第24話 獄炎の記憶

「ベルジェンニコフくん」


 呼びかける声を聞き、ベルジェンニコフはログアウトを中断した。振り向いた先に巌のような体躯の男がいた、特殊機械化師団長、石塚イシヅカ三等陸将だ。彼の背後に黒スーツの男が2人いる。仕草からしてSPだろうと思われる。


「何でしょうか、三将? 準備を急がなければならないのですが」


 敬礼しつつ応えるベルジェンニコフだったが、それを見て石塚は苦笑いを浮かべた。


「そう冷たくあしらわないでほしいな。見知らぬ仲というものではないだろう?」


 ベルジェンニコフも苦笑いを浮かべる。


「そんことはありませんよ。急ぐのは事実ですし」


 ウム、と石塚は頷き、視線をベルジェンニコフの背後に向けた。その先には何もなかったが、ついさっきまで第4小隊の隊員がいた。彼らは既に全員ログアウトしたらしい。それだけではなく、他の軍種の士官・将官も全てログアウトしている。現在このヴァーチャルミッションスペースに残っているのはベルジェンニコフと石塚及びSPの2人、そしてウィンダムだけになっている。他はそれぞれに作戦開始に向けた準備作業に入っているのだろう。


「まさか君が小隊指揮を直接担うことになるとはな、流石に驚いた」


 石塚はどことなく遠い目をしていた。


「私はもともと強化装甲兵アーマーズでしたし、それも特戦群にいました。今回のような強襲作戦任務も何度もこなしてきました。自分で言うのも何ですが、妥当な人事だと思います」


 首を振る石塚、否定しているのだろうか?


「ウム、確かに妥当だ。君以上の人材はないだろう。その点に於いて今回の決定に口を挟む余地はない。ただな――」


 どうやら否定しているわけではないようだ。だが彼には納得していない風がある。


「新設される〈戦闘甲殻大隊〉のことですか?」


 ベルジェンニコフのその言葉にウィンダムが反応した。


「ああ、それは新型の2足歩行型機動装甲戦車で編成される部隊のことだな?」


 ベルジェンニコフは頷く。石塚がウィンダムに説明した。


「君も聞いていたとは思うが、彼女はその〈戦殻〉――〈戦闘甲殻コンバットシェル〉の開発試験にずっと携わってきていたのだ。開発は終了、試験運用も満足いく結果が出て、いよいよ実戦投入の段階に達していた」


 話を聞いたウィンダムは頷き、その後でベルジェンニコフに目を向けた。


「そうだ、お前はその新設部隊の隊長になるはずだったんじゃないか? それが今回の人事だ。俺も驚いたぞ」


 石塚も同調するように声を揃える。


「何がどうなってるのか俺にも分からん。どうも統幕で決定されたことみたいだが、師団長の俺を素通りして決まったというのがどうにも納得いかないのだ」


 特殊機械化師団は機動装甲戦車大隊と装甲強化兵大隊を統括する集団であり、新設される戦闘甲殻大隊もその傘下に編入される予定だ。ベルジェンニコフもその一員であり、関係する人事異動が行われるのなら当然長の石塚に話が通されるはずだ。もちろん末端の一兵士の人事をいちいち把握することはないだろうが、ベルジェンニコフは佐官であり、重要な立場にある。石塚の話しぶりからして彼はベルジェンニコフを特に気にかけていたものと思われる。よって彼女の人事に関しては自分に連絡があるのが当然だと彼は思っているのだ。


