第40話 待ち受ける闇
ずっと、ずっと続く闇の回廊……
僕はそこにいた、たった独りで。そこは真の暗黒世界であり、光などは一切差し込まない。何も見えず、自分の手足さえも分からないほどだった。存在しているという感覚すらあやふやになっていた。
そもそも“僕”とは何なのか?
記憶と呼べるものが何もなく、自分自身がどんな存在なのか全く理解できなかった。果たして存在しているのか――幻ではないのかとさえ思っていた。
けど意識し、思考はしている……そう感じられる。意識と思考の機能があるのなら、それを成す存在があるはずだ――と思いはした。
闇の中では、やはり全てはあやふやになる……
だが、やがて変化が訪れた。光のようなものが見えるようになったのだ。
いつからだろうか? 闇の彼方に現れ、ユラユラと移ろう動きを見せる眩いものを目撃するようになったのは?
それは闇とは対極を成すものであり、“光”とよばれるものなのだと理解した。何故か“光”という表現が意識に浮かび、認識を確立させた。その瞬間に移ろいに過ぎなかった“光”は存在を定めるのが分かった。
そして僕は、“あなた”を見た。“光”の中に、確たる存在感を持つものとして――――
“見る”、というよりは“視る”と表現すべきものなのかもしれない。物理的な視覚と言うよりは純粋に感覚的な……或いは超常的なものだったのかもしれない。
僕は“あなた”の“歩み”を視ることができた。“それ”だけが僕の意識に映り続けた。それが僕の唯一の
そして僕は知った、“あなた”の“歩み”が過酷を極め、苦渋に満ちていたことを。
その認識は僕を苦しめた。何故なのか、何故“あなた”のような人が苦しみ続けなければならないのか?
救いたいと思った、心の底から思った。
――そう思ったのだが、そこまでだった。どうあっても僕は“あなた”を救うことはできなかったのだ。手を差し伸べることなど叶わないと知り、苦悩が増した。
実体の定かではない僕は殆ど闇と同化したようなもの、存在自体が不確定な揺らぎだったのだ。そんなものが“あなた”に手を差し伸べるなど、有り得ない妄想でしかなかったのだ。
でも、それでも――――
救いたいという想いは消えず、寧ろ拡大していったのだ。
それが変化を生み出したのだろうか? 激しい想いが記憶の扉を開いたのか?
僕は、“僕”を
ああ、何ということか!
“僕”と“あなた”は
だけど僕たちは引き裂かれてしまっていた。過去に、遠い昔に――それを思い出した。
怒りすら沸き起こった。何故忘れていたのか、何故全てを忘れ去っていたのか!
そして何故……引き裂かれたのか?
僕たちは互いにかけがえのない間柄だったのに、なのに切り離されてしまっていた。“僕”は“闇”の中に閉じ込められ、“あなた”は苦渋の歩みを強いられたのだ!
如何なる定めがこんな道行を強いたというのか? 僕を覆う怒りの業火は激しく逆巻いていった。
復讐してやる!
