第10話 魑魅魍魎

 薄暗い室内、然程広くはない。薄暗いが、室内の中央に浮遊するように展開している幾つかのもの、大小様々のホロヴィジョンスクリーンからの光が室内を照らし出し、手前の人物を浮かび上がらせていた。スクリーンは陥没孔を上空から映した映像や、孔内に侵入している強化装甲兵アーマーズ部隊の行動を映し出しているが、その人物はどうも目を向けていないようだ。彼は頭を垂れ、手元の携帯端末に注意を向けている。丸顔の男――嘴旧門矩ハシモトユキノリ、陸上自衛軍三尉だ。


「ああ、うん……今は仕事中でね。直ぐには行けないんだ。折角の同伴のお誘いだから、是非とも応えたいんだけど、うぅむ……」


 誰かと話しているようだ。手元の端末にも立体映像ホログラムが浮かび上がっており、話し相手の顔が表れている。目鼻立ちのくっきりとした女、派手な出で立ちだ。何らかのサービス業関係者だと思われる。歳は20代前半か。ウェーブがかった豊かな栗毛色の髪をハーフアップさせている。碧がかった瞳が印象的な女だ。その女が返事をする。


『仕事なら仕方ないわね。また今度、ということになるかな』


 女は心底残念そうな顔をして、しかし笑みを織り交ぜていた。


「今度――というか、明日なら都合がつくよ」


 嘴旧も笑みを返すが、些かニヤけたもので人によってはちょっと気持ち悪さを感じるのかもしれない。


『そぅお? でも任務なんでしょ? 直ぐに終わるもんじゃないんじゃ?』

「ああ問題ないよ。一日もかかるようなものじゃないから。ホントは部下に任せてしまってもいいんだけどね」

『そんなこと言っちゃダメ。仕事を優先しないと』

「ハハ、こんなの君に比べれば何の価値もないよ。それで――」


 尚も嘴旧は話を続けようとしたが、ここで中断せざるを得なくなった。


「価値がないのですか?」


 突如背後から届いた声に彼は飛び上がってしまったのだ。比喩などではなく本当に座っていた椅子から飛び上がったのだ。


「――――!」


 絶句とはまさにこんな状態を指すのだろう。口元を動かしているが、言葉を繰り出すことができなくなっていた。その視線の先に2人の人物の姿がある。薄暗い室内だがスクリーンからの光で姿かたちは明確に現れている。若い女と、彼女よりは少し年上らしいがやはり若い男だった。男の方は嘴旧や女とは違う人種で、白人であることが分かる。

 嘴旧は2人が何者なのかは直ぐに理解したらしい。それが彼の動揺を拡大させた。


「ふぅ……」


 女は呆れ果てた表情をして肩を竦めた。隣の男は苦笑いを浮かべている。


「三佐……」


 女の階級に気づいた嘴旧の呟きだ、女は自衛軍の軍人だ。視線を逸らす動作から見ても彼の心理は明白、階級の上の者に自分の行為を目撃されたからだ。女はそんな彼の様子を見て大きく溜め息をついた。白人の男の方が口を開いた。


「フフ、浮気現場を抑えられて焦る夫って感じですね」


 女と嘴旧は同時に白人の男に目を向けた。彼の言葉に反応したのだ。


「浮気って何です? 言っときますけど、私はこの殿方とは何の関係もありませんよ!」


 嘴旧の顔が見る見る赤くなった。気色ばんでいるのだ。しかし女はそんな彼の様子など知らん顔して言葉を続けた。


「――まぁいいです。それで三尉。作戦指揮室オペレーティングルームで、しかも重用な作戦中に私用の通信をするとは何事ですか?」


 う――、と呻き声が一つ。暫し間を置いて嘴旧は咳払いをした。


「私用……というか、どうしても外せない用事があったのだ」


 上級者と話しているのだが、嘴旧は敬語・丁寧語を使っていない。相手が娘と言っていいほどに年下であり――それ以外にも幾つかの理由があるのだろう――どこか見下した響きが表れている。女はそんな態度を咎めることはなかったが、それでも行動に対する非難は述べる。


