鋼の棺 篇
Stage-01 炎の原点
第2話 龍の背
厚く覆われた雲海の上をサーフボードのような形のものが飛行していた。ボードの各所からは白い筋が幾本も伸びており、進行方向の反対側に伸びている。雲海の上だから上空には深く濃い蒼穹が拡がっているが、筋はその背景にくっきりと刻まれている。だが、やがて蒼の中に消えていく。機体もまた蒼の中に消え入りそうなさまを見せる。銀色の色彩を持つそれは、しかしあまり強く輝くことはない。太陽は中天近くにあり、高層雲も大して見られないので陽光を遮るものはない。目いっぱい降り注いで機体に届いているが、どうも大して反射していないようだ。反射率の高そうな色彩から見て少し不思議だ。そればかりか、奇妙に揺らいで、時に機体が消えて見えなくなることもある。いかなる作用が働くのか、大空の中に溶け込むように消えるのだ。何となく陽炎のようなものにも見え、実体などないのではと疑わせる。どこかこの世ならざる印象を与え、常に揺らぎ続けるさまは姿を不確定であやふやなものに見せる。まるで幽玄の世界の存在かと思わせる有り様だった。
〈空振警報が発令されました。15秒後に当機飛行空域に衝撃波が到達します〉
脳内
空振とは、火山などの爆発によって急激な気圧の変化が起こり、それが衝撃波となって大気中を伝わるものだ。距離を経るに従い急激に減衰するものだが、巨大な噴火による空振は遠くまで届き、時に建造物などに被害を及ぼすこともあるものだ。航空機が近くを飛行中に空振が起こる時、時に深刻な影響を受けることもあり、注意喚起と警戒態勢を取らせるべく、こうして警報が届けられる。この時代、全地球レベルで大規模な地殻変動が連鎖しており、個々の火山噴火の規模も大きく、空振や火山灰、火砕流や溶岩流、他に火山性地震などによる災害も頻発している。決して無視してはならないのだ。
赤々とした炎を噴き上げ、巨大な黒雲を天高く昇らせる成層火山の姿が情報表示ウィンドゥに映し出された。空振の源になる。噴火活動がかなり激しいようで、火口付近では蒼白い閃光が走るのも見えた。火山雷らしい。赤い火焔とは対極をなす色彩は、まるで炎を切り裂こうとでもする刃のようなものにも見える。その中から無数の礫が弾け飛ぶのが見えた。火山弾だろう。小さな泡沫のようなものにも見えるが、実際一つ一つは人の頭を越えるほどの大きさのもので、中にはちょっとした巨岩と言えるレベルのものもあるはずだ。それら全てがゆっくりと拡がっていた。距離があるからそう見えるのだが、まるで花でも開くかのような光景だ。焔の花とでも言うべきか。
現在、俺の搭乗する軍用輸送機とは凡そ5キロは離れているが、“その”火山は目の前にあるように映っている。目の前と言っても1キロくらいは離れていると思うが……近くに設置されている定点観測所か、周回する無人観測機からの中継映像が情報表示ウィンドゥに映し出されているのだろう。
火山の焔が山全体に拡がっているのが確認できた。山頂のみならず、山腹の各所にも幾つか火口が現れているようで、幾筋もの炎が斜面に規則正しく並んで赤い列を築く光景が描かれている。
――まるで龍の背だな……
炎の列を見た感想だ。そしてそれは俺自身の遠い過去を呼び起こさせる。
――そうだ、あの山の麓だったな……
ウィンドゥの右下に火山の名が表示されていた。
富士山――かつては霊峰として崇められ、日本民族の心の拠り所とされることもあった世界有数の美麗を誇った
俺は思う――――
この光景は現代の日本――いや、世界を席巻する状況を凝縮したものだ。〈火と氷と嵐の世紀〉と呼ばれるこの22世紀を生きる俺たちの世界を表している……
声が聞こえてきた。同乗する
「凄ぇな、ちょっとしたスペクタクルだぜ」
同じ情報を彼らも受け取っていた。網膜上に映し出された映像に感動でもしたらしく、感想を述べているのだ。だが、別の兵士が噛み付くように応えた。
「へっ、スペクタクルなんて、毎日味わってンだろーが。俺たちがやらかす“殺し合い”ってスぺクタルをよ! 今さら感動するようなモンかよ!」
「何言ってやがる。あれは自然の生み出す力なんだぜ? 人間なんぞが繰り広げらる殺し合いの炎とはステージ違うンだよ! あれは純粋に感動できるね」
「けっ、バカらしい! 自然とか感動とかさ、いつ消えても仕方のねぇ俺らにとっちゃ、どーでもいいモンさ!」
「いつ消えるか分からんからこそ心に刻んでおきたいんだよ。悔いのないようにな!」
「へっ、俺は旨い食いもんといい女を刻んでおきたいね」
「いやだ、いやだ。美観のねぇ奴はこうだから呆れる。下半身だけで生きるテメェらしいいいようだぜ!」
「あんだってぇ、ああん?」
言い合いが続くが、次第に喧嘩腰になっていた。だが掴み合いになるようなことはない。何故ならば、俺たちは自由に動ける状態ではなかったからだ。