そして僕は更なる闇へと堕ちていった……
無限の闇へと――――
中央扉を抜けた先は一時保管所のようなスペースだった。所狭しと置かれた機器類は質量分析機や成分分析機など化学分野の分析装置が多い。ここから専門の部署に運ばれるのだろう。ベルジェンニコフたちは警戒しつつ機器類の間を進んでいく。
『警戒を怠るなよ』
敵による伏兵の可能性があるので、彼らはフォーメーションを固めて全周をカバーして走査しつつ進んで行った。
『この辺りには誰もいねぇな』
モランは盛んに周辺を見回している。走査波によるサーチが行われているので別段頭を回す必要はないのだが、習慣的にそうしてしまうらしい。
『敵は外に出ていた連中だけとは思えんが……』
『工兵とかもいるはずだな』
『だがここにはいない。自衛軍総攻撃は敵にも分かっていたはずだから、かなり撤退していたのだろう』
『大規模な移動は探知されていませんでしたが?』
『小規模単位の移動は何度も捉えられている。それで撤退させていたと思う』
移動中、彼らはこのドームで誰も見ていない。逃げ込んだはずのハインライン兵は無論、他の敵もだ。勿論職員など皇国関係者はいわずもな。中性子ビームの影響で無傷とはいかないはずなので、どこかで身動きが取れなくなっている可能性はある。敵ならば逮捕、味方ならば保護すべきで、治療にかからねばならない。だが誰も見られない。或いはこのドームには1人もいなかったのかもしれない。他のドームの現状はやはり不明だが。
彼らはスペースの端に到達した。扉がある。
『エレベータか。これに乗るのですか?』
ハサンの問いに対しベルジェンニコフは首を横に振った。
『それは危険すぎるよ』
ならば――と更にハサンが問いかけようとしたが、その前にベルジェンニコフは右の方を指さした。その先に別の扉がある。やや大きめの――軽車輌2台分は入れるくらいの大きさの扉だった。彼女はその近くに進み、開閉ロックに手を伸ばす。だが触れることなく動きを止めた。
暫く静寂が続く。誰も動かず、何も言わなかった。
『ウム、扉の向こうには何も映らないな。電磁輻射反応はない』
どうやら彼女は扉の先の透視探査を行っていたようだ。敵の待ち伏せの可能性があり、こうした探査は必須だ。
ベルジェンニコフは背後に向き直り、皆に告げる。
『この向こうは地下の区画に繋がる資材搬入路になっている。らせん状にカーブして降りるスロープが続いている。2車線分の広さがあり、軽車輌の行き来ができるものだ』
それなりの規模の機器を搬入すべく、車輌を直接乗り入れられるようになっているようだ。
『ここから地下3階の区画に向かう』
皆は互いに顔を見合う。代表するようにハサンが質問した。
『地下3階ですか? 待ってください、2階ではないのですか? 3階には他ドームに繋がる地下通路はありませんが?』
ハサンはマップを確認して質問していた。六ヶ所再処理工場のドーム群はそれぞれ地下でも通路が繋げられており、外に出なくても往来できるようになっている。今回のように外部環境が汚染されても個々のドームが孤立しないように、との配慮だ。ただ大半は地下の1階と2階にしか繋がっておらず、中央ドームの地下3階からは直接行けない。急いで第5ドームに向かうには2階がいいはずだ。
寄り道でもするつもりなのか? 彼の顔は疑問に満ちていた。疑念と言った方がいいのかもしれない。
それは皆に共通する戸惑いとも言える。
『疑問に思うのは当然だろう。説明には時間を要するので、今ここで全てを述べるのは難しいが……』
一度言葉を切る。どう言ったらいいのか考えているようだ。しかし、やがて言葉を続ける。
『医療関連施設がその区画にあるのだ。君たちの治療に役立つはずだ』
ハサンは戸惑いを隠せない。
『我々の治療にために……三佐、それは有難いですが、しかし
ベルジェンニコフが人道を優先する人物であることは、短い付き合いながらも彼は理解していた。だが命令違反にすらなりかねないこの判断は理解できなかった。
――これが皇国軍人なのか?
