Stage-03 鳴動する世界

第17話 友は呼びかける

 拡がる世界は昏く深い。宵闇のような暮明くらがりは何物も照らし出すことはない。それでも、所どころに燈明のような灯りが見られ、僅かに……本当に僅かに、其処に在るもの――者らと言うべきか――の姿を浮かび上がらせていた。

 それは人だ、大勢の人々が列を成して一方向へと流れていた。いったいどれ程の規模の列なのだろうか? 宵闇の深さのせいもあるが全体像を定かにさせない。見渡しても、その先は闇の中に消えていて、果ては見えない。ただ、かなり長いものだとは思わせた。

 静かだった、恐ろしいほどの静寂が支配していた。無数とも言える人々が集っているのに、騒がしさなどは一切見られなかった。声一つ、息づかい一つも聞き取れないのだ。それどころか、足音さえもが響いていない。まるで無声映画のようなもの。一切の音のない世界の中、長大な人々の列が宵闇の中を進んでいた。

 俺もその中に在った。いつからなのか、何故なのかは分からない。ただ、記憶を刺激するものはあった。


 そうだ、これは“あの”峡谷を思わせる……


 かつて見た死者の葬列の如き光景。まだ幼かった俺を地獄に堕としたあの紅蓮の峡谷の光景に酷似していると感じた。見れば人々の様子も似通っていた。虚ろな瞳、乾いた唇、どす黒いとも言える肌――それは生気と呼べるものを一切感じさせず、死者なのかと思わせる有り様だった。


 ――その通り、これは死者の葬列なのだよ……


 いつまにか、その者は俺の傍らを歩んでいた。俺はそいつを知っていた。ごく自然に、その名を口にした。


黒戈管生クロカスガオ……」


 その者は顔を俺の方に向けた。記憶にあるままの角ばった髭面のそれ、紛れもなく黒戈だった。かつて俺が初めて戦場に出た時、一緒に出撃していた男、そしてそこで戦死した奴だ。いや、記憶とは大きく違っているところもある。列の他の者らと同様の唇と肌、渇き切りどす黒く変色しているさま。そして何よりもその瞳――濁っていて、例えるなら水面に垂らした墨汁のように散り拡がっているさまが印象的だった。それは確かに死者のもの、死相を顕していた。


 死者が語り掛けるのか……


 確かにそうだ。これは死者の群れ、葬列だ。命あるものたちが表す光景ではない。静寂の中を漂うように歩くさまは、成る程死の淵に在る者らの姿を思わせた。ならば――――

 俺は目線を葬列の進む先に向けた。それは闇の中に消えている。その中に在るものは――――


 ――ク、ククク……俺を憶えていてくれたか……


 掠れた声は消え入りそうで、ともすれば聞き逃しそうなものだった。


 ――どうした? 何も応えてくれないのか?


 名を呼んだ以外は何も言わない俺が不満なのか、どこか拗ねたような口調で話していた。


 ――まぁいい、今のお前は住む世界が違うからな。仕方がないことさ……


 仕方がない――そこには悲しみのようなものが垣間見えていた。奴は寂しいのだろうか? それとも他の何か……?


 ――玖劾クガイ、こいつらが何なのか、お前には分かるだろう?


 そう分かる、かつての峡谷での記憶とは違う。今では確信していた。


「そうだ、彼らは俺が殺した者たちだ……」


 峡谷での被害者ではない。その時の場面に似せた光景なだけで、同じではなかったのだ。葬列を歩む者たちは、俺が殺してきた者たちなのだ。


 ――律義な奴だな、お前は。自分が殺した奴らをいちいち憶えているのか? 俺などは殺すそばから忘れたもんだぜ? それこそ殺害した事実すら忘れ去ったもんだ。


 別に憶えていなければ、と思ったわけではない。ただ殺した時の感触が意識の奥底に刻まれてしまったのだ。

 重く、深く……五体の奥底に衝撃が撃ちつけられ、魂にまで達する質量、それが忘却を阻んだのだ。


 1人の少年の姿が目に付いた。そうだ、彼は俺が最初に殺したと自覚した者たちの1人、殺人の現実を決して忘れられなくしてくれた奴だ。彼は俺には目もくれず、静かに闇へと消えていった……


 忘れるな、忘れるな、忘れるなど許さんぞ……ただ、声だけが響く……


 俺は殺した、殺し続けた。生きた人間を、その人生を奪い続けた現実を、俺は無視することができなくなったのだ。


 ――全くよ、そんなの仕方ねぇことじゃないか。俺たちに選択肢なんかなかったんだ。生き延びるためにはるしかなかったんだよ……


 そう、仕方がない。自由というものが殆どないこの時代、生きるための選択肢は極めて限られていた。他人を蹴落とし、命をも奪う覚悟なくして生き延びるなど難しい。そんな時代だ。誰もが己のことで精一杯で、他人を思いやる余裕などない。仕方がないことなのだ。

