第4話 六道世界

 世界は悲惨に満ち、理不尽なことこの上ない。

 “火”と“氷”が招いた“嵐”の世界は人の世の真実を浮き彫りにした。人々は否応もなく直面せざるを得なくなり、己が浅ましきさまを叩きつけられることとなる。

 22世紀中庸、それは修羅と餓鬼の蠢く六道の世だった。



『集え若人よ、猛き防人さきもりとなりて皇国のいしずえとならん!』


 やたらと威勢のいい音楽が流れるや、その仰々しい言葉が降り注いできた。俺は頭を上げ、声のする方に目を向ける。周囲にいた他の者達も一緒に見上げていた。

 視線の先に不必要なまでに枠を飾りたてたホロヴィジョンが空中を浮遊しているのを捉える。その中では軍の兵士や兵器が映し出されていて、その活躍が描かれていた。

 軍の広報ホロ、新兵募集のコマーシャルメッセージだ。こんなところまでやって来るのだから軍の人手不足は深刻なものなのだろう。

 

『さあ、君たちも一緒に戦おうではないか! 凶悪無比なる夷狄いてきから我ら日ノ本の大地を護ろう!』


 端正な顔立ちをした男の顔が映し出され演説していた。やたらと立派な軍服を着ている。その顔立ちはあまりにも典型的にすぎて、些か興を削ぐものがある。文字通り絵に描いたようで、彼の顔立ちは世間の人々が思い描く“美男子”のテンプレートすぎて、返って嘘っぽかったからだ。表情の作り方一つ、身振り手振りも、どこまでも“理想的”に恰好よすぎて度が過ぎたのだ。

 あまりにも有り触れた美男子を演出していたので皆は興味を失ってしまった。しかしそんな彼らの反応などお構いなしとばかりに彼は演説を続ける。

 俺は茫洋とした眼差しをホロに向けるだけ。ただ一人、薄汚れたドヤ街の道の外れに立ったまま……

 頬に冷たいものが当たる感触があった。次いでとホロの周りに奇妙に煌めく滴のようなものが多数現れているのが見えた。それらはホロの映像にも影響を与えるのか、男の顔が時折揺らぎ歪んで見えていた。

 雪がチラついて来たようだ。それが空間を浮遊する立体映像ホログラフの投影に影響を与えるらしい。妙なもので、そうして歪んだ方が生き生きとして見えることに気づいた。それで俺は寧ろ映像に見入ったものだ。


 軍か……


 俺は大きく溜息をついた、すると真っ白な息が顔の周りを覆う。気温がかなり下がって来たようで、寒さが身に染みてきた。俺は身体を丸め道端に向かう。


 冷えるな。1年の大半はこんな感じだな……


 そこは難民キャンプの一つ、みすぼらしいバラックが立ち並ぶこの世の最底辺の世界。各地を追われるようにして彷徨い続けた難民たちが辿りついた――と言うより、放り込まれたと言うべきか――どうしようもないクソ溜だ。“あの峡谷”の惨劇より半年後、軍に保護された生存者たちはここに連れて来られていた、俺もだ。保護と記したが、どちらかというと“捕獲”と言った方がいいだろう。キャンプの環境は最悪で、扱いは正にごみクズ扱い。そのことから“本音”を思い知ったのだ。


 近くから怒声が聞こえてくる。どうも喧嘩をしているらしい。俺は目など向けない、身体を屈めて道端に腰を下ろすだけだ。しかし騒動は嫌でも耳に届き、どうしても意識が向いてしまう。

 かなり激しいらしく、何人もの者達が参加しているようだ。怒号が飛び交い、物が壊れる音が引っ切り無しに続いていた。乱闘に発展しているようだ。しかし止める者はおらず、寧ろ囃し立てるような歓声が巻き起こっている。楽しんでいる奴もいるのだ。

 そんな騒動が起きても、キャンプを警備する軍警察はやって来ない。知らんぷりを決め込んでいるのだ。

 こんなことは日常茶飯事。

 俺たちの暮らしていたこの難民キャンプは劣悪を極めていた。狭い敷地に大勢の難民たちが強制的に押し込められていて、自由な出入りなど全く許されなかったのだ。よって必然的にストレスを高めることとなり、イザコザは連日起きた。喧嘩沙汰など呼吸でもするように自然と頻発し、時に殺人事件にまで発展することもあった。でも軍警察は大抵は無視した。よほどの事態、例えば暴動にまで発展しない限り何もしなかったのだ。真面目に取り締まる気などなかったのだろう。

 俺達は所詮 厄介者、住む場を奪われて流れ着いたよそ者に過ぎないのだ。どうせなら共食いでもして頭数を減らしてくれればいいさ――などと思われているのかもしれない。事実は知らないが、そう言いたくなるような扱いだった。


 同じ人間なのに、この扱いは何だ?