「その点に関しては私にも分かりませんが、ただ今回の事態を鑑みてかなり緊急に決定されたみたいですね」


 石塚は腕を組んで唸る。まだ納得していないようだ。


「まぁ核も絡むことだし、確かに緊急事態ではあるがな」


 それでも……やはり納得とまではいかないみたいだ。


「決定事項は決定事項です。三将、軍の命令は絶体でしょう? あなたがそんなことでは下の者に示しがつきませんよ」


 石塚は笑いを浮かべるが、それは自嘲的なものだった。


「その通りだな。決定は下されたのだ。俺がこんなことではいかんな」


 彼は顔を上げ、ベルジェンニコフに目を向けた。今までになく真摯な顔になっていた。必然的にベルジェンニコフも、そしてウィンダムも居住まいを正す。


「ベルジェンニコフ三佐、君には帰るところがある。いや、帰らなければならないところだ。だからな――」


 言葉を切り、大きく深呼吸した。


「だから、絶対に生きて戻って来い!」


 ベルジェンニコフは敬礼した。ウィンダムも自然と倣い、敬礼姿勢を取った。


「はい、必ずしや!」


 石塚も答礼した。2人はそのまま暫く互いを見つめていた。


「三将、そろそろ次の予定が……」


 SPの1人が彼に耳打ちした。石塚は頷き、敬礼の姿勢を終え、ウィンダムに目を向けた。


「一佐」


 いきなり話しかけられたのでウィンダムは戸惑ってしまった。


「ええと……何でしょうか?」

「いや何……彼女のことを頼んだぞ、と言いたくてな。君たちは防衛大学校時代からの同期だろう? 今も親交があるみたいだし、信頼できると思う」


 石塚の言い方はどこか照れたようなものになっていた。


「は……はい」


 ウィンダムも応えるが、少し戸惑った反応が現れている。


 石塚は目をベルジェンニコフに向け――――


「ではな、また会おう!」


 そして彼と2人のSPの姿が光に包まれた。渦を巻くような光輝が走り、そのまま消滅する。ログアウトしたのだ。その跡を何となく眺めていたベルジェンニコフとウィンダムだったが、やがてウィンダムが口を開いた。


「頼む――なんて言われたが、作戦中、俺は100キロ以上も離れた海上なんだがな」


 ベルジェンニコフはウィンダムの肩を叩く。


「いやいや、しっかり自分の任務をこなしてくれれば、それでいいのだよ」


 フッ――と笑うウィンダムだが、何かに気づいた顔になってベルジェンニコフに話しかけた。


「まぁ三将じゃないが、今回の決定は俺も色々と変に思うな」


 ベルジェンニコフは眉を上げて大げさに肩を竦めた。


「上を疑うのか?」

「いや、そういうわけではないがな。ただ〈新潟会戦〉の英雄なんだし、何だかぞんざいに扱っているような気が……」


 ベルジェンニコフの顔が曇るのを見てウィンダムは言葉を中断した。「しまった」という顔をしている。


「ああ、いや……すまん」


 ベルジェンニコフは黙って首を振る。そのまま2人もヴァーチャルミッションスペースからログアウトするのだった。






 見渡す限り、火の海だった。それは時々刻々と拡大している。上空からは無数の砲弾が降り注いでおり、着弾するたびに巨大な炎が巻き起こっていた。それが一度に何十何百も出現し、大地を舐めていった結果だ。油脂焼夷弾の類だろうか? だが瞬間的ながら1000℃も超える極高温の炎が一気に解放されるそれは単なる油脂焼夷弾ではない。何しろ猛然たる衝撃波も同時に発生していたのだ。それが極めて可燃性の高い油脂系物質を地上に叩きつけ、その圧力で破壊を行う、――と同時に発火を起こし、火炎が地上を走っていた。

 大規模な大量破壊兵器とでも言えるほどの破壊力を示すそれは、見る者に戦慄をもたらす。その環境に与える影響は計り知れない。そこに在るもの全てを蹂躙していっていて、一たび呑まれれば生存は絶体不可能に思えた。

 いったい何人の人間が死んでいったのだろうか? 大半は骸も残さず消滅してしまっている。屍は原形も残さず、微塵へと砕け散っていってしまっていたのだ。極高温の暴風は一切の命の存続を許さないかに見えた。


『これって……サーモバリック爆弾の一種だな?』


 モランの声は掠れていた。目撃した光景に気圧されてしまったからだ。


『ウム、燃料気化爆弾とも言うな。最強の通常兵器と呼ばれるものだが、油脂発火能力を高めたタイプのようだな。衝撃波に加えて高熱での破壊を目指したものになるか』


 応える声はハサンのもの、彼のそれも掠れていた。


『それも1発や2発じゃないな。数十――もしかして100発はいってるか?』


 次々と炸裂する炎と暴風は地上を際限なく焼き上げ、吹き飛ばしていく。造られるクレーターはすぐさま次の爆発で造り変えられてしまう。人間が生み出した炎と衝撃波の暴力は地形を根本的に変えていた。人も物も、何一つ例外なく灰燼と化す有り様はこの世の終末のようでもあった。


『これって……〈新潟会戦〉だよね?』


 レイラーの声、彼女のそれは掠れるだけではなく震えていた。ハサンが応えた。


『今からちょうど5年前の6月、佐渡から新潟平野にかけて繰り広げられた中華連邦機動部隊との全面衝突だな。その一場面を映し出している』


 一同の会話はここで途切れる。目撃した光景はやはり言葉を奪う。破壊の衝撃もさることながら、人の死んでいく姿が克明に映し出されていたからだ。これは一兵士のガンカメラによる撮影のものだと思われる。その人物の視点で戦場が記録されているのだが、個人視点は否応もなく生々しさを際立たせる。

