奈落の星

プロローグ

第1話 虚ろなる戦場

 雲の流れはかなり速く、狭間に顔を覗かせる太陽の輝きがまるでフラッシュのように見える。輝きは鋭いのだが、その熱エネルギーは大地に温もりを与えることは叶わないらしい。降雪は少ないのだが、黒い地面に現れる太陽光の反射はキラキラと煌めいていて、大地が凍結しているのが明らかだと見て取れる。

 季節の頃は冬の只中だろうと思われる。彩りはあまり見られない白と黒っぽい土壌の拡がる平原地帯が拡がるそこは永久凍土ツンドラ地帯だ。

 物音一つ響かぬ静寂に満ちた世界だ。唯一の例外はかすかに吹き過ぎる風の音くらいか。

 いや、しかし――――?


 突如けたたましい轟音が鳴り響き、凍結世界のしじまは破られた。目も眩まんばかりの閃光が炸裂し、肌を焼き焦がす灼熱の突風が押し寄せる。

 そこは戦場だった。命あるものをすべからく襲う死の舞台だったのだ。





 砲声が鳴り響き、火球が生まれ出で、衝撃が走り、大地が激しく震える。血のような紅い彩りをいだく炎の柱が幾つも逆巻き、その中より何かが突っ切るように飛び出て来た。赤熱した塊は、火山弾の如きもの。だが大地に撃ちつけられ、微塵に砕かれ、そして四散するうちに急速に熱が奪われたのだろう、すぐさま黒い塊へと転じていく。それは鉄の欠片のように見える。だが単なる鉄の塊ではない。よく見ると、赤黒い、焼け焦げた肉のようなものが見える。

 塊の欠片が俺の目の前に落ち、反射的にそれに目を向けた。そして慣れ親しんだ事実と直面した。


 ああ、また死んだ。誰かが死んだ。


 目の前にばら撒かれた鉄の塊の狭間から覗く肉片のようなものは、まさしく人体の欠片だった。砕け散った人間の肉体の成れの果てだと、俺は直感するのだった。特に意識するまでもない、一目瞭然の事実だと理解する。


 死んだのだ。


 それがほんの少し前までは泣き笑い、怒り喚いた人間のものだったとは信じられない。それは――――

 それは死んだ。ただの肉塊になったのだ。

 そいつが誰なのか、どんな人生を歩んだのか俺は知らない。たまたま同じ部隊に配属され、同じ戦場に立ったに過ぎない奴だ。共に武器を取り、敵と知らされた者どもと戦っただけだ。

 そいつは死んだ。今は物言わぬむくろと化して、俺の目の前で横たわっている――ただの肉塊となって。

 俺は感情の窺えない眼差しを向けるだけ、それは俺の心中も同じ。悲しみも怒りもいだかず、その心に何一つ沸き立つものは現れることもない。ただ事実を記録するように、目を向けるだけ。


 ああ、また死んだ。誰かが死んだ……


 何度目だろうか、どれくらい目撃したのだろうか? 気の遠くなるような遥かな昔からこんな光景を見てきたような気がする。

 そうだ、そうなんだ。俺は知っている。嫌というほど見てきたはずだ。

 人が死ぬ――いとも容易たやすく、息でもするかのように当たり前に死んで逝く。膨大な数に及ぶ散華の瞬間を、俺はこの目に焼き付けてきた。ずっと、ずっと……、記憶の届く遙かな過去より――――

  “ここ”では それが当たり前のように繰り返される。そう、これは自然な事なんだ。ここは戦場、殺し合いの舞台――人が死ぬのは当たり前で、理不尽に命が奪われることなど日常茶飯事。命ほど安いものはないとされる世界――慣れ親しんだ事実なんだ。


 これが俺の生きる世界、人生の全て、この世界しか知らない……

 飽きる程こんな光景を目撃し続けてきた。生まれた時からずっとだったように……、常に、何時いつも、何処でも――――


 次々と倒れ逝く者ども、累々と重ねられる屍の数々。まるで世界の始まりより、現れ出でた全ての人間ヒトむくろを呼び出したかの如し。

 血と炎と硝煙 渦巻くそこは、紛れもない地獄。

 だが、その中で産声を上げ、立ち上がり、歩みを始め、駆け続けた俺にとって、それはごくごく当たり前のものであり、苦痛すら感じることは、今ではない。


 そう、俺は戦場ここで生まれた。

 ここが俺の故郷、生きる世界、その全て。



 轟く砲声――足元を揺らし、歩みが阻まれる。降り注ぐ土砂――焼けつく痛みをもたらし、俺は身を屈める。声が聞こえる――妙に甲高いヒステリックな叫びだ。


『行け、進め! 進軍をやめるな! 猛悪なる夷敵どもに鉄槌を下すのだ!』


 声はかす、命を懸けて祖国を守れ――と。

 俺は立ち上がる。すると周囲にも同じような者どもの姿が見えた。全身を黒い装甲に包んだ鎧武者のような姿をした友軍の兵士たち。その身にまと強化外骨格装甲服エグゾスケルトンアーマーの姿だ。

