第22話 まるで戦乙女のように
それはコンサートホールのような空間、或いはスポーツイベント用アリーナとでも言うべきか。
すり鉢状の円形空間に大勢の人々が集まっている。総数の詳細は一見しただけでは不明だが、1万は下るまい。それ程の人々が密集しているが、その場は恐ろしいくらいの静寂に包まれていた。息づかいすら余り聞こえず、彼らは本当に実在の者たちなのだろうかと疑いたくもなる。
中央にはやはり円形の演台のようなものがある。今、そこには何もないが、人々の目はそこに注がれていた。すると――――
『諸君、これより
ホール全体に響く声、大音声というわけではなったが、よく通る声だった。声に続いてホール全体の照明は落された。そして演台直上より円筒形物体が伸び下がって来る。まるで望遠鏡のようにも見え、幾つかの径の違うパーツで構成されているのが分かる。同時に演台基部の三方より似た形状の円筒体が迫り出した。合計4つの円筒体が固定、そのまま動きはなくなり、時が過ぎていった。
「ちっ、勿体ぶるじゃねぇか。〈北〉のアレと同じで、国家元首というものはこーゆうのが好きなのか?」
モランだ、ホールには彼もいたわけだ。そして彼が所属する分隊の仲間も。
「やめなさいって。他の部隊の人たちに聞かれたらどーするのよ? 今日は陸海空三軍から大勢来てんのよ? 中にはかなりの高官もいるはずだし、目つけられたらシャレにならないよ」
右隣に座っていたレイラーはモランに耳打ちする。その顔は真剣そのもので、本気で心配しているのが分かる。
「けっ、ンなの今さらさ。俺たちゃあ、とうの昔に目ェつけられてんよ!」
分隊の他の仲間だけではない、更に周囲の他部隊の者たちの一部が彼らに目を向けた。モランの声は結構大きく、明らかに聞かれたのだ。
「ちょとぉ~」
レイラーは焦っている。対してモランは平然としていた。
「その辺にしておけ。始まるぞ」
ハサンの言葉。彼は2人の左に座っていた。目は演台に向けたまま言葉だけをかけていた。
演台の空間に突如として光球が出現、表面には虹色の輝線が走り、その効果なのかまるでミラーボールのような印象を与える。そして円心部より花火のような光弾が発生、それは光球の範囲を越えてホール内に飛び散っていった。あちこちから声が上がる。感嘆しているようで、光の演出に感じ入ったのだろう。
そして――――
『みなさん!』
鈴の音のような響きを持つ声が聞こえた。先ほどのものとは違う高音の声質、女性のものだと分かる。
『本日はお集り頂き、感謝いたします』
光球の中に1人の女性の姿が現れた。黒髪ストレートロングの人物、彼女の姿は光球の影響なのか、全身が眩く輝いているように見えた。それは通常の人のそれよりかなり巨大で実在の彼女がそこにいるのではなく、どこかからの映像を映し出しているものだと理解できる。
光球はメガサイズのホログラムスクリーンになる。
おおおおおおおおおお――――!
