった。


『ここまで俺の能力を外すとは……こいつは単なるクスパ―じゃないな。それ以上の何か……確か〈司令〉が言っていた……』


 呟きは途中で阻まれた。敵がまたしても視界から消え、焼け付く感覚が走ったからだ。


 ――くそっ、こいつ……!


 モナドは肌感覚に従い回避に入り、そして反撃に転じた。



 焦りは玖劾クガイも同様だった。彼の感覚も同じく外されていたのだ。

 彼の眼にも同様の光景が映っていた。幾重にも重なり分かれていく敵の姿、捉えんと意識を凝らして現れる光の筋、ここだと判断させる一際輝く一点、しかし致命の一撃は届かず予想外の方向から飛んでくる敵の攻撃。肌感覚で持って間際に回避するのが精一杯となる。

 彼は〈量子感応〉という言葉など知らず、関係する知識もない。だが己の感覚が時空を越えた性質のものだろうことは直感的に理解していた。その超時空的感覚をも欺き予想だにせぬ攻撃を加える敵に、彼はこの世ならざる何かのようなものを感じていた。


 ――超常的な何か、確かに実在する……


 長く戦場にあり続けた彼は経験的に知っていた。命の極限に現れる意識はあり得ざる何かを見る。幻覚とも言えるが、その中にこの世の本質を表す何かが顔を覗かせることがある。それはただ視ただけで直感できた。これだ、これを“掴め”――と。己の意識の支配下に置けば望む結果が得られる――と。それは条理の範囲を超えた超越的な事象の現れ――超常現象と言えないか?


『ふぅ……』


 奇しくもモナドと同じような呼吸法を持って心身を落ち着かせる玖劾、その意識は瞬く間に静寂に満たされていった。


 ――静かだ、何と静かなのだろうか……


 激戦の最中であればあるほどに現れる静寂の世界、呼吸法によりそれは更なる明晰さを持って彼を導く。


 ――出せ……


 それは“声”だった。どこからともなく届く微かな声。


 ――照らし出せ……


 誰のものなのか、ベルジェンニコフたち仲間のものではない。そもそもどこかから聞こえてくるというものでもなかった。己の内から湧き出してくるかのよう。知らない声――のはずだか、どこか懐かしさを感じさせる。今までも時折静寂の中で現れ、導くかのように聞こえてくることがあった。何故そんなものが現れるのか、全く分からない。


 ――遍く世界を、等しく照らし出せ……さすれば世界は、自ずと己が意の下に現れん……


 刹那に動く玖劾、“声”に導かれるままに彼は進む。その先に現れる輝きは、かつてない光度を持って待ち構えていた。


 ――“声”が何なのは知らない。ただ、それは俺にとってかけがえのないものなのだという確信があった……




 響き渡る金属音、眩い閃光を火花として散らし、何かが飛んでいった。


『やった?』


 モランの叫び、だがその声は戸惑いに満ちていた。


『奴は何をやった? ただ無雑作にブレードを振っただけだが?』


 これはハサンの言葉、やはり戸惑っている。

 玖劾の前に横向きに倒れる敵兵士の姿がある。その右腕――というより右半身のかなりの部分が消えていた。飛んで行ったものは、彼の右腕だ。


『超振動ブレードで右脇腹辺りから肩口にかけて斬り上げたのだ。いわゆる逆袈裟斬りになる』


 ベルジェンニコフの言葉は務めて解説的だった。彼女は続ける


『それにしても最後の一撃は確かに単純に振り上げただけのものだったが……敵は簡単に受けてしまった?』


 まるで呆然自失していたかのよう。ロクに回避動作も見せず、大ダメージを受けてしまっている。これは何なのだろうか――と、彼女は思った。


 ――2人の戦いは能力のせめぎ合いだったのは確かだ。玖劾くんの能力が敵の意識に強く作用したのだろうか? それが判断を鈍らせ、単純な攻撃さえも避けられないほどの枷になったのだろうか? クスパ―の“観測”が相手の知覚に影響することはあるが、意識や思考までも縛ることはないと思うが……?