戦術輸送機――サーフボード型の飛行機だ――のカーゴベイ内。卵型のリクライニングシートが三列で並べられていた。カーゴベイの先から後端までビッシリと並べられていて、あまり余分なスペースはなく、人がその間を通るのは1人ずつだけでも困難に思われた。それぞれのシートの上――と言うより、“中”と言う方がいいか、何しろ拘束アームのようなものが伸びていて中の者を覆っていたからだ――には黒光りする色彩の鎧武者姿の者たちが横たわっている。
それが不満なのか、或いは鎧の中にいつまでも押し込まれたままというのがストレスなのか――とにもかくにも息抜きしたくなる者は現れる。一部はフェイスプレートを跳ね上げ、顔を晒して声を出す者もいたのだ。そうした者たちが会話をしているというわけだ。通信機を通しても可能だが、そんなものより肉声での会話を求める欲求が強くなる。その数は少なくなく、何人もが会話に参加するようになった。
それなりの広さを持つカーゴベイ内は結構 騒がしくなっていった。兵士たちの言い合いが熱を帯び始めたのだ。手を出すことはなかったが――できなかったと言うのが正確な表現――だからこそ余計に口論が激しくなるようだ。
「けっ、ずいぶんとお高い言いようじゃねぇか! 意識高い系でも気取ろうってのか?」
「へっ、“意識高い系”とか、やたらと古臭い表現をするじゃねぇか! 俺はな真っ当な人間さまなら当然持つに決まってる情緒の話をしてンだよ。下半身だけのてめぇにゃ分からんだろーがな!」
「何が“人間さま”だ――だ。兵器の間違いだろ! 消耗品じゃねぇか、俺らは!」
「だから何も考えずに、欲望を消費するだけの毎日を送ろうってのか?
「オイオイ、いよいよ意識高い系だな。俺らみたいな末端の兵士がそんな意識を持ったところで無意味だろーが」
「考えるのをやめたら、それこそただの兵器だ。と言うより家畜と言った方がいいな。殺し合いのための家畜な!」
「当然じゃねぇか。俺たちは殺戮機械、ご主人様の
「うるせぇっ! 俺はやめねぇぞ、絶対に考えるのをやめねぇ! 人間の心を捨てねぇ! でねぇと、でねぇとなぁ……」
ここでその声は詰まった。胸に込み上げるものでもあったらしく、呻き声だけとなり、言葉が続かなくなったのだ。もう1人の方は、それでも言葉を続ける。相変わらず喧嘩腰のままだったが、どこか諭すような感じが表れていた。
「てめぇ、そりゃ自分をよけいにつらくさせるだけだぞ? 叶わぬ望みをしょっちゅう意識するようなモンだ。俺たちがマトモな人間の心をいだき続けるなんざ、鎖に繋がれた状態で目の前でいい女が他の男と
別の者が声をあげた。言う内容があまりにもアレに思えたからだ。
「なんつー例えをしやがる。下品にも程がある。さすがに呆れたぞ!」
カーゴベイ内のあちこちで笑い声が起きた。例えの酷さと突っ込みが可笑しかったのだろう。だがそれは乾いたもので虚しさを漂わせるものだった。笑いは直ぐに収まり、後には虚ろな空気が流れた。
俺は会話に参加することなどなく、フェイスプレートを開けもしなかった。それでも会話がもたらした空気は感じ取っていた。
どうにもならんのさ……
乾いた空気は深い澱み伴う虚無感だ。それがもたらすもの、自分たちをどうしようもなく縛る現状――その全てを彼らは自覚していて、強く意識してしまつたのだ。普段は意識の上に浮かべることがないものが不意に頭をもたげ、何ともやりきれなくなったのだ。
考えるのをやめない――と誓った奴も理解している。
世界はどうしようもなく残酷で、“揺り籠”からこぼれ落ちてしまった俺たちに救いなどはない……
それでも――望みを捨てられない者はいるのだ……
俺は目を閉じ、意識を深く自身の内へと向ける。情報表示ウィンドゥを閉鎖させ、1人、鎧の中で
センサーもスタンバイ状態にして停止させたので、外界の刺激は一切入って来なくなった。俺は鎧の中の暗黒に残される。見事なまでの静寂が訪れ、いかなる外界の刺激も届かない。
これは、時に俺たちがそうした極限環境での作戦を強いられることを意味する。
ネットを閉じ、センサーも停止させた今、この高気密閉鎖環境を実現する
この時、俺は僅かに安らぎを感じる。そして“感じる”という心の作用を知り、自分がまだ生物的な機能を残している事実を知る。だが思う――――
――生物的だとしても、それは人間的なものなのだろうか?
解っている、解っている……
いつかは俺も堕ちていくさ、“お前たち”の下にな……
影が揺らぐ。どことなく喜んでいるように感じた。そのまま俺は深い眠りの中に落ちていった。
サーフボードは大きく旋回、高度を落として雲海の中に入っていった。やがて雲の下に出た。そこは灰一色の寒々とした風景が拡がる世界だった。緑など一切見られず、潤いなど欠片も伺えない世界、死が全てを統べているかのような世界に思われた。サーフボードは急速に高度を下げ続けた。その先に巨大な壁のようなものが現れた。
地平線の全てに渡って拡がる壁。灰色の世界で、それは異彩を放っていた。壁の全面に渡って鮮やかに輝く黄金の色に彩られていたのだ。
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