一斉に巻き起こった歓声、ホール全体を席捲している。集まった人々の多くが同時に叫んでいるのだ。ホール全体の照明が落とされているので個別には分からないが、人々がかなり興奮しているのは確実。それは地鳴りのような効果も起こしたのか、椅子や足元まで揺れ始めた。
「これ、全感演出よね? 視覚だけじゃなく、聴覚・触覚までも刺激しているよ」
レイラーの顔にも興奮の色が表れていた。
「ふん、ホールの環境効果も重なっているな。こうやって人心を掌握していくって寸法か」
モランは不愉快そうにしていた。
「全くよぉ、アイドルのコンサートかよ! カワイコちゃん総理といい、世の中どーなってんだって言いたいぜ!」
モランも興奮していたと言えばしていたのだが、勿論別の意味。どちらかと言えば怒りによる興奮、彼はホールの空気が気に食わないのだ。スクリーンに映し出される20歳そこそこの外見をした清楚な感じの女性総理、その彼女に一斉に歓声を送る人々、その全てに違和感を感じていた。
「演出なのは確実。視聴覚と触覚――臭覚も含まれるな――の全てを刺激し、ホール空間の環境設定によって
ハサンは冷静だった。彼にはその効果は及んでいないのかもしれない。
「そうやって人心掌握しようってのか? 洗脳じゃねぇかよ。今の政治ってそんなもんか」
「洗脳とまではいってないだろうな。だが世論誘導の効果は確かにあり、この場でも成果は出ているようだ」
ふん――と鼻を鳴らすモラン、彼の目はスクリーン内の総理に向けられる。
「彼女の実年齢は70に近いはずだ。あの外見は支持率上昇のためなんだろう。ナノ強化によるアンチエイジング効果、それが20そこそこの外見を維持している。デメリットもあるはずだが、概ね国民には好意的に受け取られているみたいだ」
そう言うハサンだが、どことなく憂鬱そうだ。
「国民と言っても殆ど天上人だけでしょう? “外”の住民、ましてアタシらみたいな難民・移民にとっちゃ関係ない。寧ろ憎しみの対象にすらなっちゃうくらいよね!」
レイラーも不機嫌になっていた。
「だけどよ、“ここ”の奴らはどうなんだ? 士官、下士官クラスはともかく、それ以下の連中――兵卒なんざ大半は難民・移民くずれの元“
モランはあちこちに目を向けていた。その全てに熱狂する人々の姿が映る。彼は溜息をついた。
「全員ではないだろう。俺たちみたいな連中も決して少なくないはずだ。だが環境効果のせいだろうが、見分けにくくなっている。全体が一色に塗りつぶされたみたいだな」
ハサンも溜息をついた。
「これが現代の
別のところから聞こえた言葉にモランはギョッとするものを憶えた。彼は右後ろに視線を送る。その先にボサボサ頭の切れ長の眼をした少年が座っていた。
「
モランの目は細められ、口はどこか歯噛んでいるかのように歪められていた。だが、ここでようやく総理の演説が開始された。よってモランの意識も演台へと向けられる。
『みなさん! 先日の〈北〉大統領の演説はご覧になったかと思われます』
演説は検閲の上、軍内部やタカマノハラ域内でも配信された。それ以外では配信されていない。
「つっても、違法配信なんざザラだけどな。検閲がない分、“外”の連中の方が正確に状況を理解しとるかもな」
吐き捨てるような言い方をするモラン、またしても周囲の他の部隊の者たちが睨んできた。レイラーが無言で彼の脇を小突くが、知ったことかという態度は相変わらず。
『かねてより〈北〉の敵対姿勢は苛烈を極めており、我が皇国の恩情を無下にすることこの上ありませんでした。そして先の青森要塞と六ヶ所再処理工場への攻撃、及び不法占拠。この侵略行為と言うしかない破壊工作は決して許されるものではありません。そして――』
ここで総理は言葉を切る。そのタイミングに合わせたかのように人々が叫びを上げる。「そうだ!」「許すな!」「鉄槌を下せ!」これらは怒号と言っていいだろう。
「これも演出か……」
呟くハサンの目は虚ろだった。彼には熱狂など欠片もない。
『そして遂に夷敵とまで手を組むという暴挙に及んだのです!』
総理の背景に
「何なのよ、これ……」
レイラーは耳を押さえた。震えていて、彼女が今の状況に怯えているのが分かる。
「夷敵とか……優しそうな外見からは想像もできない言葉遣いだな。結局カワイコちゃん総理も
モランは吐き捨てる。
『
その“植民地”の映像が映し出される、中米メキシコとの表示。貧困と飢餓や疫病に苛まれて苦しむ現地住民の姿、その脇を何の関心も抱かず通り過ぎていく裕福な装いの者たち。貧富の格差の凄まじさを伺わせる映像だ。
『そして繰り返される虐殺の数々、彼らは我が皇国を虐殺者と誹りますが、真のそれは
