第9話 黄泉路行
1時間前――移動中の分隊は補給のための中継宿営地にいた。敷地の一角、整備工場建屋の側に10人の隊員たちが集まっていた。
その彼らの間で1つのホロヴィジョンスクリーンが展開、眼前に1人の男の姿が映し出された。50代後半と思われる妙に頬の膨らんだ丸顔の男だ。レイラ―が小声で呟く。
「フン、おたふく野郎め。今回も司令部に引きこもりを決めるつもりだね」
彼女の声が聞こえたのか、丸顔の男はギロリと眼を剥いた。視線はレイラ―の方を向いている。しかしレイラ―はどこ吹く風といった呈ですまし顔を貫いた。そんな
『今回の作戦概要を伝える』
おもむろに男は話を始め、連動したのかスクリーンに映し出される映像が切り替わった。男の姿は消え、日本列島の衛星画像が映し出された。それは単なる画像ではなく、ブロック分けの意味があるのか、区域が何種類かの色に区分けされて表示され、またその中を幾つものラインが描かれ、重点ポイントの意味があるのか矢印などが強調するように記される部分がある。それらには名称などの記述もあった。
画像はそのままに男が説明を始めた。
『現在、皇国政府の行政管理は旧三大都市圏に築かれた〈タカマノハラシティ〉と周辺の〈ナカツノクニタウン〉、それらを繋ぐライフラインルート。そして乗鞍、富士、白山の各火山帯に構築された33の〈イワドコンプレックス〉――地熱発電・鉱工業複合生産プラント、及び各〈タカマノハラシティ〉へと接続されるパイプライン周辺に限られている』
名前の挙がったエリアの色が変化、旧東京、名古屋、大阪を中心とした平野部と飛騨山脈や富士山周辺、旧岐阜県西部から中国地方に伸びたラインが青色になった。そしてそれらを取り囲むように赤いエリアが拡がっている。
モランが呆れたような顔をして、一言。
「うわぁ……殆ど無法地帯ってわけかぁ?」
画像が一瞬にして変化、右半分(モランから見て)に丸顔の男の顔が映し出された。男はレイラ―の時と同じように目を剥いてモランを睨み付けてきた。モランは「オヤオヤ」と呟き、肩を竦める。丸顔の男はこれ見よがしに大きく音を立てて舌打ちした。
「やめときなよ、こっちの映像や音声も全て向こうに流されているから。あいつは逐一確認してんだよ、リアルタイムでさ」
レイラ―はモランに近づき、小声で囁いた。モランは黙って苦笑するだけだった。そんな2人を丸顔の男は忌々し気に睨み、口を開きかけるが――――
「
分隊長が口を開いた。その目は真っ直ぐに丸顔の男に向けられているが、まるで刺し貫くかのような鋭さが表れている。気圧されたのか、丸顔の男は目を逸らした。
『むぅ……そうだな。
一瞬にしてその場の空気が重苦しいものに転じた。レイラ―やモランは無論、他の隊員たちも全て一様に禍々しい気配を漂わせているのが分かる。男の言葉が刺激となったようだ。
「ちっ、
誰かが呟く。聞こえただろうが、丸顔の男、
『国土の各所に虫食いのように拡がるこの遺棄地帯――俗称・〈ヨミエリア〉で現在、多くの反政府勢力の活動が続いている。特にここ――』
一点が拡大表示された。1つの山が拡大、名称が同時に示される。〈乗鞍岳〉――と表示された。更に映像が拡大、エネルギープラントと思われる施設の映像が映される。
『この〈乗鞍イワドコンプレックス〉で稼働している3つのプラント周辺での破壊活動が激しくなっている』
映像が切り替わる。より低高度から撮影したものと思われる映像が映し出された、無人偵察機が捉えたものとの表示がある。その中に幾つもの機動車輌と
『この組織――ヴァンダルと名乗っているらしいが――の活動が一番目に余る』
送電所と思われる設備への襲撃場面に切り替わった。一部は施設の監視カメラからの映像になる。よって状況はより詳細に分った。分隊長が発言する。
「かなり組織的ですな。練度も決して低くはない。彼らはどこかで正式な訓練を積んできたのかもしれないですな」
複数個所から時間差を置いた襲撃が成されている。機動車輌――軽戦車と呼べるレベルのものだ――と
