英雄たちの舞台裏

猫田芳仁

1発め 不機嫌すぎる相棒

 直には、ずっと抱いていた夢があった。

 それはもはや、強迫観念に近い。

 

 誰かを、守りたい。


 彼の人生に、そのような妄執を宿しそうなエピソードはない。

 両親や兄弟姉妹、親友、恋人を亡くして志した、という類型にもはまらない。

 反対に、家族が警察官や救急隊員で「守る、助ける」ということに親しんで育ったというわけでもない。

 サラリーマンの父とパートの母。兄弟は、とっくに結婚している年の離れた姉1人。みんな、苦労していないわけじゃない。じゃないけれど、そこそこ幸せに暮らしている。

 にもかかわらず、直は誰かを助けたくて、守りたくて、仕方がなかった。そうすることが使命なのだと、物心ついたころから感じていた。

 直も悩んだ。

 そして、なりたい仕事をようやく見つけた。

 大学の授業の合間に集中講義。体力づくりも欠かさない。たゆまぬ努力、というのはきっと直がしたような一連のあれこれをいうに違いなかった。

 そうして直は試験に挑んだ。

 学科、クリア。

 体力測定、クリア。

 どちらも、けっこうな水準で。


(これなら、なれる)


 通過通知を受け取った際の、直の心情といったら。

 彼は合格発表のときの情景を思い出していた。張り出された数字の羅列から自分の受験番号を見つけた時のどっきり、そこからの高揚、現実離れしたふわふわした感覚。

 それを、すでに思い起こしていた。

 そして忘れていた。

 適性検査の項目が、もう1つあることを。


 ***


 結果は残念ながら、不合格。

 何度見直しても不合格だ。

 届いた書状を縦横斜、あらゆる方向から見直した直だったか、残念ながら暗号もくそもなく、ただ純然と残酷な、不合格通知以外のなんでもなかった。

 ほかの項目でどれだけの好成績を叩き出そうとも、越えられない壁。

 「ヒーロー適正」と呼ばれるその数値は、いったい何を基準にしているのか全く分からないが、とにかく、これで基準値を下回ると絶対にヒーローにはなれないのである。

 直はこれを、うれしくない方向にぶっちぎった。ヒーローになれるぎりぎりのラインは30%程度。誰もかれもが5%以上は持っているとされるこの適性が、直はすがすがしいほどに、ゼロだった。

 普通はここで「運がなかったんだね」とあきらめるべきところであろう。だが直は諦めきれなかった。わざわざ本部に電話をかけてのたまった。


「なれないのはわかりました。でも、その周辺職で、募集しているところはありませんでしょうか。そこに応募したいのですが、そういうことって……できますか?」


 直としては、千尋の谷に身を投げる覚悟であった。

 しかし電話口の「機関職員」は「少々お待ちくださいね」とありあわせの台詞で間を作って保留し、気の抜けた音楽の後がしばらく流れた後、いかにも責任者でございという壮年の男性が電話に出た。

 その電話の内容を、直はいまいち覚えていない。

 ただ、職が与えられたことだけを、覚えている。


 ***


 その職場は住み込みだった。

 しかも、1人部屋ではないのだ。

 各自の部屋はあるにはあるけれど、寝室が別というだけで、キッチンリビングその他もろもろ、とにかく2人暮らしで共有するであろう場所は共用だ。トイレもそうだし、風呂場もそう。人によっては耐えきれないに違いなかった。

 幸せなことに直はそういうものがまったく気にならないたちだった。

 そして不幸せなことに「同居人」はそういうものに耐えられないたちらしかった。

 意気揚々とチャイムを鳴らした直は、ブラックコーヒーで洗礼を施された。ぬるかったのは、善意だろうか。

 

「出てって」

 

 まだ入ってもいない。

 部屋の「主」は空になった紙コップを馬鹿にしたように振り、開いた口がふさがらない直を尻目に扉を閉めて鍵をかった。

 幸い荷物は無事だったが、髪と服は大惨事だ。楽天家の直は「歳も近いらしいし仲良くなれるだろうな」とたかをくくってここまで来た。さすがに初対面でいきなり親友とまでは思っていなかったが、この仕事に就いている以上志は同じはずだから同志として受け入れてくれるに違いないと信じて疑っていなかった。

 それが、これだ。

 直は途方に暮れた。

 手持ちのポケットティッシュで顔を拭いたが、焼け石に水だ。荷物は今日中に届く予定ではあるがそれまで着替えはないし、そもそもあの部屋の主が直の荷物を受け入れてくれる保証はない。担当さんに連絡を取ろうという正解に至るまで、直の混乱した頭ではもうしばらくかかりそうだ。その「しばらく」を待たずして、救いの手は差し伸べられた。


「えっ、うわ……大丈夫?」


 分厚い封筒を小脇に抱えた青年が、困った顔で声をかけてきた。少々及び腰だが、頭から液体を滴らせているこの状況では致し方なかろう。


「ええと」


 直は直で、なんと言ったらいいのかわからなかった。果たして自分は「大丈夫」なのだろうか。怪我はないので肉体的には「大丈夫」のような気がするが、それ以外の部分についてはダメージを受けているような気もする。

 直が無害そうだと思ったのか、青年は警戒しながらも近づいてきた。困り顔のまま鼻をひくつかせて「コーヒー」と独りごちる。大正解。


「新入り……なのかな?」

「あっ、そうですそうです! でもその、メイン職じゃなくって」

「”パートナー”なの? 俺も」

「じゃあ先輩っすね! よろしくお願いします!」


 直が入るはずだった部屋から「うるさい!」と怒鳴り声が飛んでくる。思わずびくつく直。今にも本人が飛び出してきそうな勢いのある語気だったが、扉は開かない。それを聞いて、青年の困り顔が同情のそれになる。


「ここの担当なんだね……」

「そうなんスよ、なのにいきなりコーヒー掛けられるし閉め出されるしどうなってんの!? ってカンジ」

「ここでこれ以上喋ると、一陣さんもっと怒っちゃうから……俺、この棟に住んでるんだ。行こ。風呂貸すよ」

「ありがとうございます!」


 扉の向こうから邪悪な気配が放射されている気がする。それを浴び続けていたら、とても身体に悪い気がする。

 直はそそくさと、青年の後についてその場を離れた。

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