クローゼットから現れたのは異世界で付き合った元カノだった。
橋良しゔ
身に覚えのない彼女
「やっと会えるね…」
黒く、長い髪で、瞳が紅く、黒いセーラー服を着た15、6歳くらいに見える少女は、モニター越しに、彼女が恋い焦がれた人を見つめる。モニターに映っている少年はアラレちゃん眼鏡をかけていて、教室の隅で本を読んでいる。そのモニターは自動券売機のそれだった。もっと言えば、その施設の外観はそのまま東京駅だった。それを取り巻く街もそっくりそのまま東京だが、全く陽が差さなくてずっと灰色の空なのは明らかに異常だった。
「もう逃がさないよ…」
怪しい笑みを浮かべた少女は、改札を抜けると消えていた。
雲ひとつない青い空に高校生活で二度目の一学期の終わりを告げるベルが響くと、クラスメートはある程度の人数が決まったグループを作って教室から出て行った。見ろよ、あいつらの顔。馬鹿みたいにはしゃいでやがる。
こんな事ばっかり考えるから友達が出来ないんだよ、と心の隅っこで思いながら、伊吹拓人はクラスメートの8割が出払った後に教室を出た。
「また死んだ魚みたいな目してる」
教室を出た途端、紫月に話しかけられた。片桐紫月、 唯一、僕に話してくる人。茶髪、ショートヘア。金色の瞳が綺麗だ。構ってくるのは「他のと違って話してて楽だから」らしい。恋仲とかそういう事は考えないようにしている。
「好きでこんな目してる訳じゃない」
「まだ引きずってンの?あの人のこと」
「引きずってるって訳じゃない」
中学三年で別れた彼女は僕のお陰で男性恐怖症から解放されたらしいが、僕は人間不信に陥りかけてしまった。人間不信…というか人が分からない。…そんな話はどうでもいい。
「一途なんだね」
「……」
次の言葉に困ったので歩き始めた。紫月も隣についてくる。
「ねっ、夏休み何か予定あるの?」
「宿題、バイト」
「それと?」
「…補習」
「夏休み楽しい?」
「休みなんかより学校行ってる方がまだマシ」
「なーんか、楽しくなさそう」
「余計なお世話」
それから、紫月は少し遠くのほうを見ながら言った。
「あたし、毎年夏になるとね、海行くの。友達家族集まって、綺麗な海で泳いだり、インスタ映えする料理を皆で食べるの」
「夏休みは楽しいか?」
僕は多少の自虐も込めて同じ質問を投げた。
「毎日楽しいよ?」
「羨ましい」
「全然羨ましそうじゃないけど」
「楽しみのない夏休みは慣れてる」
「教えよっか?夏休みを楽しむために大事なこと」
「いいよ、別に…」
それでも紫月は続けた。
「忙しい部活に入らないことと、やりたいことをやるのが大事。夏にしかできないようなこととか。それでも、1人じゃ楽しめないよ」
「やめて、一つも当てはまってないから」
「部活は忙しくないでしょ」
「私生活が忙しい」
「もしかして、毎年こんな感じ?」
「そんな気がする」
「うぅ…あっ、あたし、こっちだから」
大きめの交差点で、紫月と別れ、「しばらく紫月とも会わないんだろうな」なんて心の片隅で思いながら、ひとり電車に二十分揺られ、駅から五分ほど歩いて家に着いた。
「ただいま」
家に人が居なくても防犯のためにただいまと言った方がいいという、小学生くらいに教わった事がすっかり習慣になってしまっている。
一軒家の良さは、自分の部屋が確保できる事だ。それに、一人の時間も確保できる。何かを隠すのにも都合がいい。点数の低いテストの答案とか。
親が帰って来るまで孤独を謳歌しようと思ったその時。
「やっと会えた!」
何の前触れもなくセーラー服姿の少女がクローゼットから飛び出し、抱きついてきた。驚きと恐怖で叫びそうになったが、声を出し慣れてないせいでとっさに声が出なかった。
「っ…何、誰、何しに来た!?」
「人間に転生してまで逃げようなんて、どうしてそんなこと…でも、これでずっと一緒だよ」
「転生?待って、何言ってんの?誰?何の話!?」