 同じ? いや、それは違う。“同じ”などというものは有りえない。

 人間は生まれ落ちたその瞬間から“区別”されるのだ。差別されると言った方がいいのかもしれない。生まれた時、場、状況、その全てにより人生は定められる。生きる道が決定してしまうのだ、本人の意思など関係なく。

 “平等”という概念など跡形もなく消え去ったのが、この“火と氷と嵐”の時代だ。

 いや……変化はある、確かにある。但し“堕ちる”方向に限られるが……

 失うのは容易たやすい。ある日、突然 訪れる理不尽極まる暴力により人は生まれた時に手にしていた富や地位、名声などをあっさりと失うこともある。このクソ溜に押し込められた連中の中には、そんな元エリートも紛れているだろう。

 そして差別されるのだ。失ったから虐げられてしまうのだ。もう元には戻れない、再起の機会はまず訪れない。全ては無秩序への拡散、平衡へと流れていく自然の法則のようなもの。

 これが“現代”、力こそが全てを決める火と氷と嵐の時代の定めなのだ。

 俺は見てきた。この世界に目覚めた時から、ずっと同じものを目撃してきたのだ。嫌というほどに、飽きるほどに――だから理解する。理解したくなくても、してしまうのだ。



 乱闘は収まったらしい。一しきり続いた怒声と歓声は収まり、一転して静寂が訪れた。あまりにも落差があるため、ある意味ギョッとしたものだ。

 俺は目を乱闘のあった方に向けた。何人か倒れたまま動いていないのが分かる。ピクリとも動かないので死んでいるのかもしれない。いや、死んだのだ。

 そんな奴らに群がる連中の姿がある。カネか食い物でも漁っているのだろう。死人が持っていても仕方がない――有効利用してやろうじゃないかという理屈で盗んでいくのだ、堂々と。

 どいつもこいつも、奪うことしか考えない。欺き、陥れ、或いは暴力で……

 力の論理は最底辺のクソ溜にも浸透していた。修羅と餓鬼しかいないのがこの時代、この世界というわけだ。


 死体を雪が覆い始めた。そのまま放置されれば、程なく忘れ去られてしまうのかもしれない。誰も弔おうとか考えず 、それは暫らく放っておかれることになるが、流石に衛生状態が悪くなりすぎるので 、そのうち軍警察が処分しに来るのだろう。いくら氷点下の環境とはいえ、腐敗は始まるのだ。


 俺は興味を失い目を逸らした。そして深く頭を俯け、身体を丸める。

 両手を口に近づけ息を吹きかける。白い息が手を覆い、一瞬だけ温かみを感じるが、直ぐに消え去る。返って寒さが身に沁みるだけなのでやめた方ががいいのだが、どうしても手がかじかむのでやりたくなる。何回も続けた後、最後には両手を懐に入れ脇の下に包んだ。

 目を閉じ、身体を更に丸める。

 そして俺は自身の内に入っていく。静かに、深く、自身の過去を振り返る。殆ど分らない、失われた俺自身を――――


 俺は何処から来た? 誰なんだ?

