第3話 紅蓮の大河
『起てよ、皇国の若人たち! 猛き
騒音としか言いようのないマーチと共にその演説が飛び込んできた。真上から――文字通り頭上から降り注ぐそれは、集中豪雪とでも呼びたくなる圧力を持って俺たちの耳に飛び込んできた。
黄金の彩りを放つ巨大な壁の手前に俺たちの
その中の1つ、太い胴体をした輸送機から黒々とした鎧武者の群れが歩き出て来ていた。
そんな俺たちを待ち構えていたかのように、その演説が流れてきたのだ。
「くそっ、うるせぇ! こんなトコまでも新兵募集広報か?」
悪態をついた男は忌々しさに満ちた眼差しを頭上に向ける。そして目に映ったものが更に彼を不機嫌にさせたのか、これ以上ないと言えるくらいに歪んだ顔を見せ、そのままフェイスプレートを閉鎖・密閉させた。
俺は、しかしフェイスプレートを閉鎖させることはなく、騒音に耳を曝したまま、その源へと目を向けた。
視線の先に巨大なホログラムヴィジョンスクリーンが展開していた。その中にやたらと血色のいい顔色をした端正な顔立ちの男の顔が映し出されている。身なりも整っていて、将校クラスの軍服は過剰なほどの数の勲章をつけていた。
まるで戯画だな……
皮肉な笑みを浮かべ、俺はスクリーンに目を向け続ける。しかし意識は直ぐに遊離したらしく、その男の顔も、彼の演説も、全く頭に入らなくなっていた。代わりのように、俺の意識は記憶の世界へと向かう。
ああ……あんな風に叫んでいたな。あの日も……
10年……いや、15年になるか。随分と時間が経っているが、まるで昨日の出来事のようにも思える“あの日”……
俺が“俺”として目覚めた時だ……
記憶が甦り、臨場感すら伴う光景が眼前に拡がる。そして、俺は過去の世界に身を委ねていく……
山間の決して広くはない峡谷のような地形の狭間、ひしめき合うように進む人々の姿がある。彼らは長い隊列を組んでいて、それは峡谷の全てを占めている。まるで地の果てから果てまで連なるかのような長大なものだった。彼らの頭上からは凍てつく氷雪が降り注いでいる。灰混じりのそれは、世界から彩りを奪うものだった。
静かに、黙々と彼らは歩んでいる。
大半は薄汚れたボロ雑巾のような衣服をまとっていて、彼らが決して裕福な立場にない事実を知らせる。両手で身体を包むように覆い、中には震えている者もいる。寒さが身に染みているらしく、衣服は決して温もりを与えるものではないのだろう。
歩みは疲れ果てたかのようで、ユラユラと身体を揺らす姿はどこか気怠げで、生きた人間のさまらしきものが全く見られなかった。
まるで死者の葬列だ。長く伸びるそれは、冥界への旅路を思わせる。
この中に俺はいた。15年前のその日、戦火を逃れ難民となって流浪していた時の一コマになる。
まだ幼かった、おそらく7、8歳くらいの年齢の頃だったのだろう。近くに親らしき者の姿は見られず、俺は親しい者など誰一人いない隊列の中に並んでいたのだ。如何なる経緯でこの隊列に並んだのか、これ以前にどこにいて、何をしていたのか全く憶えていない。この死者の葬列の如き隊列の一員として歩む姿が、俺自身の最古の記憶になる。
時折 轟音が鳴り響き、暫し間を置いて後に足元を揺らすことがあった。俺は頭を上げ視線を前に向けた。薄暗い灰色の世界が目に飛び込む。黒と白と灰色が大半を占める色彩の乏しい霞んだ風景が拡がる。
ただ一つの例外が遥か彼方にあった。赤い火柱が立ち上っているのが見えたのだ。血が迸るような鮮やかな赤を世界に刻む火柱は、轟音と地響きを伴い吼え続けている。まるで地の底より龍が昇り立つかのようだ。
それは火山――激しく噴火活動を繰り返す活火山だった。
赤々とした火柱は白黒の世界で際立った存在感を見せていた。その色彩は否応もなく人々を釘付けにするらしく、皆は揃って目を向けていた。唯一の色は否応もなく惹き付ける。俺も同じように目を向けた。
近くを歩いていた一人の老人が言った。あれはかつては世界有数の美麗を誇った霊峰なんだと。人々の信仰の対象だったのだと。我ら民族の魂の拠り所だったのだ――と。
老人の目は、虚ろで力がなかった。しかし込み上げる何かがあったのか、その瞳に光るものが現れるのが見えた。
それが涙だということは理解できた。しかし彼がなぜ泣くのかは分らなかった。如何なる想いが彼を駆り立てたのか、幼い俺には理解できなかったのだ。
彼は仰向いて空に目を向ける。すると込み上げる涙が溢れたのか、頬を伝い始めた。しかし彼は拭おうともせず、ただひたすら空を見上げ続けた。そして言葉を続けた。それはどこか詠唱のような響きを伴うものだった。
遥けき天上の御子よ、どうか我ら穢れの民をお導きください。我らは此処に在りまする、御子の慈悲の下に
うるせぇっ!