呼吸を落ち着けて少女の姿をよく見てみる。──文化祭でする下手なコスプレみたいだ。というのも、取ってつけたような…ツノ?それに取ってつけたような尻尾。安直に考えて、いやクローゼットから突然飛び出てきたのと、最近妙にツイてないことを考慮して、こいつは悪魔かその類かもしれないと思った。十秒くらい後に、ようやく話ができるまでに落ち着いてきた。
「…で、あんた一体誰なんだ。僕に何の用?転生とか意味分からないんだけど」
「憶えてないなんて言わないよね?」
「何の事だか、さっぱり。とても俺に関係があるとは思えない」
悪魔めいた少女は心底悲しげに、「本当に何も憶えてないんだ…」と呟いた。
「…いい?私の名前はユキ。私達は、恋人同士だったの。こことは違う世界でね」
「こことは違う世界?よく聞く異世界ってやつか?」
「魔界ってとこかな」
「あんた何者?」
「んー、悪魔?」
可愛い人と付き合ってたんだなぁ…じゃなくて、魔界?なんだか面倒なことに巻き込まれたな 。それと、出てきた時に言った『逃げようとした』という言葉がどうも引っかかる。ひどく想いが一方通行な感じがする。前世の僕は転生してまで離れたかったのか、コイツと。
「それで、あなたの為にここまで追いかけてきたの。やっとあなたに就職できたんだ、就職難だったから大変だったんだよ…」
「追いかけ・・・就職・・・?就職、って」
「憶えてないよね、ほら、魔界だと人間は就職先だから」
「あぁ、はい、悪魔に憑りつかれたってやつね」
「憑りつくって・・・人聞きが悪いなぁ。こっちだって必死なのに」
「それで…憑りつかれた人間と悪魔は…?」
「ずっとその人と運命を共にするの。死ぬまで、あなたが望めば、死んでからも」
望んでたまるか。
「えぇ…だから悪魔祓いって必要なんだな」
急展開な話を聞いていて、一つ、腑に落ちないところがあった。
「いや、仮にそれが本当だったとして、僕がそれを信じられる理由が一つもないんだけど…」
「きっとそのうち思い出すよ、私と居れば」
出された答えは答えになっていなかった。
「で、これからどうするんだ?まさかとは思うけどこのまま僕の家に居候とか、ないよな?」
「居候なんてそんな、食事くらいは自分で作るよ。本部からいろいろ支給されるから。寝る所は一緒だけどね」
「それを居候って言うんだよ!」
とうとう僕は、転生しても彼女から離れられなかったのである。
「…で、人間に就職して何するのさ」
机に座り、山盛りの課題に手を付けながら、不安事項を訊いてみる。ユキはベッドに腰掛けていた。
「んー、その人の望みを叶えたり、叶えなかったり?」
「なんだそりゃ…ていうか、悪魔呼ぶのには生贄が必要じゃなかったっけ。魔法陣とか」
「生贄?肉なら何でもいいよ。願い事の度合いにもよるけどね」
「何か願った覚えはないよ」
「嘘だよ、『死んだ目をして毎日を過ごす夏休みをなんとかしたい』って言ってた」
「い、生贄を捧げた覚えもない」
「から揚げちゃん美味しかったよ」
「から揚げで足りるのか…じゃあ、魔法陣は?」
「それは呼ぶ人が護身用に使うの。結界を発生させて悪魔が直接触れないようにするためなの。魔力の影響を受けたりしないようにね」
「うわぁあっ」
自分の身の危うさを感じたので、慌ててノートのページを破って適当に魔法陣のようなものを描いた。
「うーん、その程度の魔法陣なら、もって30秒くらいだね」
「そんなもんだろうな…」
それでもちゃんと効果はあるらしく、ユキが触れようとしても見えない壁に遮られた。
「しかし、よく就職できたな」
「実はね、ちょっと嘘ついて来たの。年齢とか、出身とか」
「おいおい…そんな事して親は心配しないのかよ」
「親…?私たちの世界を邪魔する人は、みーんないなくなればいいの」
「嘘だろ…」
「当然、あなたに寄ってきた女もね…」
