8発め あいつはロックンロール

 司はそわそわしていた。仕事も全く手につかない。「書類がどさどさ」は嘘だが、全く何もないわけじゃない。

 もちろん彼をこんなにしている原因は、黎慈と直がうまくいったか、今後も押しつけられそうか、である。

 気もそぞろに天気予報など見ていると、待ちに待った、でもあまり聞きたくなかった帰宅の音が玄関先から聞こえてきた。


「おかえり黎慈くん!」

「……ただいま」


 普段はリビングに来るまで待っているのだが、今日ばかりは自ら廊下に出て黎慈を迎える司。その表情は期待と不安がない交ぜになっている。


「どうだった?」

「うーん……楽しかったかも」

「良かった!」


 司は心の底からの笑みを浮かべた。作り物でない笑顔を黎慈に向けたのは初めてかもしれない。

 もちろん、司の関心事は黎慈を押しつける相手を得たことである。黎慈に友人ができそうなことを喜んでいるわけではない。


「やっぱり、話しやすいからね」


 明るく気さくでちょっと抜けた、直の人となりを思い出しながらつぶやく。黎慈が頷くが、それは司の目に入っていない。独り言のつもりだった。


「ねえ黎慈くん、これから、たまに直くんとご飯食べに行ったら? ほら、彼も此処に来たばっかりだし、仲良くなったらいいかなって」

「……うん。次は、つかさくんも一緒に……」

「時間があったら行くよ。今日はごめんね」

「……ん」


 黎慈の反応が曖昧なのはいつものことである。息が漏れるようなその音を承諾だと取って、司はリビングに入った。つい立ち話しちゃった、ごめんねと心にもない謝罪の言葉を置いて。

 黎慈は後を追わず廊下に立ち尽くしていた。この程度は奇行のうちにも入らないので、司は特に気に掛けることもしない。


「でも、ぼくは、つかさくんが……」

「何か言った?」


 リビングから心配そうな響きを装う司の声が聞こえてくる。

 黎慈は誰もいない空間に曖昧な笑みを向けると「大丈夫」と低く言って、歩き出した。


 ***


 遅い昼食を取って一段落した雅貴は、コーヒーで一服している。いつも通り紙コップで飲む予定だったが「こっちの方がたくさん入るし、熱くないだろ」と直が渡してきたマグカップを使うことにした。洗い物は全て直がするから気にするなと言う。


「マジ家政夫だねー。いちお、ヒーローになりたかったんでしょ? プライド傷ついてる?」

「プライドっつーか……気持ちはちょっと傷つけられたような気がしないでもないけど」

「オレに?」

「当たり前だろ。コーヒー掛けられたのなんて生まれて初めてだよ」

「でも”ちょっと”レベルなんだ……熱いのをかけとけばよかった」

「それだと肉体的にも傷つくから!」

「あはは」

 

 悠々とくつろいでいる雅貴とは対照的に、直は忙しく動き回っていた。日用品の整理がまだ終わっていないのだ。棚やかごがないので当分床に置いておくほか無いが、雑然としないように気を配る。散らかしっぱなしだと雅貴も怒るだろうし。


「昼はどうしたの?」

「黎慈くんと食堂行ってきた」

「……は? 黎慈?」

「同じ階に住んでるヒーローだよ」

「知ってる……ってか、ここで黎慈知らない奴なんていないし。マジかよー、ヤバっ。どうだった? やっぱヤバかった?」

「そんな有名人なのか……ちょっと変わった人だけど別に大丈夫だったよ」

「……ちょっと、来て」


 手を止めてテーブルに向かうと、雅貴がスマートフォンを押しつけてきた。画面では動画が再生されている。


「これは?」

「とりあえず観て」


 動画は、客席からライブを撮影したものだった。画面の小ささと画質の悪さから顔は判別できないが、全員派手な髪型に派手な格好をしている。ビジュアル系バンドのようだ。

 曲が終わり、ボーカルがしゃべり出した。聞き取りにくいが「今日はありがとう」という内容らしいことはなんとなくわかった。彼が話している途中にギタリストが彼に向かって歩き出し、ギターを振りかぶると、背後から、思い切り、ボーカルに叩きつけた。

 その場に倒れるボーカル。

 立ち尽くすメンバー。

 怒号が飛び交う客席。

 スタッフ数人が走り出てきて、棒立ちのギタリストを取り押さえるところで動画は終わっていた。

 

「あの、これ」


 雅貴が何を伝えたいのは、直にはわかってしまった。それでも尋ねずにはいられなかった。止まった画面の、スタッフに群がられたギタリストを雅貴は指して、言った。


「これ、黎慈」

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