第38話 終幕の開演

 この瞬間まで誰一人として気づかなかった。あの可憐な外見の内側が血肉の欠片もない金属機械構造で占められていたとは。皆は押し黙って網膜上情報表示ウィンドウに映るベルジェンニコフの顔に注目する。

 シミ一つなく、雪のように白い目鼻立ちのはっきりとした顔立ち。20歳程度にしか見えず、40を超えるはずの実年齢からはかけ離れている。これらは全て人工的なものだったのだ。金色の瞳だけは有り得ないが、これも生命工学的手段で色彩を変えたものだろうと思われた。遺伝子操作による色彩の変更かと。だが全てははっきりとした。ある意味、単純な絡繰りだったのだ。

 それにしても見事な出来栄えだと皆は思った。表皮部分は有機組織だろうが、内側にもやはり有機組織の筋肉などが存在するとしか思えなかった、それほどの自然なものとして造形されている。設計、形成に要した技術水準の高さは計り知れない。彼女は普通の肉体を持った人間にしか見えなかった。もちろん精密走査スキャンすれば直ぐに判明しただろうが――いや、何らかの欺瞞技術が装備されているのかもしれないが――上官にそんなことをしようとする考えは彼らにはなかった。


『てっきり総理と同じだとばっか思ってた……』


 レイラーは文字通り口をあんぐりと開けていた。呆けたようにも見える。ベルジェンニコフは苦笑いを浮かべた。


『総理のアレは最高ランクの生命バイオ極微工学ナノテクノロジーを投入したものだ。逐次テロメアを再生・再構成させて細胞を修復――というより創造と言った方がいいか――させる〈アセンブラー〉と呼ばれる極微機械ナノマシンによって常に若さを保っている。これはほぼ完璧な不老を実現するもので、この技術は最高機密事項トップシークレット扱いになっている。よって一般はおろか政府高官にすらまず適用されない秘中の秘、私程度の一介の軍人には有り得ないよ』


 やはり20そこそこにしか見えないアカツキ総理の実年齢は70を超えている。そこに投入された技術レベルの高さは計り知れない。総理就任より今年でちょうど10年だが外見に衰えはなく、若々しさを保っている。成程不老と言えるのも頷けるし、それどころか若返りさえしているかとも思われた。

 ベルジェンニコフは新潟会戦の英雄とされるので、報奨的な意味でもアセンブラー投与は有り得るかにも思われた。


『有り得ないよ。私のコレは単純なものなのさ。機械的、人工的欺瞞でしかない。前世紀末には基本が確立されたサイバネティクス、古い技術だよ』


 ベルジェンニコフの言いようは些か自嘲気味だった。しかし外見の形成技術には最高ランクの生命工学バイオテクノロジーが投入されているに違いない。もはや芸術の域に達しているそれは、彼女に対する軍の、そして国家の扱いが十分に高いものと理解させる。


『しかし三佐、全身機械化となると、そうは例はないはず。確かに傷病兵治療の手段としてメカニクスは1つの選択肢になる。全身を失うほどの負傷となるとフルメカニクスも有り得ると思う。でもこれが戦闘任務に継続的に投入されるのは疑問に思いますが?』


 普段は言葉数の少ない玖劾クガイにしては異例な発言の仕方だった。熱が入っているようにも見える。それだけ彼は関心を持っているのかもしれない。


『そうだね。サイボーグはパワードスーツに比べて費用対効果比コストパフォーマンスがどうしても高くなる。ハード的な神経接続ニューロコネクトは常に高精細な医学的処置を必要とするし、システムのバージョンアップに際しては更新作業量が格段に増える。パワードスーツの方がよっぽど簡単に機能更新バージョンアップできる』


 よって戦闘任務、特に最前線にサイボーグ兵が駆り出される例は少ない。サイボーグ兵が投入されるのは、バックアップ的任務、或いは潜入工作、後方破壊工作など特殊任務や諜報任務などくらいだ。それも現在では希少になっている。