『真面目だね、特曹は。いいのだよ、これで。ギリギリ任務違反にもならないだろうしね』
この言い方も妙なものに思えた。皆は直ぐには何も応えなかったが、暫くして
『提供されたマップでは、この下は研究施設になっていますが? それは核物理関係の研究、そして実験施設で医療関係ではないはずですが……』
ドーム施設突入に際して必要なので、分隊の皆にはあらかじめドーム内のマップ情報が提供されていた。玖劾は彼らが今いる中央ドームのマップを確認して質問したのだ。ベルジェンニコフは当然の質問だと理解し、頷く。
『その通りだが、核物理関係の実験を行う施設なので、放射線が発生する。場合によっては漏洩などの危険性があるんだ。厳密にシールドされているはずだが、事故は常に起こると考えるべきだ。リスクマネジメントだな。よって即応できる医療関係施設がここにも設置されている』
それはその通りだ。だがマップには何も表示されていない。区画の一部に医療関係との表示はあって然るべきではないかとの疑問は残る。ベルジェンニコフは全てを説明していない。
『
言葉を終えると同時に彼女は開閉スイッチに触れる。
『構えてくれ。透視探査の結果はたぶん正しいとは思うが、絶対ではない。今から更に音響探査を行う。ピンを打つからね』
ベルジェンニコフが行った透視は電磁輻射系のもの。敵ハインライン兵にはステルス機能があり、熱電磁、可視光領域で透明化できるステルス機能を持つ。撮像迷彩を加味したそれは粉塵環境でもかなり効果のあるものだったが、まして粉塵の少ないドーム内ならいざ知らずだ。よって捉えられていない可能性がある。別方面からの探査が必要と判断される。それがピン(ピンガー)、音響探査になる。
『音響探査機能、起動。アクティブソナー、ピン放射』
皆は受信機をオンにした。たちどころに音響がヘルメット内に響き始める。ピンによる反響音だ。音量は抑えられているので耳が痛くなることもなく、聞き分けが困難になることもない。敵を意味する異常音響が拾われれば強調して響くようになっていて、その場合は位置と距離・形状やサイズなどの情報がたちどころに網膜上情報表示ウィンドウに表示される。ピンは音響探査用のアクティブセンシングであり、超音波を放射してその反響を拾って存在を探知するものだ。今ベルジェンニコフはそれを行い、扉の向こうに対する探査を行った。そしてウィンドウには何も映されなかった。つまりこの扉の向こうには何もいない。車輌の影すら映らず、ただ通路が伸びているだけの解析映像がウィンドウに映された。
『しかし敵には〈ノイズキャンセラー〉があるかもしれない』
玖劾が疑問を述べる。
動作時に発生する音を消す、反射を打ち消す、或いは別の音響を重ねて環境雑音風に偽装する〈サウンドステルス〉と呼ばれる音響面の
ベルジェンニコフが応えた。
『ドーム内奥のここは高レベルの静謐環境にある。今は誰も活動していない。我々と、いるだろう敵を除いてだが。まぁこんな状態だからサウンドステルスはほぼ機能できないだろう、どうしても音が漏れてしまうと思う。ソナーを最高感度にするまでもなく、一歩動くだけでも発生する音は隠しきれないよ。場合によっては
後半の事柄はほぼ有り得ないことだが、何らかの故障があれば可能性はゼロではない。
『では開けるよ。集中してくれ。万が一だが、奇襲の可能性を考慮すべきだ。対応すべく加速状態に入ってもらう。いいね、
皆は構えた、
意識を最高度に集中、
時間が緩やかに流れ始めた――――
――だが敵も加速できるのかもしれない……
加速世界の中で、玖劾は思考していた。その目の前で扉がゆっくりと開いていくのが見えた。速射体勢に入る自身、加速認識の中にありながらもその動きは比較的速く感じられる。
『クリア、敵影なし』
扉近くには何も、誰一人いなかった。
『よしっ、直ちに
時間流が普通に戻った。音や気流の感覚、周り(主に仲間の)動きなどが正常なものになった。
『ううっ、くっ……』
モランが膝をついていた。苦しそうにしているのは
『大丈夫か? やはり
ベルジェンニコフの言葉には心から心配している響きがあった。
モランは首を振る。
『関係ねぇ。この程度、何ともねぇよ』
振り払うように言い、彼は直ぐに立ち上がった。
『じゃあ先を進むとしようぜ』
声には何のダメージも現れていないように思えた。気を張っているのだろう。
