第7話 重く、そして深く
火光が天空を奔り、間を置かずして地上を炎が舐める。その惨禍は、駆ける鋼の獣どもの多くを瞬く間に呑んでいく。
戦いは始まった、間など置かない。少年はロクに覚悟も決められないうちに激戦の只中に落とされてしまった。彼の人生初の戦闘が、ここに始まったのだ。それは紛れもない“殺し合い”だった――――
雨あられと降り注ぐ砲弾の嵐、間近に炸裂する酷熱の衝撃の狭間を俺たちは駆け続けた。
一際巨大な炸裂が直ぐ側で起きた。身を叩く衝撃に俺は転倒しそうになるが、
ブーストラン――背部を覆う
この力を有することにより、彼ら
『くそったれ、何が頭を押さえただ。奴ら自由に攻撃してきてんじゃねぇかよ!』
髭面男の叫びだ。どこか遠くから聞こえてくるかのようだった。その間も爆発は立て続き、仲間が呑み込まれるのが見える。センサーは攻撃ポイントを特定し、敵の姿を表示した。
古代中国の秦王朝時代に造られた兵馬俑で発見された兵士像に酷似した甲冑兵士の姿が数多く捉えられた、ビル群の中からワラワラと姿を現わしている。距離200から600m、熱源情報からの敵数78とカウントされている。いつの間にか俺たちを包むように布陣していた。決して少なくない、いや確実に多い。突撃する俺たちは敵による包囲網の只中に飛び込んでしまったのだ。このままでは飽和攻撃を受けてしまう事態が懸念される。
敵は友軍の航空支援攻撃以前に一部が前進していたらしい。後衛に残っていた敵部隊は航空打撃群によりかなりの損害を受けたようだが、この前進部隊は無傷だったようだ。その敵の掌の中に俺たちは掴まれてしまったのだ。
『くそっ、ありゃあ中華の
情報表示ウィンドウに特定機種情報が出ている。
〈劉備151〉――2151年に実戦投入された中華連邦製の
『ぬうっ、中華軍の侵攻? 氷漬けに耐えられなくなったか?』
この時代のユーラシア大陸東部を支配する勢力は中華連邦という名の国家だ。中華人民共和国が発展・強化された多民族国家である。22世紀初頭より台頭してきた国家だが、やがてその勢力が頭打ちとなった。氷河期の影響だ。国土の大半を分厚い氷河に覆われてしまい、その熾烈を極める極寒に苛まれ、国体の維持そのものが危機を迎たのだ。その情勢打開の一手として南進・海洋進出政策が推し進められている。
『遂に日本に手を出す気になったってか?』
『いや、それは分からん。皇国に直接仕掛けるリスクは連中も重々承知しているはずだ。無闇に侵攻などしないと思うぞ。そもそもそんな情報、欠片も流れちゃいないだろう』
『じゃあ、あれは何だ? 中華じゃなきゃ何だってんだよ⁉』
自分たちを取り囲む見慣れぬ装甲兵の群れは否応もなく彼らを苛立たせる。やり取りは自然と喧嘩腰になっていった。
『知るかよ、そんなの!』
『なろぉっ! だったら最初っから何も言うな!』
『あんだとぉ、オラぁ!』
『いや、或いは反政府勢力のどれかが買い付けたのかもしれんぞ』
その言葉は炎上の様相を帯び始めていた議論に一定の歯止めを与えた。皆は発言主に注目した。
『反政府勢力だと? だがあの
『それは知らん。もしかしたら中華が皇国を混乱させるために供与したってケースかもしれんな』
『代理戦争のつもりか。なるほど一手ではあるな』
議論はしかし、幕を下ろすこととなる。
〈敵軍より高密度電磁反応の集約を感知、攻撃が来ます〉
装甲兵たちは反射的に防御姿勢をとった。その間もやり取りは続いた。
『オチオチ議論もできんってか!』
『なぁにが議論だ! ゲスな罵り合いだっつーの‼』
『ヒャハッ! かもな!』
それも終わりを告げる。
『シールド展開! 野郎ども、個々のシールドアーマーを前面に開いて隣の仲間と連結させろ!』
だが、これで万事無事に済むなどと、誰ひとり思いはしなかっただろう。
そして――――
一瞬にして彼らは閃光の連鎖に包まれ、衝撃の嵐に呑み込まれた。