 これは戦史アーカイヴの記録、ベルジェンニコフから与えられたアクセス権限によりアーカイヴに没入ジャックインし、閲覧可とされる戦闘記録をモランたちは見ているのである。


『12-06-2057、新潟市跡――か。中華との最後の戦闘になったか……この後、中華は皇国から手を引き、東南アジア方面に集中するようになったんだな……』


 場所と時刻が記されていた。そして撮影者の氏名も。


『ヴラン・ベルジェンニコフ一等陸尉……』


 今から5年前、新潟であった戦闘に彼女は参加していたらしく(当時の彼女の階位は一等陸尉)、その彼女による記録になる。それは凄まじさを極めるものだった。

 個人的な視点なので人1人の動向がつぶさに映されていたのだ。つまり人の生死が克明に捉えられていた。撮影者近くにいた他の兵士たちが、死んでいく姿が記録されており、それも1つや2つで終わらない。膨大な戦死記録が残されていた。それは撮影者自身が目撃したものになる。打ち捨てられたように死体が積み重ねられている場面もあった。死傷者は膨大な数に及び、対応が追い付かなくなっているのが画面を見ただけでも分かる。


『あれは最悪の消耗戦だったよな。双方とも死傷者が部隊の3割を超えていて、組織的戦闘が不可能レベルに達していたのに停戦せずに戦闘を続けたって話だからな』

『その通り。事情は不明だが、両軍の指揮官とも引くことなく戦闘を継続したのだ。それが途轍もなく損害を拡大させたのだ』


 画面は盛んに揺れ、確認が難しい。撮影者を襲う動揺が嫌でも伝わる。


『いや……耐えられない……』


 レイラーの反応が消えた。全感ダイヴを解除したものと思われる。この記録は接続閲覧者の五感を全てつなげて記録・再生されるものだった。撮影者の感じた感覚がダイレクトに閲覧者にも伝わり、それが半端でないストレスを与えるのだ。


『くっ――俺も限界か。何でこんなものを全感ダイヴ対応で記録保存したのだ? 反戦意識を煽るだけだろ? 軍のアーカイヴにこんなものがあるなんて、信じられんな』

『戦訓として保存するのは当然だと思うが、通常は閲覧可能にすべきものではないな。少なくとも全感対応型は制限すべきだと思うが……』


 ――何らかの意図があるのか?

 ハサンは思うのだが、それが何なのかは全く分からなかった。


 ブーメランのような形のステルス戦闘攻撃機の編隊が上空を掠めるのが映った、友軍機の反応が現れている。高度がかなり低かったらしく、衝撃波が地上を走り抜けた。画面も酷く乱れ、その中で装備が飛ばされているのが見える。多くの兵士たちが蹲り、中には飛ばされている者もいる。大半は強化装甲兵アーマーズなので無事なのだが、これは極めて危険なものに見えた。


『くそっ、何だアレ? 味方を殺す気か?』

『低高度からの急襲攻撃のためだろう。飛行の先の丘の向こうに敵部隊がいたんだな。見ろ、閃光が出たぞ』


 言葉の通り、丘の向こうから眩い閃光が発生した。間を置いて衝撃波が撮影者の辺りにも伝わる。またしても画面が揺れ、強化装甲兵アーマーズの中にはバランスを崩す者もいた。丘を隔てていたとは言え、かなりのもので空爆の威力の凄まじさを伺わせる。

 そして、“声”が響く。


〈新潟湾を占拠した敵機甲部隊に深刻な打撃を与えた。今こそチャンスだ! 進め、皇国の益荒男マスラオたちよ! 蒙昧たる蛮族に神の鉄槌を下すのだ!〉


 前線司令部からの命令だった。同時に電撃のような衝撃が走り、視界が大きく歪んだ。


『くそっ、これ……〈アドレナリンブースター〉か!』


 心拍数が限りなく上昇し、異様な興奮が撮影者の身体に走るのが感じられた。全感ダイヴでリンクしているのでモランたちも味わっているのだ。


『兵士を強制的に戦わせるために投与される興奮剤の一種。副作用は少ないなどと言われるが、そんなのは嘘八百だと言いたくなるな。こいつは兵士を極端に強化しはするが、それは狂戦士バーサーカーにするようなもので、まともな思考力・判断力を奪う傾向がある。なるべく使わない方がいいのだがな』