誰かが怒鳴り、老人は突き飛ばされた。彼は手をつき、膝を折る。そして後ろから歩いてきた者達の何人かに足蹴にされ、隊列から弾き出されてしまった。
しかし彼は文句一つ言うこともなく、黙って立ち上がり隊列に戻った。再び彼が突き飛ばされることはなかった。やった連中は興味を無くしたのか、振り向きもせずに先に進んでしまっていたのだ。
老人は再び小声で何かを口ずさみ始めた。よくは聞こえなかったが、あの“詠唱”の続きなのだろう。空を見上げる彼の眼差しが変わらなかったからだ。
俺は注目した。何かを求めるような眼差しは熱を帯びていて、死者の葬列の中では異彩を放っていたのだ。そんな彼に釣られるように俺も空を見上げる。
噴煙がたなびく薄暗い灰色の空しか見えない、それだけだった。
しかし――――
不意に噴煙の狭間に鋭い輝きが現れた。それを目撃した瞬間だった――――
隊列の只中に突如として爆発が起きたのだ。それはかなりの規模のもので何十、いや百人近い人々を一度に吹き飛ばしてしまった。
それがゴングとなる。
静寂は一変し、阿鼻と叫喚が席巻する騒乱の渦が幕を開いた。
人々が一斉に駆け始めたのだ。堰を切ったように、てんでバラバラに走り始める。正に脱兎の如し。何が起きたのか理解は叶わなかったのだろう。だが死人が出たという事実は明確に理解できる。それが心のタガを外したのだ。皆狂ったように、喚き散らし、逃げ出したのだ。
俺も同じだったが、必ずしも自分の意思ではない。ウネルように走り回る人の波に押され、走らざる得なくなったのだ。だが所詮は7、8歳くらいの
その直後、再び爆発が起きた、かなり近かった。隊列を直撃したものと思われる。
斜面の底からでも赤々と上がる炎がよく見えた。その揺らめきの中に、俺は奇妙に生き生きとした躍動のようなものを感じた。なぜか惹かれるものを憶え、俺は身を起こし斜面をよじ登ろうとしたのだが――――
底で横たわりながらも俺は意識を失いはしなかった。斜面の上で激しく爆発が立て続いているのが聞こえ、閃光が瞬き、炎が舞うのが見えたのだが、その焔の揺らめきの中に命の迸りのようなものを感じ、俺は釘づけになってしまった。
そして一際大きな爆音が響くのが聞こえるや、巨大な鉄の塊が宙に現れるのを目撃した。
それは大蛇のような、或いは龍のようにも見えた。そいつが全身の各所から無数に火を吹かせるに従い、地上で炸裂が起きたのだ。
対地機動攻撃機の一種だと後で聞いた。当時の俺には軍事の知識はなく、機種も何も分らなかったが、それが俺たちの命を奪うものだということは、その時でも理解はできた。
その時の俺の脳裏に走ったものは、それは諦観を
ああ、奴か……
奴が天上の御子とやらか?
では、これが慈悲なのか? 導きとやらなのか?
奴が俺たちを殺している、狩り立てている……
一人として容赦なく狩り尽くそうとしている……
これが慈悲なるものなのか?
つまり、死こそ救いだと言うのか……?
老人の言葉と頭上の龍がリンクしたのだ。
轟音が世界を覆い、炎の嵐が人々を包む。万物を焼き尽くし、奪い尽くす殲滅の獄炎だ。難民たちを追い立てるように虐殺するそれは死神の鎌、燃え盛る凶刃。血と肉が飛び散り、瞬時にして焼き尽くされ、塵と化す。等価級数的に屍の山を築く圧倒的な暴力の嵐が逆巻いた。
これが俺の記憶の中に残る最古の風景、“この”人生を彩ることになる始まりの光景というわけだ。
俺という存在の原点となるのだ。
この世界に救済などというものかあるのか?
戦場の中で目覚め、歩みを始め、殺戮の世界しか知らぬ俺には分らない。信じられない……
救いなど有りはしない、望めることなどないではないか……
生ける死人の始まりがここにある――――
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