敵の攻撃が始まったのだ。ブリザードのような密集した砲弾の嵐が降り注ぐ効果だ。それは焼け付く氷雪とでも言いたくなる代物だった。全周から隙間なく撃ち込まれる攻撃は、まさに飽和攻撃そのものだ。その情け容赦のない攻撃は、リングシールドで守られた
『ざけんじゃねぇっ、このや――』
髭面男が叫んでいたが、やがて聞こえなくなってしまった。攻撃の凄まじさが電磁環境を極端に悪化させ、近距離通信すら困難にしてしまったのだ。粉塵や火焔も凄まじく、光学観測も不可能となる。状況は混沌の様相へと陥っていった。
爆発、そしてまた爆発――何発も、いや何十発もの榴弾・擲弾・砲弾が一斉に撃ち込まれていた。俺たちは次々と生まれる火光の炸裂に呑み込まれたのだ。
砕かれていく鎧の姿の数々が映る。ゆっくりと、まるで超高速度撮影のように四散し、散り果てる
死だ、人の死だ。余りにも生々しく、凄絶さを極める命の終焉は、返って現実感を奪い去る。
そして何かが弾けた。俺の中の遥か深奥より滾り立つ何か――それは
まるで自身の肉体そのものがフルブーストしたような、途轍もない力の噴出が体内より逆巻く。そして脳裏に響く声――悪鬼の如く、魔獣の如く、それは咆哮を上げたのだ。
――死んでたまるか、死んでたまるかぁぁぁぁっ!
怪物が大口を開けて俺を頭から喰らった。それは俺自身の有り様を根底から書き換えた。
世界が変容する。赤黒い彩りが全てを覆い、何もかもがドロドロに溶け崩れていくように見えた。その中で――俺は自我意識が微塵へと砕かれ、自身が異形なる魔性へと変異していくのを感じたのだ。
それはかつて目撃した、あり得ない幻想を眼前に現した。
龍が吼える――赤熱の
死の真実を俺に叩きつける……
ああ、死んで逝く……
朽ちて逝く……
形あるもの全てを、灰燼へと帰していく――――
何もかもが焔の中へと呑み込まれ、俺自身は混濁の只中へと堕ちていった。
気がついた時、俺はただ1人戦場に立っていた。敵も味方も、全く姿はない。
ここがどこか――即座に
あの包囲網から2kmも離れた地点にいることが分かった。どこをどう走ったのか、記憶は定かではないが、記録は残っていた。
俺は包囲の一点にフルブーストで突撃し、同時に全身の武装を一斉開放して突破したらしい。記憶が混濁していて自分では明確に思い出せなかったが、実に巧みに敵の隙を突いて脱出を成し遂げたらしい。その際、10人に及ぶ敵を一度に葬り、更に何人かを戦闘不能に陥れたらしい。
友軍は?
分らない。突破は大混乱の中で行われており、完全にはぐれてしまったからだ。同様に突破を図った仲間はいたはずだが、結果は分からない。マップデータには味方を意味するIFFが幾つか現れているが、全て2km以上離れたポイントに表示されていた。それが突破に成功した友軍を意味するのか――詳細を確認しようとしたが、俺は急速に身体を襲う異変に囚われ、できなくなってしまった。
「ううっ――」
猛烈な疲労感・倦怠感を感じ、意識が朦朧としてきたのだ。どうもかなり消耗が激しいらしく、
俺は身動き一つままならなくなり、うずくまってしまう。こんな状態で敵に見つかったら一巻の終わりなのは確実。一刻も早く立て直すべきなのだが、俺はそれどころじゃなかった。
ズシリと染み渡る重々しい感触を感じ、押し潰されそうになっていたのだ。これは単なる疲労を意味するものではないと思った。それは何か――ともすれば揺らぐ意識の中、俺は知ろうと思考するのだが、それは続けられなかった。
ガリッという石がすり潰されるような音が聞こえたのだ。瞬時にして俺は跳ね飛び、身を翻す。構えた俺の視線の向こうに1人の甲冑兵士が立っているのを目撃する。兵馬俑兵士風の外見の意味するものは明白――IFFの有無を確認するまでもなく理解できる。敵だったのだ。
そいつは妙にぎこちない動きをしていて歩いていた。ユラユラと上体を動かす様子は、まるで壊れた