 だがそれでも……身を貫く質量は変わらず、忘却を許さなかったのだ……


 ――難儀な話だよな……


 奴の言いように奇妙な違和感を憶えた。労わりのようなものを感じたからだ。


「――む?」


 俺は歩みを止めた。――というより、止めざるを得なかったのだ。視線を足元に向ける、その先には巨大な黒い大穴が開いていた。


 ――そう、これは奈落。死者の向かうあの世への扉だ。


 そこに拡がるのは紛うことなき真の闇、宵闇など生易しい絶対なる漆黒の領域。成る程、〈奈落〉とは言い得て妙。あの世との境界なのか。

 人々が歩み続けているのが見えた。俺の後から来る者らも、一瞬たりとも立ち止まることなく歩んでいる。そこには何ら迷いというものが見られない。足先が大穴に達し、その闇に触れるや立ちどころに消え去っていく。まるで蜃気楼のような、虚像のようなさまを見せ、拡散するように消えていく。


 これが“死”――死に出の旅立ちなのか……


 消える者らは変わらず静かで、特段抵抗することもない。死を当然のように受け入れているのだろうか? だが、同時に安らかなものだとも思えなかった。


 ――仕方がないことなのさ。こうなるしか、散るように消え果てるしかなかったんだ。俺たちの最期なんてこんなものさ……


 その言葉には諦観しかない。苦渋も悲嘆も最早ない。ただ、あるがままの事実として受け入れている姿がそこにはある。


 ――じゃあな、俺も行くぜ……


 そう言うや、黒戈は闇に進んで行った。直ぐに奴の姿は虚ろなものへと変貌していった。まだかたちはかろうじて留まっているが、間もなく散り果てるのだろう。


「黒戈……」


 俺は、しかし歩けなかった。一歩たりとも進めなかったのだ。


 ――それは怖れではない。別にお前は死を怖れているわけではない、分かっているのだろう?


 そうだ、分かっている……


「まだ、その時・・・ではない。そういうことだな」


 黒戈は無言で頷き、そのまま消え去って逝った。後に残るは漆黒の闇のみ、流れ漂う冷気が死の世界を感じさせる。

 ふと、背後に気配を感じた。まだ死者の葬列は続いているが、その中に特別強い印象を与えるものがあったのだ。


「あれは……」


 それは少女だった。まだ5、6歳ほどの幼い少女。親兄弟らしきものは近くに見られず、ただ1人歩んでいる。彼女を、俺はよく知っていた。


 そうだ、あのも俺が殺したのだ。陥没孔底の村で……


 少女も闇の中へと消えて逝った。俺に目を向けることもなく、存在に気づきもしなかったかのように……

 俺はただ見ているだけだった。

 長大な葬列は無限に続いているかのよう。それは俺の殺戮の歴史を物語る。罪として感じているわけではない、掻きむしるものがあるわけでもない。だが彼らの全てが俺の中に在るのは分かる。俺は頷く。


「いつか俺も其処に行く、逝くだろう……」





「夢を見ていたのか?」


 光が視界を覆っていた。宵闇も大穴も跡形もなく消えている。眩い輝きの中で、俺は目を覚ました。そして、“彼女”を見た。

 傍らで俺を見下ろす人影があった。目線をその方向へと向けたが、見知らぬ女がそこにいたのだ。


「あなたは?」


 俺はゆっくりと身を起こす。動きに従い、リクライニングシートの背もたれがせり上がった。同時に身体各種に繋がれていた接続コネクトケーブルが外された。端子ターミナルは直ぐにシート脇の収納ボックスに引っ込んでいった。まるで蛇か何かが慌てて巣に戻るみたいなさまだ。

 俺は手首や首、肩などを回して身体の調子を探る。特に問題はない、凝りなども見られない。そして改めて女を見上げた。


「先技研(先進技術研究開発局)の研究員か医療スタッフなのですか? 初顔だが、最近配属されたのですか?」


 そうは思えなかった。見た目からして異質を極めていたからだ。

 輝くような金髪、白磁のような肌、白色人種コーカソイド――北欧かロシア系かと思わせる。年齢は20歳前後か、俺よりは年上になるか。背は高く170センチはありそう、ほっそりと引き締まった体躯は軍服の上からでも十分かる。やはり単なる技官か医官の類とは思えない。軍服に記された紀章から佐官クラスと理解できた。

 何よりも目を惹いたのがその瞳だった。切れ長の目の中に現れるそれは金色の瞳だったのだ。


 ――こんな瞳もあるのか……自然なものなのだろうか?