 砲声と着弾の火球や轟音、そして衝撃が生む大地の鳴動が収まらない最中さなかでも彼らは無防備に身を晒すかのように立ち上がっている。至近に着弾することもあり、決して安心できるものではないのだが、なのに彼らは特に身を守ろうとするでもなく立ち上がる。ユラユラと身体を揺らす者もおり、そこに生気のようなものは全く見られず、これが本当に生きた人間の姿かと疑わせるものがある。些か不気味だ。


 まるで幽鬼のようだ。


 幽鬼どもは暫らく砲撃の只中を立つだけだったが、やがて動き出す。しかし力強さは見られず、何んとなく引きずられているように見えた。

 それは自らの意志で動作を行う人間の歩行とはとても思えず、何か目に見えない糸にでも引っ張られる人形のように見えたのだ。

 すると彼らの背中に一際眩い閃光が発生した。一人だけではなく全ての兵士の背中にだ。蒼白く尾を曳くそれは鋭い筋を描く、そして――――

 一陣の風が舞い、続いて爆発するようにそれは拡大した。一瞬にして兵士たちは全て土煙に覆われ、姿が見えなくなる。だが直ぐに終わる。

 土煙が薙ぎ払われるように吹き飛ばされ、彼らが飛び出してきた。と言うより、飛んでいるように見える。次々と弾丸のような勢いで飛び出し、地上を駆け出した。


 地を飛ぶ――――


 そう言いたくなるような姿だ。一瞬にして駆け抜けるさまは飛行しているかと錯覚させるものがある。

 彼らは身を低く落として構え、そのままの姿勢で滑るように地上を駆けている。脚を動かす訳ではないそれは、いわゆる走行ランニングとは趣を異にしていた。

 背中と両肩、そして両脚部の何ヶ所から眩い閃光が発し続けているが、蒼白いそれは過ぎ去る後に鋭い光輝を空間に刻む。まるでジェット噴射のような、或いはロケット噴射のようだ。その反動推進力により地上を滑走しているのだ。

 地上に爆発の火球が発生した。砲撃が再開されたのだ。駆け抜ける彼らの間に現れ、何人かが巻き込まれる。それは1つ2つで終わらず、数を増やしていき、次第に密度を濃くしていった。回避は困難に見え、よって巻き込まれる者たちの数が増していくのは必然だった。

 それでも彼らは滑走をやめない。まるで自ら火球に呑まれようとでもするかのように駆け続けていた。

 


 火球が現れる、また誰かが呑まれる。

 ああ、死んだ。見知らぬ誰かが朽ちて逝く。奴らは誰にも看取られず炎の球体の中に消え逝くのみ。

 火球は数千℃にも及ぶ油脂焼夷系弾頭の炸裂だとセンサーが告げている。呑まれた奴はその発生する衝撃波によって装甲を貫かれ、極高温の火焔に肉を焼かれてしまったのだろう。


 絶対死をもたらす火球の数々が情け容赦なく俺達に降り注ぐ。それは罪に塗れた民を断罪するゴモラの火の如し。 

 火が襲う、大地を蹂躙する、そして俺達を焼き尽くす。

 俺は無感動な眼差しを向ける。そこには怒りも恐怖もない、悲嘆も、絶望すらない。ただ事実を記録するのみだ。


 視線を前方に向けた。敵と思われる者どもの姿が捉えられる。お椀を伏せたような形をした無限軌道車輛だ、戦車砲を備えている。数はかなり多い、200両に及ぶと計測されている。

 センサーは次々と俺の網膜に情報を表示していた。

 UMAT(Uninhabited Mobile Armor Tank=無人機動装甲戦車)――その名が表示された。これは兵器の種類を意味する。機種名も表示されたが俺は特に意識しなかった。

 AIで制御される自律思考機械兵器だ。それは設定されたプログラムに従い任務を遂行するだけのもの。如何なる不平不満も延べず、疲れる事もなく、痛みに苛まれる事もなく、ただ忠実に仕事をこなす代物だ。

 それは機械、自動機械オートマトンだ。絡繰り人形なのだ。奴らに倦みなどはない。

 前世紀の中頃より顕在化した戦場の趨勢トレンドだった。

 無人機、自動機械オートマトン兵器。命を持たぬ機械の兵士が戦場を跋扈するようになっていた。その登場により、人間は戦場から解放されるのかと思われた。長時間、疲労することもなく、問題なく稼働し続けられる自動機械オートマトン兵器の運用が常態となれば人が戦場に出る必要もなくなるだろう。人が血を流す必要もなくなる、戦争は機械達に任せればいいのだ。