呆けたような姿は、そいつもまた激しい疲労にでも苛まれているのかと思わせる。だがいつまでも続かない。
そいつは動きを止めて頭を上げた。そして俺の方に向き、頭部のセンサーアイが目まぐるしく
腕を上げるのが見えた。その手に握られていた2連装重機関砲が目に入り、それが合図となった。
『おおぉぉぉぉっ!』
死を直感し、背筋を怖気が走った。その恐怖が俺を突き上げたのだ。俺は全力で駆け出し、右腕を突き出して手甲に外付けされた外装内より超振動ブレードを展開させた。そのまま突っ込み、奴の胸へと突き立てた。そいつはロクに動かず、回避もせずに俺のブレードを受けてしまっていた。虚を突く効果があったようだ。
ブレードはいとも容易に、水面にでも突き立てるように、あっさりと装甲を刺し貫いていた。秒間万の単位に至る超高速振動を絶やさない超鋼製ブレードは、場合によってはUMATの複合装甲すら切り裂くことを可能とする。
酷く震える甲冑兵士の身体、大地の鳴動のようなそれは俺の身体にも伝達し、震わせた。奴は腕を上げて俺を突き放そうとしたが、叶わなかったらしい。刺突が致命傷に至ったらしく、もはやまともに力を込めるのも困難だったと見える。直ぐに力を失いズルっと滑るようにして身体が落ちていった。ブレードがあっさりと抜けていったが、最後の時に甲冑兵士はその切先を掴んだ。何故か俺はブレードの超振動を停止させた。よってそいつの指先は斬り裂かれるとこはなかったが、自分のその行動の意味は理解できなかった。いや、違う。俺は何となくだが、感じ取っていたのだ。
このまま倒れてしまいたくない……、切実なる想いが剣先を握るそいつの手から伝わって来た……そう感じた。それを無視できなかったのだ。
その後、そいつは予想もしない行動に出た。それが俺を戸惑わせた。奴はフェイスプレートを跳ね上げ、その素顔を俺に晒したのだ。それが俺を凍りつかせてしまった。身動き一つままならなくなり、硬直してそいつを見つめ続けるだけとなった。
その外見――顔立ちに釘付けとなったのだ。
まだ子供だった。俺と同じくらいの歳の少年だったのだ。
つぶらな大きな瞳をしていて、それはいっぱいの涙を溢れさせていた。やがて頬を伝い落ちた。歪められた口元が何かを訴えるように動くが、言葉を繰り出すのは叶わなかったらしい。激しく咳き込み吐血したのだ。大量の鮮血を吐いて、そいつは事切れた。剣先を握る手の力も尽き、その少年は仰向けに倒れていくのだった。
俺はただ黙って見ているだけだった。脳裏には敵の――その少年の顔がいつまでもリフレインする……
何故顔を晒したのだ?
何でそんなことをしたんだ……
重い……
身体の奥底に恐ろしく質量の高い何かが沈み込んでいくのが感じられた。胃の中に焼け石でも押し込まれたようで、耐え難い吐き気を生み出す。
殺した、殺した……
事実の認識が肉体の機能を狂わせていく。
俺はうずくまり、吐いてしまった。
俺はそのままうずくまり続けるだけだった。
どれだけの時が経ったのだろうか、陽は傾き夕刻を迎えつつあった。戦闘は下火になっているらしく、砲声や銃声は殆ど聞こえない。戦術情報は友軍の勝利を伝えていたが、俺は特に沸き立つこともなく聞き流していた。
目につくのは瓦礫の山に兵器の残骸――そして人の骸。その中を俺は1人で歩いていた。その足取りは夢遊病者のようで危ういことこの上ない。頭を回して周囲を見やるが、それだけだ。意識には入らない。
俺は目に映るものの全てを認識しなかったのだ。瓦礫の狭間に時折現れる赤黒いものを伴う鎧の数々が次々と視界に飛び込むが、それが物言わぬ者と化した骸だという事実を映像として捉えるだけで、心は目を背けていたのだ。
しかし――――
ズシリと走る重々しい感触――手先から身体の奥へと突き刺さる。それだけは鮮やかに、鋭く認識していた。
いつまでも目を背けられるものではないという事実を、その感触は伝えていた。
ああ、俺は、俺はもう……