 全身に走る興奮は、同時に悪寒と吐き気を生み出している。バイタルの悪化が著しいのは医療データを見るまでもなく分かる。アドレナリンブースターは強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマー常備されている数十種類に及ぶ代謝調整用薬剤の1つで、神経ドーピングドラッグになる。これは司令部から強制的に投与指令コマンドが送れるようになっていて、この時指令コマンドが送られたのだ。末端の兵士に対する皇国自衛軍の扱いがよく分かる。

 アドレナリンブースターはハサンの言うようにデメリットも大きく、使用は控えた方がいいものだ。だがこの戦場では使われた。それは、そうまでしても戦闘を継続・作戦完遂すべしと司令部が判断したからだろう。消耗戦に入り、追い詰められていた司令部の焦りが見えてくる。


 ――くっ、焼き尽くされそうだ……


 モランたちも同様に狂乱に支配されていきそうに感じていた。それは撮影者のベルジェンニコフを速やかに支配していく暴力的な興奮の力の凄まじさを知らしめる。


「行くぞぉぉぉぉ――――!」


 どこかから上がった雄たけび、それは戦場を瞬く間に席捲していき、ベルジェンニコフも例外ではなかった。


「殺してやる、殺してやる、ブッ殺してやるぅぅぅ――――!」


 穏やかな面差しのモデル系美女のものとは信じられない罵倒を口にし、彼女も走り出していた。地上を無数のブーストランの光輝が瞬くのが見える。全てが丘の向こうへと突き進んでいる。そして――――

 新たに発生する爆炎の数々、敵は未だ健在で戦闘は収まらないと知らせる。その炎の只中に、ベルジェンニコフは突っ込んでいった――――




 モランたちは放心していた。

 そこはフィットネスルーム、彼らが日常的に利用しているトレーニングスペースだ。ルーム内のあちこちにあるソファやトレーニング機器などにそれぞれ座りつつ全感ダイヴを行っていた。中には床上に寝転がっている者もいた。その彼らは皆が皆、虚ろな眼差しでぐったりとしていた。


「成る程な……あのモデルさん、あんな経験をしていたのか」


 ポツリと言うモラン、暫く間を置いてハサンが口を開いた。


「彼女の率いる小隊はかなり死傷者が少なかったみたいだな。とんでもない消耗戦だったが、これは特筆すべき功績とも言える。とは言っても、死傷者ゼロとはいかず、他部隊の損害を目撃した影響か、彼女は精神的ダメージを受けていたみたいだ」


 ハサンたちは全感ダイヴを通しベルジェンニコフの“感情”を理解していた。それがどれ程の苦痛になっていたかを……

 それでも彼女が率いた部隊はよく戦った。撃破した敵戦力もかなりの数に及んでいたようで、記録されたスコアが群を抜いていたのだ。最後まで統率力を失わなかったと思われる。アドレナリンブースターという狂気に呑まれながらも切り抜けた手腕は確かに見事と言える。


「スコアはまぁいい、それよりも死傷者数の少なさが一番評価できるか」


 ハサンの言葉にモランが反応する。


「信用できるのか?」


 ハサンは静かに笑い、首を振る。


「そうだな、部下のことを想うところはある人物のようだ」


 ベルジェンニコフを否定したわけではなかったようだ。


「そうか、じゃあ今回の作戦、多少はマシなところもあるかな」


 どうかな――と誰かが言う。乾いた声は彼らの心情を表していた。


「ふぅっ」


 モランは溜息をつき、目の前のソファで横たわっているレイラーに目を向けた。腕で目を覆ったまま微動だにしない。いや、細かく震えていた。口元が見えるが歯を食い縛っているのが分かる。その姿は彼女の精神状態を報せる。


「まぁ、堪らんわな。俺たちも色々経験してきているが、あれはレベルが違ってたな……」


 モランはそれだけつぶやき、俯いた。そのまま動かなくなった。

 ハサンはそんな彼らを順々に見ていたが、ある人物を捉えると視線が止まった。


玖劾クガイ……」


 いつもと何ら変わることない様子は、彼が何のショックも受けていないかに思わせた。そんな彼を見て、ハサンの顔が険しくなった。


あの戦場・・・・には奴もいたのか。記録に名が残されている……」


 作戦参加兵員の名簿をハサンは検索していたのだ。その中に玖劾の名を見つけていたのだ。

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