 こう言われたものだ、しかし――――



 俺は標的を定める。イメージヴィジョン、熱電磁特性、性能諸元をFCS(Fire Control System=火器管制機構)に入力し、全身の武装シールドを解除した。

 鎧の各部より各種武装が現れる。右肩にはロングバレルの超高速滑空弾砲、左肩には8連装誘導ミサイルランチャー、左手首上部にはガトリングガン、両腿にはロケットランチャー……

 そして右手に対戦車ライフルを構える。

 全ての兵士達が似たような武装をまとっていた。黒鉄くろがねの鎧武者の全身を彩る武装の数々は禍々しさに満ちている。

 そして彼らは駆ける、一陣の疾風と化して地を駆け抜ける。目指す先に在るは命なき鉄の騎兵ども。 


 標的捕捉ターゲット・インサート全兵装オールウェポン、解放。 


 彼我の全面衝突が始まった。黒鉄の鎧武者と絡繰りの兵との戦い。それは戦場の全てを覆っていき、そして地上は更なる火と閃光、砲声と激震に呑まれていくのだ。



 燃える、砕ける、穿たれる、貫かれる、そして死んで逝く――――

 無数の火球が生まれては消え、消えては生まれ、そして数多のむくろが生み出されていく。骸の中には地上に焼き付けられたかのように張り付いているものもある。

 その狭間を俺は駆け抜ける。


 死んで逝く、死んで逝く……


 無数に重ねられる骸の数々は現実感を奪っていく。


 だが俺は、まだ生きている……、そして戦っている。

 全身から次々と弾丸や砲弾を吐き出し、立ちふさがる絡繰りどもを屠る。まるで映画でも見るような光景で、現実感が乏しく感じられた。自分でやっていることなのに他人事のように感じられ、何処か空々しくも見えた。

 夢の中で遊んでいるようかのようだった。


 まだ俺は戦っている。命を晒し、死と隣り合わせの瀬戸際にあり続ける。綱渡りを演じるように絡繰り共の狭間を駆け抜け攻撃と回避を繰り返す。

 身を掠める敵の銃弾、足元に炸裂する砲弾、そして今にも呑み込まんとする火球――――

 その全てが俺の命を喰らわんと迫り来る。

 俺は際で避け、凌ぎ、そして己が牙と爪を敵に突き立てる。砕け散る絡繰りどものさまが奇妙に生物的に見えることもある。微塵に散る有り様が散華を嘆く人の姿に重なるのだ。

 だが、その全てが現実感に乏しい。

 静かだ、何と静寂に満ちていることか――――

 至上の激戦の最中に在りながら、俺の意識は静けさに満ちていた。それはまるで真空の宇宙に取り残されたかの如き静寂だった。

 その中を数多の絡繰り人形どもと鎧武者の群れが蠢き、相食むが如きいくさを続ける。それを静かに見つめる。


 仲間が散る、敵が砕ける。その全てが空々しい虚構に見える。


 いつからだろうか、こんな風に感じるようになったのは?

 戦いが激しければ激しいほど、逆に俺の心は静かに落ち着いていくのだ。それは絶対零度の闇の中に堕ちていくかのようで、生きていながら死んで逝くかにも思えるものだった。

 決して動かぬ心の有り様は、生きた人間のそれとは言えないのだろう。


 だが、それがどうした?

 これが俺だ、俺なのだ。

 戦場で産声を上げ戦い続けた俺にとって、これは当たり前のことであり、自然の成り行きなのだ。

 仲間が散る、人が死ぬ。

 敵が散る、絡繰りが砕ける。

 全ては同じ、エネルギーの拡散に過ぎない。万物が歩む定め。無秩序への道程であり、平衡への道行。その逆はない。

 俺もいつか堕ちていくのだ。この無秩序の平衡の中へと消え果てて逝くのが定めだ。

 しかし今は――――


 虚構の如き戦場を俺は駆け抜ける。驟雨の嵐のように吹きすさぶ砲弾と火球の中を駆け抜け、敵を屠る。何時いつかそれも終わる時が来るはずだ。嵐に呑まれる時が必ずや来るだろうと予感する。

 その時が、真の静寂を迎える時。そこに安らぎはあるのだろうか? 焦がれすらいだき、俺は自身の最期を夢想する。



 

 無人の絡繰りが全てを総べるかに思われた戦場から、しかし人の姿が途絶える事はなかった。

 FMM(Fusionary Manned Maneuver=融合機械化有人機動兵器)、人間の脳神経を機械システムと同調させ直結させるサイバネティクス兵器の登場だ。

 このシステムの開発により戦場は新たな光景を描き出した。FMMカテゴリーの登場によって再び人間が戦場の主役を務めることとなったのだ。今世紀に入ってからのことだ。

 それは前時代の原初的な戦いの復活を意味するものだった。


 戦争とは、己が身を持って殺し合うもの。22世紀中庸、人間ヒトは今一度ひとたびこの真実と直面する。

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