ユキは目を細めて、いくらか声のトーンを下げて言った。生まれてこのかた「寄ってきた女」で思い当たるのが一人くらいしかいないので、すぐ察した。そして、この悪魔がやりそうな事も察することができた。
「まさか、殺しちゃいないだろうな?」
「えーっと…うん。権限が無かったから」
「そうか…」
言いたいことは色々あったが言葉がまとまらなかったので、会話はそこで途切れた。彼は会話が苦手で、というか喋るのが苦手で、人付き合いが苦手で笑うのが苦手だった。転生してこんな人間になってもまだ愛し続ける姿勢に、執念のようなものさえ感じてしまう。
その後、沈黙を破ったのは、拓人でもユキでもなく、拓人の母親だった。拓人には、訳あって父親が居なかった。
拓人は「帰って来ちまったな…」と心の中で思ってから、ユキに「あんたの存在が親にバレたら面倒なのは分かってくれるよな?」と言った。ユキは案外素直に「うん、それは気を付けるよ」と答えた。
夕食の席にユキは居なかったが、なんとなく後ろの方から視線を感じていた。
自室に戻るとユキが待ち構えていた。無視して風呂入ってさっさと寝よう、これは悪い夢かなんかだろうし、明日になればこの自称前世の恋人も居なくなってるだろう。
と思った矢先。
「たっくん」
「たっくん…?」
「お風呂、一緒に入ろ?」
なんとなく予想はしていたが、少し呆れて、
「何言ってんだ、あんたは銭湯でも行っててくれ」
と冷たく言った。
「…前はいいって言ってくれたのに」
「もう前の僕とは違う。全くの他人だ。あとそのあだ名も止めてくれ。伊吹でいい」
「……」
「それに、あまり話しかけないでくれ」
「……」
「ユキ...?」
しまった。
「そんな…そんな悲しいこと言わないでよ…」
目の前の少女はボロボロと泣きはじめた。理由と状況がなんであれ、女の子一人泣かせたのに変わりはないので素直に謝ることにした。
「ごめん、悪かったから泣くなって」
(あれ…?)
拓人は信じられないくらい流暢に日本語を話していたので変に思った。 話す相手が女子だと二単語くらいの短い文しか話せないのに、長い文を比較的滑らかに話していることに気が付いた。
何故だかユキと話し慣れてる感じがする。普通に話せる。まさか本当に僕は前世で…。
「…分かってるよ。今は記憶がないだけなんだよね」
…そんな馬鹿げた話も無いだろう、早く警察に届け出をしよう。
「あー、そういう事にしておこう」
それから、記憶が戻っても一緒に入んないと言いかけてやめた。何が起こっても理性を保てる自信はあるが。
「じゃあ、一緒に入ってもいい?」
「は?」
あれ、今、声に出してないよな?
「まさか、心を…」
「調子がいいと時々読めるの。だから、私に嘘はつけないの」
(気がおけないな…)
「何か言った?」
「何も言ってない」
コイツ本当に悪魔か?心を読めるなんて、そんな話聞いたこともない。
「悪魔だって言った方が都合がいいし、いろいろ楽だから」
また読んだな。
「じゃあ、結局のところ何者なんだ」
「人間の運命に干渉できて、誰かの自由意志を操作できる、この世界を成り立たせるのに必要な存在、かな」
「そんな人が?恋人に会うために、わざわざ人間界に?…職権濫用じゃない?」
「…だから、年齢とかいろいろ偽ってここまで来たの」
一途なんだなぁ…じゃなくて。
「ていうか、そんな話、見たことも聞いたこともない」
「普通の人間なら知らずに過ごしていくだろうね」
「ユキの他にもいるのか?」
「いるよ?」
「この辺にもか?」
「居ないと思うけど…あの女は、分からない」
「あの女?」
「たっくんは気にしなくていいの」
ユキは微笑んだが、その笑顔の裏にはいろいろ秘密がありそうだ。
次回に続く
クローゼットから現れたのは異世界で付き合った元カノだった。 橋良しゔ @siv_hashira
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