「軍事作戦よりもですか? そんなことでいいと思っているのですか? 本気で言っているのですか?」

「いや……だが、そんなに問題なのか?」

「は? 何を言っているのです?」


 女は理解できないという顔をした。


「たかが穢多えたどもの巣を叩くのに何を堅苦しいことを言うのだ? あんなもの、現場の連中だけでも直ぐにケリがつくだろうに」


 女は言葉を失った。その目には呆れを通り越して絶望の色すら表れていた。

 嘴旧は女から目を逸らし手元の携帯端末に目を向けたが、小さく舌打ちをした。スクリーンは消失、通信が切られていたのだ。どうやら話し相手は女たちが現れた時に通信を切っていたらしい。


「くそっ」


 明らかに聞こえる声で悪態をつき、暫く黙って憤慨していたがそれでは収まらないのか、明らかに噛み付くような口調で女に話しかけた。


「三佐、何故あなたのような方がこんなところに来たのですか? 技術士官のあなたが作戦課を訪れる理由が分かりませんが?」


 言葉は丁寧なものになっているが、口調が刺々しく敵意すら垣間見られた。だが女は意に介した風もなく、淡々と応える。尚、肩の階級章の他、左胸に所属部署を意味する徽章が付けられており、それで嘴旧は女が技術開発部門所属と知ったのである。


「装備品の運用状況を確認するためです。私は強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマーの研究開発を主に担っているので、こうした作戦を時々視察しています。今回はここになっただけです、たまたまですよ」


「たまたまですか……」小声ながらも聞こえた言葉、笑いを押し殺している。白人の男のものだ。女は彼を睨み付けた。

 嘴旧はというと、何も応えず、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。無礼千万な態度だが、どうしても顔に出てしまう性分らしい。そのままホロヴィジョンスクリーンの方に向き直り、スクリーンの光学制御卓コンソールに手を滑らし始めた。各スクリーン上には様々なデータが併せて表示され始めた。いちおうになるが、仕事を始めたわけだが、これまでは映像だけだったことが、嘴旧の仕事ぶりを証明していた。


「仕事より女と遊ぶ方が大事ってトコですね」


 白人の男が女に近寄り、耳元に小声で話しかけた。女は不機嫌極まりない顔をして応える。


「フェルミ中佐、あんまり近寄らないでくれます? 息がかかってくすぐったいんですけど?」


 男――フェルミという名らしい。彼は「オーマイ」といかにもな言葉を口にして女から離れた。


「失礼、叢雲ムラクモ三佐。昔ならセクハラで訴えられてましたね」


 女――彼女の名は叢雲ムラクモになる。階級は三佐になる。フェルミは“中佐”と呼ばれたところから軍人ではあるのだろうが、どうも自衛軍軍人ではないらしい。

 2人は一緒にホロヴィジョンスクリーンに目を向けた。スクリーン上では三つの部隊が映し出されている。2人は暫く何も言わずスクリーンを観ていたが、やがてフェルミが口を開いた。


「この部隊展開ですが、10人単位で“分隊”ってことになっていますが、この規模なら小隊扱いになりませんか?」


 叢雲は小さく頷き、応えた。


「部隊編成は国家ごとに違いますし、同じ国家でも時代によっては大きく違いますよ」

「それは分かりますけどね。自衛軍の組織でも分隊カテゴリーは5人一組だと聞きますが……」

「その辺りは作戦ごとに変動しますよ。特に今回のような……場合はね。曹レベルの兵に小隊規模の部隊指揮権限を持たせる必要があるようです。だから本来なら小隊と言っていいレベルの部隊を“分隊”と呼んでいるのでしょう」