『そうか……』
対するベルジェンニコフの声は沈んでいて、彼女にはダメージが出ているかにも見えた。気になったハサンが問いかける。
『三佐……』
だがベルジェンニコフは首を振る。
『大丈夫、脳だけの私には放射線障害の影響は少ないからね……』
とは言え――と彼女は続きを言いかけたが、それは中断。すると
『三佐、何を――』
ハサンたちの目の前で、いきなり
『やはり斬られた影響は大きかったようだ。何しろプラズマを纏った電磁槍とでも言うべきもの。
胸部から腹部を大きく広げた鋼の鎧が膝まづいている。その前に長身の女の姿があった。皆は暫し見惚れてしまった。
引き締まった全身はトップアスリートのよう、無駄なく研ぎ澄まされた出で立ちだ。
『あまり見ないでほしいな。所詮造り物なのだよ?』
顔は少し赤らんでいて、本当に恥ずかしがっているように見える。言葉の通り彼女はフルメカニクスであり、全身は機械化されている。だが表皮は有機組織で覆われており、本物の人間の肉体に見える。“赤らむ”という機能もあるようで、彼女の――その脳から発せられる――情緒反応も反映できるらしい。
――見事な出来栄えだ……
だがやはり機械の身体。左脇から肩にかけて大きく抉られていて、電子機械構造が露出している。
『三佐、その……本当に大丈夫なんですか? やはりそれだけ大きく損傷すると
ハサンの問いにベルジェンニコフは淀みなく応えた。
『バランスは悪くなったし、戦闘など激しい動作をしようものなら問題は出るだろう。まぁ障害がなくても戦闘用とは言い難いこの
玖劾が質問を継ぐ。
『内部循環はいいのですか? 脳の生命維持、代謝調整のための循環を身体の――主に胴体中央部にある器官で担っていたのではないかと思いますが、左側に寄っているとは言え、これだけ大きく切断されると機能障害が出ませんか?』
ほほぅ、と感心したような顔をベルジェンニコフは見せた。自然な表情の変化であり、皇国によるメカニクスの技術はそこまで表現できている。
『詳しいね、サイバネティクスの勉強をしていたのかな?』
『
『そうか、感心だね』
ベルジェンニコフは満足そうだ。そして一呼吸置いて玖劾の質問に応えた。
『影響は皆無ではないが、ギリギリ器官を外れていたので障害は少ない。とは言え、私も何らかの治療――というか、私の場合は修理かな?――必要になるかな』
そして彼女は通路の奥に目を向けた。
『それよりも君たちの方が問題だな。全身が有機組織だからどうしても放射線の影響が大きくなる。急がなければならない!』
行くぞ、と彼女は手を振り歩き始めた。即座に続く分隊の皆、ベルジェンニコフを中央に前後左右に展開し、警戒しつつ進み始めた。
『何か守られるお姫様って感じがしてきたよ』
照れた言い方をしているが、こんな状況下でよくもそんな冗談が言えるものだと皆は呆れた。自分も大きな損傷を受けていて、更にハインライン兵の2人が潜んでいる可能性がある。いつ襲撃があるか分からないのに、こっちは皆傷ついているという緊迫した状況が続いているのに――だ。
敵も放射線を浴びたはずなので同じだと思われる。いや、いち早くドーム内奥に退避していただろうから、浴びた放射線量は少ないかもしれない。よってこちらよりも動けるかもしれない。
『ここはかなり放射線量が落ちている』
地下の区画にまで飛び込んだ放射線量はかなり低いようだ。爆発時にここまで退避していたとすると、敵の障害はあまりないのかもしれない。状況は楽観できない。他にもドーム内に敵の仲間が元々待機していたのかもしれず、合流している可能性もある。となると自分たちの方がかなり不利なのかもしれない――と彼らは考えた。
考えれば考えるほど不安要素が出てきて、取り止めがなくなる。これも放射線障害の影響なのだろうか? どうもマイナス思考に偏りがちだと皆は思った。
薄暗い非常灯の下を進む分隊員たち、先に進むに従い明度が落ちていくかにも見えた。やがて全てが闇に包まれるのかと錯覚させる。その認識もまた不安からもたらされるマイナス思考だと思われ、振り払おうとするが、どうしてもできなかった。
闇が待っている。どうしようもない“闇”が。
不確定な未来が、待ち受けている――――
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