『その通りだ。こうなると、このヴァンダルの活動は無視できるものではないと判断される。放置すればより重要度の高い施設――例えば中枢の地熱発電所などへの直接攻撃の可能性も出てくる。陸上幕僚本部はこう考え、討伐に本腰を入れる気になったのだ』
分隊長が頷く。その刃を思わせる眼がより細くなった。三尉は少し間を置いて応える。怯んだような顔になっていた。
『……む、そうだ。今回のお前らの任務は連中の活動拠点の把握と、可能ならば攻撃・殲滅だ』
フフン、と鼻で笑うような声が幾つも聞こえてきた。三尉の反応が面白かったらしい。もちろん三尉は直ぐに気づき、お馴染みのギロリとした目で兵士の1人を睨み付けた――モランを、だ。視線を浴びたモランは慌てたように手を振った。
「ちょっと三尉、違いますって。今のは俺じゃないっすよ!」
慌てた言いようだが、口元は緩んでいる。笑いが堪えられない感じだ。ちっ――という舌打ちが響く、三尉のものだ。しかし文句を口にすることはなかった。以後は指令を伝達するのみだった。
『いいかナセル特曹、お前らには乗鞍第2プラント附近の捜索を命ずる。あの近辺には陥没孔が多数あるからな。ヴァンダルじゃなくてもゴミどもが根城にしている可能性がある。その全てを調べて駆除するんだ』
「三尉、第1と第3はどうしますか?」
『それは他の分隊に指令済みだ。お前は考える必要はない』
「そうですか」
そのまま通信は終了、何も付け加えることもなくスクリーンそのものが消滅した。
「フッ、一刻も早く話し終えたかったって感じだな」
誰かが皮肉タップリに言った。そして他の兵士が応えて言葉を継ぐ。
「〈
「だろうな。所詮 揺り籠育ちのお坊ちゃまよ! 人間以下の
「ああー、やだやだ。差別主義って
「仕方あるめぇ、世の中そう出来てンだからよ」
「でもよぉ、何であんな1人で外も出歩けないようなとっちゃん坊やの言いなりにならにゃならんのかね。いい加減虫唾が走るんだけど?」
「今さらそんなこと言ったってよぉ、あんなんでも上官なんだぜ」
「上官ねぇ……本来あいつの立場なら現場で指揮すべきなのに、司令部に籠ったままで通信越しで命令するトコに本音が表れてますなぁ」
「いいじゃねぇか。直接出張って命令されると余計にムカつくし、引きこもり決めてくれるのはむしろ歓迎さ」
「ハハ……虚しい話だねぇ」
何人もの兵士たちが会話に参加し始めた。その全てが不満やら悪口やらで占められている。三尉の態度が引き金となったのだろう、彼らの不平不満が一気に噴出した感じだ。分隊長――ナセル特曹は何も言わず、暫く彼らの好きにさせていたが、やがて一言――――
「そこまでだ。俺たちはやるべきことをやる。それしかない」
手を振り歩き始めた。皆は黙って彼の後を付いて歩き始める。ある者は不満げに、他のある者は皮肉交じりの笑みを浮かべ。いずれにせよ、倦んだ気配に満ちていた。
日本皇国――それは22世紀初頭に誕生した日本国の後継国家だ。
地球規模の環境変動を引き起こしたスーパーホットプルームと氷河期は各国を直撃、国際秩序を崩壊させたのだが、その結果 世界は終わりのない戦争や内戦の時代を迎え、大半の地域・国家は疲弊していっている。日本も例外ではなかったが、元々 火山・地震大国だった日本に於いては氷河期よりもスーパーホットプルームの影響が大きい。各地の火山が軒並み大規模噴火を繰り返し、強震レベルの地震も頻発したのだ。激甚災害が立て続き、経済に深刻な打撃を加えられ、日本は最貧国レベルへと堕ちていくかに思われた。それは災害対応の力を殺ぎ、国土は急速に荒廃、疫病の発生、犯罪の多発――社会の混乱は押し留められなくなっていった。日本は国家的危機の迎えたのだ。
国難と言える状況に対し、日本国政府は国家権力の集中と強化によって対応せんとした。