 女は微かな笑みを浮かべて口を開いた。


「いや違う。私も君と同じ接続制御者コネクター強化装甲兵アーマーズの1人だ」


 接続制御者コネクターというのは融機同調接続フュージョナリ―シンクロを行う者を指すが、現場の兵士たちの間では滅多に使われない言葉だ。それを使うということは研究開発現場にいる者だということか。強化装甲兵アーマーズと言っていたが、テストパイロットみたいなものか?


「君が玖劾零機クガイレイキくんなのだな?」


 俺は何も応えず女を見るだけだった。


 ――俺を知っている? どこかで聞いたのか?


 だが、それ以上に気になることがあった。俺は女を見るのだが、それは凝視と言っていいほどの眼差しになっていたらしい、当然だが女はそのことに気づいていた。


「そんな熱い眼差しで見つめられると照れてしまうな。特に君のようなカワイイ男の子に見つめられるとな」


 まるで男のような口調だ。流暢な日本語を話すことからして、長年日本語環境で暮らしてきたものだと推測できる。


 ――移民や難民とは違うな。そうだとしても日本で生まれた2世か3世なのだろうか? いずれにせよ彼女はネイティブな日本人と変わらぬ言語能力を発揮している。


「いつまで黙って見つめてくれるのだ? 私を観察でもしているのかな?」


 俺は首を振る。否定したわけではない、観察していたのは事実だからだ。ただ、些かなりとも緊張を感じていて、それが意外に感じたからだ。


 ――何だろう、この女は? 何か妙なプレッシャーを感じるのだが、これは何だ?


 そう、女の存在に気づいた時から……いや、それ以前からか? 意識の奥に加わる圧力みたいなものを感じていたのだ。それがこの女に由来するものだと確信できる。それが気になって仕方がない。


「そうか、私の方の自己紹介がまだだったな――」


 だが女の言葉は阻まれることとなった。


「ベルジェンニコフ三佐、何をしているんですか?」


 勢いよく扉が開けられるや、別の女が入って来た。勢いからして飛び込んで来たと言った方がいいくらいだった。


「ああ、すまない叢雲ムラクモ三佐。なかなか呼ばれなくて、ついね」


 女――ベルジェンニコフという名らしい。三佐と呼ばれたことから、やはり自衛軍兵士になる。佐官クラスとなると、それなりのエリートになる――は少し済まなさそうな笑みを浮かべて叢雲三佐に向き直った。彼女らは同クラスになるか。


「ベルジェンニコフ三佐、同調接続信号テストは繊細なものなのです。別の者が同室に入るのは原則禁止なのはご存じでしょう。それにあなたは――」


 叢雲三佐は言葉を濁して俺の方を見た。どうも続けるのを憚ることを言いそうになったと思われる。察したからというわけでもないが、俺は素早く立ち上がり――――


「俺のテストは終わったのですな、叢雲三佐?」


 三佐は少し身を引くような挙動を見せ、僅かに遅れて頷いた。


「では俺はこれで――」


 そのまま退室しようとしたが、ベルジェンニコフが話しかけてきた。


「玖劾特士、いずれまた――な」


 振り向くと彼女が敬礼していた。俺も素早く向き直って直立、答礼した。そして今度こそ退室した。

 扉を出て一度立ち止まる。目を部屋の名札に向けた。


 ――〈同調信号観測室〉、同調接続フュージョナリーシンクロ時の脳波計測、信号伝達状況や、フィードバック状況の観測を行う。同時に戦闘任務後のストレスケアも施される施設。あのベルジェンニコフという女もどこかで戦闘任務に就いていたのか? それにしても、あれは……

 いずれまた――と、彼女は言った。まぁ、そのいずれの時にでも分かるかも知れないな……


 そう思い、思考を止めた。




「フム、彼が玖劾零機特等陸士か。確かに才能はあるらしい」


 玖劾の退室後、暫く扉を見るだけだったが、おもむろにベルジェンニコフが口を開いた。少し笑みを浮かべている。


「ベルジェンニコフ三佐、こんな勝手なことはしないで下さい。知らされているはずです。あなたが彼のような者と迂闊に接触するのは、危険なこともあり得るのに、なのに何でこんなことを――」


 叢雲が怒った口調で言うが、ベルジェンニコフは彼女に目を向け、手を上げて制した。


「悪気があったわけではない。ただどうしても好奇心が抑えられなかったのだ」


 再び彼女は扉の方を見る。いや、その向こうに去った玖劾を見ていた。


「同じ才能を持つ者としてね」


 叢雲は溜息をつくだけだった。


「ふぅっ、まぁいいです。ホントはよくないけど……。ともかくあなたのテストも済ませましょう」


 そう言って接続制御シートの調整に入るのだった。そんな彼女を横目にしながらも、ベルジェンニコフは頻りに頷きを繰り返していた。随分と楽しそうに。 

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