「よぉガキ、生き残ったみたいだな」
不意にあの髭面男の声が聞こえてきたのだ、肉声だった。俺は慌てて頭を回すが、やがて崩れた壁に挟まっている彼を見つけた。俺は急いで駆け寄り、壁に手を掛けたのだが――それが止まる。
壁と彼の
「やめとけ、もう手遅れさ」
掠れた声は今にも途切れそうだった。俺はギョッとして手を止めてしまう。目を向けると奇妙に爽やかな笑みを浮かべる髭面の顔が直に見える。フェイスプレートを跳ね上げ、外気に晒していたのだ。彼の笑顔は無邪気な少年みたいに見え、それが俺の心を捉えた。
『アンタ、撃たれたのか』
俺は当たり前のことを聞くしかなかった。髭面男は目を閉じ静かに笑う、そして深呼吸をして口を開く。
「まぁ見ての通り。流れ弾を喰らってこのザマさ。呆気ないものだよな」
少し言葉を切る。苦しくて、続けて話すのが困難らしい。
「10年くらい最前線を生き抜いてきたが、俺の運もここまでだったようだ」
しかし顔は奇妙に晴れ晴れとしている。憑き物が落ちた――という表現があるが、これが当て嵌まりそうに思える。
「ああ、これでようやく……」
そこで言葉は途切れた。眉を顰めていて、苦しさが増しているようだ。俺は状態を聞こうとしたが、機先を制するように彼は口を開いた。
「くくっ、これでお前も一人前だな。もう後戻りはできん――」
ゴフッと咳をして吐血したので言葉は途切れた。状態がかなり悪いのが表示される
暫く彼は激しく咳き込んでいたが、やがて落ち着いたらしく話を続けた。
「ようこそ地獄へ……、但しこれは一丁目に過ぎんからな」
笑みが見る間に弱々しくなっていくのが分かる。彼の最後は近かった。
暫く黙って見るだけだったが、何を思ったのか、俺は自分のフェイスプレートを跳ね上げ、自分の顔を見せた。髭面男は少し驚いた顔をしたが、俺自身も自分の行動に不可解なものを感じてはいた。ただ、何となく見せようという気になったのだ。或いはあの少年に影響されたのだろうか?
「へっ、直に見ると思った以上にガキに見えるな。そんな歳で、こんな地獄になんて――」
苦しさを紛らすためか、少し言葉を切る。だが直ぐに続けた。
「ガキ――いや、一人前になったから名前で呼びたいな。えぇとお前の名は――」
言葉は再び切れ、盛んに眼球を動かしていた。網膜上情報ウィンドウで兵員情報の検索を行おうとしているのだろう。
「ちっ、
ダメージが大きすぎて
「お……、俺――は……」
頭を揺らし宙を
もう目が見えなくなっているんだな……
俺は髭面男の最期が近いことを悟る。目を閉じ、小さく深呼吸、そして口を開いた。
「
しかし髭面男は何も反応しなかった。
髭面男は死んだのだ。
「
俺の網膜には髭面男の兵員情報が表示されていたのだ。噛みしめるように、その名を口にした。そのまま固まったように動きを止めるのだった。
暫く何をするともなく髭面男の前でしゃがんでいたが、やがて立ち上がった。そして背を向け、彼から離れて行った。
歩きつつ、俺は頭を回して周囲を見回し、同時に戦術情報を更新する。状況の確認のためだ。
戦場は恐ろしいくらいの静寂が支配していた。今では何の動きも見られないのを確認した。戦闘は完全に終了したらしい。
静かだ、まるで真空の宇宙の中のようだ……
果てしない虚空の只中に踏み込んだかのような静謐の刻が続く。だが色はある。血のような赤が全てを覆っていた――夕刻の光だ。沈みゆく陽の光は消え逝く命の数々を送るかのように見える。しかし見つめる俺の眼は、陽の光を捉えない。意識は自身の身体の奥深くへと向けられていたのだ。
重い……、そして深い……
尽きる命の重みが俺自身に染み渡る。それは決して消えず、俺の中に在り続ける。
俺は自覚する。
自分が地獄の住人となった事実を――――
新たなる鋼の獣が、ここに誕生した。
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