憲法の改正により政府行政権限を各段に強化、立法府・司法府の権限は弱体化された。地方自治体は中央政府の下僕的地位へと落とされ、極端な中央集権体制が確立。自衛隊は自衛軍へと改組、軍隊化を推し進め、治安維持権能が強化された。政府は国体をかつての大日本帝国にも似た全体主義的体制へと移行させたのだ。そして国名を日本国から日本皇国へと変更、それは国家体制の大転換を対外的に表明するものだった。
かつてないほど強大となった中央権限の下、皇国政府は留まらない国難への対応に着手する。それは極端な選別……いや、間引きと言うしかない政策だった。それが〈タカマノハラ〉政策である。それは旧三大都市圏を優先的に復興させ、他の地方を切り捨てるものだったのだ。国民は選別され、国家に有用とされる者たちのみが三大都市圏での居住が許され、優遇された。また、三大都市圏は市の境界に巨大な壁を建造して域外との交通を制限、無闇な行き来を禁止した。これこそが選別……いや、間引きになる。
つまり皇国政府は一部の
現在――2162年のこの時代、三大都市圏は都市全域を覆う巨大なドームに覆われた閉鎖環境都市へと変貌している。それは厳重に管理された居住環境が維持されたものであり、災害が立て続く都市外とは比較にならない優しい世界が拡がるものだ。その優しさは、神々の住まう楽園になぞらえて
衛星軌道上からでも視認できる〈タカマノハラシティ〉は地上に途轍もなく巨大な岩塊でも出現したかのようなものに見える。都市外の者――大多数の一般国民にとって、それは癒し難い羨望と憎悪すら呼び起こすものだった。皇国政府は〈タカマノハラシティ〉以外の地方に対し、まともな救済・復興を行うことなどなく、通常の行政管理すら放棄していたのだ。全国の地方自治体はほぼ機能停止状態に陥っており、独自の救済策を採ることは不可能になっていた。よって国内の大半は荒廃するに任せるだけになり、国民の不平不満は皇国そのものへの敵意へと昇華していくのは当然の話だった。
地方は無法地帯と化し、犯罪組織やテロ組織の縄張りと化した。それは地方の生活を更に過酷なものにし、人々を追い詰めていった。不満が爆発するのは当然。遂に皇国に対する反政府闘争が勃発する。日本は内戦の時代を迎えたのである。それは終わりのない、長い戦乱の時代の到来を意味していた。
既に20年に及ぶ内戦の時代は国内の荒廃を拡大させている。だが皇国政府は決して融和の道に出ることはない。話し合いの席に着くなど考えもせず、地方救済の政策など決して採らない。力による弾圧を繰り返すのみだ。自衛軍を使い、反政府組織の崩壊・殲滅を目指すだけだったのだ。
平和への道は開かれない。そもそも平和とは何か――この時代を生きる者たちにとってその言葉は、意味を把握するのすら困難なものとなっていた。それほどに戦乱が日常化していたのである。
『まさに奈落だねぇ』
呟くレイラ―の言葉は、しかし震えていた。眼下に拡がる陥没孔は真っ黒で灯一つ見られない。この底で人々の生活する村があるとは到底思えないものだった。それが知らずに震えを生みだしている。彼女は頭上を仰ぐ。ボウっとしていながらも、煌々と輝く満月の明かりは真夜中の地上を結構照らしている。だがその光は陥没孔の底には届かないらしい。漆黒の拡がりは彼女の脳裏に一つの知識を浮かび上がらせた。
『奈落って地獄という意味だったっけ……』
この言葉は、見捨てられた国内の地方全てを指しているとも言える。この眼下に拡がる漆黒は、確かに地獄への扉を思わせる――と、レイラ―は思った。そんな世界に自分は降りていくのか……そう思うと震えが収まらない。
『行くぞ、
分隊長――ナセル特曹の指示。直後、彼の姿が陥没孔の縁から消えた。続いて何人もの
『ザイルワイヤー、射出』
宙に飛び出すや、彼女は音声コマンドを発した。即座に
月明かりも届かなくなるのか、次第に闇が濃くなり可視視覚では何も捉えられない世界が拡がっていた。
『黄泉路への旅――か。そう言いたくなるね』
ふと漏らした言葉が、彼女を暗澹たる想いにさせた。
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