『FMM(融合機械化有人機動兵器フュージョナリーマンドマニューバ)が実現している今日、サイボーグの優位性は殆どない。意識のかなり深層にまでシステムと接続できるフェイズ2FMMは事実上フルメカニクス化したものと言える。わざわざ脳だけ取り出して機械に繋げるなど効率が悪すぎるというものだ』


 しかし、ベルジェンニコフはここにいる。全身サイボーグ化したフルメカニクスとして戦闘任務に就いている。メカニクス化はやはり傷病兵の治療用に用いられるのが主で、それも再生医療やクローン臓器移植が追い付かない場合に限られるのが現状だが、これは異例だ。


『三佐、新潟会戦ですか? 最悪と言われたあの激戦をあなたは生き延びていますが、無傷とはいかなかったのでは? 会戦の英雄たるあなたの能力を活かし続けるため、上層部はフルメカニクス化してでも戦闘任務に就かせ続けようと考えたのでは……』


 ハサンが問う、些か空想を織り交ぜた言い方は軍人らしからぬところがある。

 ところで彼の目は玖劾に向けられていた。ベルジェンニコフに対する問いだったのに――だ。玖劾もまた新潟会戦に参加していたからであり、参加要員名簿を検索していた彼は玖劾の名を見つけていたのだ。だからからか、ある思考・・・・がどうしても頭から離れなくなっていた。


 ――奴もフルメカニクス……?


 いや――とかぶりを振るハサン。それはあまりにも有り得ないからだ。


 ――俺は奴のバイタルを把握している。上官として部下の健康状態は常にチェックしているのだ。奴の身体は確実に有機組織であり、機械的組織は脳内極微電脳ナノブレインや各種通信端末、神経加速機アクセラレータ代謝調整機メタポライザー生体強化機ブーストアッパーなどの身体強化用極微機械ナノマシンに限られる(これらは有機系の極微機械ナノマシン)。筋肉や内臓・骨格は生来の有機組織であり一切の欠落はない。ドーピングはされているが、生身の人間だ。フルメカニクスどころか、一部でも機械化していない……


 それでも――と、どうしても思考が頭をもたげてしまい、留められない自分に忸怩たるものを憶えていた。冷徹に振る舞う彼の姿に、機械化人間のような印象が付きまとうせいである。


『いや、私のコレは……』


 ベルジェンニコフは言葉を濁した。ここまでとは一転して歯切れが悪くなっていて、言いにくそうにしている。それが返って皆の関心を集めるのだが、それは続けられなかった。

 突如として北の方角より遠雷のような轟きが響き渡った。僅かに遅れて足元を揺らす地響きが伝わった。


『あれは……戦車大隊か!』


 発生源は北壁の向こう側だ。強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマーの各種センサーが位置を特定。


『前線は北壁にかなり接近しているね。戦闘は続いているけど、味方が優勢のようだ』


 サーチビーズが失われているので(スサノオ部隊によるサーモバリック弾攻撃の煽りを受けて全て吹き飛ばされている。退避は間に合わなかった)、詳細は分からない。強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマー自身のセンサー群のみで観測・判断したものだ。ベルジェンニコフは皆に言う。


『話の続きは後だ。大隊司令部に至急連絡しなければならない』


 砲塔の破壊には成功した。外でも把握できているだろうが、内部の詳細を知らせるためにも連絡は必要。ベルジェンニコフは大隊司令部・石塚三等陸将を呼び出そうとした、だが――――


『何? 繋がらない?』


 彼女の呟きに皆は首をかしげた。


『繋がらないって、回線がですか?』


 ハサンは電波状態を確認する。


『擾乱は全くありませんが……』


 電波環境はクリアなものだった。全ての周波数帯に渡って安定していて如何なるジャミングもなかった。よって妨害などはない。


『いや、ジャミングはない。回線そのものが切られている』


 そう言うベルジェンニコフの顔はこれ以上ないくらい緊迫していた。その様子を網膜上情報表示ウィンドウに見た皆は同様に緊迫の度を高めていく。


『三佐、大隊に何か起きているのでしょうか? 特に司令部に……』


 ベルジェンニコフは問いかけたハサンに目を向けた。そのまま何も言葉にせず固まる。


 ――“何か”? 回線が切れてしまうようなもの?


