2発め 恐怖の同居人
風呂と服を借りてさっぱりした直は、この親切な青年にすっかり気を許していた。青年も「パートナー」である直に興味があるらしく、警戒は解けていた。
彼は「真田司」と名乗り、直に番茶をすすめた。応じて「相沢直」と伝え、いただく。番茶なんて久しぶりに飲んだ。そのせいか、とてもおいしいものに感じられた。あるいは、理不尽な仕打ちのあとの優しさだからなのか。
司はラグにあぐらをかきながら、自分もマグカップに番茶を注いで、微笑のままで開口一番、
「夢は捨ててね」
とのたもうた。
直の舌から番茶の味が消えた。
「どういう意味?」
思わずこぼれた問いは火だった。司の導火線は非常に短く、深く一息吸だけの時間で火薬に達するのには十分だった。油紙が燃え上がったように、司はまくし立て始めた。
「きみ、明るいし? 夢見て来たんでしょ? 自分も平和のために働きたいんです系でしょ? 絶対そうでしょ?
そういう人ってみんな”奴ら”のことをみんな聖人君子だと思ってるけどそんなわけないからね! 俺も! そんなふうに! 思ってた頃がありました! でも事実そうじゃないし、下手したらもっと怖いものだし……ほら、さっき! コーヒー掛けられたし部屋に入れてもらえなかったでしょ? あれだよあれ。一陣さんは幼稚っていうか、わかりやすいからまだ避けようもあるんだけど、爆弾みたいな奴もぱらぱらいるしさ! 俺の担当なんて犯罪者だよ、めちゃくちゃ怖いよ!
”奴ら”、平和は守れても人格が破綻してやがるんだよ!」
そこまでを息せき切って司は言った。直は時間を掛けて、彼の言ったことを噛みしめる。
そして改めて「相棒」たるべき人間にされた仕打ちを反芻した。
初対面の、仕事仲間になる相手にコーヒーを掛ける。
よく考えなくても普通ではない。
そして司に言われたとおり、直は”奴ら”を「崇高な職業の人」として見ていた。その「崇高な存在」の暴挙に、頭がついていかなかったのだ。
「俺もだったけど、新任の職員ってみんな、”奴ら”を子ども向けの特撮番組と同列に思ってるんだよ。強くて、優しくて、格好良くて……でも、現実は違うんだよ。”奴ら”も人間で、そりゃあ本当にちゃんとした『正義の味方』もいるにはいるけど、ほとんどは『すげー強いだけの人』だし、中には俺たちの担当みたいなハズレもいるし……」
このまま泣き出すんじゃないかという雰囲気の司に、直はなんとか「常識的な回答」を投げつける。
「でも、志願してなったはずなのに……」
黎明期にはいろいろあったと聞いているが、少なくとも、現状は志願制だ。直がなりたくて志したように。努力ではどうしようもない項目があるので、落とされる者もやはり多いけれど。
「普通はね。なりたくてなったんじゃない奴も、まだちょびっとだけいる。そいつらは基本的にハズレくじだ。志願兵とは鬱憤のたまり具合も桁違いだから、一陣さんみたいに荒れちゃう」
きゅうっと番茶を飲み干して、暗い目つきで司は言った。
「”パートナー”って、まだ少ないでしょ。試験段階みたいな面もあるし。で、面倒な”ヒーロー”からつけられるんだよ。つまり、なりたくなかったのに祭上げられちゃった奴らの捌け口ってわけ。まじ、病むよ」
乾いた笑いが部屋に響いた。
直は処理をしきれない。
直の中の「ヒーロー」と、司が語る「ヒーロー」の乖離は大きすぎた。
直もひきつった笑いをつくって、司に追従することしかできなかった。
***
そのまましばらく、直は司の愚痴を聞いていた。少し時間を置けば向こうも落ち着くのではないかという考えもあったし、何より司がいてほしそうだったからだ。
同居人は人格破綻、そのせいで機関職員は司も遠巻きにしがち。司は対等な話し相手に飢えていたのだった。
司の話によると、彼の同居人は理解しがたい理由で殺人未遂を犯し、司法の手にゆだねられるはずであったが、適性が高すぎたために表向きは消されてここに置かれているのだという。
「普段はおとなしいけど、何考えてるかわかんないし。そのうち俺も殺されたりとかするんじゃないかと思って……あいつの前任パートナー、いきなり退職したっていうし、何かされたんじゃないかとか、怖くて……」
素人目に見ても、司に何らかのケアが必要なのは明白だった。にもかかわらず放置されているなんて、けっこうとんでもないところなのではなかろうか、ここは。
「もっと専門っぽい人に変わってもらったほうがいいんじゃないの? 犯罪者なんて、普通の人に預けるほうがおかしいよ」
「俺もそう思うんだけど、あいつ、なんでか俺のこと気に入ってるみたいで……担当替え嫌だって言うんだよ。みんなあいつの機嫌悪くしたくないから、俺、据え置きされてんだよ……」
最初は半月の予定だったのに、と司は唇を噛んだ。思わず直は肩を抱いた。小刻みに震えている。
守りたい。救いたい。
だがどうしたらいいのか、直にはわからなかった。
彼の焦燥を余所に、扉が開く音がした。
司の震えが止まった。
「……帰ってきた」
自分に言い聞かせるような口ぶりだった。
短い廊下を渡って「彼」がリビングの扉にたどり着くまでの間に、捨て犬のように震えていた司は年相応のはつらつとした青年に「化けた」。
「おかえり黎慈くん! おつかれさま!」
「ただいま、つかさくん」
「何か軽く食べる? 朝のおかゆ、鍋にあるよ」
「うーん……どうしよう」
殺人未遂と聞いていたから、みるからに「いかにも」な人物を想像していた直だったが、それは裏切られた。入ってきたのは野暮ったいカーディガンにくるまって、寝起きみたいな顔をした男だった。「黎慈くん」は口元に手を当て、おかゆに思いをはせていたようだが、ゆっくり首を巡らせると、虚ろな瞳に直をとらえた。
「誰?」
「新人。一陣さんのパートナーになるんだって」
「そうなの……」
彼の興味はおかゆから直に移ったらしかった。話し方も動作もゆっくりなため、今のところ凶暴性は感じられないが、無表情でじっと見つめられるのはあまり気持ちのいいものではない。
「まさきくんなら、それっぽい人詰め所にいたかも」
「一陣さんも? 今日立て込んでるんだね」
「うん。だから――もう部屋に入れるね」
黎慈はうっすらと笑った。
直は喉に詰まった「なんで」を、口に出せなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます