5発め 既知との遭遇

 めでたく住み込みを許可された直だったが、課題は山積みだ。

 雅貴の態度がでかいのは仕方ないとして、この部屋には普通の生活に必要な物が極端に少ないのである。雅貴は3食すべてを食堂でまかない、衣類はなにもかもクリーニングに出し、掃除をしたくないからと1階の大浴場に通っていた。彼の主な娯楽はネットサーフィンとコーヒーで、そのコーヒーも紙コップで飲む。

 皿もなければ洗剤もなく、石けんすらこの部屋にはないのだ(歯磨き粉はある)。


 とにかく、買い出しが急務だ。

 近くにあるスーパーやコンビニは資料で把握済みだ。提携店で生活用品の購入に使えるというカードを渡されていたが、欲しいものを全部買うとなると何往復もしなければならない。


(通販でも、あればいいんだけどな)


 あるのかもしれない。しれないが、百科事典のように分厚いマニュアルをめくる気分にはなれなかった。

 やる気を失いかけた直の脳裏に、ある人物が浮かんだ。


 ***


「と、言うわけなんだけど……通販って使えるのかな」

「使えるよ。端末持ってる?」

「ああ」


 直が助けを求めた相手は司だった。彼の部屋にはそれなりにいろいろあり、自炊もしていたからそのあたりは詳しいだろうと踏んでのことだ。

 そしてその人選は、正解だったらしい。


「生鮮食品も買えるネットスーパーと、もっとジャンルの広い総合的なネットショッピングサイト。どっちも機関とつながってるから、よほどじゃない限りは会計、持ってくれるよ」


 手早くサイトを表示しつつ、説明をしてくれる司。メモを取りながら、真剣に直は聞いた。その実直な真面目さに、思わず司は軽く噴き出した。


「えっ?」

「いや、なんかバイトの新人みたいだなと思って」

「えー? そうかなぁ……まあいいや。それ、どのくらいで届くの?」

「ネットスーパーは早めに注文すればその日のうちに配達してくれるよ。ネット通販は品物によってちょっとばらつきある。早いと次の日来るけど、取り寄せだとン週間とか」

「ネットスーパーだけど、今からでも当日配送いけるかな」

「午前中に頼めばたぶん大丈夫。でも、なんでそんなに急いでるの?」

「かくかくしかじかで」


 部屋の状態を説明したところ、それが司には面白かったらしい。司は笑いをこぼしながら「一陣さんっぽい」と言い、よほどツボにはまったのかまた声を出して笑った。


「あ、オレが言ったの内緒にしといてくれるかな。部屋の中のこと喋ったら、雅貴、怒りそう」

「わかるわかる、怒りそう! 言わないよ」

「ただいま」


 年相応のやかましい談笑に、静かな声がかぶさってきて、2人は凍り付いた。


「お、おかえり黎慈くん!」


 昨日直が見た「完璧な対応」にはほど遠い、素の驚きと隠しきれない恐れの滲む声だった。黎慈が何らかのよろしくない反応をするのではないかと、素直も一緒になって身構えた。

 が。


「……つかさくん、具合悪いの?」


 返ってきたのは思いも寄らない言葉だった。ただ、口調や表情は気遣うそれではない。平坦だ。


「大丈夫……うん、大丈夫。びっくりしちゃって」


 一言ごとに、司は化けの皮を整えていく。言い終わって立ち上がる頃にはすっかり「着替え」を終えていた。


「早かったね。怪我はない?」

「ないっぽい……すなおくん、来てたんだ」

「お邪魔してます」

「ちょっと相談とかしてたんだ」

「ふーん……」


 穴のような目で直を見つめる黎慈。悪意は感じないが、善意もまた感じられない。視線を外さないまま、黎慈はフローリングの部分へ直に座った。正座である。つられるように司も座る。


「すなおくん、いくつ?」

「えっ。22……」

「ふーん……僕のがお兄さんだね」

「そ、そうなんすか。いつくなんすか?」


 黎慈の「イってる」目と起伏のない表情は、彼を年齢不詳に見せている。さすがに雅貴ほど幼くはないが、18と言われても30と言われても納得してしまいそうな雰囲気だった。


「24」


 予想の範囲内だ。


「……あー……でもさー……年上だけど、敬語は使って欲しくない、かも。名前もテキトーに呼んでほしいかな……」


 つかさくんみたいに、と付け加えられた。なるほど司は黎慈に対して、同級生かいっそ年下にするような物の言い方をしていた。そういうふうに接されたいのだろう。


「わかった。えーと、黎慈くん」

「……ふふ」


 笑った。

 喜んでいるのだろうが、笑い方もどこか虚ろだ。

 ちょっと怖い。


「黎慈くん珍しいね。機関の人来ると部屋から出てこないのに。わざわざ自分から話しかけるなんて、そんなに直のこと気に入ったの?」

「……そうっぽい」

「直のどのへんがいいの?」

「うーん……まだちょっとよくわかんないかも……」

「だって。お気に入りおめでとう」


 直は、司から「黎慈を押しつけてしまおう」という意図を感じないでもなかったが、経緯を考えれば彼の気持ちもわかる。直自身はまだ黎慈の「事件」を詳しく知らないせいなのか、差し迫った危機感は感じていない。直の中の黎慈は「ちょっと不気味だけどおとなしい人」である。

 じゃあ、受けてやろうじゃないか。


「黎慈くん、今日時間ある?」

「……? うん、招集がなかったらだけど……」

「昼、オレと食べに行こう。ちょっとやりたいことあるんだけど、昼時には終わるからさ。司、来る?」

「俺、本部から新しい書類どさどさ来ちゃって、目通したいんだよね。ごめん」

「つかさくん……僕……」

「行ってきなよ。たまには俺以外ともご飯食べたら?」

「……うん」

「じゃあ12時に食堂前ってことで。オレ、いったん帰るね」

「……うん」


 ***


「よかったね、黎慈くん」

「うん……でもつかさくんも一緒がよかったかも」

「じゃあ、今度3人で行こうか」

「でも……すなおくん、また僕とご飯してくれるかな」

「まだ行ってもいないじゃん。直くんいい人そうだし大丈夫だよ」


 まるで初デートに送り出すような台詞だな、と司は思った。

 直に対する罪悪感はある。だが自分が開放される時間が増えるのは、嬉しい。

 できればもうしばらく、直には「事件」の詳細を知らないままでいて欲しい。そうすればこうやって押しつけても、そんなに心が痛まないから。

 そういえば、黎慈に直の名前をいつ教えたのだろう。

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