映像は切り替わる。米帝軍による軍事作戦の数々、圧倒的な物量による飽和攻撃がこれでもかと映し出される。かと思うと、小火器による銃撃戦が映されることもあった。それは人1人の死があからさまに映されるので、飽和攻撃などよりも寧ろ人々の心を抉る効果があった。敢えてそんな映像を選択したのだろう、撃ち殺される者は大半が普通の一般住民らしき姿の者たちだったので余計に響いた。処刑シーンなどもあり、特にインパクトがあった。
ホール内は静寂に包まれてしまった。やはり残虐シーンは人々から声を奪う効果がある。それでも激情の波動が膨れ上がるのが分かり、ビリビリするような緊張感を場全体に広めていく。
『このような蛮行を世界で繰り広げる彼の者らこそ真の悪魔、その悪魔と手を組む〈北〉もまた同類を言わざるを得ません!』
「そうだ! そうだ!」「悪魔どもの跳梁を許すな!」怒号が再び巻き起こる。叫ぶ人々の顔が奇妙に歪んでいく。
「いやだ、こんなのもう嫌だよ……」
レイラーは完全に顔を覆い、身体を丸めてしまった。モランが彼女の背中を擦る。その彼の顔もまた、引き攣っていた。
「くそっ、俺らだってとんでもねぇことしてんだよ……」
小声の呟きは怒号の中ではかき消される。
『みなさん! 我が国は今、未曾有の危機に立たされています。北の蝦夷と西洋の夷敵が一致してその魔手を持って神国の地を汚さんとしています! 許していいのでしょうか? 看過していいのでしょうか? そんなはずはない、あってはならない!』
「そうだ!」「許すな!」「悪魔どもを追い払え!」「討ち滅ぼせ!」怒号は渦を巻き、1つの大きなうねりを生み出していく。
『我が皇国は断固として立ち向かうことを宣言します! 猛悪なる帝国主義者とその尖兵に堕ちた共産主義者の打倒を果たすと誓います!』
総理は一息つき深呼吸、目を閉じて両手を胸の前で組んだ。まるで祈りを捧げているかのようにも見える。そのまま彼女は沈黙する。それは皆の熱狂を冷ましたのか、怒号は一気に収まり、暫しの時が流れる。
ホール内は沈黙が流れる。先ほどまでの熱狂とは打って変わった静寂、だが緊張感の高まりは否応なしに感じさせた。固唾をのむとはこのこと。誰もが次の一言を待っていた。そう、待っていた。
そして……総理はゆっくりと目を開き、静かに語り始めた。
『私はここに自衛軍全軍に対する防衛出動命令の発令を下します。これは内閣安全保障会議の討議を経て閣議決定された正式な命令です』
彼女は組んだ手を解き、右手を高々と上げた。握りしめられた拳は可憐とも言える外見に反して雄々しさを抱かせるものだった。
『起てよ皇国の若人よ! 猛き
おおおおおおおおお――――!
熱狂は頂点へと達し、
――これが
思考する玖劾の意識は、しかし静まり返っていた。
――流れる先に現れるものは何か、或いは何もないのか……
だだっ広い空間にハサンたち分隊はいた。他にも2つの分隊が一緒にいる。周囲の全て緑一色に塗り込められた長方形の室内。広いと評したがホールに比べれば随分と小さい。
「はっ、信じられねぇな。さっきまでのアレ、ナショナルネットを通して全国各地の自衛軍部隊を繋いだ仮想空間映像だったとはな。まるっきりその場にいたとしか思えなかったぜ」
モランの言葉、その彼は酷く疲れたような顔をしていた。隣のレイラーは今も蹲って震えている。モランは黙ってそんな彼女に目を向ける。
「FMM(
ハサンもレイラーに目を向けていた。
「――で、ハサンよ。いよいよ作戦開始ってわけだな?」
うむ――と、ハサンが応えようとした時だった。
「その通りだよ。我々との共同作戦になる」
唐突に聞こえたその声、何かと皆は思ったが、彼らの左前方から歩いて来る者たちに気づいた。2人いる。
「は? モデル?」
1人は赤毛の大柄な
白磁のような肌をした金髪の女、海自一佐に比べれば小柄だが、背は結構高くスラッとしている。成る程モデルと言いたくもなるようなプロポーションだ。だが何よりも注目されたのが、その瞳だった。
「金色の瞳なんて初めて見た」
その瞳、正に黄金の彩り。輝きすら放っているかのように見え、知らずに注目してしまう。いったい何者なのか? 徽章から陸自の三佐だと分かる。ハサンが立ち上がり敬礼した。慌てたように他の分隊員全員も後に倣った。
「お久しぶりです、ベルジェンニコフ三佐」
そう呼ばれた女はニッコリと微笑んで答礼した。
「そうだね、新規装備の評価試験以来だね。そちらの君もだね」
彼女の視線は少し移る。その先に玖劾の姿があった。彼は何も応えず、敬礼の姿勢を維持するだけだった。
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