 生まれた日も場所も知らない。親と呼べる者の記憶もない。気がついた時、あの“隊列”の中にいた。

 脳裏に甦る阿鼻叫喚の惨劇、峡谷の中を進んでいた難民たちを襲った悪魔の牙。それは無慈悲にも俺達の命を奪い、惨たらしい骸の山を築いたのだ。

 峡谷は文字通り血の海と化し、その中を かつて人だった者どもの残骸が浮かぶ地獄絵図を生み出した。

 軍に言わせると侵略者どもの仕業だったのだそうだ。俺達の国は幾つかの勢力によって分断され、内戦状態にあるのだが、あんな風に空襲を受ける事こともままあるらしいのだ。幼かった俺にはよく理解できる話ではなかったが、ただ国の防衛体制に色々と問題があったのだろうと直感はした。支配領域の奥深くまでに敵と言われる連中の攻撃を許したのだから。

 俺はずっとこんな風景の中を彷徨い続けたのかもしれない。いずれかの時、どこかで親とはぐれ、記憶を失い、そしてただ一人で流離さすらうようになったのかもしれない。

 いずれにせよ、俺には何もない。何一つ、寄って立つものを持っていないのは確実だった。



『起て若人よ、日ノ本の丈夫ますらおよ! 自衛軍は君たちを必要としている!』


 美男子が叫んでいた。

 虚ろな目を向け、俺は見るともなく見る。口元に微かな笑みが浮かんだが、それは乾いたものだった。重ねられる言葉の全てが白々しいものだということを、この時の俺は既に理解していたからだ。


 世界は悲惨に満ち、理不尽この上ない。

 火と氷と嵐が創り出したこの世界は、人間ヒトの業を現世うつしよに曝け出したのだ。

 この後、俺は自衛軍に志願したのだ。




 スーパーホットプルーム、この火と氷と嵐の世界を生み出した地殻変動の名称だ。21世紀の半ばごろ、それは始まった。

 これは地球深くのコア附近でその熱を受けて高温になったマントル成分が上昇したもののことを言う。通常はマントル層の中間で一度 滞留する為に地上に与える影響は少ないものだ。

 しかし大規模なスーパーホットプルームは違う。これが直接地表に到達すると激しい火山活動を引き起こすのだ。この時代、世界各地でこれが同時多発しており、各地で激烈な火山活動が頻発していた。

 地球環境は大きく変わった。大量に吐き出された火山灰は成層圏を覆い、太陽光を何%か遮断して、この結果 地球の平均気温は何℃か低下した。そして両極の氷床を成長させたのだ。

 そのために地球全体の大気と海洋の大循環が大きく変動し、地球は本格的な氷河期へと突入したのである。その到来が正式に認められたのが21世紀末のことだったが、人々の生活は既に大きく破壊されていた。

 地球の気象は激しく変化、大規模な台風やハリケーンクラスの低気圧の発生も相次ぐようになり激甚災害が各地を襲った。大気の嵐と地殻変動により、世界各地は未曽有の災害の連鎖に呑み込まれた。そして各国は急速に疲弊していった。世界の食糧事情は著しく悪化、食糧庫と呼ばれた各地の穀倉地帯は軒並み壊滅、それは食糧自給率を破滅的に低下させた。


 そして――――


 いくさの時代が始まった。

 限りある残り少ない富を求め、人々は相争うようになった。個と個、或いは集団、そして国家、地域――――

 有限の世界は万民を救わない。限られた資源は力あるものの手に。博愛の理念など微塵に消え去り、世界秩序は崩壊した。

 世界は、力の論理が支配することとなる。地球世界は六道の時代を迎えたのだ。


 前の氷河期が終わってから凡そ1万年、この温暖な間氷期の時代に人類は文明を発展させてきた。これは地球の地質年代全体から見ても異例の安定期だったらしい。揺り籠とも言える優しい環境の世界こそが人類という知性の文明世界を育んだのだと言えよう。それは限りない理性に満ちた輝く世界を築いていくのだと夢想されたものだ。いや、この時代でも人の世は戦乱に満ちていたが――――

 それでも世界は優しく、種は存続を許されたのだ。

 しかしそれは失われた。揺り籠は奪われ、人類ホモ・サピエンスは情け容赦ない嵐の世界に放り込まれたのだ。自然の猛威に限らず、人間ヒトの業は地上世界を席巻し、嵐を巻き起こしていき、絶滅の扉が顔を覗かせた。

 火と氷と嵐の牙は、人間ヒトという悪魔を覚醒させたのだ。



 御子よ、我ら穢れの民をお導き下さい――――


 力に頼り闘争を繰り返す現世うつしよの民の有り様を、彼は如何なる眼差しで見つめていたのだろうか? 虚ろでありながらも熱を帯びた目で語る老人の眼差しを、俺は忘れない――――

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