 それは分からない、判断する時間も大してなさそうに見えた。


「お前もメカニクスだったのだな」


 聞こえてきた玖劾の言葉――外部拡声器を再び作動させている。敵に聞かせるためだろう――が、ベルジェンニコフたちを思考から現実に戻した。彼らは皆、倒れている敵に注目した。

 その斬り口には生身の人体組織は一切見られなかった。全て電子機械構造に占められている。それは確かに完全機械化身体フルメカニクスのもの。ベルジェンニコフと同様のものだった。


「ふ……まぁ見たままさ」


 敵――モナドはゆっくりと身を起こす。その間、玖劾は何も行動を起こさなかった。


「何だ? 何故追撃しなかった? そして今も?」


 モナドの問いに対し玖劾は何も応えなかった。ただその姿勢が少しずつ変化するのが見て取れた。


「フッ――分かっているのか? さすがにクスパ―……と言ってもこんなことまで・・・・・・・分からんと思うが……予感でもあるのかな?」


 玖劾の背中に固定されていた重機関砲が移動、右脇にセットされた。その銃口はモナドではなく実験機器の間、ベルジェンニコフたちのいる辺りの向こうに向けられた。


『三佐、もう1人の敵が動く――』


 玖劾の通信、同時にベルジェンニコフの視界に黒い影が明確に映った。


「全員動くな。今、起爆装置を起動させた」


 突如として実験機器の間から声が聞こえてきた。やはり外部拡声器を作動させている。同時にベルジェンニコフたちの頭上に立体映像ホログラムが現れた。その中に幾つもの爆弾が実験機器や冷却水プールにセットされているのが映っている。


『女? 子供か?』


 幼さすら感じさせる甲高い声だった。それがずっと隠れていたもう1人の敵なのは確実だった。映像はその敵が投影させたものと思われる。


「さて、これで形勢逆転――とまではいかないかな?」


 いつの間にかモナドは立ち上がっていた。その左手にはプラズマランスが握られている。玖劾は何もせず、そればかりかモナドに目を向けてはいなかった。


「ふぅっ、もう敵じゃないってか? まぁこのナリじゃ能力が使えても身体がついていかないか」


 自嘲気味な笑いすら交えて言うモナドだった。実際右半身が大きく抉られた姿は、もうまともに戦えないと理解させるに十分だった。


「それで? 何が望みだ? 逃がしてくれたら爆破はしないとでも?」


 問いかける玖劾に対し、くくっ――と笑うだけのモナドだった。


「何だてめぇ? 余裕ぶっこいていられる立場かよ?」


 モランが噛みついてきた。


「余裕? そんなモン、ありゃせんよ。だがお前らだって余裕はないぜ、分かるだろ?」


 立体映像ホログラムの中に映る爆弾の1つが拡大表示された。そこにタイマーが映っている。それは刻々と時を刻んでいた。


「時限式か。このままでは全員お陀仏になるね」


 ベルジェンニコフの言葉に応じて、モナドは頷いた。


「まぁそうだ。冷却水プールのヤツなんざ特にヤバい。中にはプルトニウム燃料棒が収まっているからな。露出したら即座に連鎖核反応が始まっちまう。そうなったらお終いだぜ? そりゃ俺やアンタはメカニクスだから少しは持つが、それでも限界があるってもんだ」


 ベルジェンニコフは首を振った。


「別に、急いで逃げ出せば済むことだがね。他のドームに向かってここは隔壁閉鎖、他とは完全隔離すれば取り敢えず無事だ」


 モナドは間近の金庫扉のようなものに目を向ける。


この中・・・のもの・・・を置いたままでか? アンタにその選択肢はあるのか?」


 ベルジェンニコフは何も応えなかった。その顔は今までになく厳しいものとなっていた。


「なぁ、俺は真剣にアンタらを迎えたいんだ。冗談でも何でもない。策謀なんかないよ、信じられんだろうがね。だけどよ――」


 だがモナドは最後まで言い終えられなかった。


〈みんな、そこまでにしてほしい〉


 どこからともなく聞こえてきたその声、少し幼さを感じさせる少年のものだった。玖劾が金庫扉の方に目を向ける。そしてベルジェンニコフが口を開いた。


「ボリス……」


 小さな呟きだった。だがそれは予想外に響き、皆の耳に届くものだった。

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