 小隊指揮は通常は尉官クラスの下士官が執る。だが、今回はそこが違っている。

 冷ややかな笑いを浮かべ、叢雲はスクリーン前の嘴旧に目を向けた。その視線の動きにフェルミは気づいた。


「そう言えば尉官クラスの軍人なら現場で指揮を執るものじゃないですかね? 嘴旧三尉はどうして司令部の作戦指揮室オペレーティングルームに籠っているのです?」


 嘴旧の肩がピクリと動いた。フェルミの声は小さかったが、嘴旧にも聞こえたらしい。


「まぁ、あんな感じですからね。現場に出張られては損害をもたらすばかりなの明白だと私にも理解できます。だからなんでしょう、小隊レベルを分隊にして曹レベルの兵を指揮官にしているのは」

「ふぅむ、三尉殿はお飾りみたいなものですか」

「でしょうね。形式上、総司令官的な立場に置いているのでしょう」


 2人の会話の声は更に小さくなっており、嘴旧には聞き取れなかったらしい。だが気になっているのは明白で、あからさまに背後に意識を注いでいるのが見て取れた。フェルミたちはそんな彼の様子に気づき、苦笑した。


「そんな者を何故尉官クラスに置いておくのです? こんなの無駄でしょう」

「フッ、聞いた話ですけどね、親が行政官僚らしいです。そのコネで任官したみたいですよ。そんなんですから、階位もそれなりのものにしなければならないみたいで……」

「はぁ、縁故採用ですか。“我が国”でもそういうのはありますが、能力がないのなら適当な閑職に置いとくものじゃないですか?」


 嘴旧が盛んにモゾモゾしている。2人の会話が気になって仕方がないようだ。目前で進行中の軍事作戦のデータが表示されているのだが、彼は全く注意を注いでいない。フェルミは「大丈夫ですか?」と小声で叢雲に話しかけるが、叢雲は乾いた笑みを返すだけだった。


「親の手前らしいですよ。閑職に置いておいては面目が立たないという行政官僚様に対する配慮になりますね。昔風の言い方なら忖度ってことになりますか」

「危ないですねぇ。司令部付きにしているとは言え、実戦部隊に置くには如何にも何ですよ」


 叢雲は首を振る。 


「自衛軍は現場レベルでは完全実力主義ですから、曹レベルでもかなり広範囲な権限が与えられる例は他にもあります、かなり多いですよ。だから“上”がアレでも機能不全に陥ることはありませんよ。とは言え――」


 言葉を続けようとしたが、最後は言いよどむように切れてしまった。しかし、気を入れ替えたのか、少し間を置いて続ける。


「責任を取らされるのは現場だけ。問題が起きてもアレな上は知らん顔、でも成果が得られれば全部自分の功績にしてしまう。そんなのばかりなのは溜まりませんね……」


 フェルミは「ああ……」と嘆息するだけだった。納得しているようだった。叢雲は話を続けた。


「〈西アメリカ〉では知りませんが、皇国は酷い階級社会になっているのです。益を得るのはタカマノハラの天上人だけ。外の世界の住民はロクな扱いは受けないのですよ。ああういう能力の欠片もない穀潰しが大きい顔をするばかりで、実力のある現場が報われることはないのです。システムとしてそうなっているんですね」


 そう言う叢雲の目は虚ろで目の前の何物も見ていないかのようになっていた。フェルミは何も応えず耳を傾けるだけだったが、一呼吸置いて口を開いた。


「〈西アメリカ〉って言い方は好きじゃありませんね。〈汎アメリカ連邦〉と呼んでほしいです」


 その時、スクリーンの一つから鋭い光輝が発するのが見られた。よって会話はここで中断。彼らは同時にそのスクリーンに意識を向けた。左端のもの、乗鞍イワドコンプレックスエリアと表示されていた。


「レイキ……」


 一言呟く叢雲、その顔は些か苦しそうになっていた。フェルミはそんな彼女の変化に気づいたが、何も言わずスクリーンに目を向け続けるのだった。

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