 彼女は北壁の方に目を向けた。中央ドームに阻まれて壁自体は見えないが、その向こうから立ち昇る爆炎が確認できる。戦線はかなり近づいている。そして大隊は機能していて戦闘継続中だ。


 ――だが回線は切れている。例えば司令部機能のある指揮車輌が破壊されたとしても回線自体の消失には直ちに繋がらない。戦車、或いは装甲車や輸送車などで回線を引き継いで使用することはできる。スサノオ部隊だっている。彼らがやられるとは考えにくく、やはり回線が切れるなど有り得ないのでは?


 だが現実に通信は繋がらず、回線自体が切れている。


『何だこれは……まさか三将が?』


 すると、すっ――といった感じで壁の向こうからの音がいきなり静かになった。それが刺激となりベルジェンニコフは思考を中断した。地響きも途切れているのが分かり、立ち上っていた爆炎も急速に薄れて消えていてくのが見えた。


『戦闘が終わったの?』


 レイラーがボソッと呟いた。すると――――


『いや……“何か”が近づいて来ている?』


 玖劾の言葉、皆は彼に注目した。


『近づくって……何が? どこから? 俺のセンサーには何も映ってないぞ』


 モランは皆に目を向けた。お前らはどうなんだ、と言いたいのだ。やはりというか、皆は首を振るだけだった。


『玖劾くん、何の話だ? もっと詳しく――』


 ベルジェンニコフの言葉は途切れた。その顔が見る見る険しくなっていくのが全員の網膜上情報表示ウィンドウに映し出された。それは尋常でないものを感じさせた。


『おい、玖劾――』


 モランが先を促そうとしたが言葉は途切れた。この時、その玖劾がいきなり叫んだのだ。


『みんな、退避だ! ここにいてはいかん!』


 当然ながら彼が何を言っているのか理解できなかった。ハサンが訊こうと口を開きかけたのだが――――


『あそこだ! 中央ドーム、物資搬入口が開きっ放しだから飛び込め!』


 そのまま一気にブーストランに入ってしまった。見る間に彼の姿が小さくなっていく。最初から全力加速に入ったのは明白。


『みんなも彼に続け! 急いでドームに駆け込むんだ!』


 続いてベルジェンニコフ、彼女も全力加速に入った。あまりの突然のことで他の者たちは戸惑う。だが、彼らも何かが意識を刺激するのを感じていた。だから素早くブーストランに入った。


『おいっ、どういうことだ!』


 走りつつも叫ぶモラン、彼の言葉には怒気が籠っている。まるで理解できないからだ。それでも、彼も感じていた・・・・・


 ――頭ン中に走るスパークみたいなもの、これが何かを知らせる。ロクでもない“何か”――を!


 彼の強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマーは1秒足らずでトップスピードに到達した。猛然たる勢いで滑走、見る間に物資搬入口が近づいて来る。その前にある2つの粉塵は玖劾とベルジェンニコフのもの、彼らは間もなく搬入口に達する。


『いいの? あン中でさっきの敵が待ち伏せてたりとかしてない?』


 直ぐ隣を走っていたレイラー、声が震えている。彼女も速やかに全力加速に入っていた。


『迷うな! 今迷ったら取り返しのつかないことになるぞ!』


 反対側のハサン、その声はかなり強張っている。彼も何かを感じているのは確か。それは何か?

 “何か”が近づいて来る、“何か”――意識の中でスパークを起こし、疼き走らせるものだ。明らかに危険を予感させ、何故か到来を確信すらしてしまうもの。だが何故そんなものを感じる? 何故確信する?


『これは何だ、何なんだぁっ?』


 搬入口は目前。その時、遂に装甲服アーマーのセンサーが高速で飛来する存在を捉えた。南西方向より極超音速で迫る影――――


『ミサイル?』


 モランたちが搬入口に飛び込むと同時のタイミングだった。突如として閃光が発生、上空一面が眩い輝きに包まれた。

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